ドナドナ
「5分計って」
崇が吉川にストップウォッチを手渡した。
「打撃も有りでええから、試合のつもりで遠慮無しにおいで」
崇が手招きする。
それと同時に鳥居が飛び出した。
未だ構えを取っておらず、重心も高いままの無防備な崇。
その隙だらけの足を目掛けタックルを仕掛けたのだ。
左腕の動かない鳥居には両手で刈る事は出来ない為、右手で崇の左足を捕らえ、自分の肩を押し込む様にして体重をかける。
不意を突かれた形の崇はそのまま簡単に倒された、、、
かに見えた。
しかし崇はその勢いに逆らわず、鳥居の腰辺りの帯を掴み、強く引く事で倒れる勢いを加速したのだ。
それにより、いとも容易く上のポジションを奪った崇。
「いいねぇ鳥やんっ!そういうやり方、嫌いや無いでっ!」
怖い笑顔を見せると、左手を鳥居の奥襟に滑り込ませ、固く道着を握る。
そしてその前腕を鳥居の喉に押し当てながら、右手で道着の前部を強く引いた。送り襟締めである。
苦悶の表情で瞬時にタップをする鳥居。
崇が技を解くと、鳥居はえづく様に咳き込んだ。
その顔は酔っ払いの様に赤くなっている。
立ち上がった崇は、鳥居の回復を待ちながら吉川に声を掛けた。
「今、何分?」
崇の問いに吉川が申し訳なさそうに答える。
「えっと、、、いきなり始まったからスタートのボタン押すタイミング、少し遅れてしもてんけど、、、」
「構へんよ、何分?」
「まだ21秒しか経ってないよ、、、」
2人がそんなやり取りをしている間に鳥居の咳は止んでいた。しかしまだダメージが残っているらしく、マットに手をつき肩を上下させている。
「今、俺はあえて道着を着てる時しか出来へん技を使った。でもタックルを返したやり方も、最後の絞め技も基本中の基本、、、柔道や柔術でも初期に教えるもんや。やってみてどうやった鳥やん?」
問われた鳥居はようやく息も整い、立ち上がりながら細々と答える。
「どうって言われてもなぁ、、、裸やったらあんな返され方も、あんな絞め技が来るとも想定せえへん。だから警戒もしてなかったし、そもそも防ぎ方すらわからへん、、、お手上げやわ」
言い終えた鳥居は肩を竦め首を振っている。
「ええ答えや。裸と着衣が全くの別物やって事、それを理解出来ただけでも上出来やで」
満足そうに頷いた崇を尻目に、いそいそと道着を脱ぎにかかる鳥居。その顔は終わった安堵感に満ちている。
だがそこへ無慈悲な声が飛ぶ。
「オイオイッ!何を勝手に終わってくれとんねんっ!!」
脱ぎかけた体勢のまま動きが止まった鳥居、声にこそ出さないがその顔は「へっ!?」と言っている。
「まだ21秒しか経ってへんねんで、俺は最初に5分て言うたやん。さっ!続き始めるから道着整えてっ!!」
愕然とする鳥居。
これが漫画ならば鳥居の背後は黒く塗り潰され、鳥居自身はムンクの叫びに描かれるだろう。
その様があまりに可笑しかった為、周囲の皆が指を指して笑っている。
(他人事や思て、、、)
周囲を睨みながら道着を整える鳥居。
だがそこへ追い打ちの一言が崇の口から放たれた。
「因みに1ラウンド5分で、3ラウンドやるから」
遠退く意識の中、鳥居は思った、、、
(鬼や、、この人は鬼になりはったんや、、、)
これが漫画ならば背後に稲妻が走り、口許に手を当て白目で仰け反る鳥居が描かれるはずである。
スパーリングが再開された。
翻弄されながら何度も関節を極められる鳥居。
ようやく5分が経った時にはマットで大の字となり動けずにいた。
見上げた天井の照明が、やけに白く眩しく感じる。
早い鼓動と乱れた呼吸が、体内でヘビーメタルのリズムを刻んでいる。
一方的に攻めていた崇も流石に疲れたらしく、マットへと座り込んだ。
そして一言、、、
「1分休んだら始めるで」
それを聞いた鳥居、先程まで体内で刻まれていたヘビーメタルのリズムは、絶望のドナドナに脳内変換されていた。
(もういやぁ~、、いやぁ~、、ぃゃぁ~)
心の悲鳴が頭でこだまする、、、
鳥居の地獄はまだ始まったばかりである。