回顧2
20歳になった崇は、その夜も街に出ていた。
三ノ宮でいつもの仲間と飲んでいた。
そう、何も変わりない、いつもの夜となるはずだった。
雑居ビルの3Fにある知人の店。
今で言うキャバクラの様な店で2時間程を過ごし、次の店に移ろうという流れになった。
店を出てエレベーターで1Fに降りると、通りに出た所で数人の男達が屯して喋っていた。
見るからに「ややこしそう」なグループである。
しかし、崇はその中に知った顔を見つけた。
大嶋浩一、、、高校の時に同じクラスになった事もある、当時の学校で顔役の1人だった男だ。
崇の母校はスポーツにおいては全国的に有名な学校である。
この大嶋も柔道の実力者で、その線から推薦入学した男だ。
勿論 問題児で喧嘩っ早く、九九すら怪しい学力。
そのうえ授業中に教室でセンズリをこく様な男だったが、崇は不思議と気が合い仲は良かった。
「大嶋やんけっ!久々やなぁ元気しとん?」
崇は懐かしさから声をかけた。
大嶋は驚いた様子だったが、それが崇だと気付くと
「おおっ!ボディけ?久々やのぅ!」
と笑顔で応え、2人は握手を交わした。
因みにボディというのは崇の高校時代のアダ名である。
しかし2人の様子が気にいらないらしく、カミソリの様な視線を崇に投げる男が居た。
どうやら大嶋は極道になっているようで、一緒に居る男達は組の仲間らしい。
カミソリの様な視線を向けた男、、、五木竜三からすれば
(堅気の茶坊主が気安く話しかけくさって!)
てな思いだったのだろう。
「コラッ!なんの用じゃ、ガキがっ!!」
と声を荒げた五木が崇に近付いて来た。
この状況で喧嘩になると、多人数での乱闘になる、、、
嫌な空気を読み取った崇は
「兄さん、すんまへんなぁ、高校で一緒やったもんでつい、、、失礼しました」
そう言って五木から距離を置くと大嶋に視線だけで挨拶を済ませ、先に歩き出していた仲間のあとを追った。
大嶋が間に入っていた事もあり、五木は追ってこそ来なかったがまだ背後から怒声を浴びせて来ている。
崇は無視を続けていたが、今度は逆に崇の先輩の1人、真田和則が反応を示した。
「おい、さっきの奴が何んか言うとんぞ!話に行こや!」
「いや、もう放っときましょ和則さんが相手する事無いっすよ!」
崇は止めた。
和則は良き先輩だが、喧嘩好きで少し前にもパクられている。
傷害で数回「前」がある為、和則の為にも崇は必死で止めた。
しかしキレた和則は崇の手にも負えない。
格闘技経験こそ無いが、ナチュラルに強い野獣の様な男である。
そしてとうとう崇の制止を振り切り、和則は連中の所に向かってしまった、、、
「おおっ!ええもんあるやんけっ♪」
そう言って途中に落ちていた箒を拾い、小走りで迫って行く。
これに呼応するかの様にヤル気になったのが、またも先輩の1人である土田順一だった。
崇がつるむグループのメンバーの中で、和則と土田は喧嘩好きのトップ2だった。
他のメンバーは喧嘩になりそうな時、一応「回避」しようと試みる。しかし、この2人にはそういう部分が抜け落ちていた。
争いを避ける気持ち、、、それが皆無に等しく、絶対に受けて立つのだ。
数日前にも24時間営業のラーメン屋で注文後に絡まれてしまい、この2人が受けて立った為に、食べてもいないラーメンの代金だけを払い、警察が来る前に逃げ帰るという出来事があった。
絡んで来た2人組は当然の如くボコられ、口から食べたラーメンが溢れ出ているという不様な姿を晒していた。
つまりこの2人がヤル気になった以上、この喧嘩も既に回避不可という事である。崇は覚悟を決めたが、お互いのグループの被害を最小限で食い止めたかった。
だが、、、崇や他のメンバーが2人に追い付いた時には、もう事は始まっていた。
和則は誰彼構わず箒でぶん殴り、土田も左右のフックをぶん回している。
ところが最悪だったのは、和則も土田も崇に怒声を浴びせていたのが誰なのかを理解していなかった事だ。
当の五木は隠れていたらしく無傷に等しい。しかし他の連中はしこたま殴られ、既に朱に染まっている。
崇の姿を見つけた五木が駆け寄って来るなり
「すいませんでした!」と詫びを入れて来た。
(事の張本人が無傷で何言うとんねんっ!)
その言葉をグッと飲み込んだ崇は
「話は後やっ!それより止めるどっ!」
そう言い放つと急いで大嶋の姿を探す、、、
大嶋には何も罪は無い。だから大嶋だけは逃がしたかった。
しかし願いも虚しく、大嶋の姿を見つけたのは最悪のタイミングだった。
崇と共に後から追い付いたメンバーの1人、木島守が頭からダラダラと血を流し、その後ろには石を手にした大嶋が獣の形相で立っていたのだ。木島の顔がみるみる血に染まる、、、
(もう逃がせない、、、)
崇は大嶋だけは逃がそうという目論見が叶わぬ事を覚った。
いや、それどころか大嶋は仲間を傷つけた倒すべき敵となってしまったのだ。
その瞬間、崇の怒りの矛先は事の原因である五木に向けられた。
「もう止まらんぞコラァ~ッ!」
そう叫ぶと崇は五木に襲い掛かった。
目茶苦茶に蹴りと拳を叩き込む、、、
それは喧嘩と呼ぶよりも、一方的な暴力に等しく映った。
ひとつ拳が当たる度に歓喜が電流の様に身体を走る。
元来、喧嘩屋の崇にとってそれは肉欲にも似た感覚であった。
五木は思ったよりタフだった。
グロッキーでフラフラだったが、倒れずに立っている。
崇の攻撃をほぼ一方的に受けていた事を考えると驚異的とも言えた。
その時、背後に気配を感じた崇が振り返ると、1人の男が崇に殴りかかろうとしていた。それをしっかりとガードした崇は、右のローキックから左の膝蹴りをそいつの腹にブチ込んだ。
相手は吐瀉物と共に酒と胃液の臭いを撒き散らし、その場に苦悶の表情で踞る。
ザコキャラを片付けた崇が五木の方に向き直るも、最早そこに五木の姿は無い。辺りを見渡してみたがどこにも見当たらなかった。どうやら崇がザコキャラを相手にしている間に逃げたらしい。大嶋の姿も見えない所を見ると一緒に逃げたのかも知れない、、、
乱闘は既に治まっていた。
和則が相手の連中を集めて正座させ、その前で睨みを効かせている。ボロ雑巾の様になった男達は完全に萎縮していた。
こちらのメンバーは頭を割られた木島以外は、多少の傷はあるものの大したダメージは無い様子である。奇襲を仕掛けた形になったのが結果的にダメージの差に繋がったのだろう。
深夜1時を回ったとはいえ、場所は神戸一の繁華街である。
開いている店も多く、それに比例して野次馬も多かった。
乱闘が始まってから5分程経っている事を考えると、警察が来るのも時間の問題だ。
その前にこの場を立ち去りたいが、気掛かりなのは木島の頭の傷である。
ふと木島を見ると、近所の飲み屋の大将らしき男におしぼりで傷口を押さえてもらっていた。
「あぁ、、、兄ちゃん、こらアカン。骨見えとるわ、、、救急車呼ぼか」
大将の声が耳に入る。
病院に行けば同時に警察にも連絡がいく。
傷や病状に事件性がある場合、病院は警察への報告義務がある。正直そうなると面倒だが、そうも言っていられない。
今は木島の治療が優先である、、、
そんな事を考えていたら、少し離れた場所から
「ガシャン」
と何かの音が響いて来た。
崇が音の方を振り返ると、暗がりからシルエットが近付いて来るのが判る。
街灯の明かりでやっと判別出来たその姿は、逃げていたはずの五木であった。右手には茶色い歪な物が握られている。
割れて刃物と化したビール瓶だ。
最初にそれに気づいた崇はとっさに叫ぶ、、、
「ヤバいっ!みんな逃げぇ!!」
その声に反応したのは、崇の直の兄貴分である萩礼二だった。
「おい和則!行くどっ!」
そう言って萩は和則の腕を掴み駆け出した。
崇も一瞬逃げる態勢になったが、怪我で動けない木島の事が頭を過りその場に踏みとどまった。
見ると土田も同じ事を考えたのだろう、木島に肩を貸して立たせようとしている。
刃物相手の喧嘩は馴れている、、、
この場で今、奴の相手が出来るのは自分だけだ。
(俺が相手をして土田と木島の逃げる時間を作ろう)
崇はそう考えると五木の方に向き直った。
五木の目には明らかに狂気が宿っている、脅しではなく本気で刺す気なのが一目で解った。
刃物を手にした優位性からか、不快極まりない笑顔を浮かべている。
しかし、先の闘いで崇の格闘技術を警戒しているらしく、安易には突っ込んで来なかった。
五木からすれば、ビール瓶は生命線である。これを落とすか奪われるかすれば、先のデジャブを味わう事になる。
それを怖れての事であろう。
2人の距離、約3メートル、、、お互いまだ仕掛ける間合いでは無い。
崇は五木の右手の物にチラと視線を走らせる。
割れた部分の形を確認したのである。
ナイフや包丁の様に突出した部分は無かった。
(これやったら刺されても内臓には届かんな、、切りつけと顔への突きだけ気をつければ、、、よしっ!イケる!)
五木の右半身は街灯で照らし出されている。そのせいか右手のそれが余計にギラギラと目に映えた。
逆に左半身は影となりよく見えていない、、、
右手のビール瓶を前にする半身の構え、それも手伝って更に見えにくくなっている。
そんな時、崇は自らの足下に転がる物に気づいた。
消しゴム程の大きさの石が数個、、、
それより2回り程大きい石が1個、、、
大きい石は武器となり得る。なり得るが五木から視線を外し、屈んで石を拾うのは大きな隙となる。
時間にして1秒程だろうが、刃物が相手の場合その瞬間に攻め込まれたなら間違いなく殺られる、、、
もし拾えたとしても、相手のビール瓶を制圧したい崇としては、手の塞がる得物は逆に邪魔であった。
相手の手首や腕を掴める様に両手は空けておきたかったのだ。
(よし!ほんなら、、、)
崇が攻め方を決めた時、五木が吠えた。
「来んかいっオラッ!言うとっけどワシャ平気で刺せるからのぅ!」
興奮で充血した目を見開き、顎を突きだしている。
その瞬間、崇は足下の小石を五木に向けて蹴り飛ばした。
当てる必要は無い、意識を逸らす為の物だった。
一瞬、五木が怯む。
目的を果たした崇は一気に間合いを詰め、五木の右手首を掴む事に成功した。
だがその時、崇は左の顔面に衝撃を受けていた。
「っ!?」
痛みは無い、、、しかしドクドクと脈打つ感覚、そして熱さがまとわりつく。
その部分にそろりと触れてみた、、、
パックリと肉が割れているのが判る。そして触れた掌は血で濡れていた。
右手の物に気を取られ崇は気付いていなかったが、五木は左手にも割ったビール瓶を握っていたのである。右手を掴まれた五木が左手のそれで崇の顔面を薙いだのだ。
だが普通、五木が左手で攻撃したなら崇は右側に衝撃を受ける、しかし裂けたのは左顔面だった。
右手を捕られ、引かれた状態の五木は左手と崇の距離が離れている。その崩れた態勢で振りかぶって普通に左手で攻撃しても十分なダメージを与えられない、、、そこで五木は左手を一旦自分の右肩の方に振る事で距離を縮め、右から左に崇の顔面を薙いだのだ。この為、崇の左顔面がダメージを受けたのである。
五木の右手を掴んだ安堵から沸いて出た、明らかな崇の油断であった。
しかし、ここで怯んでは続けて相手に攻め込まれる。崇は間合いを外し、少し距離を取ってから五木に向かい構えた。
、、、しかし、既にその時五木の目線は崇に向いてはいなかった
「?」
崇は五木の視線を追った。
その先には未だ逃げずにそこに居た木島と土田の姿があった。
新たな獲物を見つけた猛獣の様な、獰猛な笑みを浮かべる五木。
土田は木島の介抱に気を取られ、近付く五木に気付いていない。飲み屋の大将も仕事に戻ってしまっている。
2人に向け歩みを速める五木、、、その右手には未だビール瓶が握られている。
「ヤバいっ!土田さん!来とるでっ!!」
崇は必死で叫んだ。しかしその声は虚しく空回る。
崇が叫ぶと同時に五木は右手を土田に向かって降り下ろした。
五木の右手のそれが土田の首筋を走る、、、
自らが切られた事にまだ気付いてない土田は、五木の存在に気付き立ち上がろうとした。
その瞬間、土田の首筋にピンク色の裂け目が生まれた、、、
使い古された表現だが、噴き出す鮮血はまさに噴水を想わせる、、、土田の頸動脈が断たれた事を示す血の噴水だ。
野次馬から大きな悲鳴が上がり、土田は棒切れの様にその場に倒れた。
「土田さん!」
崇が駆け寄る。それと同時に返り血を浴びて正気に戻った五木は、奇声を上げながらどこかへと逃げ出してしまった。
しかし逃げる五木になど目もくれず、崇は土田の傷口を圧迫した。
だがそんな崇を嘲笑うかの様に、断たれた動脈は止めどなく血を吐き出し続ける。
土田の顔からみるみる赤みが抜けていく、、、
眼光も弱まり白く濁っていく、、、
どんどん命が溢れていく、、、
「土田さん!土田さん!」
崇はその名を何度も呼んだ。
「オゥ、、、オゥ、、、」
力無くではあるが、こちらの呼びかけには応えてくれる。
しかしそれはあまりにか細く、あまりに頼りない命の灯であった。
この状況を見て、周りの雑居ビルの2Fや3Fに入っているテナントからも「止血に使え!」とおしぼりが雨の様に降らされる。
だが黄色や白のおしぼりは、見る間に赤黒く染められて行く、、、
やっと遠くから近付く2種類のサイレンの音が耳に入った。
通報でやって来た警察と大将が呼んだ救急車、、、
さっき迄は警察が来る前に逃げたいと思っていたのに、今はもっと早くに来てくれていれば、、、そう思っている。
到着した救急隊員が崇を押し退け土田に声を掛ける。しかしその声に土田が応える事はもう無かった。
崇は人の死に初めて立ち合った。
それも自分を可愛がってくれた人の死である。
喧嘩で自分が傷付く事にはなれていた。
しかし、自分が力を奮う事で周囲の大切な人間も危険に曝される、、、そんな当たり前の事に気付いていなかったのだ。
この出来事は崇の人生に大きな影を落とした。
そしてこれが崇の、路上における引退試合となったのだった。