武と慈愛
2人から墨を見たいとねだられ、ごまかす言葉を探していた崇だったがどうにも駄目だった。
ボキャブラリーの引き出しを空き巣の如くひっぺ反してみたが、上手い逃げ口上は見つからない。
何とか口から出たのは
「俺のは抜き彫りやし、見せる程の物やないで。背中には刺された時の傷痕もあるしな、、、」
ただただ濁された言葉だった。
「抜き彫りって何?」
大作が問う。
「映画なんかでヤクザが入れてるのって、龍とかメインの図柄の周りに雲やら、風やら、雷やら派手な飾りを彫ってるやろ?」
ここまで言って崇は、2人が理解しているかを窺う様に視線を投げた。
それを察して2人が頷く。
崇はそれを確認してから話を続けた。
「あの飾り彫りを(額)って言うねんけどな、そういうのを入れずにメインの図柄だけ彫るのを抜き彫りって言うねん」
「へぇー!」
2人が声を揃えた。
「見たい!」
更に2人が声を揃える。
抜き彫りの解説で誤魔化せたと思った崇が甘かった。
そして諦めた様子で溜め息をつくと
「わかった、、、じゃあ少し休憩入れよか、、、」
筋彫りも半分程終わった事もあり、崇は手を止めノミを置いた。
「とりあえずタバコ吸わせてな」
そう言うと崇は窓際に行ってタバコに火を点けた。
「あ、その間に私、お手洗い借りまぁす」
そう言って優子が立ち上がる。
「うちのアパート、共同トイレやからちゃんと鍵かけぇや!」
優子の背中に崇が声をかけると、振り返らぬままで手を上げて優子がそれに応えた。
閉まったドアの向こうから、マンガの擬音そのままに(タッタッタッ)と駆けて行く足音が響く。
「優ちゃん、明るいし可愛いし、、、えぇ子やなぁ、、、」
ボソッと独り言の様に大作が呟く。
「ほんまやなぁ、今どきあんな子珍しいで」
崇は暗に「狙ってみたら?」と匂わせたつもりだったが、大作からは何の反応も返っては来なかった。
それから数分間は2人で他愛ない会話を続けていたが、優子の帰りが遅いので気になり始めていた。
「福さん、優ちゃん遅ない?ウンコかなぁ?」
「コラッ!やめとけ!!でも確かに遅いなぁ、、、」
「俺、ちょっと様子見てこよか、、、」
と大作が立ち上がった時、またあの足音が聞こえて来た。
「ただいまっ!」
軽く息を弾ませながら優子が扉を開くと、その手には缶コーヒーが持たれている。
「休憩には飲み物要ると思って買ってきた!」
「サンキュ!遅いから少し心配したわ」
しれっとそう言った大作に
(ウンコかなって言ってたくせに)と思いながらも、それには触れず、崇も礼を述べてコーヒーを受け取った。
そのまま暫し雑談の時が続き、2人が墨を見せる話は忘れたかに思えた崇、、、
「そろそろ続きを彫ろか」
そう言い終わるや否や2人同時に
「墨っ!!」と叫ぶ。
先程から某双子タレントの様に息が合っている2人。
(チッ忘れとらんかったか、、)
心の中で舌打ちした崇だったが
「わかったわかった、、、見せる。見せるけど1つだけ言わせてくれな」
そう言うと真剣な眼差しを2人に向けた。
その表情の変化に2人も改まった様子で、真剣な眼差しを返す事でそれに応えた。
「見たら気付くと思うけど、、、」
一呼吸置いて崇が続ける。
「俺の背中の墨には違和感を覚えるであろう部分がある。多分これ何?って訊きたくなると思うわ。2人に訊かれたなら俺は答える。でもさっきの話より遥かに重い話になる、、、」
ここまで言って交互に2人の様子を窺った。
2人も先と同じ真顔で頷いている。
「自分でも不思議やねんけどな、自分ら2人には何も隠さんと我がの事を話せる、、、そんな気になっとる俺がおるねん。だから2人に話を聞く覚悟があるか確認しときたかったんや」
「ありがとう福さん、それを話す事が痛みを伴うなら無理はせんでええよ、、、ただ話してくれるならちゃんと聞く覚悟はあるから」
そう言う大作の横で優子も頷いている。
「わかった」
一言だけ答えると、崇はおもむろに作務衣を脱ぎ捨て2人の方へ背を向けた。
初めて目にした崇の背中に2人は目を奪われた。
背中の左半分には教科書で見た事のある宮本武蔵の肖像画が彫られており、それを囲む様な形で「常在戦場」の文字が刻まれている。その文字はまるで今 書道家が書いたかの様な躍動感があった。
そして右半分には大日如来が彫られており、その直ぐ下に(土田順一)と名の刻まれた卒塔婆が彫られていた。
崇がさっき言った違和感とはこの事なんだと2人は直ぐに理解した。黙って見入る2人に崇の方から声をかけた。
「な?訊きたい事、、あるやろ?」
「ん、、、あるにはあるけど、それより凄いかっこよくて見入っちゃった」
優子が素直な感想を口にした。
「マジでカッケェ!話に聞いた福さんの生き方がこれ見ただけで判る、、、墨ってスゲェな!」
何故か大作は興奮している様子だ。
「ありがとうな。そう言って貰えたら、彫ってくれた先生も喜ぶ思うわ。人を感動させる墨を彫れるのは、彫師にとって大きな意味がある事やからな」
崇は2人の反応が素直に嬉しかった。
それと同時に師である「彫北」に心の中で感謝した。
「それじゃあ改めて訊くね、、、この土田さんって人だけど、、、」
優子が腫れ物に触れるかの様にそろりと言った。
卒塔婆に書かれたその名、、、
故人であろう事は容易に想像出来る。それだけに2人の面持ちは神妙になっていた。
「その人な、、、俺の目の前で殺されてん」
苦い物を吐き出す様にそう言った崇は、暗い双眸でじっと足下を見つめていた。