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格パラ  作者: 福島崇史
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回顧

ある時、喧嘩で腰を刺され、脊髄を損傷した崇は、リハビリの甲斐無く両足に麻痺が残った。

下垂足という症状で足首に力が入らず、字が示す通り常に垂れ下がった状態になる。

その為、足首を固定する装具を使用しないと歩行すら危なっかしい。

この事は格闘技界を退いた大きな理由の1つであるし、表向きにもそう公表していた。

しかし、本当の理由は別にある。

身体を悪くしていなくても退いたであろう理由が、、、


格闘技は崇にとって生き甲斐だった。

アイデンティティーの全てだったと言っていい。

事実、周囲の人間も、崇=格闘家の認識が強かった。

しかし、崇の悲劇は格闘技をスポーツとして捉えていなかった事に始まる。

「路上で使えない格闘技に存在意義は無い」

常にそう言ってきた。正確に言うならば崇は格闘家というより喧嘩屋に近かったのだ。

路上で使う為に様々な武術や格闘技を学び、喧嘩で使えそうにない技術は淘汰し改良を重ね、独自の技術体系を作り出した。

そしてそれを披露する場所はリングや試合場ではなく「街」であり、闘う相手もヤンキーやチンピラだったのだ。


長く格闘技を続けた人間は、ある時分岐点に立たされる。

1つの競技としてその中での強さを求めるのか、それとも路上での実戦の強さを求めるのか、、、

「机上の理想」と「路上の現実」どちらの道を進むのかである。


あらゆる格闘技は競技である以上ルールに守られる。

例えばボクシングならば、蹴りや投げが無い事が大前提として競技が成り立っている。

柔道ならば打撃が無い事がそれにあたる。

競技の中での強さを求めるならば、ボクサーは投げ技や蹴り技を練習する必要が無い。

試合に勝つ為の技術や攻防だけを体得すればそれで良い。


しかし、喧嘩にはルールが無い。

ボクサーが投げられたから負けた、柔道家が殴られたから負けたと言っても何の言い訳にもならない。

対処出来ない方が悪いのだ。


シビアな路上で有効な技、、、それ即ち危険度の高い技となる。目や金的への攻撃が代表格だが、当然ながらこれらは競技としての格闘技では反則となる。

つまり競技で強くなろうとすれば、間違いなく喧嘩には弱くなるし、逆に喧嘩の強さを求めるならば競技では勝てなくなる。

ここに大きなジレンマが生まれるのだ。しかし崇は微塵も迷う事無く路上の現実を選んだ。


話は20年前に遡る。

15才の崇は、近所で中華料理屋を営む男から中国武術を学んでいた。この頃はまだ純粋に武術や格闘技が好きでやっていたが、それでも週に数回は街中で殴り殴られる日々を過ごしていた。

そんなある日、学校の帰り道で3人組の男達と口論になった。理由は有りがちでつまらない物だ。

「目付きが気にいらん」

と、3人組の方から因縁をつけてきたのだ。

(面倒くさ、、、)正直、億劫だった。

こうも頻繁に喧嘩を重ねると食指も進まなくなる。


強い相手とのタイマンは楽しいが、目の前の「悪者達」は見るからに質が悪そうだった。崇はスーパーで売られている3袋100円の饂飩麺を連想していた。

1人の男は、まるでこれが絡む側の礼儀だと言わんばかりに胸ぐらを掴んできた。

崇は自分の胸を掴んでいるその手首の関節を極めると、地面に引き摺り倒し顔面にサッカーボールキックを叩き込んだ。

呆気に取られてる別の男の腹に、飛び込み様に前蹴りを打ち込むと、滞りなく2人目を片付けた。

地面で苦痛に唸る2人を見下ろす崇、、、

だが、ここで崇の心に油断が生じた。

圧倒的な力の差に酔い、背後に残る1人の事が頭から消えてしまっていたのだ。

慢心する崇の身体に電流が走った。

それは冗談の様な異様な光景だった。崇の腰から1本の棒が生えている、、


崇の背後に居た男は恐怖心に駈られ

「ウケェー!」

人の物とは思えない奇声を発しながら身体ごと崇にぶつかってきたのだ。その手にはビニール傘が握られていた。

今でこそ安全面を考慮して無くなったが、当時のビニール傘は先端が尖った金属の物が殆どで、人を傷付けるに十分な凶器だった。

刺さった傘は崇の脊髄を損傷し、少しずつ身体の自由を奪っていく事となる。


崇が身体の異変を自覚し、障害者となったのは30歳の時である。この時の傷は、静かにジワジワと蔓延するガスの様に15年かけて崇の身体を蝕んだ事になる。

この事があってからも20歳まで崇は路上の闘いを止める事は無かった。

中国武術に限界を感じ、タイにムエタイを学びに行った事もある。

柔道家との喧嘩に苦しんだ事を理由に、ロシア迄サンボを学びにも行った。そしてそのロシアの地で理想に近い格闘技と出会う事となる。


コマンド・サンボ


競技として行われているサンボとは一線を画す、軍隊用に改良されたサンボである。

多人数や武器を持った相手を制圧する技に突出しており、極めて実戦的な物だった。

冷戦時代、その技術は国家機密に該当する物だったというのも頷ける。

そのシステムの虜になった崇は、モスクワから飛行機で1時間程の街、エカテリンブルクに暫く滞在して必死でその技術を吸収した。


帰国した崇は、学んだその技を教えるジムを開く。

この頃の日本ではまだ総合格闘技のジムは少なく、一般的に普及しているとは言い難かった。

人に

「打撃も投げも寝技もある格闘技」と説明しても

「プロレスの事?」と言われる事が殆どだった。

確かにプロレスも総合格闘技には違い無いのだが、崇のそれとはニュアンスが違う。

そんな状況だったので総合格闘技を根付かせる意味合いも込めて、アマチュアの育成を始めようと思ったのである。

普及が目的の為、月謝も取らず、来る者拒まず去る者追わずのスタンスを貫いた。

20歳で格闘技から身を退く事になるのだが、間違いなく崇の青春期は格闘技と共にあったのだ。


「な?大して面白くも無い話やろ?」

自嘲気味に崇が言う。

大作も優子も真剣に聞いていたが、その表情には

(嫌な事を話させてしまった)

という後悔の色がありありと浮かんでいる。


「なぁ福さん、、、未練は無いん?」

大作が真っ直ぐに訊ねた。


「福さんて、、、お前も福田やから福さんやないかっ!」

崇が突っ込む。


「あ、、、ほんまや、、、」

今気付いたかの様に呆ける大作を見て、優子がケタケタと笑っている。

この数時間で3人の空気は明らかに変わっていた。

知り合って間が無い3人だが、端から見れば兄弟の様に映るだろう。


「未練かぁ、無いよ。やりたい様にやったしな」

嘘である。言った崇は気付いてないが、答えた表情には寂しさが貼り付いていた。

それに気付かぬ程、大作も優子も子供では無い。

だからこそ2人はそれ以上は訊かなかった。


「あっ!!」

優子が突然声をあげた。

崇と大作が無言で彼女に目を向ける。

「福さんの格闘家時代の話はわかった。けど、私の質問は彫師になった理由やねんけど、、、」

自然と優子も福さんと呼んでいた。


「ああ、そっか!せやったな」

崇も本題がすっかり頭から抜け落ちていた。

「格闘技出来ん様になって、何をやりたいか考えたんよ。元々絵が好きで刺青も好きやったからさ、ならやってみよか!ってな」更に続ける。

「俺の絵がその人間と一生を共にするって凄い事やと思うねん。だからやり甲斐感じてな。自分を彫ってくれた彫師さんに弟子入りして今に到る、、、って感じかな」

崇は少し恥ずかしそうに話した。


「そっか!良い先生に出会えて良かったね!人間て自分に合った正しい道を進むと、必要な時に必要な人と出会うんやってさ!きっと福さんは正しい道に進んだんやわ!」

優子が笑顔で話す。

すると大作がおもむろに

「なぁ、福さんの墨、見たいねんけど」

そう申し出た。

「私も見たい!」

当然の如く優子も乗っかる。

しかし崇は戸惑った、、、

なぜなら崇の背中の墨には、喧嘩屋から身を退いた本当の理由が記されているからである。

興味津々に崇を見つめる2人。崇は思わず視線を反らしてしまった。

背中を見せるという事は、その理由も話さなければならないと言う事だ。

崇は頭の中で必死に逃げ道を探していた。







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