1、 9月12日(1日目)・任務、フラグを回収せよ!
「今から向かうしまなみ海道は世界を一回りしている巨大な海路のことで、それに交差するように流れているのが世界を2分する巨大な海、瀬戸内海(←こう書いてレッドラインと読みます)。そしてそこを越えると新世界に入って、オレは新世界の神になる!」
「わけわかんねえよ」
自転車での走行を開始しながら、目的地について丁寧に説明してやったにもかかわらず、きょーこの対応はこれである。非常に無礼な旅のお供は、現在はくらうの頭の上に乗っかっている。どうやらこの位置がきょーこの定位置として落ち着いてしまったようだ。ストラップ紐の先っぽには今は方位磁石がくくりつけられ、きょーこは今回も方位確認担当である。
そしてモアはというと、くらうの肩の上で大人しくしていた。意識していないと存在を忘れてしまいそうになるほど、相変わらずその存在感は希薄すぎる。
そして大事な登場人物がもう1人。くらうと共にこの旅行譚にはなくてはならないもう1人の主人公、それが自転車のエミリアだ。なぜ自転車に名前がついているかというと、くらうが変態だからである。
エミリアは朝日に輝く青いボディ、どんな道にも対応して見せる21段変速に細く洗練されたタイヤ、滑るように道路を駆け抜けるロードバイク――ではなく、6段変速に小柄な20インチの折りたたみ自転車だった。こんな長距離旅行になぜ折りたたみ自転車で行くかというと、くらうが変態だからである。
くらうは快調にエミリアを走らせながら、本日の目的地・愛媛のある西の方角へと向かっていた。なぜ愛媛に向かうかというと、くらうが変態だからである。
出発時刻は7時過ぎ。今日は夕方までにとりあえずしまなみ海道の手前あたりまで行くことが目標だ。なぜ7時に出発したかというと、くらうが(ry
「なあ、今回はなんか美味しいもん食えるのか?」
「さあ、特にその予定はないけど」
言った途端、頭上できょーこが暴れ始めた。ごつんごつんと小さいくせに強力な拳でくらうの頭を遠慮なく殴り続ける。
「せっかくの旅行だろー! なんか美味いもん食おうよー! 前回だって四国の名産ほんとにちょっとしか食ってないじゃんかー!」
「痛てぇ、痛てえって。いやだって、しまなみの名物とか知らねえし」
「しまなみは知らないけど、広島行くんだろ! 少なくともラーメン! 尾道ラーメンは食おうよー!」
「わかった、わかった! そうだな、ラーメンは食おう。とりあえずそこは約束するから、殴るのやめろ!」
「絶対な! 絶対だかんな!」
そう言うときょーこはようやく殴る手を止めた。元々食い意地が張ったヤツではあるが、前回の貧乏旅行がきょーこにとってはよほどツラかったらしい。
「ラーメン以外にもめぼしいもんあったら食おうな」
「まあ、気が向いたらな」
ごすっ、と再びきょーこの拳が脳天に突き刺さった。
‥‥‥‥
「ふいー。思ったよりしんどいな」
走り続けること約2時間。適当な場所で最初の休憩をとることに。
家を出てからまだ40kmも走ったかどうかという程度のはずだが、早くも脚がだるくなってきている。
とはいえ前回は毎日100km以上走っていたのだ。そこから考えると、しんどいとはいえまだまだ脚ももってくれるだろう。昔から長距離走の方が得意だったし。疲れを感じ始めるのはやたら早いくせに、そこから走れなくなるまでの長さには自信のあるくらうである。きっと今だってそうに違いない!
「行ける! くらうはまだ行けるよ!」
「はいはい。まあ頑張れ」
きょーこに冷たくあしらわれながらも、くらうは頑張る。
そして、時刻は12時前である。先程の休憩から再び約2時間。くらうは――
「‥‥なんか、なんで、こんな、しんどいの‥‥」
死にかけていた。
「おいおい、まだ昼だぞ。今からそんなんで、こっからどうするんだよ」
呆れるきょーこだが、本気でヘバっているくらうの姿を見て、いつものバカにした態度も今は若干鳴りを潜めている。
「‥‥とりあえず昼メシ食おうか」
「よしキター! どこで何食うんだ!?」
「おにぎり持って来てる」
四国一周の時に引き続き、朝食は自宅でカレー。そして残りのご飯で昼用のおにぎりを作ってきていた。可能な限り出費を抑える、貧乏旅行の基本である。
が、きょーこはやはり気に入らなかったようだ。頭上から怒りのオーラをこれでもかという
ほど降り注いできていた。
「ほら、落ちつけきょーこ。さすがに晩メシは持ってきてないから、なんか考えよう。な、だからその堅く握った拳を開いて。ラブあんど、ピぃース」
「‥‥とか言って、晩メシもスーパーでパンとかじゃねえだろうな」
「‥‥いやまあ、なんか、じゃあ、愛媛の美味しいご飯でも探してみようか」
どうにかきょーこを落ち着かせると、くらうはひとまず腰を落ちつけられる場所を探して辺りをきょろきょろし始める。
現在走っているのはやや閑散としているものの、どうにか市街地と呼べる場所だ。休憩場所が設けられている店でもあれば良いのだが。
「あ、あそこにハローズがある。あそこの休憩スペース借りようか」
「好きにしろよ」
ややご機嫌斜めのきょーこを連れて、ハローズへ向かったくらうだったが。
「なん‥‥だと‥‥」
敷地内に入ろうと思ったくらうは、しかしその手前で足を止めざるをえなかった。理由は単純。しかしなかなか遭遇できない状況だった。
「開店前‥‥だと‥‥」
あまりの出来事に思わず、同じネタで呟いてしまった。
そう、そこのハローズは現在開店準備中だったのだ。外装はほとんどできあがっているが、内装がまだなのか駐車場はポールで遮られ、侵入不可となっていた。定休日なら以前も何度か出くわしたが、オープン前はさすがに初めてだ。しかもタイミングが悪すぎる。
「‥‥マジかー。ここで休めると思ってたから、これは予想外にダメージがでかいぞ‥‥」
しばらくその場で足を止め、しかしこれ以上場所を探す気力もなく、しかたなく道路を挟んで向かいにあったローソンの駐車場の一角を借りることに。
店の脇に壁に背中を預けるように座り込んで、ようやく一息つけた。
「あー‥‥半日でこの状態はヤバいよなー‥‥」
「ま、ここんとこ全然自転車乗ってなかったんだから、当たり前といや当り前だろ」
言われてみればその通りだ。いくら四国一周した経験があるからといって、ここ1ヶ月ほどまともに自転車に乗っていなかったのだから、脚がなまっているのは自明の理。経験があるがゆえに少し自転車旅行をナメてしまっていたらしい。
「ていうか、ここ暑いな。地面だから座り心地も悪いし」
ついでに言うと座り込んで間もなく、正面のトラックに人が戻ってきて車内で同じく昼メシを食い始めたものだから、向かい合う形になってしまい居心地も悪い。これで相手がいたいけな幼女ならいつまでも見つめ合っていたいものだが、残念ながら目の前にいるのはむさいオッサンだ。
本当はもっとゆっくりしたかったが、この場ではあまり体力の回復が望めないのと、正面のオッサンとチラチラ目が合うのが気まずく、おにぎりがまだ半分ほど残っていたが一旦食事を止め、くらうは再び自転車にまたがった。
‥‥‥‥
そしてそれからさらに約1時間。くらうは――
「‥‥‥‥」
――死んでいた。
場所は道の駅【とよはま】。香川と愛媛のちょうど県境であり、四国一周した際には最終日にここで和三盆ドーナツを食べたものだ。
しかしくらうは店の中には入らず、外に設置された机で海を眺めながら、おにぎりの残りをもそもそと頬張っていた。
「なあ、くらう。ここ前ドーナツ食ったとこだろ。また食おうよ。美味しかっただろ」
机の上できょーこが騒いでいるが、それに答える元気もなかった。すでに脚はだるんだるんになっていて、こんな状態ではあと半日も走れるのかどうか疑わしくなってしまう。これだけ疲れていることも相まって口の中はパサパサで、美味いのはわかっているがドーナツなど口にする気になれない。水分補給は十分しているが、それだけではもはやどうしようもない。
「なー、なー、くらうー、ドーナツー。和三盆ドーナツ食べようよー」
が、そんなくらうの状態などお構いなしにきょーこはだらだらとごねてきやがる。しかしそれにツッコんだり怒ったりする元気もない。
「オレいらない。欲しいなら金やるから買ってこいよ」
お金を渡すときょーこは嬉々としてそれを受け取った。
「和三盆ランドはっじまっるよー。わあい。 ‥‥じゃねえよ!」
スコーン、ときょーこの投げ放った硬貨がくらうの眉間に命中し、軽快な音を立てた。ノリツッコミするのはいいが、その言葉は意味不明である。
「痛ってえな! 硬貨って以外と威力あるんだからな! シャロちゃんにお釣りをぶつけられたココアの気持ちを思い知った!」
「うるせえよ! あたし1人で買いに行けるわけねえだろ! どんな便利な雑用妖精だよあたしは!」
「いつから妖精になったんだよ!」
「まるで妖精みたいに可愛らしくて愛嬌たっぷりってことだよ! ていうか細けえことにツッコんでんじゃねえ! あたしが買いに行ったら、『まあ、なんて可愛いお人形さんなのかしら! まんだらけで売ったら大金になるに違いないわ! そして万引きされて犯人の顔写真がネット
で公開されて晒し者になればいいのに!』ってなるに決まってんだろ!」
「なんだよその後半の展開! 中途半端に時事ネタ挟んでくんな!」
「あたしは常に最新情報を追い求めてるからな!」
「あんまり新しくねえよ! 書いてる今でもすでにちょっと古い! そして公開する頃にはだいぶ古い! 実際、かなり古い!」
思わず全力でツッコんでしまった。ただでさえ疲れているのに、無駄に体力を消耗してしまっている。そして執筆開始から投稿までに、時間を空け過ぎてしまっていることを思い知らされたくらうであった。
「とにかくドーナツは買わない。ただでさえ口ん中乾いてんのに、そんなもん食ったらパッサパサになるだろ。それよりは甘い飲み物が欲しい」
もちろん自販機は設置されているが、貧乏性のくらうには自販機で買うという選択肢は頭からない。
「ったく、いい加減貧乏性治せよ」
そう言いつつきょーこはくらうのバッグの中からチョコを探り出すと、ぽわん、という軽いSEを鳴らし、手元にあったチョコは一瞬にしてドーナツへと変化していた。
そう、自称『魔法ストラップ少女』きょーこは、魔法が使えるのだ。色々意味がわからないが、一言で説明するとここが二次元だからである。二次元ならばどんな非常識もまかり通る。だからこそ二次元は素晴らしい。そして幼女は正義。
「ていうか、それができるんなら初めからそうしろよ」
くらうの正当と思われるツッコミに、しかしきょーこは鋭い視線を返した。
「和三盆味は作れねえんだよ。素材と同じものじゃなかったら覚えてる味しか再現できねえから、残念だけどこれは和三盆じゃなくてハチミツ味」
「ハチミツかあ。おやつとしては定番だよな」
「そうだよ。ハチミツ味だからちょっとしっとりしててほんのり甘くて、すげえ美味しいじゃねえか!」
「なんでキレるんだよ。ていうかチョコからドーナツ作るとか、どういう理屈だよ」
「理屈で説明できないのが、二次元だろ!」
「その通りだった!」
一瞬で完全論破され、くらうはがくりと項垂れる。
極度の疲労に今すぐこの場で寝てしまいたいくらいだったが、さすがに昼間から寝る準備をするわけにもいかない。くらうはその場でかなりしっかりと休憩をはさんだ後、再び自転車をこぎ出した。
「うええ‥‥なんかすげえ足が重たいんだけど‥‥」
初日の初っ端から、前途多難なくらうであった。