02 深森
アンソニーは生きていた。
かろうじて動く右腕に握り締めた。マリーがくれた真っ白だった手袋を胸のポケットに押し込むと彼はふらつきながらゆっくり立ち上がった。
「まだ、死ぬわけにはいかない。マリーのためにも俺は生きてかえらなければならない。」
アンソニーは左肩をおさえながら、片足をひきずって塹壕から出る階段へ向かった。
敵軍からの砲撃は止んでいた。生き残った味方は逃げ出したのだろうか?あたりは不気味に静まり、何千という仲間たちの死体から立ち込める、異様な匂いが蒸気を発し、地獄の様相をあらわにした。アンソニーはその地獄の中を、仲間達の亡骸を踏みながら、やむをえず歩いた。
塹壕を抜け出ると、どこまでも果てしない森、深く美しい、神話の世界へ、いざなわれるとさえ、思ってしまいそうな、どこまでも、深い森、アンソニーはまっすぐにその森を歩いた、ただ西にむかい、ただひたすらに・・・。そして彼は、どれほど歩いたか分からぬほど歩いたあと、急に倒れた。
・・・・・・・・・・・・
「お気づきになられましたか?」
アンソニーが気づくと、若い真っ黒な髪の女性がアンソニーの枕もとに座っていた。
「うっ・・・ ここはいったい?」
アンソニーは上半身を起こそうとしたが体中に激痛を覚え、もがいたあともう一度、そこへ臥した。黒い髪の女性はアンソニーの身体を少し押えつけ、毛布をかぶせるといった。
「まだ、無茶をなさってはいけません。体に銃弾を2箇所もお受けになって、お医者さまのお見立てでは、傷が塞がるまでは、動かしてはだめだと・・・。」
アンソニーは部屋の様子を伺った。木造づくりの家、火がチロチロと燃える暖炉、家具はほとんど無く、石造りの床・・・・。アンソニーはたずねた。
「・・・・・・・・ここはいったい?・・・そしてあなたは?」
黒髪の女性は、ゆっくり立ち上がり、窓の外を指差し言った。
「あなたは東の森にたおれていたそうです。私の弟が仕事で山に入った、三日前、倒れたあなたを見つけて、ここへ、はこんで来たのです。」
黒い髪の女は、冷たく冷やした布をアンソニーの左肩の傷口にあてると、言った。
「私の名前はクロエ。夫を亡くして以来、きこりの弟とここで暮らしています。」
アンソニーはクロエが傷口にあてがう布に僅かに痛みと心地よさを感じながら、クロエをみた。クロエはアンソニーの視線に気づくと少し顔を赤らめ、さらにアンソニーに聞いた。
「あなたのお名前は・・・なんとおよびすれば?」