4 名を呼ぶホットミルク
帰りの馬車。
隣に座ったノアさんはウトウトして首が座っていない。私はそっと肩に彼の頭をもたれさせた。
(寝顔まで綺麗。幸せだな)
カフェに行ってサーカスを見て、夕食を食べて花をもらって。夜景は憎らしいほど輝いている。
(あーあ…
死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない―――、!!!
悲しい訳じゃなくて、ただ…悔しい。
彼の頭にコツン、と頭を乗せてみる。
暖かい。愛おしい。泣きたくなるくらい。
夜のせいだ。急に、こんな気分になったのは。
7年かけて受け入れてきたでしょう?)
「んん…」
涙が彼の目元に落ち、彼が眉をひそめた。
(違う。7年かけて、失いたくないものを増やしただけなんだ。
あと3年の人生で何ができるだろうか。
たぶん、きっと大抵のことはできる。3年でも決して短くはないから。
だけどその勇気はある?
もっと、死ぬのが怖くなるだけじゃない?)
「ノアさん。愛しています。本当に」
◆◆◆
次の日。
ノアさんといつものように朝食を食べて、見送って、出迎える。
「ノアさん。私は良き妻でいられていますか?」
「急にどうしたの?」
妻という生き物は、たまに厄介な質問を夫に投げかけるらしい。今まで理解出来なかったけれど。きっとその言葉には、何十…何百もの意味が込められている。
「僕にとって、最高の妻だよ」
「よかったです」
(私の夢が叶った…叶ってしまった)
次の日の早朝。
私は―――
心配させないように手紙を残して、ふたりの家を去った。
◆◆◆
まず行ったのは実家。
「ただいま!お兄ちゃん!」
「マリー!おかえり、急にどうしたんだい?」
店に入って一番に会ったお兄ちゃんはワインの品質検査していたようだ。
「ただ、荷物を置きたくって」
(こうして帰ってくるのは珍しい事じゃない、不思議には思われないはず)
「そうか。母さん達にも顔を見せてやれよ」
「うん!」
書斎にいたパパは書類を極限まで目から離しながら読んでいる。老眼なんだろう。
「ただいま。パパ」
「おおマリー。よく帰ったな。なあ…これ、どう思う?」
「これは…」
「そうだろう?だがな…」
書類はワインの仕入れ先のリスト。こうして意見を求められて、議論をするお決まりのパターン。
「ママは?」
「ああ、今ちょうど店の奥に行ったところだ」
「ママ、ただいま!」
「おかえり!すごい大荷物ね」
(荷物が多いのは、ノアさんから離れるために旅に出たいから…なんて言えないよね)
『転生者』だということ。それは私が人生で唯一、誰にも話していない秘密だ。
「うん、これを置きたくって来たの」
「そう。ちょうどお茶の時間ね。今日は珍しいお菓子があるのよ」
「紅茶入れてくるね!」
カップを5つ用意して、ブランデー入りの紅茶を4つ。あと1つはホットミルクを準備する。
「お茶だよ!」
店に顔を出して叫ぶと、両親とお兄ちゃん、とお兄ちゃんの奥さんがダイニングに集まった。
「マリーちゃん、帰っていたのね!」
「はい!エミリさん、調子はいかがですか?」
お兄ちゃんの奥さんのエミリさんはお腹に子どもを宿している。
ホットミルクは彼女のため。
「これはね、マカロンっていって…」
◆◆◆
大切な人たちの名前を呼ぶこと。
それが私の、最後の目標。
ホットミルク
加熱した牛乳。寝る前に飲むと良い効果が得られることが知られている。




