1 出会いのコティ
あれは20になった頃。
学校を卒業してからは家のワイン商の手伝いをしていた。
試飲用のワイングラスを磨きながら、私は恐ろしいことに気が付いてしまった。
『お嫁さんって、恋人がいないとなれないのでは!?』
そりゃそうだねえ、と微笑むママと
『うんうん。だからマリーはずっとうちにいていいんだよ』
と言って頭を撫でるお兄ちゃん。
『わたしお嫁さんになるもん…』
(この重度のシスコンには恋人がいるのに。なぜっ!)
20歳ともなれば周りは恋人だらけ。
かくいう私は「花嫁修業」に熱中しすぎて恋愛を全くしてこなかった。
どちらがお嫁さんに近いかなど一目瞭然だ。
友人に相談し、恋愛小説を読み漁り、ある結論に行き着く。
(白馬の王子様が来てくれるのを待とう)
宣言した瞬間、周囲の人から向けられた生暖かい眼差しはいかなることか。
そんなある日。
店に1人の男性が訪れた。
髪をポマードで整え、上品なジャケットを着こなした若い青年だった。
『失礼。旦那様はいらっしゃいますか?』
『あ、今呼んでまいります。ここでお待ちを』
(びっ、くりした。あんなに顔が整った男性初めて見た。俳優さんみたい)
店の奥の書斎で書類を書いていたパパを呼んで、紅茶を用意する。
我が家の定番はたっぷりのミルクと数滴のブランデーを垂らした紅茶。
『どうぞ。ほんの少しですが…お酒は平気ですか?』
『はい。ありがとうございます』
一口飲んだ男性はかすかに目を見開く。美味しいでしょう?
葉っぱが舞ってから3分。たくさん練習したから。
『お待たせいたしました。本日はどうなさいましたかな?』
『実は…』
パパが到着したのでそっと席を外す。
ワインセラーの様子を見に行って、数と温度を紙に記録する。
お兄ちゃんからワインの試飲を頼まれて、飲んで、感想を伝えて。
どれくらい時間が経っただろうか。
『マリー、見送りを頼む』
『はーい!』
すっかり日が傾き始めた頃、パパの声で玄関まで呼ばれた。
客人のためにドアを開け、見送るのは私の役割だ。
『では。お気をつけて』
『ありがとうございます。…紅茶、美味しかったです。お礼にこれを』
手渡されたのは一本の香水瓶だった。紅茶とは比べられない贅沢品。
『へ、良いのですか?こんな、』
『うちで取り扱っているんです。よかったらまた感想を聞かせてください』
『はい!ありがとうございます!』
◆◆◆
見送りを終えたらもう夕食の時間だった。
お風呂に入ってメイドさんに髪をといてもらう。
『明日からこの香水を付けるね』
『かしこまりました。あら、コティですか?』
『有名なの?』
『最近話題なんですよ。とってもいい香りだそうで』
『そうなんだ!すごいものをもらっちゃった。…あれ?』
1滴試してみようと蓋をひねるが開かない。
『この紙を取るんです』
ぱさ
『え』
ブランドが書かれた紙の裏に、流れるような文字。
11月6日正午 カフェ・ド・フロールで
『あらまあ』
正面の鏡を見ると私の顔は真っ赤になっていた。
『き、今日はワインの試飲しすぎちゃったなー、』
『ふふっ、それは大変。早めにお休みになってくださいね。』
『うん…』
そうして数日後。
(本当にいる…)
時間通り、指定通りの場所にあの男性がカフェにいた。
『マリーと申します。よろしくおねがい、します』
『僕はノアです。来てくれてありがとうございます』
◆◆◆
「あのときはお互い、ぎこちなかったですよね」
「会うのも2回目だったからね…」
「お待たせいたしました。本日はショコラケーキでございます」
置かれたケーキ皿と、リキュールのグラスに私達は顔を見合わせる。
「すごい。あのときもショコラケーキだった気が」
「運命だ。マリー、結婚しよう」
「してますね…でもお受けします」
◆◆◆
『最近、新しい香水を作ろうとしているんです。それでこの間はお伺いしました』
『新しい香水を作るために、ワイン商にですか?』
『アルコールの種類によって香りの持ちが違って———』
『お待たせいたしました。本日はショコラケーキでございます』
『美味しそう…!』
『すみません、仕事の話ばかりして』
『いえ、すごく面白かったです。あの、実はすごく香りの良いワインがあってですね———』
◆◆◆
「あのときすごく緊張していて。そのせいで香水の話ばかりしていたんだ」
「楽しかったです。私もすごくドキドキしてたので…助かりました」
甘いショコラケーキにアルコールのかすかな苦味がよく合う。
ベネディクティンがカフェでよく飲まれるお酒の一つなのも頷ける。
「一目惚れだったんだ」
コティの香水
美しい瓶で有名。当初デパートでの販売を断られたが、瓶を床に落とし、香りを店内に漂わせ販売に成功したとか。




