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3 どこまでも優しく

 

 “ ガラス玉 ”

 その物言いから、彼がイヴェルノに対し、あまり良い印象を持っていないことが分かる。不快感を覚えたリエタは後ろを振り向き、やや強い口調で尋ねた。


「どういうこと?」


「そのままの意味だよ。お前を見るアイツの目には、何の感情もなかった」


「そんなの……初対面なんだから当たり前じゃない」


 ハリーフは浅く息を吐き、一言ずつ、彼なりの考えを置いていく。


「……上手く言えないけど。何度会っても、結婚してどんなに月日が流れても、アイツの目にお前への感情が宿ることはない気がする」


 彼女を見下ろすハリーフの眼差しは、至って真剣だ。それでも素直に受け入れたくなくて……信じたくなくて。立ち上がってもまだ高い所にある彼の目を、リエタはキッと見つめて言った。


「それを判断するのは私よ。たった一度きり、直接話した訳でもないのに、あの人の何が分かると言うの? それに……感情だの何だの。結婚は互いの家を背負った契約なんだから、大切なのは尊敬の念と信頼関係ではなくて?」


「……鏡を見てから言うんだな。初めてアイツに会った自分が、どんな表情かおをしてい たか」


 ハリーフはリエタの肩に両手を置くと、彼女の瞳を苛立たしげに覗き込む。その焦茶色には、イヴェルノを映していた時のような、熱も揺らぎも全くない。幼い頃から変わらぬ真っ直ぐなだけの瞳に、彼はふうとため息を吐いた。


「……確かに、たった一度じゃ分からないかもしれないな。次に会う時もまた、護衛として付いて行ってやるよ」


「え? ちょっ……」

「ほら、食堂へ行くぞ」


 またもや強引に言われてしまい、リエタは膨れっ面で広い背の後を付いていった。



 ◇◇◇


 翌週、リエタとイヴェルノは、外で会うという二回目の約束を果たした。幼い頃から傍に護衛が居るのが当たり前で、普段はほとんどその存在を忘れているリエタだが、今回はハリーフに監視されていると思うと、どうにも落ち着かなかった。


 アークレン婦人服店を出て、予約したレストランの個室に入ると、やっと本当にイヴェルノと二人きりになれた。ホッとしたのも束の間、別の緊張が押し寄せ、リエタはまた下を向いてしまう。


 商家の娘として、それなりに公共の場でのマナーも仕込まれてきたリエタだが、イヴェルノの品の良さは別格だ。食器の音を立てないように……口元を汚さないように……そんなことを考えていたら、もう味など全く分からない。つい最近まで木の上ですももを噛っていたのが、遠い昔のことに思えた。


 前回助け船を出してくれていた親達は、今日は居ない。しんとした空気をどうにかしなければと、リエタは今考案中の貸衣装業について、イヴェルノの意見を仰ぐ。その後は、彼の事業計画から経済へと会話が発展し、夢中で話している内に、気付けば食後のデザートを食べ終えていた。


(私ったら……どうしよう。つい前のめりで話をしてしまって。きっと淑女とは程遠い行為だったわ)


 喋りすぎたからか、喉が渇き一気に空にしてしまったカップ。恥ずかしくなり、そろそろと顔を上げれば、イヴェルノの視線とぶつかった。緩やかな微笑を浮かべたその顔は、どこまでも優しく……その青い瞳は、凪いだ海のように穏やかだ。


(どこがガラス玉よ。どう見ても美しいサファイアにしか見えないわ。……感情のない人が、こんなに優しい顔をする訳がない)


 頬を染め、うっとりと自分を見上げるリエタを見ても、イヴェルノの胸には、そよ風がつくる細波さざなみ程の感情も湧かなかった。



 ◇◇◇


 モーリー伯爵邸の、遥か手前で停まる馬車。

 舗装された道へ静かに降り立つと、イヴェルノは解放感から深く息を吐いた。


 敷地に入るまでのこの真っ直ぐな並木道には、余計なものが何もない。規則正しく敷かれた石畳の上は、彼が一番彼らしく居られる場所だったはずが……今ではどこかの木陰から、小さな少女がひょっこりと飛び出しては来ないかと期待してしまう。


 リエタとの縁談が持ち上がってからというもの、イヴェルノが求めているその少女レンティは、どこか態度がよそよそしい。二回目の約束をしてからは、更に他人行儀になってしまった。


 退屈な石畳。家に帰れば母の尋問が待っていると思うと、イヴェルノは更に憂鬱になった。



『女だてらに商いをなさっているというから、どんなに気の強い方かと思えば。控えめで愛らしいお嬢さんね』



 イヴェルノの母モーリー夫人は、本来のリエタではないリエタに好感を持ってしまい、息子と顔を合わせる度しきりに結婚を勧めてくる。


(とりあえず今日は……趣味の話で盛り上がったとでも伝えておこう)


 イヴェルノはそう腹を括るも、無意識に歩を緩めてしまう。それでも長い足を持つ彼のこと。もう少しでモーリー邸と外部を遮る門扉に到着してしまいそうになった時、数メートル先の木の幹から、亜麻色の何かがパラパラと生えているのが見えた。

 思わず綻びそうになる顔を抑え、イヴェルノは何食わぬ顔で、その奇妙な木の横を素通りする。期待通り、背後から慌ただしい足音がパタパタと迫ると、彼は満足気に足を止め振り返った。

 そこに居るのは、あたふたと忙しない動きで自分を見上げる小動物。イヴェルノは腕を組み、わざと威圧的に見下ろした。


「何をしているんだ?」


「あ……雨、雨が降ってきたのでお迎えに」


 小動物が差し出す小さな手には、紳士用の傘が握られている。


(雨…………?)


 空を見上げた青い瞳に、丁度ポタリと落ちる雫。よく見れば服も大分濡れているというのに、何も感じず歩き続けていたことにイヴェルノは驚く。差し出された傘を、「ありがとう」と素直に受け取ると、パッと頭上に広げた。


「……お前のは?」


 空になってしまった自分の手を見下ろして、レンティは「ああっ!」と叫ぶ。この世の終わりかという程の悲痛な顔に、イヴェルノは堪らずクッと笑った。


「ほら、一緒に入れ」


 躊躇うレンティに、また他人行儀な……とイヴェルノは苛立つ。ぐっと傘を突き出せば、彼女はおずおずと近付き隣に並んだ。



 レンティは、イヴェルノの母方の遠縁に当たる娘だ。7歳の頃に両親を亡くした彼女は、他に頼れる身内がおらず、憐れに思った伯爵夫妻に引き取られたのだ。

 引き取ったはいいものの、伯爵夫人は病弱な6歳の次男に付きっきりだった為、レンティにまで細かく気を配る余裕はない。基本的な世話は使用人が行うが、伯爵家での新しい生活に慣れる為には家族のフォローが必要だと、夫人からその任を命ぜられたのが、当時9歳の長男イヴェルノだった。


 女の子、ましてや二つ年下の。いくら大人びている、しっかりしていると言われるイヴェルノも、これには困惑し……正直重荷に感じていた。

 あまり深入りせず、基本的なフォローだけしよう。効率的に、一刻も早く此処での暮らしになれるようにと、計画を練り頭の中でシミュレーションを重ねていく。ところがこのレンティという少女は、なかなかイヴェルノの思い通りにはならなかった。


 まず、常にふわふわしていて掴みどころがない。泣いたかと思えば次の瞬間には笑ったり、笑っているからと放置すれば、いつの間にか顔が涙でぐしゃぐしゃになっていたり。

 それだけではない。勉強も運動も身の回りのことも、何をやらせても不器用で、人一倍時間がかかった。人より何でも早く出来たイヴェルノには、それが不思議で仕方ない。どうしてこんな出来の悪い子供を連れて来たのか、どうしてのこのこ付いてきたのかと苛々したが、何かが一つ出来る度に大袈裟なくらいはしゃがれれば、ふっと力が抜けてしまう。たまに面倒になり冷たくあしらっても、前歯のない間抜けな顔でへにゃりと笑われてしまえば、放っておけなくなってしまった。


 その内屋敷の誰よりもイヴェルノに懐いたレンティは、しょっちゅう彼の姿を探しては後ろにくっついていたが、いつしかイヴェルノの方から彼女を探し、並んで歩くようになっていった。

 幼くして両親を亡くしたレンティと、両親は居ても甘えられなかったイヴェルノ。寂しいと素直に泣くレンティに触れることで、イヴェルノも心に抱えていた寂しさに気付くことが出来たのだろう。


 一方、イヴェルノの弟キオンは、一つ上のレンティによく懐いた。以前は身体の不調から癇癪を起こすことも多かったが、柔らかなレンティと話す内に、気持ちが穏やかになっていった。咳が収まらず苦しい時も、レンティが背中に手を置くだけで、呼吸が楽になり眠りに落ちていくのだ。


 キオンにとってレンティは優しい姉に、イヴェルノにとっては可愛い妹のような存在になる。

 一家に明るい光をもたらしてくれたレンティを、伯爵夫妻は大切にし……将来はキオンの嫁にと考えた為、彼女を養女(本当の家族)にはしなかった。そして勘のいいイヴェルノは、大分早くからそのことに気付いていた。



 イヴェルノはふと、隣を見下ろす。

 亜麻色の細いお下げ髪が、背中までたっぷりと伸びても。大人の歯が生えた口元が、兎みたいに愛らしくなっても。ねずみ色だと思っていた瞳が、涙で潤むと雨空みたいに切なくなると知っても。

 レンティは、イヴェルノにとっては義妹であり、それ以上でもそれ以下でもない。あと数年後には弟と結婚し、本当の義妹になるのだから。


(もし自分が居なくなっても……レンティは慣れ親しんだこの伯爵邸で、跡を継ぐ弟と共に幸せに暮らしていくだろう。二人を守る為にも、兄としてやるべきことをやらねばならない)


 遠慮がちに離れて歩くものだから、レンティの華奢な肩は雨に濡れてしまっている。引き寄せようと、思わず伸ばした手を宙で握り締め、イヴェルノは彼女から目を逸らした。

 彼女の歩幅に合わせてゆっくり進んだ先には、兵が一人しかいない門扉。更にその先には、一見裕福だった頃と変わらぬ、整備された美しい敷地が広がっている。……実際は給金が払えず庭師の数を減らした為、こうして手入れ出来るのは外から見える部分だけ。裏は雑草だらけで見るに堪えない有様だった。


(いっそ庭師なんて、全員解雇してしまえばいいのに。草がボウボウでも、落ち葉だらけでも何も困らないだろう。見栄ばかり張って首を絞めて……貴族なんて馬鹿みたいだ。政略結婚の為に『紳士』の仮面を被る、偽りだらけの自分も)


 やりきれない感情を雨音に逃していたその時、心地好いはずのレンティの声が、鋭い針となって鼓膜を刺した。



「今日……どうでしたか? その……お嬢様と」


 心を読んだのか? と疑いたくなるタイミングで問われ、傘を持つイヴェルノの手はピクリと震えた。



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