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2 感情のないガラス玉

 

「けっこん?」


 ぱちくりと瞬いた焦茶の瞳。大きく見開かれるや否や、リエタはぶんぶんと首を振った。


「しないわよ! 誰がそんなことを」


「君の父上。さっき挨拶をした時に、嬉しそうに話していたよ。やっとじゃじゃ馬がその気になったって」


 リエタの脳裏には、数時間前に見せられたあの肖像画が浮かぶ。


「お父様ったら……早とちりもいいところだわ。縁談のお相手に会ってみると返事をしただけよ」


「でも乗り気なんだろ?」


「そうねえ……まあ、今までの縁談話の中では、一番興味が湧いたかも」


「どんなヤツなんだ?」


「……綺麗な人なの。すごく。肖像画で見ただけなんだけどね」


「綺麗……。ふっ、はは! まさかお前が、男の容姿なんかに興味を持つとは!」


 茶化すように言うハリーフに、リエタはムッと唇を尖らせる。


「それだけじゃないわ! すごく優秀な人で、良いビジネスパートナーになれそうなの。身分も申し分ないし、我が家にとっても最高のお相手よ」


「ふうん……じゃあせいぜい、淑女に見えるように猫を被っておけよ。木登りなんかして、貴族のお坊っちゃんに驚かれないようにな」


 ハリーフは手の甲でリエタの頭をコツンと叩くと、「じゃあまた」と足早にその場を去って行く。

 どんどん遠ざかる広い背。その時の彼がどんな表情をしていたのかなど、リエタは知る由もなかった。




 それからというもの、用がなくとも毎日のように屋敷を訪れリエタと雑談を交わしていたハリーフは、パタリと姿を見せなくなった。

 風邪でも引いたのかしら……とさすがに心配になるも、健康優良児の彼のこと。きっと騎士になる日に備えて、トレーニングやら準備やらで忙しいのだろうとリエタは考えていた。

 数日後、モーリー伯爵家への訪問を翌日に控えた夕方、彼はふらりとやって来てこう言った。


「明日、俺も付いていってやるよ。護衛として」


「……どうして?」


 意図が分からず、リエタはきょとんと首を傾げる。アークレン家の一人娘、及びアークレン商会の跡取りである彼女には、金銭目的の犯罪から身を守る為、常に専属の護衛兵が付いている。それを知っているはずのハリーフが……ましてや王宮騎士になれる程の腕を持つハリーフが、何故わざわざ自分なんかの護衛を申し出るのだろうと。


「お前の結婚相手に相応しいか、俺がその坊っちゃんを見定めてやる。……兄貴分として」


「見定め……って、別にハリーフに見てもらわなくてもちゃんと自分の目で」

「もうお父上に許可はもらっているから。じゃあ明日な」


 有無を言わせぬ態度で、それだけピシャリと告げると、ハリーフは部屋を出て行った。

 一つ年上ということもあり、彼は昔からこうして強引な態度を取る時がある。それは主に、良く言えば怖いもの知らず、悪く言えば無鉄砲な彼女を心配し、手綱を引いてくれる時なのだが……さすがにもう大人なのにと、リエタは不満に思う。


(結婚相手くらい、自分で選べるわ)


 理由は分からないが、結婚に関してはハリーフに触れて欲しくない。本当の兄でもないのに……と、そんなもやりとした気持ちを抱いていた。



 ◇◇◇


 翌日、モーリー伯爵家では、アークレン家の父娘おやこをもてなす為に、朝から一家総出で準備をしていた。

 この縁談がまとまれば、窮地を脱することが出来る────誰しもがそんな思いで。

 シェフからメイド、下女に至るまで、伯爵夫人から細かな指示が出される。ピリッと張り詰めた空気の中、一人の少女は心ここにあらずといった状態で、客が通るであろう玄関から応接室までの壁にはたきをかけていた。


「……あっ!」


 強く叩きすぎた為に、絵画を固定していた金具が外れそうになる。慌てて叩きを放り、絵画を支えようとした時、横からすっと長い腕が伸びた。


「イヴェルノ様」


 落下を免れた絵画は、彼の手によって器用に壁に戻される。美しいシルバーブロンドの眉がしかめられるのを見た少女は、叱られるのを覚悟して縮こまった。


「余計なことをするなと言っただろう、レンティ。贋作だからいいものの……」


 絵画に壺に宝石類、財産らしい財産はほとんど売ってしまい、現在この屋敷にあるのは贋作かイミテーションばかりだった。メイド達が今、懸命に花を生けている花瓶すらも、伯爵夫人の渾身の手作りで。それは来客用にと唯一残した王室下賜品の絵画と反発し合い、応接室に奇妙な雰囲気を醸し出している。


「ごめんなさい……イヴェルノ様の婚約者になる方が来られるなんて、何だかじっとしていられなくて」


 消え入りそうなレンティの言葉に、イヴェルノの眉間の皺は更に深くなる。


「婚約すると決まった訳じゃない。……会ってみるだけだ」


 もし向こうが自分を気に入れば、この縁談は明日にでもまとまってしまう。こちらからは、断る理由も余裕もないのだから。

 理解はしていても、まだどこかに足掻いている自分がいることに、イヴェルノは苦笑した。


「……こんな物、逆にみっともない」


 折角戻した絵画を乱暴に取り外すと、彼はそれを脇に抱える。


「外してしまうんですか?」


「ああ。お前が昔くれた、豚の絵を掛けておいた方がよっぽどマシだ」


「豚っ……あれは猫です!」


 イヴェルノは微笑わらいながら、片手でレンティの亜麻色の髪をくしゃりと撫でる。

 怒り、哀しみ、そして諦め。彼の青い瞳の向こうには、様々な感情が渦巻いており、どれも上手く掴めないレンティの胸は苦しくなった。



 花を生け終え、応接室から出てきたメイドに、イヴェルノは抑揚のない声で命じた。


「ここに母上のタペストリーを掛けておけ」



 ◇


 どんなに美しい髪留めを着けても、どんなに化粧をしても。品のない朱い髪も、地味な焦茶の瞳も、何も変わらないとリエタは思っていた。

 けれど、初めて肖像画の王子と向き合っている今、母に言われるがままに精一杯お洒落をしてきて良かったと思う。父が言っていた通り、肖像画よりも遥かに美しい彼のに、ほんの少しでもまともに映っているなら……と。



 モーリー伯爵夫人と令息イヴェルノ、アークレン家の主と娘リエタの四人が向き合う応接室には、あまりにも静かな空気が流れていた。リエタの父がたまに声を張ったり笑わなければ、葬式の最中だと勘違いされてしまう程に。

 これまではどんな縁談相手にも、はきはきと自分の結婚観や意思を伝えてきたリエタだが、今日は自ら話すことはおろか、訊かれたことにも「はい」か「いいえ」で答えるのが精一杯だった。


「本当に愛らしいお嬢様ですこと」

「いつもは恥ずかしいくらいにお喋りなのですが。立派なご子息にお会いして、緊張しているのでしょう」


 親達の主導で進む会話の中、時折聴こえる響きに、リエタの胸は激しく高鳴る。薄氷の浮かぶ湖の水面を、すっと清らかな風が掠めるような。そんな優雅な声で話す男性を、彼女はこれまでに知らなかった。

 胸がそんな風になってしまえば、ますます彼を直視することなど出来ず、さっきからずっと、紅茶に映る自分の顔ばかりを見下ろしていた。


 結婚相手くらい自分で選べるなんて反発したくせに。これではハリーフに合わせる顔がないと、リエタは必死に彼の為人ひととなりを探ろうとする。が、すぐにあの優雅な声に翻弄されてしまい、得意の分析は何も出来なかった。それでも何とか分かったのは、貴族によくある傲慢さや、自分を見下すような態度が、彼からは一切感じられないということ。あとは言葉の端々に溢れる、知性と品の良さだった。




 何故そういう流れになったのか、どう返事したのかも覚えていない。次はリエタの経営するアークレン婦人服店を案内がてら、レストランで食事をする約束をしてしまった。……二人きりで。

 同じ縁談相手と二回目の約束をするのは、今回が初めてだ。その意味を考えながら、リエタはどこか他人事だった『結婚』に、大きく足を踏み入れたことを自覚していた。



「どうだ? 素晴らしい青年だっただろう? お前の夫としても、商家の婿としてもきっと……」


 帰路に着く馬車の中、父の話を上の空で聞きながら、リエタは窓の外を眺める。朱い夕陽に染まりゆく木々の緑に、ふと、御者と並んで座っているハリーフの姿を思い浮かべた。


(見定めてやるなんて言っていたけれど……ハリーフは、今日はただの護衛でしかないのだから。結局到着した時と見送りの時しか、イヴェルノ様を見られなかった。それで一体、何が分かるのかしら……何か分かったのかしら)


 すぐに訊きたいような、永遠に訊きたくないような。そんなもやもやした気持ちに、リエタは窓から目を逸らす。陽気に喋り続ける父の笑顔は、次第に薄暮れに霞んでいき、その向こうに美しいサファイアの瞳が浮かび上がった。



 ◇


 屋敷に戻っても、ハリーフは何も言わない。口を固く結んだその表情かおは、何かを言いたいのに我慢している、そんな時のものだとリエタはすぐに気付く。


(やっぱり訊きたくない。今日はこのまま帰ってくれたら……)


 そう思っていたのに、父が一緒に夕飯をと勧めてしまい、ハリーフもいつも通り素直に頷いてしまった。



 リエタは出来るだけ着替えをゆっくり済ませると、中庭のブランコベンチに座るハリーフの元へ向かう。月を見上げる彼の横顔は、太く高い鼻梁から、突き出た喉仏までが濃いシルエットとなっており、妙に男らしさを感じさせた。


「ハリーフ」


 呼び掛ければ、月の光を湛えた黒い瞳に見つめられ、リエタの胸はまたもやりとする。


「お待たせ」

「……ああ」


 そう一言だけ返事をすると、ハリーフはベンチから腰を上げ、彼女にそこを勧める。幼い頃は、よく並んで座っていた二人のお気に入りの場所。いくらハリーフが大柄とはいえ、今でも一緒に座れないことはないのに。いつからか、彼はこうして、リエタに譲るようになった。


 まだ温もりの残るそこにリエタが大人しく座ると、彼は後ろに回りベンチの背を押す。

 ……ゆらゆらと、心地好い夜風を纏う揺れ。イヴェルノと話した時の胸の高鳴りも、ついさっきのもやりとした気持ちも、全てを浚い月の光へと溶かしていく。

 夜空と一つになりかけたその時、突如揺れが止まる。すっかり緩んでしまっていたリエタの心に、低い声が鋭利に滑り込んだ。


「……どうだった? お坊っちゃんは」


 ハリーフの方から訊かれ、戸惑うリエタ。言い淀んでいると、もう一段低い声で、ゆっくりと問われる。


「お前の目に、彼はどう映った?」


 リエタはなんとなく後ろを振り向けないまま、今日感じたことを正直に伝えた。


「品と知性のある男性ひとだったわ。多分、平民だからとか女だからとかで、私を見下すことはないと思う」


「……顔は? 好みだったか?」


 先日のハリーフの態度から、なるべく容姿には触れたくなかったが、リエタは仕方なしに答える。


「綺麗だったわ。息を呑むくらいに。……貴方もあの瞳を見たでしょう? まるで高貴なサファイアみたいよ」


「……サファイアなんかじゃない」

「え?」


「アイツは……アイツの目は、感情のないガラス玉みたいだった」



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