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1 肖像画の王子

 

 今朝もいつもと同じ。いつ帰ってきたか分からない夫は、いつの間にか出掛けている。

 リエタは身支度を整えると、部屋に運ばれた朝食を、いつも通り一人きりで食べる。家族が増えても囲めるようにと作った大きなテーブルは、結局ほとんど使われないまま、食堂の置物と化していた。


『見送りも出迎えも要りません』


 遠慮でも思いやりでもなく……夫にとってそれが楽なのだと彼女が理解してから、もう四年近くが経ってしまった。今では寝室も完全に分けており、用がない限りは、顔を合わせることもなくなっている。



 抜け殻だと気付かずに夫を愛してしまった妻と、自分が抜け殻だと気付かずに妻を娶ってしまった夫。

 これは、そんな空っぽの結婚生活に、大きく亀裂が入るまでを描いた物語である。



 ◇◇◇


「お前にいい縁談がある」


 父の猫なで声に、またか……とリエタは顔をしかめる。18の誕生日を迎えてから、同じ話をされるのはもうこれで何度目だろう。いや、毎回お相手は違うのだから、厳密に言えば違う話なのだが。彼女にとっては『縁談話』であるというだけで何ら違いはなかった。たとえその相手が、猫であろうと犬であろうと。



 平民ではあるが、裕福な商家アークレン家の一人娘として何不自由なく育てられたリエタ。父親から『私のじゃじゃ馬娘』と愛を込めて呼ばれている彼女は、幼い頃から非常に活発で、遊び相手も喧嘩をするのも近所の男の子ばかりだった。

 年頃になっても、美しいドレスや恋愛小説には興味を示さず、乗馬服を着たまま算術や経済の本を読み漁っていた。


 商家の跡取りとして必要な教育を身に付けた後は、父の補佐を務めていたリエタ。机上では経験出来なかった商いの奥深さと面白さに、忽ちのめり込んでいった。

 やがて父から、売上が低迷していたテーラーを任されると、彼女は水を得た魚のようにその商才を発揮していく。高級テーラーから、婦人向けの安価な既製服店へと、思い切って方向転換したのだ。

 きっかけは、貴族の女性から流行遅れのドレスを安く買い取ったことだった。一昔前の膨らんだ袖やスカートからは、良質な生地をたっぷり裁てる。そこに安い生地を継ぎ足し、ちょっとしたお洒落着にリメイクしては利益を上げたのである。

 デザイナーや仕立て屋として雇ったのは、平民の既婚女性や出戻りの貴族令嬢など。身分や境遇に拘わらず、そのほとんどが女性をよく知る女性だった。斬新なアイデアに加え、センスの良い女性を積極的に雇用したことが、功を奏したのだろう。

 そうして順調に売上を伸ばし、首都に支店を出す計画を練っていた頃、父はリエタへ最初の縁談話を持って来た。


 両親の自由な教育方針の元、多少風変わりでも自己肯定感を失わずに伸び伸びと育ったリエタだったが、商人として社会へ出た途端、数々の辛酸を嘗めてきた。

 男性……特に貴族の男性からは、『平民だから』『女だから』と、それだけで門前払いされることが多く、一部の貴族女性からも、『貴族の古着に群がる平民の卑しい店』と嗤われた。


 平民だの貴族だの、何も気にせず生きてきた彼女だが、爵位があるというだけで、信用という土台を容易に備えていることを、今ではよく理解している。それはもちろん、苦労して財を成した父も同じで。貴族の令息を婿養子に迎えれば箔がつくし、相手の家柄によっては叙爵することもあるかもしれない。そんな思いから縁談を勧められていることを、彼女は痛い程理解していた。理解はしていたが……どうしても乗り気にはなれなかった。


 恋愛はおろか、結婚になど全く興味がない。それだけでなく、正直貴族に対しあまり良いイメージを持てなくなっている自分が、貴族の令息と政略結婚などして上手くいくのだろうかと。

 なかなかの美丈夫だ、好青年だと見せられる肖像画にも首を傾げるばかりだったし、経歴に興味を持って実際に会ってみても、どうしても『結婚相手』として意識することは出来なかった。



 結婚なんて最初はそんなものだ、傍に居れば次第に情が湧いてくる。そんな風に言い続ける父から肖像画を受け取るのは、もうこれで何度目になるだろう。渋々開いた瞬間、リエタは思わず目を見張った。


 シルバーブロンドの艶やかな髪と、サファイアを思わせる真っ青な瞳。その目鼻立ちは、いつか美術館で見た、絵画の王子のように整っていた。

「綺麗……」と思わず口にするリエタに、父は満足気に笑いながら言う。


「普通、肖像画というものは実物よりも良く描くものだが、その青年の場合は、肖像画よりも実物の方が遥かに美しい。会ったらきっと驚くだろう」


 この絵よりもっと? と、食い入るように肖像画を見つめる娘に対し、父は機嫌良く言葉を重ねる。


「かつて王室へ妃を輩出したこともある、由緒正しいモーリー伯爵家の長男だ。家柄が申し分ないだけでなく、貴族学院を首席で卒業した程優秀だという」


「そんな素晴らしい方が、何故我が家と?」


「昨年の大雨による水害で、領地経営が悪化しているらしい。おまけにモーリー伯爵が脳の疾患で床に臥せっていて、莫大な治療費も掛かると。本来であれば長男を残したいところだろうが、次男はまだ未成年の上に虚弱体質で、商家の婿などとても務まらないそうだ」


「……酷ですね。それで我が家に資金援助を求めて?」


「ああ。……これを」


 差し出されたのは、とある事業計画書と領地の改革案。さらっと読み進めるだけで、これを作成した者が非常に優秀であることが窺える。


「素晴らしいですね。その伯爵令息が作成したものでしょう?」


 頷く父に、リエタは目を輝かせながら、再び丁寧に読み込んでいく。


「……結婚などしなくても、援助して差し上げたらいかがですか? 融資という形で。それだけの価値はありますよ」


「平民からの融資など、貴族連中が素直に受け取る訳がない。本当は藁にもすがりたい状況だろうが……威信を保ったまま堂々と援助を受けるには、結婚という手段が最善なんだよ。それにこちらとしても、これだけの資金を援助するなら、それ相応の見返りは欲しい」


 商魂逞しい表情かおで笑う父。

 なるほど、貴族のプライドの高さは、リエタもよく知っている。生活に困り古いドレスを一着手離す時ですら、平民に安く売ってやるのだ、有り難く思え、と言う態度を決して崩さないのだから。


「リエタ、どうだ? 会うだけでも会ってみないか? これ以上政略結婚に相応しい相手は、他にいないだろう。……もしお前に他に想う相手がいるのなら、私も無理強いするつもりはないが。結婚を渋るのは、そういう理由からではないのだろう?」


 “ 想う相手 ”

 一瞬誰かの顔がリエタの胸に浮かびかけるも、形にならないまますぐに消えてしまう。もやっとした残像の中はっきりと浮かんだのは、実在するかも分からぬ、肖像画の濃いサファイア色だった。



 ◇


 スカートのまま、リエタは慣れた動きで、すいすいと指定席へ登る。緑の葉が創る心地好い陰に辿り着くと、太い枝の窪みに腰を下ろした。

 温かい幹に頭を寄せれば、自然の息吹きがとくとくと流れ込んでくる。悩みも嫌なことも全部些細に思える、この場所が彼女は好きだった。


 うっとりと心身を委ねていると、突如、浮遊感に似た感覚に全身を包まれる。次の瞬間、さっきまで頭上にあった緑の葉は一枚残らず消え去り、初夏の眩しい日差しが直接降り注いだ。


(また……)


 頬を膨らませながら下を見れば、楽しげに踊る黒い瞳にぶつかった。


「悪戯はやめてちょうだい! ハリーフ。暑くて肌が焼けちゃうじゃないの」


「おや、リエタお嬢様は、やっと日焼けを気にされるようになったのですね。昔は帽子も被らず、そばかすだらけで木の天辺にぶらさがっていらっしゃいましたのに!」


 一体何年前の話をしているのかと、リエタは呆れながら、スルスルと枝を下りていく。

 芝生の上にトンと足が着いたのを確認すると、ハリーフと呼ばれた大柄の男は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら手を木にかざす。すると裸の枝は、忽ちざわざわと緑の葉を取り戻していった。


「ほら、後ろを向け」


 雑な物言いにも動じず、リエタは素直に彼に背を向ける。大きな手でパンパンと乱暴に尻をはたかれ、「よし、もういいぞ」と言われると、くるりと振り返った。


「全く、日焼けよりこっちを気にしろ。19になっても木登りでスカートを汚す女は、全国探してもお前くらいだ」


「私の趣味だもの。大人になったら木に登っちゃ駄目なんて法律、どこにもないでしょう?」


「確かに」と、浅黒い肌に白い歯を浮かべるハリーフに、リエタもつられて笑う。


 年頃の女性なら卒倒してしまいそうなこのやり取りも、3歳の頃から兄妹同然に親しくしている幼なじみ故だった。ハリーフの父親は、アークレン商会が持つ紡績工場の長を長年務めており、リエタの父から絶大な信頼を得ている。ハリーフ自身も、気さくで面倒見がいい為大変気に入られており、屋敷への出入りが自由に許されていた。



 木陰に並んで腰を下ろすと、ハリーフは “ らしくない ” 咳払いを一つ挟んでから口を開いた。


「……今日は大事な報告をしに来たんだ」


 ハリーフのその言葉に、リエタはパッと顔を輝かせる。


「それって……!」

「ああ、合格したよ」

「きゃあっ! すごい! おめでとう!」


 がばっと抱きつくリエタを、ハリーフは厚い胸板で簡単に受け止めるが、逞しい腕は遠慮がちに彼女の背に回された。


「いよいよ、王宮騎士様になるのね……配属はどこ?」


「まだ決まっていないんだ。出来れば護衛課じゃなくて、手柄を立てやすい防衛課がいいけどな。まあ、とにかく上を目指して頑張るだけさ」


「……そんなに爵位が欲しいの? 万一戦が起こって、前線に立たされても?」


「なんだ、心配してくれるのか?」


「当たり前じゃない!」


 ハリーフは嬉しそうに笑った後、ふと真面目な顔で言う。


「そりゃあ、多少危険を冒しても、挑戦してみたいと思うよ。出世は男の夢だからな。特に俺みたいな、腕力以外には何の取り柄もない平民にとっては」


「取り柄って……何言ってるの! 剣の才能は群を抜いているし、人柄は最高に素晴らしいし、それに、こんなに素敵な魔力だって持っているのに」


 淑女とは程遠い、ペンだこやらマメの出来た手を拳に重ねられ、ハリーフはそれをギュッと握り返す。


「お前だけだよ。こんな何の役にも立たない魔力を喜んでくれるのは。せめて麦や果実を実らせる程の力があれば、戦にも役立つんだけどな。あ、毬栗なら武器にもなるし」


 おどけるハリーフへ、今度はリエタが真面目な顔を向けた。


「役に立たなくなんかないわ。次の年を待たなくても、大好きな季節に出会えるなんて……最高に素敵な魔力よ。人生は限られているのに、得している気分だわ」


 ハリーフは、ははっと声を上げて笑う。


「損得で考えるのがお前らしいよ」


 彼は座ったまま緑の葉を見上げると、再び手をかざし、植物の四季を移す魔力を送る。すると若い緑が、橙色から朱へと、鮮やかに色を変えていった。

 古代では誰しもが何らかの魔力を保有していたが、今では保有者の方が珍しくなり、その上力も昔とは比べ物にならぬ程弱い。ハリーフのこの魔力も、何の役に立つのかと持て余していたが、幼いリエタは大層気に入ってくれた。それが嬉しかったハリーフは、リエタが泣いたり癇癪を起こす度に、こうして周りの木々を、彼女が一番好きな秋の色に変えては笑わせていたのだ。


「……綺麗。やっぱり秋が一番好きだわ。冴えない自分の色も、なかなかいいと思えるもの」


「秋はお前の色だからな。朱い髪も、茶色の瞳も……」


 陽にきらめく朱色を、うっとりと見上げるリエタ。その頬へと伸ばされたハリーフの手は、幸い彼女に気付かれることなく、触れる寸前で引っ込められる。

 やがて紅葉鑑賞に満足し、現実へと戻った彼女の視線の先には、黒い瞳がずっしりと待ち構えていた。



「リエタ、お前……結婚するのか?」



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