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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第六話 水面に立つ馬
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その14(終) 水面に立つ黒い馬

 リジャールから目を向けられたファティマが、口をひらいて訊いてきた。


「そもそも、あの方がオザンさんを殺そうとしたのはなぜなのですか?」


 ベーラムにとって、ブルト、リジャール、そして彼女の三人は、あくまでオザン殺害の犯人が自分であることを隠すために命を狙っただけである。


 そもそもの発端であるオザン殺害の動機は、いったいなんなのか。


 ファティマの問い答えて、リジャールは言った。


「ベーラム卿は、オザンから薬を買っていました」


 妻の病気を治すための薬である。


「ですが、もしもその薬が偽物だと知ってしまったら……」


 薬師のセルハンは、オザンが紛い物の薬を作って売っていると証言していた。


 リジャールと一緒にその話を聞いていたとき、ベーラムはいかにも衝撃を受けたような顔をしていたが、もしもあの表情が演技で、実は以前からそのことに気づいていたのだとしたら──。


「オザン殺害の動機になり得ると考えました」


 ベーラムの妻は、結局病気で命を落としたという話だ。


 もしもそれが、オザンの売った効くはずのない薬のせいだとベーラムが考えたとしたら。きちんとした薬を飲ませていれば妻は助かったはずなのにと、ベーラムが後悔していたとしたら。


 オザンのことを恨みに思う可能性は十分にあるだろう。


 やがてそれが憎しみへと発展し、殺意に変わる──。


 リジャールは、最初そう考えたのだ。


「ただ、どうやらその考えは間違っていたようです」


 それを知ったのは、実はつい先程のことだ。


 騎士隊の検分役と共に、今朝方リジャールはベーラムの屋敷に赴いていた。そこで、いくつかの新事実が発覚したのである。


「ベーラム卿の屋敷から見つかった薬を、薬師や宮廷魔術師に見てもらったのですが……」


 ベーラムの妻が飲んでいた薬が、もしも紛い物であると確認できれば、リジャールの推測が裏付けられる。


 ところが、返ってきたのは意外な結果であった。


「詳しく調べてみなければ分からないそうですが、その薬はヒ素ではないかと言うのです」


「ヒ素……」


 暗殺用の毒薬の定番である。


「東方では、ヒ素はネズミ取りとしても使われるようですね」


 ファティマが頷いて、リジャールの言葉を肯定してくれた。


「おそらく、『家にネズミが出て困る』とでも言って、ベーラム卿はオザンからヒ素を仕入れたのではないでしょうか」


 ただ、その薬はネズミ取りの罠ではなく、ベーラムの妻の薬箱の中に入っていた。


 それを聞いた一同の顔が、はっとしたものになる。


「ベーラム卿の奥方の”病気”は、最初は確かに本当の病気だったのかもしれない。ただ、実はそれほど重いものではなかった」


 容態が悪化したのは、薬と偽ってヒ素を飲まされたからだ。ヒ素中毒だったのである。


 ベーラムは、オザンから買った二種類の薬のうち、妻の病気のための薬は破棄して、ネズミ取りとして購入したヒ素の方を飲ませていたのだろう。


「ベーラム卿は、娘婿だったそうですね」


 確認するようにリジャールが隊長に訊き、苦々しい表情で隊長が頷いた。


「生まれは、とある貴族の四男であったそうだな」


 上に兄が三人いるから、よほどのことがなければ生家の家督相続は望めない。騎士にまではなれるが、生涯、兄一家か他の貴族に従属することになる。


 彼が貴族の家の長になるには、息子のいない貴族家に養子になるか、婿入りをするしかないのだ。


 ベーラムが選んだのは後者であった。首尾良く貴族の一人娘と結婚し、妻の父が死ねばその家督を相続できる立場となった。


「これは、ベーラム卿の屋敷の使用人から聞き出した話なんですがね」


 散々に口を濁していたが、それでもどうにかこうにか話を聞き出すと、どうやらベーラムの妻は不倫をしていたらしいと言うのだ。


 相手はとある貴族の三男坊であったらしい。かつてのベーラムと似た立場の若者だ。


 タラマカンの貴族はそう簡単に離婚が認めらることはないが、それでも、もしもベーラムの妻が彼を離縁し、若いツバメと再婚したとすれば、ベーラムが継ぐはずであった貴族位はその若者のものになってしまう。


 あるいはベーラムには、妻や間男から命を狙われていると疑うような心当たりが何かあったのかもしれない。


 間男にしてみれば、ベーラムが死ねば、その妻と再婚することで自分が貴族になれるからだ。


「その貴族の三男坊は?」エバンスが訊いてきた。


「ベーラム卿の奥方の病と前後して、行方知れずになっているということです」


「なんと……」


 当初はただの出奔だと思われていたらしい。貴族の三男坊以下には、ままあることだ。ローランに残っていても先がないのである。


 出奔後の行動は様々で、手柄を挙げて返り咲こうとする者、両親から与えられた金を元手に商売で一旗をあげようとする者などがいる一方で、放蕩を続けて乱行を働いたり、野盗の用心棒に身を落とす者などもいる。


 ただ、ベーラムの妻の不倫相手の場合は……


「ベーラムに殺されたのだろうな」


 エバンスが言い、リジャールは頷いた。彼も、その可能性が高いと思っている。


 襲われたところを返り討ちにしてしまったのか、()られる前に殺ってしまえというところか、あるいはベーラムに妻殺しの動機があるということの口封じのためだったのかは分からないが。


 いずれにしろ、ベーラムは妻と間男を殺害することで、今の自分の立場を守ったのである。彼の義父はまだ健在だが、その子はベーラムの妻ただ一人だ。血を遺すことはかなわなかったが、家を残すにはベーラムを後継ぎとするより他はない。


 ベーラムにとっての残る問題は、オザンであった。


「大量に購入したネズミ取りの使い道について、オザンは疑念を抱いたいのかもしれない。彼は、ベーラム卿の奥方の病状も知っている」


 不自然だと感じ始め、ヒ素との関連に気づいたのではないか。


 例え、実際にはオザンがそこまで察してはいなくとも、ベーラムにしてみれば、常にその懸念がつきまとう。殺せるなら殺してしまった方が安全だ。


 しかし、彼よりもはるかに薬物に詳しいオザンを毒殺するのは難しい。


 オザンの家の警備は近隣の他の家よりも厳重だったから、忍び込んで暗殺することも無理だろう。


 となると、オザンが外出しているところを狙うしかないわけだが、剣や投げ縄のようなすぐに騎士の仕業とばれる殺し方をするわけにもいかないのだ。「オザンと付き合いのあった騎士は誰か」と探られれば、ベーラムの名が上がるのは時間の問題である。


「だから、ケルピーの仕業と見せかけてオザンを殺すことにしたのです」


 夜の川に浮かべた小舟に白馬を乗せて、ケルピーが出たという噂を流す。ブルトによって実際に魔物に襲われたとおぼしき水死者が出たのも、追い風となった。


 そしてオザンが夜間に外出するという情報を得たあの日、ベーラムは計画を実行に移したのだ。


 オザンの帰路を予測し、先回りして堀の上に馬を立たせた。ローランに伝わる伝説に従って、水車の音が聞こえるところに。


 そして、投げ縄を使って彼を溺死させたのである。


 リジャールと共に現場に向かったとき、ベーラムは水車の音に注意を向けさせるような発言をしていた。


 あれは、自分がここに来たのは初めてであるとほのめかすと同時に、事件を調査している衛兵が、これはケルピーの仕業なのだと考えるように誘導するためであった。


 ただ、結果的にはこれは逆効果であったのだ。


 リジャールとファティマは、むしろこの水車の件から、ケルピーの実在に疑問を抱いた。


 もしもそうでなければ、オザンは凶暴な魔物の不運な犠牲者の一人として事件は収束していただろう。誰も、それが故殺だとは疑わない。彼から薬を購入していたベーラムが疑われることもない。


「成る程な……」


 全ての話を聞き終え、衛兵隊長が何かを噛みしめるように頷いた。


 いまリジャールが話した内容をまとめて、騎士隊の検分役に渡す。それで、探索方の仕事は終わりだ。


「ベーラムの行方は分かったのか?」


 最後に、エバンスがそう訊いてきた。


 リジャールと隊長が揃って首を横に振る。


「手配はかけているのですが……」


 申し訳なさそうに隊長が言った。


 新市街の門から出て行く者を注意して検分しているのは勿論、街中の人が隠れられそうな場所を虱潰しに捜索しているが、ベーラムはまだ見つかっていない。


 どこかの堀や川べりから、騎士らしき水死体が揚がったという報告もない。


 ベーラムは、完全に行方を眩ませてしまったのだ。


 沈黙が支配した場で、ポツリとファティマが口を開いた。


「ケルピー……」


「え?」


 全員の視線がファティマに集まった。


「リジャールさん達は、見ていないかも知れませんが……」


 木偶人形に意識を移していたとき。ベーラムが堀に飛び込んだ直後。


 二度、彼女は水上に立つ黒馬の姿を目撃している。


 そして、彼女が馬のいる辺りの岸まで辿り着くほんのわずかな時間に、その馬は姿を消してしまった。


「もしかしたら、水に潜ったのかも知れません。獲物を食い殺すために……」


 水中に潜ったベーラムが、もしも知らずにケルピーのいる方向に泳いでいったのだとしたら。


 魔物としては、格好の獲物に見えたことだろう。


「まさか……」


「ケルピーに喰われた者の死体は、肝臓以外は揚がりません」


 そして肝臓だけなら、暗い夜の間に流されて見つからないこともあり得るだろう。川まで流れて、魚の餌になってしまったのかも知れぬ。


「ベーラム卿は、ケルピーに喰われた?」


 信じられないという思いで、リジャールはそう呟いた。


 衛兵隊長も蒼白な顔をしている。


 ファティマの話が事実なら、危険な魔物がまだ市内にいるということになってしまう。


 それからしばらくの間、衛兵隊では夜の川べりの警備を強化し、市民に魔物への注意を呼びかけた。


 しかし結局、その夜のファティマを最後に、ケルピーと思われる馬の目撃はパタリと途絶えてしまったのである。


 ベーラムが捕縛されることも、その死体が上がることもなく、ファティマが見たモノが一体何であったのかは、結局ついに不明のままであった。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

これで、第六話は終幕となります。

次作もお楽しみ頂ければ幸いです。

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