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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第六話 水面に立つ馬
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その6 ケルピー伝説の考察

 ファティマの協力を得て調べた水門の柵は、どこも破損してはいなかった。金属の柵と柵の間は十センチほどで、子供であっても通り抜けるのは難しい。やはり小魚ぐらいしか、堀の中に入り込むのは無理なのである。


「じゃあ、ケルピーはどこから入り込んだんだ?」


 そのリジャールの問いに答えられる者は、誰もいなかった。


 ただ、以前のファティマの話からすれば、ケルピーは妖精の一種の可能性がある。


 精霊と違って、妖精には実体があるから、さすがに柵を通り抜けることはできない。だが、妖精には変身能力を持つ者がいるのだ。


 もしも、ケルピーにその能力があるとすれば、無害なものに──例えば、普通の馬のふりをして市内に入り込んだ可能性はある。実際、かつてリジャールが解決した事件では、そのように侵入してきた魔物が、人々を襲った。


 また、ファティマによれば妖精は、”妖精界”と呼ばれるこの世とは違う空間を通ることができるのだという。この場合、人間達の棲む世界とは別の空間を通って、離れた場所に行くことができる。人間界にある物理的な塀や柵は、意味を成さないのだ。


「その妖精界というのは、どこからも出入りできるものなんですか?」


 リジャールは訊いた。


「どうなんでしょう?」ファティマが、首をかしげつつ答える。「私もよくは知りませんが、さすがにそこまで便利なものではないと思います」


 妖精というのは確かに神出鬼没なところがあるが、それは変身能力や姿を消す能力などを駆使しているからではないのか、というのが彼女の考えだ。


 ただ、この世界には妖精が良く目撃される場所というのが存在するのも事実で、おそらくはその近くに妖精界への入り口があるのではないかという。出入り口の場所は、ある程度固定されているのだろう。


「大陸の北西部には、ケルピーが良く出没する場所というのがいくつか知られています。おそらくはその辺りに、ケルピーが普段住んでいる妖精界への入り口があるのではないでしょうか?」


 ケルピーの目撃例のほとんどは、人を襲おうとしたときのものである。それ以外の状況でケルピーが目撃されることがないのは、普段は妖精界で暮らしているからではないのか。


「姿を消すなり、馬などの姿に擬態して日々を過ごしているにしては、あまりに食事の量が少なすぎると思うのです」


 ケルピーが出現する場所として知られているところでも、十年以上もの間、目撃例がないこともある。そのような場所では、人間側も警戒して水辺に立つ馬には近づかないから、犠牲者の数は意外に少ない。生物として、それでは生命を維持できないだろうというのが、ファティマの考えである。


 だから普段は別の場所で暮らしていて、何か別のものからエネルギーを得ているのではないか。


「成る程……。すると、このローランにもその妖精界の入り口が存在するわけですね?」


 しばらく閉じていたものが何かのきっかけで開いたのか、あるいは入り口の周囲に獲物が増えてきたから、しばらく使っていなかった入り口をまた使い始めたのか。


 だが、そのリジャールの考えにファティマは何も答えず、ただ首をかしげただけだった。どうも彼女には、何か腑に落ちない点があるようだ。


 そのファティマの様子に疑念を抱きつつ、リジャールは妖精界について重ねて訊いた。


「その妖精界の入り口というのは、何か目印というか、”こう言った場所に存在しやすい”というようなものはあるんですか?」

 

 もしもケルピーが使っている妖精界への入り口の場所が分かれば、そこを見張ることで、現れた直後のケルピーを抑えることができると考えたのだ。


 この問いには、ファティマはすぐに頷いて答えてくれた。


「それは、あると思います」


 例えば大きな木の根元にあるウロだとか、山奥の泉など。人工物でも、暖炉や台所など、特定の妖精が出現しやすい場所というのはそれなりに知られている。おそらくはそのような場所に、妖精界への入り口が存在するのだろうという。


「ケルピーの場合は、水車の近くということになりますか」


 リジャールは言った。


 ローランに伝わる昔話では、ケルピーは水車小屋の近くに出没していた。オザンが犠牲になった場所の近くにも、小さい水車があった。リジャールがファティマと共に水死体を見つけた場所も、水車に近い場所である。


 昔話でも今回の事件でも、常に水車の近くで被害者が出ているのだ。


 だが、そのリジャールの言葉に、ファティマはまた怪訝な顔をして首をひねった。


「それなんですけど……。そもそも、水車小屋の傍に現れるのは、ヴォジャノーイではありませんか?」


「ヴォジャノーイ?」


 聞いたことのない単語だ。話の流れからすると、何かの魔物の名前なのだろうが。


「北方の川に住む魔物です」


 強い力を持ち、水中に宮殿を造って住んでいるという。人間の造った堰や堤防を破壊したりする一方で、人工物に関心を持っているのか、水車小屋の近くによく住処を造るという話だ。


 ただ、ヴォジャノーイに関しては各地に様々な話が伝わっており、なかには本当に同じ魔物の話なのかと疑うほどに、姿形や行動が違っていたりする。


「もしかしたら別の魔物の話が、ヴォジャノーイの話として残ってしまっているのかもしれません」


 悪さをした魔物がその場で退治された場合や、はっきりとした目撃証言がある場合ならともかく、そうでない場合には、残されている話というのはあくまで、「この魔物の仕業であろう」「こういったことがあったのだろう」という推測でしかない。


 その結果、真実とは違う話が伝わってしまうこともありうるのだ。


 ヴォジャノーイの仕業とされている事件も、実は別の魔物が犯人なのかもしれない。


「水に住む魔物というのは、数が多いんです」


 各地に様々な魔物や水妖の伝説が残っており、その多くが人間にとって危険な怪物だ。


 水中では人間の活動は制限される。呼吸ができないし、動きも鈍い。そこで邪神・マルフィキーは、人間に対して有利な環境である水中に棲む魔物を多く造りだしたのだと言われている。


 その結果、各地で様々な水棲の魔物が人々に危害を加えることになった。


「それで、同じ話が違う魔物の仕業として伝わってしまったり、複数の魔物の話が合わさって一つの物語になっていたりもするんですよね……」


 はあっ、とファティマはため息をついた。


 魔物の記録を調べる者にとっては迷惑この上ないが、人々の口から口へと伝わるうちに話が変遷したり、別々の話が混同されて伝わったりもする。


 そして、それはケルピーに関しても例外ではないだろうと、ファティマは言った。


「私が調べた範囲では、ですが……。ケルピーが水車小屋に住むという話は、このローラン以外には伝わっていないようなんです」


「え?」


 驚いてリジャールはファティマを見た。


 子供の頃から良く聞かされていた話だから、彼にしてみれば、ケルピーは水車の近くに出没する魔物だというのが、当然の認識になっている。


「思うに、あのお話でカシムのお兄さんが犠牲になった場所が、たまたま水車小屋の近くであっただけなのではないでしょうか?」


 物語の中で、水車小屋があったからこそ、カシムの兄は水際の位置を見誤った。だが、それがケルピーの意図する所であったのかどうかは分からない。


 不幸な偶然であったのかもしれないし、仮に意図的だったとしても、それはたまたま傍にあったから利用しただけのことであろう。水車小屋があったから、その場所に出現したわけではない。


「雨で川が増水していた。そして、月のない暗い夜であったというのも、示唆的ですよね」


 いつもと水際の位置が違うが、暗いからそのことに気がつかない。川の岸だと思って歩いていた次の瞬間には、増水した川に落ちてしまう危険性がある。ケルピーが現れなくても、水の事故が起こりやすい状況だったのだ。


「この地では大雨が降ることは少ないですから、川の増水には慣れてはいないでしょう。事前にそのようなことがありうる──という知識がなければ、さらに危険は大きくなります」


 それで、注意を喚起する物語が伝わったのではないか。


 ただ、酔って家路についた男が事故に遭った、という話だけでは人々の注意を引きつけにくい。


 そこで、刺激的な魔物の話を付け加えたのだろう。旅人から聞いたのか、あるいは北西部に行ったことのある者が持ち帰った話なのかは分からないが、珍しい水棲馬の話を加えて、物語を印象的なものに仕立てあげたのだ。


 元々のお話で注意を喚起したかったのは、ケルピーという水辺に立つ馬のことではなく、増水した川には迂闊に近づくな──という点ではないのか。


「あんまり夜遅くまで遊んでいるとお化けが出るよ──と、そう言って子供を脅すのと同じですわね」


 自身もそのようなことを何度も子供達に言っているのだろう。その時のことを思い出したのか、ファティマが一瞬だけクスリと笑った。


 だが、リジャールはとても笑うような心境にはなれなかった。半ば呆然として、彼は呟いた。


「あの話は、全部作り話だったのか……」


「全部とは限りませんけど」


 カシムの兄が──あるいはそれに相当する誰かが、水車小屋の近くで命を落としたのは本当だろう。しかし、それが魔物の仕業であったとは限らない。ただの水難事故であったのかもしれない。


 おそらく、その者が川に落ちるところは目撃されたのではないか。


 ただ、遺体は揚がらなかった。


 それで、肝臓だけを残して獲物の体を全て食らってしまうケルピーの仕業だとされたのであろう。


「あるいは、カシムのお兄さんを襲ったのは別の魔物だったのかもしれませんが……」


 それがケルピーの話と混同されてしまった。


 ファティマがそう考えるのは、この一帯ではローラン以外にケルピーが出没したという記録がないからである。


 そしてローランにおいても、カシムの目撃例が確認できる唯一の記録だ。


 であれば、これは作り話か誤認だと考えた方が良いのではないか。


 この辺りは、ケルピーの生息範囲からは外れているのだ。


「でも……それでは、ここ最近のケルピーの目撃はいったい何なんだ……」


「見間違いか、あるいは……」


 何者かの作為の結果ではないだろうか。


「リジャールさん、気をつけて……」


 心の底から彼の身を案じている表情で、ファティマは言った。


 もしも、このところの水死者がケルピーの仕業でないのであれば、これは騎士団や冒険者の領分ではなく、探索方であるリジャールの本来の仕事だということになる。


 だが一方で、その犯人が人間ではない可能性もまだ残されているのだ。


 そしてそれがケルピー以外の魔物なのだとすれば、馬の背に乗らなければ安全だとは言いきれない。


 相手にすべき者が、途端に得体の知れない“モノ”に変わってしまい、リジャールの背中を一粒の汗が滑り落ちた。

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