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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第六話 水面に立つ馬
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その2 新市街の川辺で

 川面を通った涼しい風が、剥き出しの腕を優しく撫でる。陽光を反射した水面が、キラキラと宝石のような光を放っている。その光に照らされた草木の緑も瑞々しい。


 夏に近いこの時期の川べりは、本当に気持ちがいいとリジャールは思った。


 衛兵である彼は今、ローラン新市街の中を流れる川のほとりを巡察していた。


 周囲をぐるりと石造りの城壁に囲まれた人工の街・ローランであるが、市内にはこのような川や運河、堀割が何本も流れている。


 雨の少ない土地柄であるにも関わらず、街のそばを流れる大陸屈指の大河・アンタルヤのおかげで、この街は水資源には事欠かない。


 街ができる前のこの辺りは乾いた岩山だったそうで、城壁を一歩外に出れば、今も当時と同じ荒涼とした景色を眺めることができる。雨が少ない気候で、池や川もほとんどないから水が得られず、草木があまり生えないのだ。それで、荒涼とした大地になってしまう。


 ただ、人工的に水路を掘って大河からの水を流してやれば、その周りには植物が生える。


 リジャールが見ているこの川も、元は人工の水路であるそうだ。大河アンタルヤから水を引き、やがてその水は下水となってアンタルヤに還る。


 その水路の両岸に何十年もかけて植物が繁茂し、やがて自然豊かな川になったのだという。奇妙なことだが、人工の街の中だからこそ、城壁の外よりも自然を感じることができるようになったのである。


 ローラン新市街の中心部は石と粘土で造られた建物が並び、足下も石畳か、強い日差しに照らされて乾燥した赤土ばかりであるから、緑の憩いや涼しい水気に飢えた市民が、特にこの時期の気持ちの良い川縁にやって来る気持ちが、リジャールにはよく分かった。


 彼だって仕事がなければ、汗に濡れた上着を脱ぎ捨てて川に飛び込むか、木陰で鼻歌でも歌いながら木漏れ日に目を細めたいところだ。


 ただ──。


 川べりの水車小屋の近くで、釣り竿のようなものを持って遊んでいる子供達を見つけたリジャールは、大股で彼らに近づいていった。


 衛兵として、安全の注意を行うためだ。


 幸い、彼らは子供たちだけで遊んでいるわけではなかった。引率の大人がいる。


 見知った顔だった。


 褐色の肌をした二十歳前の女性だ。袖丈だけが短いローブのような長い衣服を纏い、首には英雄神オウルの聖印を提げている。


 リジャールは彼女に近づき、声をかけた。


「ファティマさん」


「あら、リジャールさん」彼を見て少し驚いたような顔をした後、ファティマは微笑を浮かべて続けた。「見回りですか? お疲れ様です」


「仕事ですから」そう言って微笑み返した後、リジャールは訊いた。「預かっている子供達をつれて、釣りですか?」


 ファティマが神殿で預かっている子供達を連れている姿を、リジャールはこれまでにも良く目にしていた。


 人々に奉仕をすることで自身も英雄となり、死後に英雄神の一人として神の末席に連なることを目指す彼女たち英雄神の神官は、物語の中の英雄のように人々を助けるための戦いの中に身を投じる者が多い。


 一方で、戦士としての実力に自信のない者は、それ以外の方法で人々に奉仕し、神に認められることを目指す。孤児院や救護院の運営もその一つだ。


 子供好きのファティマは、神殿が運営するこれらの施設の中でも、特に親のいない子供や、故あって預けられている子供たちの面倒を見ていることが多かった。しばらく前に亡くなった彼女の師と呼べる神官も、若いときには孤児院を経営していたらしい。


「ええ。この時期はやっぱり川べりが気持ちいいので」


 めいめいに釣り竿を垂らしている子供達を愛おしげに見つめるファティマ。


 彼女に頷きかけながら、リジャールは言った。


「分かりますよ。やっぱり川遊びは楽しいですからね」


 彼だって、子供の頃は朝から晩まで川で遊んでいたこともある。釣りもいいが、やはり飛び込んで冷たい水の中で泳ぎたいものだと思う。ファティマが子供達にそうさせないのは、水の事故を怖れてのことなのだろうが。


「ただ──」


 そう言ったリジャールの表情に、何か穏やかならぬものを悟ったのだろう。ファティマがはっとした顔をして笑みを引っ込めた。


 リジャールは続ける。


「しばらくは、川遊びは──いや、川に近づくこと自体、避けた方がいい」


 そのことを市民に伝えるために、彼は今日、川のほとりを歩き回っているのだ。


「何かあったのですか?」


 ファティマが眉をひそめた。


 彼女の問いにどこまで答えるべきか、リジャールはしばし逡巡する。まだ衛兵隊からも、お上からも正式には発表されてはいない事柄だ。


 ちらりと、彼は川面に釣り糸を垂れている子供達の方へと目を向けた。釣りに集中しているふりをして、何人かが大人達の会話に耳をそばだてている。


 特に女の子達は、”綺麗な先生”と”若い衛兵さん”の会話に興味津々のようだ。リジャールは故郷に恋人と呼べる女性がいるから、彼女たちが期待するようなことは何もないのだが。


 この子達に話を聞かれて、まだ未発表の事件を変に騒ぎ立てられたくはない。


 かと言って、事実と異なる噂が流れることも避けたいし、いたずらに子供達を怖がらせるのもどうかと思う。


 リジャールがそう懸念するのは、これがどうにも奇妙な様相を帯びた事件だからだ。一歩間違えれば、怪談になりそうな話なのである。


 近頃、市街に流れる川で水妖の目撃証言が相次いでいた。


 それは、白馬のような外見をした魔物だという。普通の馬ではない証拠に、その魔物は川の水の上に立っているという話だ。


 馬に化けて人を誘い、その背に乗った者を水に沈めて食い殺す魔物──ケルピーではないかと考えられた。ローランに伝わる昔話と同じく、目撃例は全て水車の近くだ。


 幸いなことに、その馬を見た者たちは皆、この水棲馬の伝説を知っていた。見た瞬間に大慌てで逃げ出したから、今のところ犠牲者は出ていない。


 ただ、放置しておいたら、そのうちうっかりその背に乗ってしまう者が出かねない。


 魔物退治は騎士団か冒険者に任せるとして、リジャールたち衛兵は市街に流れる川を──特に水車の近くを重点的に巡回して、ケルピーが出現したらすぐに応援を呼べるようにすると共に、川の近くにいる市民に注意喚起を行うことになったのである。


 ただ、まだその馬がケルピーだと確定したわけでもないから、話は少しややこくなるのだ。


 普通の馬を見間違えた可能性だってないとはいえない──無用な騒ぎを避けたいお上はそう考え、”ケルピー出没”という事についてはまだ大々的には喧伝しない方針になったという。


 だから、川のほとりで涼む人々に注意を呼びかけながらも、リジャールの言葉はどうしても歯切れが悪くなってしまう。


 その彼の事情を、ファティマは言外に察してくれたようだった。


「……分かりました。とりあえず、子供達は神殿に帰らせましょう」


「ありがとうございます」


 リジャールは頭を下げた。


 衛兵の中には、「つべこべ言わず、俺の言うことを聞け」というような振る舞いをする者も多いし、詳しい事情を説明できないこの場合には、それも一つのやり方かもしれない。だが、リジャールは昔からそのようなスタイルを苦手としていた。


「それと、」下げていた頭を上げて、リジャールは続けた。「あとで神殿の方に伺うことになると思います」


 そのリジャールの言葉に、ファティマが納得したように首肯した。


「なるほど……。そういうこと、なのですね……」


「ええ」


 察しが良くて、本当に助かる。リジャールは、ファティマの聡明さに感謝した。


 オウル神殿には、過去の英雄の業績が記録として大量に保管されている。英雄になるのに最も手っ取り早い方法は、人々を困らせる邪悪な魔物を倒すことであるから、魔物や怪物の記録も数多い。


 ファティマのように身体能力に劣る者は、その知識と知恵を武器として魔物に立ち向かうべく、日夜これらの記録の研究に勤しんでいるのだ。


 過去にもリジャールは、ファティマの協力を得てこれらの文献を調べ、そこで得た知見を元に事件を解決に導いたことがある。


 だから今回も、ケルピーに関する記録を見せて貰おうと考えていた。


 ファティマもリジャールの言葉から──彼が神殿にやって来るということは、何か魔物がらみの事件が起きているのだろうと、察してくれたようである。


 もう一度子供達の方に目をやってから、リジャールは彼女に言った。


「神殿に帰ったら、あの子達にケルピーのお伽話でも聞かせてやって下さい」


 こう言っておけば、ある程度彼女にも事情が伝わることだろう。


 ──水辺で馬を見つけても、絶対にその背に乗ってはいけない。


 である。


 固い顔で頷いたファティマが、子供達に声をかけようと水辺の方に向き直りかけたときだった。


「ファティマせんせ~い」


 子供達の方から先に、彼女の方に声がかけられた。


 見ると、何人かの子供たちが川面の一点を指さしてざわついている。


「あれ、なに~?」


 ケルピーでも出たかと、一瞬緊張したリジャールであったが、どうもそうではないようだ。


 子供達は川に浮かぶ何かを気にしているが、それはどうやら生き物ではなさそうである。水の流れにプカプカと浮かび、自力で動く気配がない。上に一羽の鳥が止まり、しきりにその何かを突っついていた。


 一旦、緊張を解きかけたリジャールだったが、水に浮かぶその黒っぽいものが何かを悟り、再びその身体が強ばった。


「リジャールさん、あれは……もしかして……」


 ファティマもその正体に感づいたようだ。


 彼女に子供達を下がらせてもらい、リジャールは水際に近づいていった。子供達からの目隠しのために高い藪の陰に隠れながら、暴漢制圧用に持っていた長い棒を使って水に浮かぶ何かを自分の方へと引き寄せる。


 それが近づいてくるにつれ、リジャールは自分の悪い予想が当たっていたことを確信した。


 ガサガサと音がしたので振り向くと、子供達を離れたところに引率し終えたらしいファティマが、様子を見にこちらにやって来ていた。


「リジャールさん?」


「ファティマさん、見ない方がいい……」


 その彼の言葉は少し遅かった。


 注意が間に合わず、そのものを目の当たりにしてしまったファティマが、口元に両手を当てて目を見張った。


 子供達が見つけた水に浮かぶ何かは、人間の水死体であった。


 あとで検分して分かったのだが、その遺体の右上腹部には大きな穴が開いていて、中の臓物が抜き取られていた。まるで、人のはらわたを好む何者かに食い荒らされたかのように。

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