その18 陰謀の黒幕
「レオン、このたびは良くやってくれた。お前のおかげでフェリペ殿も救われ、海賊に無駄な身代金も払わずにすんだ」
サンレモニにあるグスマンの別邸で、侯爵からそう労われたレオンは重々しく頭を下げた。
海竜となったキッドの力を借りて、半日で白骨島まで辿り着いた”紅玉の波姫”号は、ラウル王子の乗る船に無事に追いつくことが出来た。
そこで王子にフェリペとセシリアを引き合わせ、島に上陸して海賊に身代金を渡す必要がないことを説明したのである。
互いの無事を喜び合う三人を見ていたレオンが、ふと白骨島の方に目を向けると、島から一隻の船が離れていく様子が見えた。計画の失敗を悟ったバラクーダが、退散していくところなのだと思われた。
「バラクーダは、その後どうなりました?」
そう訊いたレオンに、グスマンが答えた。
「手配はかけておるが、上手く姿をくらましておるようだな」
いつものことと言えば、いつものことだった。凶悪な海賊として知られるバラクーダは、これまでに何度も手配をかけられている。にもかかわらず、いずれのときも結局は捕縛されずに逃げ切っているのだ。
「まあ、誘拐事件に便乗して労せず身代金を得ようとしただけ──とも言えるからな。卑劣で許しがたいことではあるが、あの者がこれまでに犯してきた罪に比べれば、さほどの重罪でもなかろう」
だから、今回はそれほど強い手配がかかったわけではないと言うグスマンに、レオンは少し違和感を覚えた。
相手が王族でさえなければ、白骨島での一件に関しては、確かにバラクーダのしたことは詐欺の一種に留まる。
だが、そもそもその前の、邪神の神官と結託して教会を襲い、フェリペと神官夫妻を攫っていった件はどうなるのか。
直接に手を下したのはダニーロであるとはいえ、攫われた夫婦は殺されているのだ。教会襲撃の際にも、そこにいた何人もの人間が犠牲になっている。
「その件については、オルレシアの方から通達が来た」
襲撃されたのはオルレシア領内の教会だから、その下手人の裁判権はオルレシアにあるのだ。
「教会を襲撃し、神官夫妻らを攫って殺害した者たちのうち、首謀者のダニーロは既に死んでいる」
それがレオンの功績だということは、オルレシアの者たちも知っているという。
「そして、邪神の神官に協力した海賊は捕らえられ、処罰されたそうだ」
(……ん?)
グスマンの言葉に、レオンは訝しげに彼の顔を見た。
先程、「バラクーダは上手く姿をくらましている」と言っていなかったか──?
「この海賊を捕らえたのもお前だそうだな。オルレシアの者たちも感謝していたぞ」
そう言われて、レオンの困惑はさらに大きくなった。
俺が捕まえた海賊──?
「海賊バラックは、死罪になったそうだ」
(バラック……だと!?)
ダニーロから譲り受けた妖魔を使って漁村を襲っていた海賊の名前だ。それはそれで許しがたい行状だが、フェリペ誘拐は彼の罪ではない。ダニーロに手を貸して教会を襲った海賊は、バラクーダという話ではなかったのか。
「バラックとバラクーダ……。名前が似ているから、聞き間違えられたという話だったな」
「そんな馬鹿な!」
レオンは思わず大声を出していた。いくら何でも、そんな間違いなどするものか。
「レオン……」
立ち上がりかけたレオンを、グスマンが制した。どこか辛そうな、痛ましそうな顔をしていた。
「そういう、ことなのだ……。納得は出来ぬだろうが……」
呑み込め──。
そのグスマンの言葉に、奥歯を噛みしめながらレオンは再び椅子に深く腰掛けた。
これまでにも、何度か同じようなことがあった。
どういうわけかバラクーダは、手配がかかっても常に上手く逃げおおせている。そして彼が身を隠している間に、いつの間にか手配が解かれてしまうのだ。
彼を取り締まるべき者の中に、誰か内通者がいるのだとしか思えなかった。あるいはその者とバラクーダは、レオンとグスマンと同じような関係なのかも知れない。
その者がバラクーダに軍の情報を流して逃げる助けをし、同時に彼の手配や悪行を握りつぶしているのではないかと思う。
そして、今回もきっとそうなのだ。バラクーダの罪をバラックにかぶせることで、事を治めた。
「侯爵……」
腹の中で渦巻く嵐に翻弄されるように、レオンは口を開いていた。
バラクーダという男と、その背後にいる者の危険性をグスマンに訴えかけたかった。
「バラクーダがやろうとしたことは、単なる身代金詐欺だけじゃありませんぜ……」
最初にその懸念を抱いてレオンに話をしたのは、セシリアである。白骨島に向かうルビーウェイベス号の中で、彼女は自身の考えを口にした。
そして、何としても間に合って欲しいと、ラウルを助けて欲しいと彼に懇願したのだ。
「ヤツが、なぜ護衛の船は一隻だけという条件を出してきたのか……」
「自身の安全を考慮すれば、当然のことではないか? 『護衛を付けるな』では、さすがにこちらも呑めぬかと思って譲歩したのであろう」
グスマンの言葉に、レオンは頷いた。最初は、彼もそう考えていた。
だが、
「そもそも身代金の受け渡しに、王子と海賊が直接顔を合わせる必要なんてねえハズなんだ」
無人島か何処かの指定の場所に金を置く。海賊がそれを回収した後、フェリペを解放する。それで良いはずなのである。
バラクーダの手元にフェリペはいないのだから、金と人質をその場で交換するという方法は、最初から選択することが出来ない。それならば、バラクーダとしては直接に金の受け渡しをする理由がないのである。むしろ、そのような方法は避けるはずではないのか。
それなのに、バラクーダはラウルが直接金を持ってくるように指定した。
何故か。
「ヤツの目的は、金じゃねえ」
ラウル王子の方だったのだ。
身代金の受け渡しを口実に、護衛の少ない状態の王子を引っ張り出そうという魂胆だった。
王子暗殺──。
それこそが、バラクーダの真の目的ではないだろうか。
「そんなことをして、バラクーダという者に何の得がある?」グスマンが言った。
王子殺しという大きな罪をかぶってまで得られる何かが、海賊にあるとは思えない。バラクーダには、王子を殺す理由がない。
「ええ……」レオンはまた頷いた。
背後の人間関係をよく知らないセシリアも、そこは分からないと言っていた。
だからここからは、レオン自身の推測だ。
「ヤツが、どうして護衛艦は一隻だけという条件を出してきたか……」
「護衛なしでは、さすがにラウル殿下も白骨島には行かぬであろう」
たとえが本人が行こうとしても、周囲が何としてでも止めるはずである。
「もちろん、それもあるでしょうや……」
船一隻分ぐらいの海兵ならば、自身の手勢でどうにかなるとバラクーダは考えたのかも知れぬ。
だが、それよりももっとリスクの少ない方法があるのだ。
ラウルの船に乗っている者が、自身の内通者であった場合である。もっと言えば、その者がバラクーダに王子を白骨島まで引っ張り出すことを依頼したのではないだろうか。
王子の護衛は自分だけ、という状況を作り出すためだ。
そうすれば楽に王子を暗殺できる上、「王子を殺したのは海賊」とすることで、自身は嫌疑を逃れることが出来る。王子を守りきれなかった責を負うだけですむ──。
「レオン!」
その彼の推察を聞いて、今度はグスマンの方が珍しく大声を出した。
あのとき王子の護衛についていたのは、この地を治める老境のグスマンの名代であり、この地域の海軍司令を務めている男だ。
デルフィーノ子爵──。
グスマンの娘婿である。
「デルフィーノが、そんなことをするはずがない……」絞り出すような声で、グスマンは言った。「そんなことをする、理由もない」
海賊たち同様、王子を殺す動機がない。
そう言ったグスマンの顔をしばらくじっと見つめた後、レオンは口を開いた。
「侯爵……。ベアトリーチェ殿は、侯爵様の実の娘じゃありませんね?」
そのことを、レオンはずっと前から疑っている。だが、グスマンに直接確かめたことはない。
「ベアトリーチェ殿の母上は、侯爵様と結婚されたときに既に妊娠されていた」
「……」
何も答えないグスマンに、レオンはさらに訊いた。
「腹の中の子供の父親は、どなたです?」
「……私だ」
ようやくグスマンはそう言った。
「誰が何と言おうと、ベアトリーチェは私の子だ……。愛するマヌエラが──私の最愛の妻が産んだ娘だ……」
「侯爵と奥様が愛しあっていたのは知ってますし、そこは疑っちゃあいません。ただ、マヌエラ様が再婚だというのも事実でしょう?」
どこか辛そうな顔をしているグスマンに、レオンは言った。
マヌエラが再婚であるということ、彼女の亡夫がグスマンの親友であったということは、彼に近しい者たちの間ではよく知られている話だ。
そして、グスマンがマヌエラと結婚したのは、最初はあくまで同情であり、死んだ友人の妻を庇護することで、死者の心残りをなくすという友情からの行為であったのではないかと、レオンは疑っている。
だが、その名目上の妻を、やがてグスマンは一人の女性として愛するようになった。マヌエラの方も、感謝の気持ちが徐々に愛情へと昇華していった。
最初は偽りの夫婦であったのかも知れないが、やがて二人は本当に互いを愛しあい、領内でも評判のおしどり夫婦になった。彼ら夫婦の愛に嘘偽りはない。
ただ、結婚当初はグスマンとマヌエラの間に男女の愛はなかったのだとすると、結婚の時に既に妊娠していたという彼女のお腹の子供はいったい誰の子なのか。
彼女の先夫との間に出来た子、と考えるのが自然である。
そもそもグスマンは、結婚してもいない女性と──しかも親友の妻である女性と関係を持つような男ではない。例え愛してしまったのだとしても、自分の心に蓋をして身を慎むであろう男だ。
マヌエラと愛しあっていながら、それでも妻との間にベアトリーチェ以外の子供がいないのも、もしかしたら亡き親友に遠慮をしているが故ではないかとすら、レオンは考えている。
だが、その件についてさらに問い詰めるのは控えて、レオンはまた別のことを訊いた。
「奥様の前の旦那……侯爵様の親友だったというそのお人の名前を、教えてはいただけやせんか?」
マヌエラの前の夫が、自身の親友であったということをグスマンは否定していない。しかし一方で、その親友の名前だけはけっして誰にも教えないのである。
彼の若い頃の交友関係を知る古くからの側近たちの中には、事情を知っている者も当然いるだろう。だが、その者たちもやはりグスマンの親友の名前は絶対に口にしない。
事情を知っているが故に、言うことができないのではないかとレオンは考えている。”グスマンの親友”には、それほどまでに何か重大な秘密があるのだ。
やはりと言うべきか、グスマンは何も答えようとしなかった。それを見て取ったレオンは、また別の話題を持ち出す。
「現ヴァロア国王フェルディナンド三世陛下には、兄上がいらしたそうですね」
それは、レオンのような者でも知っている王家の醜聞だ。
本来、ヴァロア国王の地位はフェルディナンド三世ではなく、その兄が継ぐはずであった。しかし彼は、成人するとまもなく国王の嫡男という地位を捨てて王宮を出奔してしまう。
お忍びの休暇の際に知り合った平民の女性と愛しあい、駆け落ちしてしまったのだ。
それで、王位は弟であるフェルディナンド三世が継ぐことになった。
「そのお人が、その後どうなったのかは知りやせんが、ただ……」
フェルディナンド三世の兄王子は、まだ子爵であった頃のグスマンと懇意にしていたという。彼のお忍びの休暇に付き添ったのもグスマンだ。
「いくら死んだ親友の妻を放っておけなかったのだとしても、偽りの結婚までして庇護するのはさすがに普通じゃありやせん」
金銭的な援助に止まらず、どうしても自分の目の届くところに庇護しようというのであれば、例えば城の住み込みの女官として取り立てるなどすればよい。
「だが、マヌエラ様を庇護すると同時に、そこに何か隠さねばならない事情があるのなら話は別だ」
だからグスマンは、マヌエラが妊娠していることをあえて明かした上で、亡き親友の妻である彼女と結婚すると喧伝したのだ。
未亡人との婚外交渉で子供が出来てしまった責任をとる、と──そのようにグスマンの醜聞だとして、詳しい事情を探ろうとする者には侯爵家の名誉を守るために厳しい措置をとると脅し、マヌエラの素性が広く知られるのを防いだ。
同時に、彼女のお腹の中の子供はグスマンの子供なのだとすることで、その子の素性も隠したのである。
あるいはそれは、グスマンの親友の願いであったのかも知れぬ。産まれてくる子供が、将来余計な争いに巻き込まれないで欲しいという、死にゆく父親の最期の願いだ。
なぜならその男は、自ら王位を捨て去った者なのだから。
だがその願いも虚しく、無事に成長したその娘の本当の父親の名が、彼女の夫の耳に入ってしまったのだとしたら──。
「フェルディナンド三世の子供は、ラウル王子だけだ」
しかしそのラウルが死んでも、王家の血が途絶えてしまうわけではない。
ベアトリーチェがいる。
レオンの推測が正しければ、彼女は現王の姪にあたるのだ。その血筋が公表されれば、王位継承権の第二位につくことになる。
ただ、ヴァロア王国では女王は認められていない。もしも直系の男子がいない場合、最も王位継承権の高い女性の伴侶が、夫婦に息子が生まれて成人するまでの間、暫定的に王位に就くことになっている。
「つまり、今もしもラウル王子が死ぬようなことがあれば、次の王は──」
「それ以上は……言わないでくれ」
レオンの言葉を遮るようにグスマンは言った。苦渋の表情をしていた。
そんなことは──デルフィーノ子爵には、ラウルを暗殺するこれ以上ないほどの動機が存在しうるということは、レオンに言われなくともグスマン自身がよく分かっている。
そして、娘婿が愛想の良い笑顔を振りまきながら、陰で毒の刃を何の躊躇いもなく誰かに振り下ろせるような男であることにグスマンが気づいたのは、娘をその男に嫁がせてしまった後のことだ。
娘婿のどす黒い野心に気がついても、もはや後の祭りだった。
グスマンには、ベアトリーチェ以外に子供がいない。リヴォーリ侯爵家にとっても、跡取りとなりうる者は彼女だけだ。
そしてお隣のオルレシアと違って、ヴァロアでは女性の爵位相続が認められていない以上、例え毒刃を振り回すような男であっても、娘婿であるデルフィーノに侯爵家の将来を任せるしかないのである。
苦悩するように椅子に深く腰を沈めたグスマンは、実年齢よりも十歳以上は年をとっているように見えた。
会見は終わりと感じたレオンが立ち上がって深々と礼をしたとき、ぼそりとグスマンが言った。
「レオン……お前が息子であれば、どんなに良かったか……」
もしも、グスマンに嫡男となる息子が他にいれば……。
そうでなくとも、ベアトリーチェの夫がレオンであったのならば──。
床を見ながら、レオンはその言葉を深く噛みしめていた。
目を輝かせて彼の話を訊いていた貴族令嬢の可憐な顔が、脳裏にまざまざと蘇ってくる。
下げていた顔を上げてグスマンを見、そしてレオンはあえて下賤な口調で言った。
「ありがてえお言葉ですが……俺は、そんな大層なモンじゃございやせん」
自分はしがない海賊出身の男だ。とてもベアトリーチェと釣り合うような身分ではない。グスマンを義父と呼べるような、立派な男でもない。
ただ、自分は貴族ではないからこそ──グスマンの正規の配下ではないからこそ、出来ることもある。
(デルフィーノ子爵──)
踵を返して扉に向かいながら、レオンは拳を固く握りしめた。
もしも彼が、あまりにもグスマンやベアトリーチェを哀しませ、苦しませるようならば──。
胸の奥に冷たい炎を宿して、レオンは領主の館を後にした。




