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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第五話 南の内海の陰謀
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その15 邪教神官との対決

 ガシィィィイィッ!


 キッドが矛を横にして、襲い来る二つの狼の頭を同時に受け止めた。


 出来た隙を逃さずに突き出されたギムザの槍が、巨犬の身体に突き刺さる。急所を一突きとはいかなかったが、槍の抜かれた痕からは、ボトボトと赤黒い血が床に垂れ落ちていた。


 バリリィィィイッ!


 大犬の二つの顎門を受け止めていたキッドが、矛に電流を流した。


「ギャワンッ!」


「ギャウゥンッ!!」


 弾かれたように、矛を放すオルトロスの二つ口。


 頭のほうは二人に任せ、レオンはオルトロスの側面から尻の方へと動き、ぐぐっと沈み込んだ犬の後ろ足に曲刀の一撃を与えた。


 身をよじり、彼を振り払うように身体を当ててくるオルトロス。


 巨大な犬の体当たりをよけるため、一度下がって間合いを取ったレオンは、もう一度曲刀を構えながらチラリと通路の奥を見た。


 剣を抜き放ったエレナが、今まさにダニーロに肉薄せんとするところだった。華麗な女剣士の持つ小剣が、通路の灯りを反射してキラリと光る。


 見る限りダニーロは、鎧のようなものは何も身に着けてはいなかった。小剣を受け止められるような武器も手にしてはいない。よほど身体能力に長けていない限り、電光石火で繰り出される彼女の連撃を素手でかわしきるのは無理だろう。


 エレナが邪神の神官を倒すのは時間の問題のように思われた。


(そっちは任せたぜ、エレナ!)


 目の前の敵へと視線を戻し、レオンは曲刀を振り上げた。


 オルトロスは強敵だが、こちらも地の利と数の優位を生かして優勢に戦いを進めることが出来ている。


 このままギムザやキッドと連携して攻撃を加え続ければ、勝利は間近だろう。


 オルトロスの尻に、また深々とレオンは刃を食い込ませた。


「ギャウゥゥッ!」


 苦痛の声を漏らすオルトロス。


 魔犬の首筋から無数の蛇が長く伸びてくる。大きく口を開き、毒牙を剥き出しにして次々と襲いかかってくる蛇たち。


 レオンが素早く曲刀を戻して、その蛇の群れを薙ぎ払ったときだった。


「きゃあぁぁぁーーーっ!!」


 突然に、悲鳴が聞こえてきた。


 女の声だ。


 エレナがいる方向から──。


 思わずそちらの方に顔を向けて、レオンは見た。


 片手で胸の聖印を握りしめ、もう片方の手を前方に伸ばしたダニーロの前で、エレナが、がっくりと地に両膝をついていた。


 大きな傷を負っているようには見えなかったが、脱力し、両手をぶらりと身体の横に垂れ下げている。遠目にも、その彼女の両腕が真っ黒い色に変わっているのが見えた。


 何か黒いもので覆われているわけではなく、流れ出た血が黒く見えるわけでもない。皮膚の色自体が変わっていた。彼女の白い肌が、黒く変色しているのだ。


 虚空を見上げていたエレナの顔が、ガクリと力なく項垂れる。


「エレナぁあッッッ!!」


 レオンの叫びに気づいたダニーロが、こちらを向いてニタリと邪悪な笑みを浮かべた。


 ──この私をなめるな。


 レオンを見るダニーロの目が、そう言っている。


 彼らは、この男を侮っていたのだ。自分ではまともに戦おうとせず、隠れ潜んだり、逃げに転じてばかりしていたから、ダニーロ自身には戦闘力があまりないのだと決めつけていた。


 だが、その考えは間違っていた。


 確かに肉弾戦闘は苦手なのかもしれないが、ダニーロは腐っても邪神の神官である。邪法の術を使うことができるのだ。


 そして光の神々と違い、邪神の与える奇跡には、ヒトを傷つけ、苦しませるためのものが多い。


 いざとなればその邪神の奇跡を使い、自分の身ぐらいは自分で守れる自信があったからこそ、彼はあの浜で、妖魔達の護衛を付けずにレオン達の前に姿を現したのだ。


 後悔の念に、レオンは唇をぎゅっと噛みしめた。


 彼はダニーロと間近に会っていながら、その力量を量り間違えていた。貼り付いたような笑顔の裏に潜む、危険な毒牙に気がつかなかった。


 だから、エレナを一人でダニーロの元に向かわせてしまった。非凡な剣士である彼女なら、一人で十分だろうと判断してしまったのだ。


 そしてその結果、エレナはダニーロの邪悪な護法の餌食にされた──。


 レオンの全身の汗が、一気に冷たいものに変わった。心臓を鷲掴みにされたような気分に陥っていた。


 ──お前の大事な女を殺してやったぞ。


 こちらを見て酷薄な笑みを漏らしている邪神の神官に、そう言われたようにレオンは感じた。


 エレナの身体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちていく──。


「提督! ここは我々に任せて! 彼女の元に!」


 半ば呆然としていたレオンは、ギムザの叫びにはっと我に返り、エレナの方へと走りはじめた。


「レオンさん!」


 ターニャが、こちらに向けて何かを投げよこしてくる。


 走りながら掴むように受け取ると、それは真っ赤に光る宝石だった。カーバンクルの額の宝石だ。


(エレナ!)


 レオンはもう一度エレナの方に視線を戻した。


 倒れ伏す彼女に、短剣を抜いてとどめを刺そうと近づきかけていたダニーロが、レオンの接近に気づいて、逃げようと背を向けたところだった。


「エレナ!」


 踵を返して洞窟の奥に向かったダニーロに構わず、レオンはまずエレナの元に駆け寄った。


 抱き起こした彼女の肌は、いつの間にか首筋まで真っ黒く変わっている。


 最悪の想像に背筋が一瞬ぞっとしたが、幸いなことにエレナの胸はかすかに上下していた。


 まだ、息はある──。


 そのことに少しほっとしながら、レオンはエレナの様子を観察した。


 徐々にではあるが黒く変色を続けている彼女の肌は、ひどく汗ばんでもいた。呼吸は弱々しく、ゼイゼイといかにも苦しそうだ。抱き起こして触れた彼女の身体からは熱も感じた。病を得たときのように体温が上がっている。


 エレナのその様子は、まさに重病に冒されている者のそれだった。


(黒死病、というやつか……?)


 そうレオンは考えた。


 疫病の蔓延は、邪神の十八番である。


 邪神を奉じる者たちは、しばしば疫病の原因を各地に振りまいて人々を苦しめる。その神官ともなれば、ヒトを直接的に発病させる奇跡も与えられているに違いない。ダニーロが使ったのは、まさにそういう術なのだろう。


(頼む!)


 心の中でそう願いながら、レオンはターニャから渡されたカーバンクルの宝石をエレナに握らせた。


 彼女の指に自身の掌を重ね、赤い石を包み込むように持たせる。


 その途端、宝石が赤く眩く輝きはじめた。


 見ると、回廊の向こうでセシリアが、カーバンクルの本体を抱いて必死に祈りを捧げていた。フェリペも彼女の腕に手を添え、やはり目を閉じて祈りの言葉を呟いている。


 太陽神の神官二人が、神獣の額の宝石を通じて治癒の奇跡を届けてようとしてくれているのだ。


 レオンの腕の中で、少しずつエレナの呼吸が穏やかになっていくのが分かった。


 皮膚の変色も、どうやら進行が止まったようである。さすがに遠隔からの術の行使では、病を完全に治すには至らないようだが、少なくとも進行は食い止めてくれた。カーバンクル自身の加護の力もあるから、一命は取り留めただろう。


 全身の力が一気に抜けかけたレオンだったが、次の瞬間に湧いてきたのは、ふつふつとした怒りだった。


 奥歯を噛みしめながら顔を上げ、彼女をこんな目に遭わせた男の方へと目を向ける。


 ダニーロは、開いたままの扉をくぐって洞穴の奥へと走り去ろうとしていた。向かう先には薄暗い回廊が延び、突き当たりに少し大仰な扉が見える。おそらくは、あれが秘密神殿への入り口だ。邪神の神官は、その扉の方へと逃げようとしていた。


 エレナをその場に寝かせ、レオンはダニーロを追って走り出した。


 立ち上がるとき、咄嗟に彼はエレナの小剣を掴んでいた。


 扉に取り付いて引き開けようとしているダニーロに、レオンは走りながらその剣を力一杯投げつけた。


 切っ先を邪神の神官の方に向け、投げ槍のように真っ直ぐに小剣が飛んでいく。鋭い先端が、狙い違わずダニーロの背中に突き刺さる。


「ぐあぁぁっ!」


 もんどり打ってダニーロが倒れた。


 苦痛に呻きながら必死に背中に刺さった小剣を抜いた後、邪神の神官は片手を胸の聖印にあてて何事かをブツブツと呟きはじめる。


 と、彼の背中の傷がみるみるうちに塞がっていった。


 邪神の信徒とは言え、彼も神官だ。治癒の奇跡を使えるのである。


 傷を癒やし、膝をついて立ち上がりかけたダニーロの目が、ふと自身を傷つけた小剣の方へと向けられた。


「忌々しい!」


 そう叫んだダニーロが、小剣に向かって印を切った。次の瞬間、銀色に光っていた剣がみるみるうちに腐食していく。その剣を拾い上げ、ダニーロが膝に当ててボキリと折る。


 その一連の動作が、ダニーロにとっては余分だった。傷が治ると同時に立ち上がり、扉を開けて走り出すべきであったのだ。


 彼が怒りにまかせて小剣を破壊したそのわずかな時間のおかげで、レオンはダニーロに追いつくことができていた。


 まだ地に片膝を突いているダニーロの目の前に、ドンと、殊更に大きな足音を立ててレオンは立ちはだかった。


 ゆるゆると、ダニーロがレオンを見上げる。


 先へと続く扉はまだ開いていない。その扉を開けようとすれば、レオンに背中を見せることになる。


 退路を断たれた邪神の神官が、憎悪と恐怖の入り交じった目でレオンを見た。


 抜き身の曲刀を手に持って、レオンはそのダニーロを見下ろした。


 背後から、魔獣の断末魔の声が聞こえてきた。


 ギムザの槍かキッドの矛が、双頭の魔犬にとどめを刺したのであろう。


 ズゥゥウンと、魔物の巨体が地に倒れる音がする。


 複数人が駆ける足音も聞こえてきた。誰かが──おそらくはセシリアとフェリペが、エレナの治療をするべく彼女に走り寄っているのだろう。


 それらの音を背後に聞きながら、努めて静かな口調でレオンは言った。


「俺は、人殺しは好かねえ……」


 提督(アドミラル)レオンは、必要のない殺しは決してしない。敵であっても、できる限りとどめは刺さずに命を永らえさせる。


 それは、彼を育ててくれた大恩ある海賊から受け継いだ信念だ。


「だが……」


 怒りに燃える目で、レオンはダニーロを見下ろした。


 邪神の神官となった時点で、この男は太陽神(ソレイユ)の子ともいうべき人間であることを捨てている。


 妖魔を海賊に与えて多くの人々を殺させ、フェリペと共に攫われた神官夫婦をはじめ、たくさんのヒトを残酷な儀式の生け贄にしてきた。


 もしもこの男を生き長らえさせたら、この先、何人もの人間が代わりに命を落とすことになるだろう。


 一歩間違えれば、エレナだってこの男に殺されていたのだ。


「お前は……許すわけにはいかねえッ!」


 そう言うと同時に、レオンは邪神の聖印に手をやりかけたダニーロの脳天めがけて曲刀を振り下ろした。

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