その13 邪教の番人
邪教のアジトの玄関前で立ち往生していたレオン達は、ものは試しにと通路を塞いでいる岩を押してみることにした。
この岩は、どう考えても彼らが押したぐらいで動くようには、レオンには思えなかったが、さしあたり今は他に考えられる手だてがない。
キッドの言うように、重そうなのは見た目だけで、実は簡単に動くようなものであれば儲けものだ。例え動かなくても、「そりゃそうだよな」ですむから、失うものは何もない。
レオンをはじめ、力に自信のある者たちが腕をまくって岩の前に集まった。
「行くぞぉおっ!!」
かけ声とともに、レオンは岩に当てた手に全身の体重を乗せて力一杯に押しはじめた。
彼の太い腕の筋肉が、ぐぐっとさらに盛り上がる。
だが、どんなに力を込めても岩はびくとも動かなかった。
岩から手を離し、それ見ろという目で、レオンは言い出しっぺのキッドを見た。
「この岩を人の力だけで押すのは、無理ではありませんか?」
少し呆れたようにセシリアも言った。
「何か、仕掛けがあると思うのですけど……」
「調べた限りは、何もなさそうですけどねえ……」
トマソンが岩の周囲を歩き回って、何か見落としがないかともう一度観察をしはじめる。
「面倒だなあ……」
頭脳労働の苦手なキッドが、口を尖らせながら言った。
「ぶっ壊せないかなあ」
どうやって──? とレオンが訊く前に、キッドが矛を構えた。
さすがに、ただ単に矛で突いたくらいでは岩を砕けないということは、彼女も承知しているのだろう。キッドが構えた矛の先端では、バチバチと火花が散っていた。電撃を叩き込むつもりなのだ。
(無駄だとは思うが……まあ、やるだけやってみな)
心の中でレオンが呟き、キッドが青い火花を放つ矛を岩に向けて突き出したときだった。
突然にレオンは、背中にぞくりとする寒気を覚えた。
(なんだ……?)
その正体に彼が気づく前に、切羽詰まったようなセシリアの叫び声がした。
「キッドさん!」
そしてレオンは見た。
キッドの目の前にある岩が、ひとりでに動いていた。
岩陰になっていた部分が彼女の方に向けてぐぐっとせり出し、矛に触れた途端、がしりと掴むようにその柄を包み込む。
それはまさに、ヒトの手が棒を掴んでいるかのようだった。
「うわわっ!?」
人の腕の形をした岩がさらに動き、掴んだ矛をキッドごとひょいと放り投げる。
キッドが器用に一度宙返りをして着地したとき、岩の最上部には頭らしき丸い塊が持ち上がってきていた。
言葉も出ないレオンの目前で、ぐぐっと岩が上に浮かび上がる。レオン達からは見えていなかった裏側に、折りたたまれるように両足があったのだ。
レオン達が大岩だと思っていたのは、石の体をした巨人の背中であった。こちらに背を向け、膝を抱えるようにして座っていたのである。
「なんだ……こいつは?」
呆然とレオンが呟いたとき、頭上で何かが動くような空気の揺らぎを感じた。
「レオンさん!」
またセシリアの叫び声。
レオンの頭上から、大きな岩の塊が振ってきていた。
咄嗟に飛び退いてそれをよけるレオン。
彼の頭上を襲ったのは落石ではなく、握りしめられた巨人の拳だった。キッドの前にいるのとは別の石巨人が、レオンの前に立っている。
巨人は、一体だけではなかったのだ。二体いた。それが寄り添うようにしてうずくまり、ひとつの大岩のふりをして通路を隠していたのである。巨人の背後には、先へと続いているのだろう洞窟が、黒々と口を開けていた。
目の前に立つ石の体の怪物を見て、誰にともなくレオンは呟いた。
「ゴーレムというやつか?」
よく古代遺跡の守護者として現れる、魔法の力で動く石像の話は彼も聞いたことがあった。素材が石なのだから、動き出すまでは大岩に偽装できるだろう。
「違います!」
そのレオンの言葉をセシリアが否定した。
石の体を持つ巨人の頭には、二つの目があった。ギョロリと動いてレオン達を睨めつけるその動きは、この怪物が魔力で動く人工物などではなく、生き物であることを如実に物語っている。
ニタリと、石巨人の顔の下半分にある裂け目も動いていた。わずかに開いたその向こうには、石筍のように何本もの乱杭歯が見える。この怪物が、”何か”を喰う者であることの証明だ。
セシリアが言った。
「これは……ロック・トロールですわ!」
「トロールだと!?」
それでレオンは納得した。
ダニーロは魔術師ではない。邪神の神官だ。
そしてトロールは、光の神々の創りし生き物を滅ぼすために、邪神が生みだした邪妖精である。妖魔と並ぶ、代表的な邪神の眷属だ。目の前の魔物がトロールの一種ならば、ダニーロが儀式で呼び出したものと考えて辻褄が合う。
油断なくトロールの出方を窺いながら、レオンは周囲の状況も素早く確かめた。
彼を襲った石の拳の風圧で倒れた船員の一人を、別の船員が助け起こして後ろに下がらせている。セシリアが、その船員の近くに駆け寄っていくのも見えた。負傷の程度を確認し、必要があれば≪治癒≫の奇跡を使うつもりだろう。
体勢を立て直したキッドは、再び三つ叉の矛を構えてトロールと対峙している。
「このぉぉおっ!」
キッドが、トロールに向けて思いきり矛を突き出した。
ガギィイィィィンッ!!
硬いもの同士がぶつかる音。
矛は、ロック・トロールの胴の真ん中に命中していた。これがただの巨体の魔物なら、致命傷になっていたかもしれない。
だが、ロック・トロールの身体は石そのものだ。キッドが突き出した矛の先端は、固い石を貫き通すことができずに弾かれていた。
それを見たレオンは、持っていた曲刀を床に落とし、代わりに腰に下げていた手斧を抜いた。石の体にどこまで通じるかは分からないが、曲刀よりはまだしもこちらの方がいいだろう。
「ウラアァァァッ!!」
振り上げた手斧を思いきりトロールの身体に叩きつける。
ガヅゥウゥゥゥンッ!!
「ぐっ……!」
斧の刃が命中した瞬間、レオンは思わず顔をしかめた。衝撃が斧の柄から腕に伝わり、ビリビリとした痺れが走る。岩を斧で殴りつけたようなものなのだ。
飛び散る石の破片。
レオンの斧の一撃を受けた場所に亀裂が走る。
だが、それだけだ。致命傷にはほど遠い。
横では、キッドが矛を通してトロールに電撃を送り込んでいた。
彼女の持つ金属製の矛の周囲に青い火花が走る。だが、石の体は電気を通さない。キッドの必殺の技も、ロック・トロールに対する効果は限定的だ。
「くそったれ!」
レオンは再び手斧を振り上げた。同じ場所を何度も殴り続ければ、それなりの痛痒を与えられるかもしれない。
そうしながらも、頭の中ではどうすればこの石の体を持つ巨人を倒せるかを検討し続けていた。
ロック・トロールに二撃目を叩き込み、相手の拳の反撃を交わしながら三撃目を加えようと、また斧を振り上げたときだった。
「皆さん、目を閉じて!」
背後から声が聞こえた。セシリアの声だ。
えっと思った次の瞬間、背中越しに強烈な光が辺りを照らした。レオンのすぐ前に、彼自身の体が作る黒い影ができている。
同時に、レオンは背中にじりじりとした熱気を感じていた。熱くはあるが、不快とまでは言えない独特の熱──。まるで船の甲板上で浴びる、真夏の太陽のような熱気だった。
気がつくと、目の前のトロールは動きを止めていた。彼の相手だけではない。キッドの前にいたトロールも活動を停止している。
爛々と邪悪に輝いていた四つの瞳は、今はただの石の窪みに変わっていた。
何が起きたのかと背後を振り返りかけたレオンは、あまりの眩しさに思わず目を細めた。
「まともに見るのは、やめた方がいいですわよ」
聞こえてくるセシリアの声に、片手で目の上に庇を作りながら彼女の頭上を見る。
天井のすぐ下に、丸く輝く光の球が浮かんでいた。ランプや松明の炎などではない。白いのに熱を有したその光は、セシリアに言われるまでもなく、とても正視できない程の眩い輝きを放っている。
あれは、まるで──
「ソレイユ様の御身を模した光です」
セシリアが言った。
太陽神の神官が使う奇跡──小さな疑似太陽を作り出す魔法だ。
暗い洞窟の中が、まるで昼間の屋外のように明るくなっていた。
固い石の体を持つロック・トロールの唯一の弱点は太陽である。日の光を浴びると、その体はたちまちのうちに本物の石になってしまう。だからこのトロール達は、荷物を運び入れるために洞窟の外には出てこなかった。
まともに戦えば手強い魔物であるロック・トロールだが、太陽神・ソレイユの神官にとっては怖ろしい相手ではない。
彼女たちの生み出す疑似太陽の放つ光は、本物の日の光と同じ性質を有しているから、ロック・トロールのような太陽に弱い魔物にとっては、まさに天敵と言える存在なのだ。
──セシリアを連れてきて正解だった。
もう一度、石になったトロールの方を見ながら、レオンはそのことを痛感していた。
彼女のおかげで楽勝と言っても良い結果になったが、セシリアが術を使うまでは、レオンもキッドも正直、この固い石の体にてこずっていた。もしも彼女がいなかったら、彼らはトロールを倒せず、ここで全滅していた可能性すらある。
疑似太陽の光にじりじりと照らされて浮かんでいた背中の汗が、一気に冷たいものに変わったようにレオンは感じた。
文字通り、太陽神のご加護に感謝──である。
「さすがに、少し暑すぎますわね……」
苦笑しながらそう言った後、セシリアが両手を組んで太陽神に感謝の祈りを捧げた。彼女の頭上の光球が消え去り、辺りはまた暗い洞窟に戻る。
どうやら、明るさや熱量を調節するような器用なことはできないらしい。それができれば、松明やランタンなどは必要なくなるのだが……。
船員の一人から松明を受け取り、レオンは石になったトロールの背後に回った。
その足下にいたはずのカーバンクルの姿は、いつの間にか消えている。いち早く先に進んだのだろう。レオン達もグズグズしてはいられない。
松明を掲げ、レオンは通路の先を覗き込んだ。
天然の洞窟に、崩れないように補強を施してある通路のようだった。地面も平らに整形されていて、明らかにヒトの手が──おそらくは、コボルトの手が入っている。洞窟の両脇には、間隔を開けて灯火が据え付けられていた。
少し曲がりくねりながら伸びる通路の突き当たりには、扉のような物が見えた。そこに行くまでの途中に、いくつかの分かれ道もあるようだ。
レオンが通路を覗き込んだとき、ちょうどその分かれ道の一本から、誰かがひょっこりと顔を出してこちらを見ていた。
肩口までの長さの美しい金髪。どんなに日差しの強い船上で活動しても、不思議と日焼けすることのない白い肌──
「エレナ!」
思わずそう叫んで、レオンはこちらを窺うように顔を出していた女剣士の元に歩み寄った。
「レオン?」
彼女もこちらに気づいて、角を曲がって近づいてくる。なんだか、少し歩きにくそうにしていた。
怪我をしているのかと心配になったが、どうやらそうではないようだ。彼女の背中には、なぜだかぴっとりとノーム族の少女がしがみついていた。エレナが歩きにくそうなのは、そのせいだ。
「提督……」
エレナの後ろにはギムザがいた。白い髭を生やした老人を護るようにして歩いている。
あの老人は──
「フェリペ様!」
レオンの背後から、涙混じりの声がした。セシリアだ。
「おお……セシリア」
口を開く老人に、目に涙をいっぱいに溜めて、セシリアが駆け寄っていった。




