その11 カーバンクル
邪教の神官の住む島に再び上陸したレオン達は、ダニーロの住む洞窟に向けて一直線に突き進んだ。
洞窟の入り口に歩哨として立つゴブリンを、キッドの雷撃とトマソンの投げナイフで遠距離から倒し、そのままなだれ込むように洞窟内へと攻め込んでいく。
迎撃に出てきたのは、ほとんどがゴブリンであった。洞窟の奥から泡を食ったようにやって来る妖魔達を次々になぎ倒しながら、レオン達は奥へと進んでいった。
洞窟の内部は、ほぼ自然のままであった。そのため、あまり特殊な仕掛けはないように思われたが、それでも落とし穴や落石といった罠が存在する可能性は充分にある。
そこでレオンは、先頭近くに斥候であるトマソンを配置して、罠の看破に専念させていた。だが、幸いなことに罠らしい罠もなく、彼らは順調に洞窟の奥へと攻め入っていくことが出来た。
向かってくるゴブリンたちも三々五々という感じで、あまり組織だって抵抗してくる様子はなく、レオンは指揮官不在の軍隊を相手にしているような印象を受けた。
彼らを指揮する立場のはずのダニーロには、おそらくあまり戦闘経験がないのだろうとレオンは思った。
だから教会を襲撃するとき、彼は海賊の力を借りた。アジトの防衛も、おそらくは儀式で得た妖魔達を適当に送り出してきているだけだ。防御のための準備を事前にしていたような様子も、あまり見られない。
群れで暮らすゴブリン達には普通、体の大きなゴブリンとか、呪術や邪神の奇跡を使えるゴブリンが族長として他の妖魔達を束ねていることが多い。
だが、ここのゴブリン達はダニーロが儀式で無作為に呼び出した者たちだ。おそらく、そのようなリーダーとなり得る妖魔をダニーロはまだ得てはいないのだろう。だからゴブリン達は、組織だった防衛ができないのである。
その結果、レオン達は思いのほか楽に洞窟を制圧することができた。”紅玉の波姫”号の乗員側に犠牲者はいない。刀傷を負った者はいたが、同行してきたセシリアがすぐさま癒やしの奇跡で治してくれた。
問題が生じたのは、洞窟内の妖魔を全滅させた後のことだった。
「提督、やはり行き止まりです」
困惑したように首をかしげるトマソンの報告に、レオンも顔をしかめた。
ここまで、洞窟の中にはいくつかの分かれ道があったが、それらは何処も行き止まりであった。最奥と思われた場所も同様である。そこで、まだ探っていない分かれ道まで戻ってみたのだが、ここにも先へと続く道はない。
それなのに、洞窟内にはダニーロもフェリペもいなかった。先に侵入したはずのエレナ達の姿も、レオンがダニーロに売った食料の木箱や水瓶も見当たらない。
「洞窟を間違えたか……?」
呟いたレオンに反論したのはトマソンだった。
確かにこの洞窟の中に、木箱や水瓶が運び込まれるのを見たのだと、彼は言う。
「じゃあ、その木箱はどこにあるんだ?」
中に潜んでいたエレナ達も──。
トマソンが言葉に詰まって黙りこくった。
彼も含めて、レオン達は一時的にこの島を離れている。その間に、木箱がこの洞窟から運び出されて別の場所に移された可能性もないとは言いきれない。
一度洞窟を出て、島の別の場所を探すか──。
レオンがそう考えたときだった。
彼らの傍で会話を聞いていたセシリアが、口を開いた。
「私は、トマソン様が見間違えたわけでも、木箱が他に移されたわけでもないと思いますわ」
別にトマソンや彼女たちを責めるわけでもないのだが、つい睨むような目つきになってしまったレオンに少しも動じず、セシリアは続けた。
「どこかに、必ず秘密の通路があるはずです」
「どうしてそう思う?」
そう聞いたレオンに、倒れ伏す妖魔達を指さして彼女は言った。
「彼らは、どこから来たのでしょう?」
「そりゃあ、ダニーロの奴が邪教の儀式で呼び出して……」
セシリアが首を横に振った。
「そういう意味ではなくて……」
どこに待機していて、レオン達の襲撃に気づいてわらわらと出てきたのか。
「そりゃあ、この洞窟の中だろう」
洞穴の入り口から侵入した彼らは、一度も背後から襲われるようなことはなかった。妖魔達は皆、洞窟の奥から向かってきた。
セシリアは頷いて言った。
「では、彼らはここで何をしていたのでしょう?」
「何を、って……」レオンは困惑した。
彼女がどういう意図でこんな問答を仕掛けてきているのか、まったく見当がつかなかった。
それでも彼女の問いかけに答えようと、レオンは入り口からここまでの洞窟内の様子を思い起こしてみた。
妖魔達が、彼らを迎え撃つ以外の何かをしている様子はなかったように思う。洞穴内には工事とか、穴を掘っているような様子もない。完全に自然のままの洞窟だ。
「彼らがいつもは他の場所にいるのだとしたら、いったい何をしにわざわざこの洞窟までやって来たのでしょうか?」
入り口にずっと歩哨を立てていたのだから、特に目的もなくぶらりと立ち寄ったということはないだろう。一度に襲ってくる妖魔の数は散発的であったが、総数にするとかなりの数の妖魔がここには居た。
この妖魔達が普段は別の場所にいるのだとすれば、何か明確な理由があってこの洞窟に集まってきたことになろう。
だが、その理由が分からない。
可能性があるとすれば、レオン達の襲撃に備えての待機となるだろうが、それならば、もう少し何か迎撃のための準備をしていたはずである。
レオン達が急襲をかけてからの敵の様子は、いかにも不意打ちを受けたという感じだった。
「こいつらは、ここに住んでるんじゃないんですか?」
不思議そうにそう言ったのはトマソンだ。
妖魔が「普段は別の場所にいる」と仮定するから、では何故ここにいたのかという謎が発生する。素直に、ここが妖魔の住処だと考えてはいけないのか。
「そこです」得たり、とばかりにセシリアが言った。「では、彼らはこの洞窟内のどこで食事をし、どこで睡眠を取っているのでしょう?」
レオンは、雷に打たれたような気分になった。
邪神の眷属の中には、食事も睡眠も必要のない魔物がいる。光の神々が創り出した生物の常識は通用しないのである。
だが、ゴブリンやコボルトに限って言えば、生物としての性質は比較的ヒトに近い。ソレイユが創り出した人間達を参考に、あるいは捕らえたヒューマノイドを改造して創り出された者たちではないかという賢者もいるほどだ。
つまり、ここが妖魔たちの住処であるのなら──彼らだって食事や睡眠は必要なのだから、必ず何処かにその日々の暮らしの痕跡が残るはずなのである。
だが、それがない。
ここは本当に、自然のままのただの洞窟だ。ヒトや妖魔が中で暮らしていたという痕跡は皆無である。
「この妖魔達は、普段は別の場所で生活しているという可能性は、先程検討しましたわよね?」
セシリアが言った。
その可能性を潰すために、彼女はあんな迂遠な質問をしたのだ。
妖魔はこの洞窟内に住んでいる。だが、これまで彼らが通ってきた場所で暮らしていたわけではない。
ということは──。
「こいつらの住処は、この奥か……」
唸るようにレオンは呟いた。
だからセシリアは、「どこかに必ず秘密の通路がある」と言ったのだ。妖魔の住処は──邪教の巣窟はその奥にある。レオン達はまだ、その玄関口にすら辿り着けてはいなかったのだ。
「だが、どこに……」
レオンの心に、焦る気持ちが湧いてきた。
いま自分たちがいる洞窟のこの部分にはダニーロの手が入っていないということは、ここは島の他の場所──林や砂浜と、本質的には変わりがないことになる。玄関口どころか、庭先にすらレオンはまだ辿り着けていない。
つまり、ここでグズグズしていては急襲は失敗なのだ。
ダニーロは、レオンの襲撃にはもう確実に気づいているだろう。彼らがここで足止めをくらっている間に、今頃は善後策でも練っているに違いない。
フェリペを人質に立て籠もられることを危惧して、レオンは少数精鋭の先遣隊を送り込んだ。ダニーロがフェリペを害そうとしても、しばらくは彼らが守ってくれるだろう。
だが、邪教の神殿に、あとどれほどの戦力が残っているのかが分からない。もしも多勢に無勢ということになれば、先遣隊の中から誰か犠牲者が出てしまうかもしれない。
そうなる前に敵の本拠に攻め込みたいところだが、いまから洞穴内の壁や天井をくまなく調べるとなれば、相当の時間がかかる。
そして、おそらくはそれこそが、ダニーロの防衛策なのだ。
秘密通路はすぐには露見しないと踏んで、相手が諦めるまで隠れ潜むか、あるいはどこかに用意した別の脱出路から逃亡を図るつもりなのだろう。
ダニーロは船を隠し持っているはずだから、後者の可能性も十分に考えられた。船着き場に直結する別の通路が存在する可能性である。
「くそっ……」
レオンが歯ぎしりをしたとき、セシリアが何かを探すように、長く垂れ下がった自身のローブの袖の中に、右手を差し入れた。
「どこにいるの? 出ていらっしゃい」
そう呟きながら、ゴソゴソと袖の中をまさぐっている。どうやらそこに隠れてしまった眷属の一匹を探しているようだ。
しばらくして彼女が袖から右手を出したとき、その手には一匹の小動物が捕まえられていた。
リスのような見た目の光の眷属・カーバンクルだ。その額には、この幻獣の象徴たる赤い宝石は嵌まっていない。フェリペに渡すべく、ターニャに託してしまったからである。
宝石がないと、ただのリスにしか見えないカーバンクルに、セシリアが問いかけた。
「あなたの宝石のある場所は分かる? そこまで私たちを案内してくれないかしら?」
その彼女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、セシリアの両の手に乗せられていたリスの姿がかき消えた。
ポカンと彼女の白い手を見つめ続けるレオンとは対照的に、セシリアがキョロキョロと周囲を見回す。やがて、彼女は言った。
「あそこです、行きましょう」
セシリアが指さす通路の先には、いつのまにかカーバンクルがちょこんと座って、「早くついて来い」と言わんばかりに彼女たちの方を見ていた。
それでレオンは悟った。
セシリアがターニャにカーバンクルの宝石を託したのは、フェリペの体を心配してのこともあるが、このような事態を想定してのこともあったのだ。
カーバンクルの伝説には、悪人がその額の宝石を手に入れてしまったとき、いつの間にか宝石が無くなっていた──というものがある。
おそらくカーバンクルは、離れていても自身の宝石の在処が分かるのだ。意に沿わぬ者に太陽神の祝福が渡ってしまったときに、取り戻しに行くためである。
レオン達がカーバンクルの傍まで歩み寄ると、リスのような幻獣の姿がまた消えて、数メートル程先の地面の上に現れた。瞬間移動のように、高速で動いているのだ。
近づいていくと、またその姿が消えて少し離れた場所に出現して彼らを待っている。
そうやってカーバンクルについていくと、やがて洞穴の一番奥と思われる場所まで辿り着いた。この洞窟は、全体になだらかな下り坂になっている。その、一番深い地の底と思われる場所だ。
そこは、小部屋のようにやや広いスペースになっていた。辺りには大小の岩がゴロゴロと転がっている。
その一点、大きな岩がいくつかある壁際にカーバンクルはいた。これまでと違って座ってはいない。チョロチョロと、しきりに壁の周りを動き回っている。
「ここなのね?」
確認するようにセシリアが言うと、小さな幻獣は一瞬だけ動きを止めて彼女の方を見た。
「カーバンクルは、この先に行きたがっているようですわ」
セシリアが言った。
この壁の向こうに行きたいのだが、通り抜けられる隙間がなくて困っているようだという。
瞬間転移をしているように見えるカーバンクルだが、実際には空間を飛び越えているわけではない。あくまで目にも留まらぬ早さで動いているだけである。実体だってちゃんとあるから、壁を通り抜けるようなことはできないのだ。
「おそらく、この辺りに隠し通路があるのです」
「ここに?」
レオンは目の前の洞窟の壁を見上げた。
自然にできた岩壁そのままのようで、誰かが何か手を加えたような様子は見えなかった。土ではないから、土木工事に長けたコボルト達でも容易には掘り進めることができなかったのだろう。だから、手を加えずにそのまま使っている。
「この岩が、道を塞いでるんじゃないのかなあ?」
そう言ったのはキッドだ。大きな岩の前でしきりに動き回っているカーバンクルの傍まで行って、彼女の身長よりも高い大岩を見上げている。
「これを動かすには、相当の人手と時間がいるだろうが」
やや呆れつつ、キッドに答えてレオンは言った。
確かに、岩で通路を塞ぐだけならば大規模な工事や洞窟の改造は必要がない。
だが、この岩を動かそうと思ったら、それだけでかなり大がかりな仕事になるだろう。
洞窟に侵入したレオン達を迎え撃つためにゴブリン達が出てきた後、誰かが岩を動かして通路を塞いだ──というようなことが、はたしてできるものだろうか。
「コロやなんかを使った形跡はないですねえ」
念のためにと岩の周囲の地面を調べながら、トマソンが言った。何か大きな工具を使って岩を動かしたような痕跡はないという。
「乱れた足跡は、たくさんありますが……」
それはおそらくゴブリン達のものだろうと思われた。やはり妖魔は、この岩の向こうから出てきたのだ。
「そんなに大きな足跡はないようですね」
力のある大型の魔物が岩を動かしたわけではないということになる。
とはいえ、それは予想の範囲内でもあった。この岩が通路を塞いでいるのだとしたら、その通路はどんなに大きくても岩と同じくらいの幅であろう。
ドラゴンのように極めて巨大な魔物は、そもそも通路を通り抜けることができないはずだ。
大型の魔物がいるとしても、オーガよりやや大きいぐらいのサイズがせいぜいではないか。
そして怪力のオーガでも、一匹でこの大岩を動かすのは無理ではないかと思える。数匹は必要であろう。
もしもダニーロがそれだけの数のオーガを使役しているのならば、木箱や水瓶を運ぶために使わないはずがない。それなのに、食料を運び込むときに出てきたのは、ゴブリンやコボルトと言った小型の妖魔ばかりであった。
岩を動かせるような大きな怪物はいない、という証左ではないかと思う。
「何か、邪神の奇跡のようなものを使ったのでしょうか?」
「考えにくいでしょうね」
トマソンの言葉を否定したのは、セシリアだ。
彼女が知る限り、邪教神官の使う奇跡にそのような魔法はないという。
もしもダニーロが、神官であると同時に魔術師なのであれば、≪重量軽減≫や≪物体浮遊≫といった魔術は存在するから、それを使った可能性は確かにある。
だが、そのような魔法を使えるのならば、やはり重い木箱を運ぶときに使ったに違いないと考えられた。
「魔法の仕掛けとかかなあ?」
キッドが言った。
「だとしたら、お手上げだな……」
唸るようにレオンは返した。
あらかじめ仕掛け自体に魔法をかけてあるのならば、ダニーロが魔術を使える必要がないのは確かだ。魔法は目には見えないから、その場合は彼らがいくら調べても、見た目だけでは看破できないだろう。
ルビーウェイベス号には魔術師は乗り合わせてはいないから、魔力を感知して仕掛けを見破ることも出来ない。ここで手詰まりということになる。
だが、宝探しなら諦めることもできようが、今回はそういうわけにもいかなかった。一度街に戻って、誰か魔術師を雇ってくる時間もない。
ぎりりと、レオンは奥歯をきつく噛みしめた。
「押してみたら、以外と軽いのかも」
結構、あっさり動くかもしれないよ──。
どこか脳天気な様子で、キッドが言った。
まさかそんな訳はなかろうとレオンは思うが、さしあたり他に思いつくこともない。
「試しに押してみるか……」
そう言って、彼は腕まくりをして見せた。




