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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第五話 南の内海の陰謀
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その10 邪教の犠牲者

 いつでも抜けるように剣の柄に手をかけ、エレナはフェリペの前から一歩横に離れて歩哨のように鉄格子の前に立った。


 ここからが、剣士である彼女が本領を発揮するときだ。幸いこの場には明かりがあるから、夜目の利かない彼女でも普段通りに戦うことができる。


 そうやって、エレナが油断なく通路の左右に目を走らせていたら、ターニャがトコトコと牢獄の出入り口に向かっていった。


 鉄格子の一角に設けられたその扉には鎖が巻き付けられ、大きな南京錠が嵌められている。


 この錠の鍵をどう探すか──。エレナがそう考えていると、同じく思案げな顔で南京錠を見ていたターニャが、突然自身の茶色い髪の中に指を突っ込んだ。


 何をするつもりなのかと見ていたら、ターニャは髪留めにして使っていた針金を手に持ち、その先端を少し曲げて南京錠の鍵穴に突っ込みはじめた。


(ちょっ……)


 呆気にとられたエレナが、彼女の行為を止めるべきかどうか逡巡したほんの少しの間に、カチリと音がして南京錠の鍵が外れた。


 エレナは開いた口が塞がらなかった。


「ターニャ……」


 ようやく声を絞り出し、彼女は少女に訊いた。


「そんなこと……どこで覚えたの?」


「トマソンさんが教えてくれました」


 あっけらかんとターニャが言う。


(あの野郎……)


 心の中で、エレナは握りしめた拳をブルブルと震わせた。


(ターニャに変なこと教えないでよ……)


 ただ、ノーム族は生来、器用な者が多い。頑丈な代わりに人間よりも体重がやや重いのが玉に瑕ではあるが、小柄だから隠れるのも得意だし、山岳地帯で暮らすゆえか身軽でもある。だから、ノームが冒険者になった場合には、斥候を務めることが多いのだ。


 トマソンもそう思って、ターニャに盗賊の技を教えたのだろう。


 実際、人助けの役に立ったわけだから、ようは使う者の心がけ次第かとエレナは思い直した。


「悪さに使っては駄目よ」


 そう釘を刺してから、巻かれていた鎖を外して牢の扉を開いてやると、ターニャがすすっと中に入って囚われの司教に近づいていった。


「フェリペさん、これを……」


 そう言ってターニャが懐から取り出したのは、セシリアが予備として持っていた太陽神の聖印と、真っ赤に輝く宝石だった。


 礼を言って聖印を受け取ったフェリペは、それから赤い宝石の方に目を向けて、呟くように言った。


「それは、カーバンクルの宝石か……」


 セシリアが使役するカーバンクルの額に嵌まっている聖なる石は、持つ者にソレイユ神の祝福に加えて太陽の力も与えてくれる。それは、人間をはじめとする光の神々に創られし生命体にとって活力となる力だ。


 エレナが託されていた神鳥カラドリウスは、傷や疲労を癒やしてはくれるが、活力を与えてくれるわけではない。そこでセシリアは、囚われの身で衰弱しているであろうフェリペのために、ターニャにこの石を託したのだ。


 太陽神の祝福とその力で、フェリペに滋養を得てもらうためである。


 じっとしばらく赤い宝石を見つめ、それから石を手に持つ少女の顔を見た後、フェリペは口を開いた。


「これは、君が持っていなさい」


 えっという顔で、ターニャがフェリペを見た。


「儂のような老いぼれよりも、君のように未来ある者が持つべき石だ」


 これからここで戦闘が起きるであろうことを──フェリペだけではなく、ターニャにも危険が降りかかるであろうことを、司教も予測しているのだ。


 どうしましょう? という顔で、ターニャがエレナを見た。


 エレナはすぐには答えられなかった。ギムザはいつもの無表情だが、こちらも少し困惑している様子だ。


「儂よりも若い者が、目の前で死んでいくのをもう見たくはないのだよ……」


 辛そうに言ったフェリペの目が牢獄の奥へと向けられ、エレナもそちらを見た。


 牢内に明かりはないが、鉄格子の向かいの壁に据えられたランタンの光が牢の奥まで届いており、中の様子は十分に観察できる。


 必要最小限の寝床だけが与えられた簡素な部屋だった。隅にある穴は、汚物を捨てるためのものだろう。小さな石ころが転がっている以外にはほとんど何もない空間であったが、エレナから見て右手の壁際にだけは何かが置かれている。


 黒くて長細い大きな塊だ。同じような物が二つ、横に並べて置いてある。一つ一つは、寝転んでいたフェリペと同じくらいの大きさだ。


 一瞬、エレナにはそれが何だか分からなかった。普通、牢内に置いておくようなものではない。


 いったいあれはなんだろうと、まじまじと観察してみて、ようやくそれが何だか気づいたエレナは、思わず息を呑んだ。


 大きさがフェリペと同じくらいなのも道理だ。その黒い塊は、かつては人間であったものなのだから──。


 フェリペに対する見せしめのつもりなのか、真っ黒焦げで、生前の面影もないほどに焼き尽くされた二人の人間の遺体が、牢の隅に置かれていたのだ。


「儂と共に、捕らえられていた者たちだ……」顔を歪めてフェリペが言った。


 彼がダニーロの襲撃を受けた教会に勤めていた神官達だという。


「ご夫婦、ですか?」


 ギムザが痛ましげに訊いた。その目は、二つの遺骸のうちのやや小柄な方に向けられている。腕があったとおぼしき場所に、焼け残った金属製の腕輪があり、ギムザはそれを見て言葉を発したようだ。


「そうだ」


 ギムザの問いに、フェリペが苦渋の表情で頷いた。


 夫のほうは、彼と同じソレイユの神官。妻は海神・オセアンの神官だったという。夫婦で二柱の神を祀り、小さな教会を運営していた。


 邪神の神官は、生け贄を使った儀式を繰り返すことで、彼らが信奉する者から力を授けられる。格の高い生け贄を捧げれば、得られる力もそれだけ大きくなるが、一方で儀式も大がかりになり、神官としての力量も要求される。


 元司教のフェリペという破格の生け贄を手に入れたダニーロは、しかし、まだそこまで大きな儀式を行うだけの力量がなかったのであろう。


 それで彼は、元司教のほうは自分の実力が上がるまでの間は生かしておき、まずは一緒に手に入れた別の生け贄を捧げて儀式を執り行った。


 その犠牲となったのが、この神官夫婦なのだ。


 ギムザが海神の印を切り、追悼の祈りを唱えはじめた。エレナもターニャも、遺体に手を合わせてしばし目を閉じる。


 彼らを悼む心と共に、まだ見ぬ邪神の神官への怒りが、ふつふつと沸き上がってくるのをエレナは感じていた。


「残念ながら……今はご遺体を運び出すことができません」


 祈りを終えたギムザが、静かに言った。


「分かっておる」


 フェリペが頷く。


 ──でも必ず、彼らが守り続けた教会の傍に二人を埋葬する。


 そう彼は決意しているようだった。


「レオン達はいつ頃来るのかしら……」


 再び歩哨のように牢獄の傍に立って左右を見回しながら、エレナは誰にともなく訊いた。


「どうでしょう?」


 ギムザが首をかしげる。


 カラドリウスが、”紅玉の波姫(ルビーウェイベス)”号まで戻る時間。そこから、船がこの島まで引き返してくる時間。レオン達が上陸し、この洞窟の中まで辿り着く時間──。


 半日はかかるまいが、小一時間程度ではさすがに難しいのではないか。数時間ぐらいは必要だろうと考えられる。


 それまでずっとこのまま、ここで本隊を待つのか。それとも──。


 エレナの目は、結局フェリペに渡すことのできなかった赤い宝石を手の中で弄んでいるターニャに向けられていた。


 好奇心旺盛な少女の、悪い虫が疼きはじめていることに、彼女は気づいていた。暇を持て余しはじめている。


「……敵の気配は?」


 エレナはギムザにそう聞いた。


 クンクンと辺りの臭いを嗅ぎ、魚人が答える。


「臭いの届く範囲内には、誰も」


 それを聞いてエレナは、通路のずっと先の方へと目を向けた。人工の建物ではないので完全に一直線ではないが、それなりに真っ直ぐな通路が牢獄の左右に伸びている。


 それぞれの通路の先は曲がり角になっているようで、いま彼女の立っている牢獄の前から右に行けば、最初にいた倉庫らしき部屋のあった暗闇だ。


 では、左に行ったら──?


 一つ嘆息して、エレナはターニャに言った。


「あそこの角──まずは、私の目が届くところまで。そこまでなら、行ってもいいわよ。その宝石を借りていきなさい」


 キラッと無邪気に目を輝かせて頷くと、ターニャは好奇心に溢れた表情で通路の奥へと進んでいった。


 音も立てずに、かなりの早足で進んでいくその様子を見て、エレナは、


(忍び足のやり方も教わったのかしら?)


 と思う。


 あるいは、ノーム族の習性なのか。


 そういえば初めて出会った頃にも、ターニャは眠っている彼女が気づかないうちに、二階の部屋の窓から忍び出て行ってしまったことがある。


 良いのか悪いのかは分からぬが、盗賊としての才能があるのだ。


 あっという間に、ターニャは通路の端へと行き着いていた。


 そこは丁字路になっていた。丁の字の長い縦棒の真ん中辺りに、いまエレナは立っている。


 ターニャが通路の片方の壁にピタリと貼りついて、そっと左右の道を見回した。


 右を見て、左を見て──。


 そのまま彼女は、しばらく左に曲がる道の先をじっと窺っているようだった。


「?」


 何か見つけたのかと、エレナがターニャの方に行こうとしたとき、タァーッという様子で──しかし音は立てずに、少女が駆け戻ってきた。


 ビックリして彼女を見るエレナの背後に回り込み、ノーム族の少女はそのまま姉代わりの剣士の背中にぴったりとしがみつく。


「どうしたの?」


 些か狼狽しながら訊いたエレナに、ターニャは彼女の背中に顔を埋めたままぽつりと答えた。


「すごく怖いのがいました……」


 しかも、二匹も。


 そのターニャの言葉に、警戒半分、困惑半分の表情でエレナとギムザは顔を見合わせた。


「何の臭いも、しませんが……」


 通路の先に鼻を向けて、不思議そうにギムザがそう言った。

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