その7 石像の秘密
一礼した詩人にイライザが感謝の言葉を述べると、彼はまた小さく会釈をして店の隅へと戻っていった。そこでまた次の客から声がかかるのを待つのである。
詩人を見送ったイライザは、ファルコの方に向き直って言った。
「ただのお伽話だと思っていたけど、どうしてシドとティアの星が夏にしか見ることができないのか、という理由も説明してくれていたのね。その辺のくだりは、うろ覚えだったわ」
「南の空に浮かぶ星は、夏と冬とで違うからな。星祭りの中心となる、あの明るくて目立つ二つの星が、冬に見えないのはなぜなのか。その理由を子供に説明するために作られたのだろう」
そう言いながら、相変わらずティアの石像を見続けているファルコに、イライザは聞いた。
「どうして、その像がティアだと思ったの?」
「理由は色々とあるが……」
言いながら、ファルコは像の正面をイライザに向けて説明し始めた。
「まず、彼女の持ち物で一番目立つ、これだ」
ファルコが指さしているのは、女性像が右手に持っている長い棒のような道具だ。棒の先端には三つ叉になった部品がついている。
「これは……三つ叉の矛か、それとも鋤?」
そう言ったイライザにファルコが頷いた。
「先端がそれほど尖ってはいないから、鋤だろうな。つまり、この女性は農耕に関わる者であることを意味している。この場合は、本人ではなくその夫──シドの形見なのだろう」
「でも、農耕に関わる女神や伝説上の人物なんて……」
「そう。たくさんいる」イライザの疑問に答えてファルコは続ける。
「もちろん、この像がティアだと考えた理由はそれだけじゃない」
そう言ってファルコは像を裏返し、石像の背中を見せた。ローブのような長い裾の服に、何かの印が彫ってある。
「これは、太陽の印だ」
イライザはファルコの手元を覗き込み、もう一度像の背中の印を観察してみた。丸い円の周囲に、頂点を外に向けた三角形が円を取り囲むようにいくつも並んでいる。
「言われてみれば、確かに太陽のように見えるわね……」
ファルコが頷いて言った。
「つまりこの女性は太陽、あるいは太陽神ソレイユに関わる者だということになる。服装からして、ソレイユに仕える巫女だろう」
それは、結婚前のティアの前職だ。その後も含めて、彼女の人生には太陽神が深く関わっている。
「そして、決定的なのがこれだ」
言いながら、ファルコは像を再び裏返した。
「この女は左手に何かを持っている」
言われて、イライザはまた像に顔を近づけた。確かに、石像の女は鋤を持つのとは逆の手に何かを握っていた。
それは植物のように見えた。握った拳の親指側から葉っぱのようなものが覗いている。
しかし、小指側に見えるものは何だろう。親指側に葉があるということは、こちらは植物の茎や根なのだろうが、球形の部分の下に長細い部があり、そこから四本の出っ張りが飛び出しているこの形は、それよりも──。
「マンドラゴラだよ」
ファルコが言った。
ティアの握る植物の小指側、その部分はまるで人形のようにイライザには見えていた。
シドとティアの話に出てくるマンドラゴラは、人の形をした根を持つのが特徴である。物語にもあったように貴重な薬の原料として珍重されるが、扱いを間違えると猛毒にも変わる危険な薬草だ。
そして、マンドレイクという別名も持つこの植物は、ときに魔物として分類されることもあった。実際、この植物を採取しようとして命を落とした者も多い。
マンドラゴラの根が人間の形をしているのは、伊達ではないのだ。
人間と同様に口を持つその根は、土から抜かれるときに魔力のこもった叫び声を上げる。その声を聞いた者は、よくても気絶、場合によっては精神を破壊され、最悪の場合には死に至る。
耳を完全に塞いだところで、魔力を帯びた声は直接脳に届くから、マンドラゴラを安全に採取するには、ロープをつけて犬に引っ張らせるなどするしかない。とても手間がかかるのだ。
しかも、危険を察知すればマンドラゴラは自分で土から出て逃げていったりもするから、見つけたらすぐに採取する必要がある。
それ故に野生のマンドラゴラは今でも高値で取引きされるというし、だからといって採取に慣れぬ者は、見つけても絶対に手を出してはいけないとよく言われていた。
お伽話の中でも、ティアはシドが育てていたというこの植物を自分で抜いたわけではない。太陽の神・ソレイユの化身から受け取っていた。
石像が左手に持っているのは、まさにそのマンドラゴラなのであった。ただの人形ではない証拠に、その頭から茎と葉が生え、女はその茎の部分を持っている。
ファルコが言った。
「農耕もしくは農夫に関わりがあり、太陽神の巫女であり、さらにマンドラゴラを持っている。俺の知識の範囲では、この条件に該当するのはティアだけだ」
イライザは、ファルコがシドとティアの話を『詳しく』覚えているか、と聞いた理由を今ようやく理解した。ティアとヴィイを殺した毒が何であったのかを覚えていないと、この石像をティアだとは同定できないのだ。
そして、イライザが何気なく見ていた女の衣装や持ち物から、この像をティアだと特定したファルコの眼力に舌を巻いていた。専門家とはこういう者かと感心する。
「古代の遺跡から、お伽話の登場人物の像が出てくるなんて……」
「別に、珍しいことではないさ」
感激と驚嘆の入り交じったイライザの言葉に、何でもないことのようにファルコは言った。
「この伝説が、それだけ古くから存在するということなんだろう」
ただ、昔から子供向けの話だったとは限らないし、いまと同じような形で伝わっているとも限らない。
「イライザ。もし君がシドとティアの像を神殿に祀るとして、その神殿の入り口に何か一つだけ印を刻むとしたら、君なら何の印を刻む?」
「それはやっぱり……星、かしら」
「まあ、そうだろう。俺だってそうだ。俺たちには、どうしても『シドとティア』と言えば星祭りという印象がある」
「それが何か?」
「ヒコリ村の遺跡の入り口にあったのは、太陽の印だった」
この石像の背中に彫ってあるものと、同じ印であったという。
「でも……別におかしくはないんじゃない? ティアは太陽神ソレイユの巫女なんだもの……」
「ティアだけならばな。しかし、『シドとティア』というセットで考えると、やはり違和感がある。特にシドは、星でなければ大地や土、農機具などの印が相応しいだろう」
「でも、この遺跡で見つかった像はティアだけなんでしょ?」
ティアだけを祀っているならば、印はソレイユのものでもおかしくはない。
「そこも変だとは思わないか? 普通、ティアだけを祀るだろうか? ふたりは『並んで輝く星』になったのだぞ?」
「言われてみれば……」
だから、この遺跡が造られた当時と今とでは、伝わっている物語が違う可能性があるのだとファルコは言った。
「例えばだ……。もしもあの物語が、ティアがヴィイを殺すところで終わっていたとしたら、どうだろう?」
言われてイライザは想像してみた。
その場合、この物語に星は全く関係がなくなる。ティアの死後、彼女とシドの魂を愛の神・アモーレが天に上げた場面で初めて、「星」というテーマが唐突に現れるからだ。
ファルコが言った。
「俺は、この部分は後世の人間が付け加えたものじゃないかと思う。さっきも言ったが、星祭りの中心となる二つの星が冬には見えない理由を子供にしつこく聞かれて困った大人がいて、既に知っていた『シドとティア』の話に、後半部分を付け加えて説明した……そんなところじゃないだろうか」
あるいは、後半部分は元々は別の話で、二つの話がくっついて一つになった可能性もある。
「いずれにしろ、この遺跡が造られたのはおそらく後半部分が成立する前の時代なんだろう。だから、星が出てこない」
「なるほど……。じゃあ……」
ファルコの話を聞いて、イライザには閃くものがあった。
「話の前半部分も、後から付け加えたものじゃないかしら? 元々は、太陽神の巫女・ティアが邪霊にさらわれて、そしてソレイユの力を借りてその邪霊を倒す話だったのだとしたら……」
そうであれば、ティアだけを祀っている理由も、神殿の入り口に太陽の印があった理由も説明できる。
しかし、そのイライザの説をファルコは首を振って否定した。
「それだと、ティアが鋤を持っている理由が説明できない」
ファルコが、この像をティアだと推測する根拠の一つとなった鋤である。
太陽神の巫女であるティアは本来、農機具とは何の関係もない。彼女の死んだ夫が農夫であったからこそ、この鋤が夫の形見としての意味を持ち、ティアを象徴する道具となるのだ。
「物語が成立した当初は、君の言うとおりであった可能性もある。だが、少なくともこの遺跡ができた時点では、ティアの夫は農耕に関わるシドであったはずだ」
それに──とファルコは付け加えた。
「あの、影の男の問題もある」
言われて、イライザは思い出していた。ヒコリ村の住人が見た影の男のことを。事の発端となったその話を、彼女は完全に失念していた。
「その影の男は……やっぱり、シド?」
「まあ……そうなんだろうな」
せっかく妻と再会して幸せに過ごしていたのに、無粋な冒険者によってまた引き離された。
だから泣いているのだ。遺跡に残されたシドも、ティアの石像も。
ただ──とイライザは思う。
「その遺跡に祀られていたご本尊は……やっぱりこの像なのかしら?」
もしもこの石像とは別のものを祀った遺跡なのだとしたら、色々と話が変わってくる。
彼女の疑問にファルコが答えて言った。
「隠し扉や秘密の部屋のようなものをエバンスたちが見逃していない限りは、この像を本尊として間違いないだろう。それに……」
そう言ったファルコが素早く周囲に目を走らせた。それから人差し指をちょいちょい、と動かしながらイライザの方に身を乗り出す。
何か、あまり周囲の者に聞かせたくない話があるようだ。その意図をすぐに察して、イライザはファルコに顔を近づけた。
声を潜めて、ファルコは言った。
「あまり大きな声を出すなよ」そう注意してから、ファルコは続けた。
「この像は……正確には石像じゃない」
「石像じゃない?」
どういう意味か、と考えるイライザにファルコが言った。
「こいつは……ミスリル製だ」
「ミ……!」
「大きな声を出すな、と言っただろう」
慌ててイライザは自身の口を塞いだ。周囲を見回すが、幸いこちらに注意を向けている者はいないようで、少し安心する。
ミスリルはとても高価な金属なのだ。現在では製法が失われているからである。
元は神の国の金属であったとも言われ、金属そのものが魔力と聖なる力を帯びているため、ミスリルで作った武器や道具は、精霊や死霊といった実体を持たぬもの達にも触れることができる。それらの者を傷つけたり閉じ込めたりすることが可能になるのだ。
同じく神の国の金属とされるものには、他にオリハルコンやアダマンタイト等があり、オリハルコンには直射日光を浴びると眩く輝くという性質が、アダマンタイトには魔力を与えると浮遊するという性質がある。
ミスリルは、これらに比べれば希少性という点では劣り、古代遺跡からはしばしば発見される。だが、それはミスリルの価値がこれらの金属に劣るということではない。
金と似て柔らかいオリハルコンや、ダイヤモンドに似て硬いが柔軟性のないアダマンタイトと比べ、ミスリルは鉄や銀と同じように、武器や防具として加工しやすく、実用性が高いのだ。
加えてミスリルは、鉄より軽いにも関わらず、鉄よりも硬くてほとんど壊れることがない。けして錆びることがないとも言われている。
だから朽ちることもなく現在まで残り、作られてから千年以上たった後でも実用に耐えうる。
各国に伝わる神器や宝物のうち、武器や防具などの実用品の多くはミスリル製である。オリハルコンやアダマンタイトは装飾品に使われているのが常だ。
ファルコが手に持つ像はいわば美術品であり、実用品としての価値はないから、ミスリル製の武器や防具に比べれば売り値は下がるであろう。
しかしミスリルで出来ているという付加価値だけで、イライザの数年分の稼ぎと同じくらいの額で売れるのではないかと思われた。
古ぼけた無価値な石像などとは、とんでもない。
ファルコの手の中の像を、もう一度まじまじとイライザは見つめた。