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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第五話 南の内海の陰謀
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その9 囚われの司教

 暗く、狭い場所にエレナはうずくまっていた。膝を両手で抱きかかえ、右側を下にして横向きになっている。


 背中に、温かくて柔らかい感触を感じていた。ターニャの背中の感触だ。エレナと背中合わせに、ノーム族の少女もいま、彼女と同じような格好をしていることだろう。


 ターニャはエレナより体が小さいが、少女の足下には荷物が置かれているはずだから、やはり彼女同様の窮屈を強いられているに違いない。


 背中以外の場所は、体温は感じない柔らかいものに包まれていた。衝撃吸収のために、彼女たちの周囲には毛布がぎゅうぎゅうに押し込まれているのだ。顔の周りだけが、呼吸のために空間が作られていた。


 どれほどの時間、そうしていただろう。永劫の時間のようにも感じられ、いい加減エレナが色々と後悔し始めたとき、彼女の頭の上で音が鳴った。


 コン、ココン、コン、ココン、コン、コン、コン。


 事前に決めていた合図の音。


 もぞもぞと毛布に包まれた左手を動かし、エレナは手探りで頭の上にある壁に触れた。木板でできたその壁には、三カ所の組木が据え付けられている。閂状に組まれた木の棒を三つ全て動かし、エレナはゆっくりと壁を押した。


 ぬるい風が吹き込んでくる感覚がした。


 視界は相変わらず真っ暗だったが、闇に慣れた目でどうにか物の輪郭が分かる。これまでのような真の暗闇と違い、わずかながら光が存在するのだろう。


 ぬうっと、エレナの目の前に突然に誰かの顔が現れた。丸い人間の頭ではなく、鼻先の尖った顔。サメの顔である。


 一瞬ドキリとしたエレナだったが、すぐにそれが見慣れた者の顔であることに気がついた。魚人のギムザが、顔を覗かせたのだ。


「お二人とも、もう出てきて大丈夫です」


 そのギムザの声に従って、エレナはもぞもぞと潜んでいた場所から這い出していった。


 立ち上がって、んうぅ~~っと一度大きく伸びをしたあと、彼女は周囲を見回した。


 なんだかひどく黴臭い場所だった。それなりに広い空間で、彼女の背後には木箱のようなものがいくつも置かれている。


 その一つに、彼女はずっと潜んでいたのだ。外から見ただけでは分からないが、その木箱のいくつかは上げ底になっていて、ヒトが隠れられる空間を作った特製品であった。


 ダニーロが住む島に”紅玉の波姫(ルビーウェイベス)”号が停泊し、レオン達が浜に降り立ったときからずっと、彼女たちはその木箱の中に待機していた。


 思いがけず邪教の神官の情報を得ることができたレオンであったが、すぐに襲撃をかけるのは愚策であると彼は考えた。ダニーロの保有する戦力が不明だし、フェリペの生死も分からない。


 もしもフェリペが生きていた場合、うかつにダニーロと戦端を開けば、むしろ司教を人質にされてしまう危険もあった。


 そこでレオンはまず、ダニーロの本拠の偵察と、フェリペが生存していた場合に、その救出と護衛を担うための先遣隊を送り込むことにしたのである。


 相談の末に選ばれたのは、ギムザとターニャであった。


 サメの魚人であるギムザは、暗く濁った水中でも臭いだけで獲物を探すことができるほど鼻が良いし、地下の洞窟内で暮らすターニャたちノーム族は、まったく光がなくても物を見ることが出来る。敵の本拠が暗い洞窟内にあるのならば、その偵察にはうってつけの二人だ。


 だが、この人選にエレナは難色を示した。


 ターニャの姉貴分であり、自他共に認める彼女の保護者であるエレナは、ターニャを行かせるのなら自分も同行すると言い張ってきかなかった。そこで、三人で邪教の巣窟に潜入することになったのである。


「ここは……倉庫みたいですね」


 すぐ近くでターニャの声がした。振り向いて見ると、エレナよりも小柄な人影が立っていた。暗くて顔はよく分からないがターニャであろう。彼女も木箱から這い出してきたのだ。


 その部屋には、戸口と思われる場所に一カ所だけ灯火が置かれていたが、空間全体を照らし出すにはいかにも小さな灯りだ。暗くて、エレナには木箱や水瓶などもうっすらと輪郭が分かる程度だが、ターニャの目には部屋の中の様子がはっきりと見えているのだろう。彼女と思われる人影は、しきりに辺りを見回していた。


 キョロキョロと顔を動かし続けるその少女の小さな影の横に、背の高い人影が歩み寄ってきた。鼻先が尖っているから、ギムザだろう。彼に向かって、小声でぼやくようにエレナは話しかけた。


「途中から、すごく扱いが雑にならなかった?」


「運ぶのが、うちの船員からゴブリン達に変わりましたからねえ」


 やはり小声で、ギムザが答えた。


 鼻の良いギムザは、陸上でもまるで犬のように、臭いだけで周りに誰かいるかどうかを探れる。


 そうやって、木箱に潜みながら窺った外の様子を、ギムザがエレナ達に教えてくれた。


 それによると、ダニーロの住む洞穴の前からレオン達が去った後、食料などの入った──そして、エレナ達も隠れ潜んでいる木箱を洞穴の内部に運び入れたのは、ゴブリン達妖魔であるということだった。


 ほとんどはゴブリンの臭いだと思うが、中にはコボルトの臭いも少し混じっていたようだとギムザは言った。


 彼らが木箱を洞穴内の倉庫と思われる場所に置いて去って行き、周囲に誰も居なくなったことを臭いで確認してから、ギムザはそっと木箱から外に出た。そして、やはり鼻を使ってエレナ達の潜む木箱を探し出し、その側面を叩いたのである。


 彼のように鼻の利かないエレナやターニャは、音と振動でしか外の様子を窺うことができない。


 木箱の扱いが雑になる少し前、外からギャアギャアと異国の子供達が騒いでいるような声が聞いた気がしたが、あれはゴブリン達の声であったのかとエレナは納得していた。


 もう一度大きく伸びをした後、彼女は木箱の中に上半身を突っ込み、中から大きな鳥籠を取りだした。止まり木には、白いカモメほどの大きさの鳥がおとなしく止まっている。


 カラドリウスという名の鳥だと、エレナはセシリアから聞いていた。


 その身体は、淡い光を放っている。敵に光が見つかるのを怖れた彼女は、「ごめんね」と言って鳥籠に覆い布をかけた。


 エレナが先遣隊に参加したもう一つの理由が、この鳥であった。


 太陽の神・ソレイユに仕えるこの神鳥は、海神(オセアン)の眷属である魚人や、大地の神(テール)の眷属であるノーム族に管理されるのを嫌がったのだ。そこで、セシリアと離れている間、エレナがこの鳥の面倒を見ることになった。


 カラドリウスは、病人や怪我人を癒やす能力を持っているという話だから、セシリアが近くに居なくとも、長い監禁生活で衰弱しているであろうフェリペの体を回復させることができるだろう。


 もっとも、回復術だけならばオセアンの神官であるギムザも使うことができる。わざわざカラドリウスを連れてきたのは、この鳥のもう一つの性質に期待してのことだった。


 カラドリウスは、病人や怪我人を治した後、飼い主の元に──すなわちセシリアの所に一直線に戻っていくという性質があるのだ。不思議なことに、彼女がどこにいようとも、必ずその居場所を探知して戻っていくという。


 フェリペの安全を確保したら、エレナはこの鳥を籠から放す手筈になっていた。カラドリウスをセシリアの所に戻すことで、フェリペの生存を伝える。そして同時にそれが、ルビーウェイベス号に残る本隊への、襲撃開始の合図になるのだ。


 暗闇でも物が見えるターニャを先頭に、一行は倉庫らしき部屋を出た。


 自然の洞窟を改造したと思われる通路は、ほとんど真っ暗闇であった。ノーム族と同様、主に地下の洞窟で暮らすコボルトは勿論、ゴブリンも夜目が利くから、明かりが必要ないのである。人間であるダニーロがこの一帯に来るときには、ランタンか何かを持ってくるのだろう。


 ギムザは夜目はそれほど利かないが、魚人の不思議な感覚で障害物の有無ぐらいは分かるのだそうだ。彼らサメの魚人が、濁った水の中や真っ暗な夜の海でも泳ぐことができるのはそのためである。


 身体から発する、目には見えない何かが物に跳ね返ってくるのを知覚しているようで、どうやらそれは音の一種か、キッドが使っているような電流の弱いものらしいのだが、ギムザ自身もその正体はよく分からないという。


 彼の感覚では、「ただ何となく」そこに障害物があることが分かるのだ、ということである。


 光のない闇の中で、目の前に壁があるかどうかも分からないのは、一行ではエレナだけである。用心のために灯りは使わず、しかしそれではまともに歩くこともできないから、仕方がないので彼女は、ターニャの服の裾をぎゅっと掴んで先導してもらった。


 暗視能力のある者に見られたらかなり情けない格好で、華麗な剣士を目指すエレナとしては不本意なのだが、壁に鼻でもぶつけようものならもっと情けないので、背に腹は代えられない。


 そうやってゆっくり慎重に進んでいくと、やがてギムザが立ち止まって小声で言った。


「……油の臭いがします。灯火があるようだ」


 言われてターニャの肩越しに前を見ると、はるか前方の右手に、わずかな光が見えた。右に曲がる通路があって、その向こうに明かりが据えられているようである。油の臭いも、そちらから漂ってくるとギムザは言った。


 曲がり角の近くまで歩み寄ったところで、ギムザがまたクンクンと鼻を鳴らした。


 何か別の臭いを感じたのだ。


 ヒトの──おそらくは人間族の臭いだという。一人のようで、通路を右に曲がった先にいる。


 それを聞いたエレナの身体に緊張が走った。ターニャの服の裾から手を離し、腰の小剣に右手をかけようとした彼女に、ギムザが言った。


「囚人……かもしれません」


 やはり小声でエレナは訊いた。


「どうしてそんなことが分かるの?」


「尾籠な話で申し訳ありませんが……汗と、それから糞尿の臭いが強い」


 あまり清潔な環境にいる人物ではないのだ。邪教の神官だって便所ぐらいは行くし、着替えだってするだろう。それができない状況にいる者なのだ。


 上手く表現する言葉が見つからないが、衰弱している者の発する臭いも感じるとギムザは言った。


「血の臭いはしません。怪我はしていないようだ……」


 この洞穴内に囚われている可能性のある人物を、エレナは一人知っている。その者を助けるために、彼女たちはここまで来たのだ。


「フェリペ司教かしら?」


「そこまでは分かりませんが……」


 もしもフェリペが日常的に身に着けているものが手に入れば、ギムザはそれを借りてフェリペの臭いを覚えることができる。だが、あいにくセシリアはそのようなものを持ってきてはいなかった。


 警戒心を維持しながら、三人は通路の曲がり角から顔を出して先を窺った。


 思った通り、回廊の両脇には間隔を開けて灯火のランタンがもうけてあった。薄暗くはあるが、歩行できないというほどではなさそうで、エレナはほっと一息ついてターニャの服の裾から手を離す。


 通路の数メートルほど先には、鉄格子らしきものが見えていた。牢獄のようである。正面の壁にランタンが据え付けられているが、角度の関係で中までは窺うことができなかった。だが、人間の臭いはそこから漂ってきているようだとギムザが言った。


 一度頷きあった後に、三人は足音を立てぬようにそっと牢獄に近づいていった。


 壁に貼りつくようにしながら顔だけ出して中を覗くと、壁際に一人の男が寝転がっているのが見えた。顔は分からない。背中をこちらに向けている。


 ターニャが足下に落ちていた小石を拾って、そっと人影に向かって投げた。


 トン、と石が背中に当たり、男がゆっくりとこちらを見た。年配の老人だった。肌も服も薄汚れ、元は白かったのであろう髪も髭も灰色にはなっているが、事前に聞いていたフェリペの容貌に合致しているように思えた。


 老人の首には太陽神の聖印は提げられてはいないが、神官達は聖印を通して神々の力を借り、奇跡を起こすから、おそらくは捕らえられたときに、奇跡を使って抵抗されぬよう取り上げられてしまったのだろう。


 自分を見つめる三人に気づいて、老人の目が大きく見開かれた。やはり音を立てぬように注意しながら、這うようにこちらにやって来る。


 近づいてきた老人を見て、エレナはなぜ彼が立ち上がって来なかったのかを悟った。足の腱が切られているのだ。逃げられぬようにするためである。傷口自体は既に塞がっていて、それでギムザは血の臭いを感じなかったのだろう。


 彼女と同じくそれに気づいたターニャの顔が、哀しそうに歪んでいた。


「フェリペ殿、ですか?」


 押し殺した声でエレナは尋ねた。老人が肯いて答える。


「ああ、そうだ。君たちは?」


提督(アドミラル)レオンの船に乗っている者です。貴方を助けに来ました」


「アドミラル・レオン?」


 老人が訝しげな顔をする。レオンのことを知らないのか、あるいは知っているからこそ、なぜその名が今ここで出てきたのかを疑問に思っているのか。


「ここは、オルレシア領内です。ヴァロアの軍は動けません。そこで、ラウル王子とセシリアは、この地の侠客であるレオンに貴方の救出を依頼したのです」


「そうか……。殿下とセシリアが……」


 感極まったように目を細めたフェリペの前に、エレナは持っていた鳥籠を差し出した。


「セシリアが、この子を」


「これは……カラドリウスか?」フェリペの目が見開かれる。「セシリアも来ておるのか?」


 王都リヴェーラからここまでのように、鳥が一飛びでは行けない距離を隔てて眷属を支配し続けるのは難しい。セシリアが使役する眷属がここにいるということは、彼女がこの近くまで来ていることを意味する。


 フェリペは、カラドリウスを見て瞬時にそう悟ったようだ。さすがに在野から司教まで登り詰めるだけあって、頭の回転が速い。


「今は、沖合の船で待機しています」


 その筈である。何かトラブルが起きていなければ。


 鳥籠の蓋を開けて、エレナはカラドリウスを外に離した。セシリアから使命を受けていた神鳥が、心得たように衰弱した老爺の前に進み出る。


 フェリペもこの鳥の能力を当然知っているのだろう。鉄格子の間から恭しく両手を差し出すと、カラドリウスがその上に飛び乗ってフェリペの顔を見上げた。


 太陽神の眷属であるから、能力を発動する際に眩い光でも放つのかもしれない。それを見て、敵がやって来る可能性がある──。


 そのエレナの心配は、どうやら杞憂であったようだ。


 カラドリウスは、フェリペの手の上でただじっとその顔を見つめ続けているだけだ。


 それなのに、薄汚れて憔悴したフェリペの肌に艶が戻ってきていた。随分と前に切られて、もはや血も流れていなかった足首の傷も徐々に消えていく。


 フェリペの体が回復していくと同時に、カラドリウスの首元にある黒い袋状のものが大きく膨らんでいた。フェリペの怪我や病を、その袋の中に吸い取っているのだ。どうやらこの鳥の能力は、相手の顔を見るだけで発動するようであった。


 首の袋がぱんぱんに膨らみきったところで、カラドリウスはぴょんとフェリペの手の上から飛び降りた。素っ気ないほどの態度でもはや彼の顔を見ようとはせず、神鳥は羽を広げて通路の彼方へと飛び去っていく。


 セシリアの元に戻っていくのだ。


 そしてこの神鳥の帰還を合図として、ルビーウェイベス号はこの島に攻撃を開始する。


 レオンがフェリペを取り戻しにやって来たのだと知れば、ダニーロかその腹心が、必ずここにやって来るだろう。司教を人質とするためだ。


 その者からフェリペを守ることが、次のエレナ達の仕事である。


 役目を終えた鳥籠を床に置くと、彼女は確かめるように腰の剣に手を触れた。

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