その6 海賊との戦い
向かってくる妖魔を一匹、二匹と切り倒しながら、レオンは浜辺から村の中央部へと足を進めていった。
いい加減、妖魔の甲高い鳴き声に飽き飽きしてきた頃、前方に人間の海賊を見つけたレオンは、そいつに狙いを定めて走り寄った。
船長ではなさそうだが、それなりに上位の船員のようだ。他の海賊たちにあれこれと指示を出しながら村の中を歩き回っている。
近づいていくレオンに気づいて振り向いた海賊は、彼の威圧に一瞬ひるんだ様子を見せたが、
「くそったれ!」
と、すぐに虚勢を張るように言った後、手斧を振り上げて向かってきた。
振り下ろされた斧を曲刀の背を使っていなし、レオンはそのまま柄を持った右手で相手の手首をしたたかに打ち付ける。
「うっ!」
思わずというように斧を取り落として手首を押さえた相手の顔面に、レオンは間髪入れずに左拳を叩きつけた。
固く握りしめられたレオンの拳による殴打は、相手にしてみれば石で殴りつけられるのと同じようなものだ。海賊の男は、顔面を血に染めながら吹っ飛んで、地面に転がった。
呻きながら顔を押さえて倒れ伏す相手に、ゆっくりとレオンは近づいていった。
意識はあるようだが、立ち上がる気力を失っているようである。
いつものレオンならば、それを確認したら、すぐに次の敵を探しに行くところだ。目の前の敵に戦意はないし、もう略奪を働くことも出来ないだろう。
だが、この日は違った。怯えたような表情で自分を見る海賊を睨むように見下ろした後、レオンはその胸ぐらをつかんで引き起こした。
「オイ! てめえがボスか?」
低い声で訊くと、相手はふるふると首を横に振って否定した。
「じゃあ……てめえらのボスはどこにいる?」
「ううっ」という声を漏らしながらも、相手はその問いにはなかなか答えようとはしなかった。怯えた目でこちらを見上げてくるだけだ。
「……答えろ」
業を煮やしたレオンが、そう言いながら右手の曲刀を見せつけてやると、海賊は恐怖に顔を引きつらせながらゆるゆると手を上げて、漁村の中に点在する家屋の一軒を指さした。粗末ではあるが、一帯の他の家よりはやや大きな構えの家だ。
続けて、震える声で海賊は言った。
「そ……村長の家に……」
ようやく言葉を発した海賊の口の中には、折れた歯が何本も見えていた。船長への忠誠から何も言わなかったわけではなく、激痛で言葉を発する気力も失っていたのだろう。
「そうかい」
言って、レオンは投げつけるように海賊の胸ぐらから手を離した。
放っておいてもこいつは、しばらくは何も出来ないだろうから、拘束するのは手下に任せておけばいい。そう考えて、レオンは海賊の首領を探しに村長の家へと向かうことにした。
村の中の戦いは乱戦模様になっていたが、明らかにレオンの仲間達の方が優勢だった。遠目に見えるキッドの周りには、何人もの海賊や妖魔が倒れてピクピクと痙攣している。まとめて雷撃でなぎ倒されたようだ。
ルビーウェイベス号の船員達は心得たもので、彼女が矛を高々と掲げ上げると、さぁーっと蜘蛛の子を散らすようにその場を離れていく。
それを確認して、村長の家の方に視線を戻しかけたレオンは、ふと若い船員の一人が、血まみれの腕を押さえてうずくまっているのを見つけて、ドキリと心臓が跳ねた。
別の船員が心配そうに負傷者に駆け寄るのを見ながら、自分もそちらに向かおうかと束の間、逡巡する。
そのとき、傷ついた船員の身体が淡い光に包まれた。みるみるうちに、腕から流れ落ちる血の量が減っていく。
振り返ると、ルビーウェイベス号の船首に立つセシリアが、片手を胸の聖印に当てて祈りを捧げている姿が見えた。
太陽神に祈り願うことで、手傷を負った者に癒やしの奇跡を授けてくれたのだ。
これだけ距離が離れている者の傷を治す光景を、レオンは初めて目にした。セシリアの、王宮付きの司祭という肩書きは伊達ではない。ギムザも海神の神官だが、この距離で奇跡を届けることは不可能ではないかと思う。
直接的な戦闘が出来ない分、神官としての実力はセシリアの方が上のようであった。
彼女が回復役を担ってくれるのなら、ギムザは戦闘に集中することが出来る。
臨時の乗員などではなく、ずっと船に乗っていて欲しい人材だとつくづく思う。
(まあ、スカウトしても無駄だろうが……)
心の中で、レオンはそう独りごちた。
王宮付きの司祭の立場を捨てて、こんな荒っぽい仕事に転職する者など普通はいないだろう。
無茶な希望は捨てて、レオンはいまの状況に集中することにした。
だいぶ数が減ってきた敵の海賊や妖魔は他の仲間達に任せ、自分は予定通り敵の首領の所に向かうことにする。
倒した海賊から聞き出した村長の家の前に立って、レオンはその入り口を見た。
木製の扉は完全には閉まっておらず、わずかだが開かれていた。その戸を足で押し開けて、屋内に入る。
薄暗い部屋の隅に、抱き合って震える老夫婦らしき男女がいた。身なりからして村長夫妻だろう。
「安心しな。俺は海賊じゃねえ」
不安そうにこちらを見上げてくる二人にそう告げた後、家の奥に目をやろうとしたレオンに、冷やかすような声がかけられた。
「あら、遅かったじゃない」
声のした方を見ると、村長達とは逆側の部屋の隅に、一人の男がへたり込んでいた。海賊風の格好だが、外にいた他の連中より身なりも体格も良い。村を襲っていた海賊達は簡素な水夫服の者が多かったが、その男は指輪や首飾り、服にも装飾品を多数身に着けている。
この男が船長なのだろうと、レオンは判断した。戦利品の大半を独り占めにしているのだ。そのやりようにペッと一度唾を吐いた後、レオンは威圧するように肩で風を切りながらその男に近づいていった。
相手に斬り掛かってこられる心配はなかった。男の喉元には、一本の小剣が突きつけられている。少しでも彼が不審な動きを見せれば、瞬時にその喉が貫かれるであろう。
その剣を握っているのは、金色の髪をした美しい女剣士だった。
エレナだ。
レオンに声をかけてきたのも、彼女である。戦闘をした後とは思えないほどに涼しい顔で、海賊の男を見下ろしていた。
この男が首領であるからには、それなりに手強い敵であっただろうと思われるのに、エレナは汗一つかいてはいなかった。瞬殺に近い戦いだったのだ。
男の服はあちこちが切り裂かれ、覗いている褐色の肌にも傷があった。一つ一つは致命傷にはほど遠いが、左太腿の傷だけはかなり深手で、ズボンに大量の血液が滲んでいる。無理をすれば立てないことはないだろうが、激しく動くのは難しいだろう。
一瞬の連撃でエレナは、男を戦闘不能にしたのだ。
(さすがだな……)
レオンは内心で舌を巻いていた。
エレナは、一人でここに来たわけではないようだった。
何処から手に入れたのか、長いロープを手にしたターニャがやって来て、剣を突きつけられた男を縛りあげはじめた。拘束し終えると、今度は男のシャツの一部を破いて太腿の傷の部分をきつく縛る。血止めのつもりなのだろう。
その二人を見て、レオンは思わず苦笑を漏らしていた。
先陣であるキッド達が船から飛び出していったとき、エレナもターニャも、彼と共にまだ甲板上にいたはすだ。
それから、いつの間に出陣して相手の首領の元まで辿り着いたのか。まさに電光石火の働きである。
(まったく、頼りになりやがるぜ……)
つくづくとレオンは思った。
ターニャが海賊の首領の応急手当をし終わったところで、レオンの方に笑みを向けながら、エレナが言った。
「こいつに、聞きたいことがあるんでしょう?」
レオンはまた心の中で苦笑した。
どうやら、それもお見通しのようである。初めからレオンの考えを見抜いていたからこそ、彼女はいち早くこの男を探し出して、制圧してくれたのだ。
逃げられないように。
いきり立った船員達が、勢い余って殺してしまわないように。
言葉に出すどころか目配せすらしていないのに、エレナは正確にレオンの意図を察して動いてくれたのだ。知り合ってからまだそんなに経ってもいないのに、まるで熟年夫婦の妻のような先読みではないか。
そんなことを考えつつ、海賊から見える表情のほうは厳しいものに変えて、レオンはエレナに剣を突きつけられている男に言った。
「てめえが頭か? 名前は?」
低い声で問うても、男は黙ったまま答えなかった。自身を見下ろして尋問するレオンを憎々しげに睨んできている。
どうやら、一海賊団の長としての矜持は、まだ残っているようだった。
「質問に答えなさい」
エレナが、男に突きつけている剣先をわずかに動かした。男の喉元の皮膚が切れ、プッツリと小さな血の玉が浮かぶ。
それで、男のわずかな矜持は吹っ飛んだようだった。
「……バラックだ」
男が口を開いた。
「バラックか……」
レオンは呟くように繰り返した。彼の仇敵であるバラクーダに似た名前に不快感を感じながら、レオンは続けて訊いた。
「あのゴブリンたちは、どうしたんだ?」
その答えを聞くために、男を生かして尋問したかったのだ。この男の背後にいるであろう、フェリペを攫った邪教神官の情報を得たかった。
見る限り、村の中には妖魔はいても、邪神の神官らしき敵はいない。
ここには来ていないのか、あるいは──
「お前……邪神の信者か?」
この男自身が邪神の神官であれば、それで全て話は済む。だが、おそらくそうではないだろう。さすがに目の前の男の格好は、神官のようには見えない。
ゆるゆると顔を上げて、バラックはレオンを見た。その瞳が、わずかに揺れていた。恐怖や怯えと同時に、見損なうなとでも言うかのように。
悪逆非道な海賊ではあるが、バラックはまだ人間なのである。光の神々の主神である太陽神・ソレイユの子として、この世に生を受けた者だ。
例え彼が、神の教えに背く行為に何の罪の意識を感じてはいなくとも、そして妖魔という邪神の眷属を何の葛藤もなく使役するような者であったとしても、それでも邪神に与する者だと言われることは、罪悪感の質が違う。
己の存在そのものに関わる問題だ。
大げさではなく、邪神に帰依するということは「人間であることを捨てる」に等しい。
光の神々の子であることをやめ、自らが邪神の眷属となることを意味するのだ。見た目は人間のままでも、その存在は外にいる妖魔達と同様のものに変わり果ててしまう。
「違う……」
俺は人間だ──。
レオンの問いに、苦々しげにバラックは答えた。
彼にはまだ、自分は人間であるという誇りと自負がある。
「じゃあ、あの妖魔どもはどういうわけだ?」
その問いかけにはしばらく黙していたバラックだったが、エレナがもう一度剣先を動かすと、やがて観念したように口を開いて話し始めた。




