その4 セシリアと三人娘
「困ったことをしてくれたな、バラクーダ」
男は、渋面を作って言った。
バラクーダは何も答えず、ただ憮然とした表情でそっぽを向いている。
心の中で嘆息しながら、男は続けた。
「フェリペは、ただの司祭ではない」
引退した身とはいえ、依然として国王の信頼が篤い王宮付き司祭で、王の嫡男であるラウル王子の家庭教師もつとめた男だ。
「確実に、ラウル王子と王立海軍が出てくるぞ。お前は、国軍全体から追われる身となる」
「……知らなかったんだよ。あの爺が、そんなにお偉い人だとはよ」
ぺっと床に唾を吐いてバラクーダが言った。
彼は、たまたま知り合った妖魔を使役する男の提示した報酬につられ、その教会襲撃に手を貸してしまった。教会にあった金品はバラクーダのものになり、代わりにその男は教会にいた者たちを攫っていった。
生け贄とするためである。
男は、邪神の神官であったのだ。
その神官が攫っていた者たちの中に、フェリペ司教がいたことをバラクーダが知ったのは、つい先程のことのようである。男が呼び出してそれを教えるまで、目の前の海賊は、フェリペをただの年老いた神官だと思っていたのだ。
教会襲撃を自身の仕業と喧伝していたのもそのためだ。悪名を轟かせて、大海賊としての地位を確固たるものにしようとした。邪神の神官に、フェリペ誘拐の罪をなすりつけられているとは、想像もしていなかった。
そのバラクーダの言い訳を聞いて、男は今度ははっきりと嘆息してみせた。
彼は、この海賊・バラクーダの庇護者だ。さすがに表立った支援はしていないが、バラクーダに様々な情報を流し、その悪行を何度も隠蔽してきた。国軍がバラクーダを危険視して手配せぬよう、あれやこれやと尽力してきた。
将来的には、この地の侠客をバラクーダに任せても良いとさえ考えている。
いま現在その立場にいる提督レオンは、彼から見れば人が良すぎる。その上、変なところが頑固で、扱いにくい。
レオンは、自身の信条に合わぬと考える行為にはけっして協力しようとしないのだ。それでかつて、彼はバラクーダと対立した。
そして、男がこれからやろうとしていることの多くは、レオンの信条には合わぬものばかりだ。この海の侠客が、やがて自身の敵に回ることは目に見えている。
だからそうなる前に、レオンではなくバラクーダをこの地の有力者にしようと思っていたのだが──。
男は、また一つ嘆息をしてから口を開いた。
「こうなっては仕方がない」
災い転じて福を成すことを考えよう。
そう言って、男はこれからのことをバラクーダに事細かく指示していった。
その一つが、王都のソレイユ神殿に投げ文をしろというものだ。
人質解放と身代金の交渉には、王宮付きの司祭であるセシリアを指定し、彼女一人で赴くように明記する。
「セシリア? 誰ですかい、それは?」
聞いてきていたバラクーダに、男は説明した。
「フェリペの養女とも言える女だ」
そして、ラウル王子と共に机を並べて学んだ仲でもある。将来の国王にとって、数少ない気の置けない友人だ。
だが、彼女がラウルの単なる学友ではないだろうとも、男は睨んでいた。
なんと言っても妙齢の男女のことである。友情とは違う想いを互いに抱いているだろうことは、想像に難くない。
身分が大きく違うから正妃に収まることはないだろうが、セシリアは将来、寵姫として王の側室となる可能性が高い女だと、男は考えていた。
「……そんな女を呼び出したら、それこそ王子が出てきてしまうんじゃないですかい?」
不安そうに言ったバラクーダに、男は答えた。
「そこが目的なのだよ」
セシリアに、”一人で来い”と言うことが重要なのだ。
──軍を使ったら、フェリペを殺す。
そのことを先に宣言しておけば、例えラウルがセシリアのために出張るとしても、おおっぴらに軍を使うことはできない。せいぜい少数の護衛を付けるだけにとどめるだろう。
それが狙いなのである。
護衛の少ない状態の王子を引っ張り出すのだ。
王子本人ではなくセシリアを指命するのは、直接にラウル本人を指定すれば、相手に警戒されかねないからである。
「──様。いったい、何をお考えで?」
緊張に脂汗を垂らした海賊に、ニヤリと笑って男は言った。
「軍を動かせず、なおかつこの地で海賊と相対せねばならぬとなれば……」
ラウルは必ず領主であるリヴォーリ侯爵家に助力を求めてくる。土地勘もあり、戦力も、信用もあるリヴォーリ家の者が王子の護衛、もしくは水先案内を務めることになるだろう。
そして、そうなれば……。
「バラクーダ……。上手くいけば、お前はこの国の海軍大将になれるかもしれんぞ」
ククク、と男は笑った。
そのとき、この国の王であるのは他ならぬ自分だ。
つられるように笑みを浮かべたバラクーダに、しかし男は釘を刺すように言った。
「だが、もしもまた下手をうつことがあったら……」
その言葉に、慌ててバラクーダが笑みを引っ込める。
それを見て、男は続けた。
「別の名前を考えておけよ、バラクーダ」
この計画が失敗すれば、大罪人である”海賊バラクーダ”には死んでもらわねばならぬだろう。だが、男が彼を見捨てることはしない。名前を変えて、別の人生を歩んでもらうことになる。
海賊に事態の深刻さと、男からの信頼感とを同時に理解させると、彼は席を立って会見の場を後にした。
※
リヴォーリ侯グスマン、ラウル王子らと会見した翌朝、レオンは再びグスマンの別邸に赴いていた。
セシリアを”紅玉の波姫”号に迎え入れるためである。
フェリペが存命しているとして──囚われの身になっているにしろ、生け贄にされそうになっているにしろ、救出するならば当然、早いほうが良い。
それでレオンもセシリアも、昨日一日で慌ただしく出立の準備をした。休暇気分だった仲間達に檄を飛ばし、レオンは航海と戦闘の準備に奔走させた。
今朝、レオンが別邸に伴ったのは、ギムザではなくエレナである。船長であるギムザは、レオン達が帰還したらすぐに出港できるよう船に残って準備を進める必要があるし、セシリアを迎えに行くならば、同年代の女性を伴った方が彼女も安心するだろうと思ったからだ。
そのレオンの気遣いは、見事に当たったようである。旅路姿のセシリアは、すぐにエレナと打ち解けた。硬かった表情が、若干ほぐれはじめている。
神官と剣士という、冒険者としては対照的な職種の二人だが、彼女たちはそれ以外のところで色々と話の合うところがあるようだった。
レオンは常々思っているのだが、エレナにはどこか、彼らには馴染みきらない孤高の雰囲気がある。姫君のような容貌もそうだが、レオン達のような荒くれ者や港町の娘達とは、どこか何かが違う。
彼女はレオン達と出会う前の自身の過去のことを、けして誰にも話そうとはしないが、レオンは、もしかしたら彼女は、かなりやんごとなき家の出身なのではないかと考えている。
だからセシリアと話が合うのかもしれない。
彼女も、王宮付き司祭として、この国で最も高貴な場所で日常を過ごしている者だ。準貴族と言っても良い立場の女性である。
エレナは、そのような女性とこそ話が合う人間なのだ。そこに、レオンは彼女の出自の秘密を知る手がかりを得た気がしていた。
その彼女たちはいま、髪や肌の手入れをどうしているか、という話題に花を咲かせている。
奔放に生きているように見えるエレナだが、実はそこにはかなり気を遣っているらしい。潮風や強い日差しに当たる時間が多いにもかかわらず、エレナの髪や肌はいつも貴族の令嬢のように綺麗で、痛む様子がないと以前から不思議には思っていたのが、どうやらそこには陰の努力が存在していたようである。
なんだか女の秘密を垣間見てしまったようで気恥ずかしくなったレオンは、二人の話に耳を傾けるのはやめて、賑わう港町の景色を愉しみながら船へと戻ることにした。
港に着いて、停泊するルビーウェイベス号を見たセシリアが、目を輝かせて言った。
「お話に聞いていたとおり、本当に赤いのですわね」
真っ赤に塗られた船体を見てそう口にした後、船首に飾られた女性像の胸の部分を指さして、彼女は続けた。
「あれが、船の名前の由来になった”ルビー”ですわね?」
「本物じゃなく、ガラス玉だけどな」
レオンは苦笑して答えた。あれほど大きなルビーが仮に実在するのなら、さすがにあんな風に無防備に船首に晒したりはしない。
ルビーウェイベス号の船首に飾られている石は、かつて彼が助けた浜でガラスを作る者から贈られたものだった。本物ほどの輝きはないが、それでも燦々と降り注ぐ日光を反射して赤い独特の光を放っている。
「キャプテン・キッドの伝説にあやかってるのよね」エレナが口を挟んだ。
かつてこの辺りの海を我が物顔に駆け回った、大海賊にして義賊であるキャプテン・キッド。彼の船の船首には海竜の像が飾られており、その胸には青い大きな宝石が嵌め込まれていたという。
「ああ……それからカーバンクルの伝説にもな」
多少照れながら、レオンはそう言った。
それは、南の大陸に住むと言われる伝説の小動物である。ネズミやリスのような姿をしていると言われているが、詳しい生態は分からない。捕らえることも、じっくりと観察することも極めて難しいからだ。近づいていくと一瞬のうちに姿を消して、離れたところに現れるのだという。
カーバンクルの額にはルビーのような真っ赤な宝石が埋まっており、これを手に入れた者は、富と名誉を得られるのだと、伝説では語られていた。
その話を知っていたガラス細工の親方が、レオンへの感謝の印としてこの石を作ってくれたのである。
「あら、カーバンクル……」
それを聞いたセシリアが、意味ありげな微笑を漏らした。大きく垂れた形状の司祭服の裾に片手を入れ、何故だかもぞもぞと動かしている。
「キャプテン・キッドといえば……」
セシリアと共に船首の宝石を眺めていたエレナが、ぽつりと思い出したように呟いた。
「うちのキッドは、いったい何をしているのかしら?」
彼女の目の届かないところで、誰かに迷惑をかけていなければいいのだけれど。
エレナが心配そうな顔をしたとき、船上から高い声が響きわたった。
「あ~~~っ、帰ってきたぁ~っ!」
見上げると、甲板上に二人の女の影があった。小柄な方は、ノーム族の少女ターニャだ。十歳過ぎの子供の外見である。
大地の神・テールの眷属であるノームは、成人でも子供に見えるほど小柄な者が多いから、ときにその年齢を推し測るのが難しいことがある。ただ、ターニャの場合は外見と実年齢がほぼ一致していた。彼女はもうすぐ十二歳だ。
見た目と年齢が大きく解離しているのは、もう一人の女性、キッドの方である。
先端に布を巻き付けた長い三つ叉の矛を肩に担いでタラップを駆け下りてくる彼女は、外見上は二十歳前後の娘に見える。だが、その言動はもっと低年齢──下手するとターニャとあまり変わらないと、レオンもエレナも常々頭を痛めていた。
しかし、実年齢で言えば、彼女はこの船の誰よりも年上なのである。
キッドは人間ではない。
いや、いまは”一応”人間であるが、その前身は海神・オセアンの眷属である海竜であった。
とある事情で長らく封印されていた彼女は、あるときターニャの手によってこの世に復活した。そして、レオン達と共に港町を襲ってきた邪悪な魔物を退治した功績を認められ、海神によって彼女の望むとおりの姿に──人間に生まれ変わったのである。
海竜の寿命は永遠と思えるほどに長いから、封印されていた期間を差し引いても、彼女がかなり長い年月、この世で生きてきたことは間違いない。
本人もきちんとは数えていないらしいから、正確なところは分からないが、その年齢は三桁を超えているだろうとレオンは考えている。
ただ、寿命の長い海竜は、精神的に成熟するまでの期間も長いから、彼女の精神年齢はそれほど高くはないのだろう。おそらくオセアンは、彼女を人間にするときに”相応の年齢”として生まれ変わらせたのだろうと思われる。人間で言えば、二十歳前後なのだ。
言動が余りターニャと変わらないように──外見よりも幼く思えるのは、彼女個人の性格というのもあるが、人間として生きてきた時間が短いから、まだヒトしての分別がついていないのだろうと、レオンは自分を納得させている。
いまも彼女は、絵物語に出てくるような、無駄に大仰で安っぽい海賊衣装に身を包んでいた。
それを見るたびに、レオンはいつも
──ごっこ遊びか!
と突っ込みたくなる。
顔立ちが整っていてスタイルはいいから、仮装して店の宣伝をしているどこかの看板娘に見えなくもない点が唯一の救いか。
そのノームの少女と”海賊娘”が、たたたっと走ってレオン達の元にやって来た。
「この人が、ソレイユの神官様ぁ~?」
ターニャが子供の特権である無遠慮さで、楚々としたよそゆきの笑みを見せるセシリアをじろじろと眺め回した。
「綺麗な人ぉ~。エレナさんといい勝負ぅ~」
本人を目の前にして、屈託なく感想を口にする。
「でも、エレナより優しそうだよ」そう言ったのはキッドだ。「良かったぁ~。目のつり上がった、うるさそうなオバサンが来たらどうしようかと思ってた」
お前は年齢相応の行儀を少しは見せてみろと、レオンは思った。これだから、グスマンの所になどはとても連れて行けない。
「貴女がちゃんとしていれば、私だってうるさくは言わないわよ」
レオンと同じ感想を抱いたのだろうエレナが、キッドの言葉に目を吊り上げた。
ほら来た、とレオンは思った。
「ちゃんと留守番してた? 何か悪さしてないでしょうね!?」
「してないよぉ~」
ガミガミとキッドに説教しはじめたエレナを見ながら、苦笑交じりにレオンはセシリアに謝った。
「すまんな。五月蠅い連中で」
「いえ」にっこりとセシリアが微笑む。「賑やかで、楽しそうですわ」
その言葉を額面通りに受け取ってもいいものだろうかと、レオンは思う。
伏魔殿のような王宮での社交に慣れた彼女は、たとえ本心と違うことでも、涼しい顔で言ってのけるに違いない。
「キッドさんとターニャさんですわね。セシリアと申します。よろしく」
果敢にも三人娘の間に割り入って挨拶をするセシリアを見て、レオンは思わず目を細めた。
なかなかに壮観な景色だと思った。
黙っておとなしくしていれば貴族の姫君に見えるエレナに、無邪気で可愛らしいターニャ、屈託のない人好きのする顔立ちのキッド。そこに、楚々とした聖女然という佇まいのセシリアが加わる。
最近、他の船の男たちから、ルビーウェイベス号の船員が羨望のまなざしで見られていることをレオンは知っている。
これだけの美しい女性達が揃っていれば、当然のことだろう。セシリアの加入で、船の若い男衆の士気はさらに上がるに違いない。美人の前では、イイ所を見せたいのが男のサガだ。
(愚痴を言ったら、罰が当たるのかもな……)
親しげに話し始めた四人を見て、レオンはそう心の中で呟いた。




