その3 攫われた司教
レオンの返答に頷いたグスマンが、伺いを立てるようにラウル王子の方を見た。
「貴公から話してくれ、グスマン卿」ラウルが言った。「その方が、この者も楽に話を聞けるだろう。間違いや追加があれば、その都度指摘する」
「承知いたしました」
恭しく頭を下げたグスマンが、レオンの方に目を向けた。
「おまえに頼みたいのは、このセシリア殿の護衛と、ある方の救出だ」
「救出?」
レオンは訊き返した。
この海域を航行する者の護衛は、まさにレオンの本職である。商船は勿論、貴族の私船を護衛することだってしばしばだ。その中には、グスマンの紹介で得た仕事もある。だからセシリアの護衛、という仕事はいつものことだとも言えた。
だが、「救出」というのは穏やかではない。
「フェリペ司教のことは知っているか?」
「……あいにく、中央の事情には疎いもので」
そう答えたレオンに重々しく頷いてから、グスマンは説明しはじめた。
フェリペ司教は、正確には”元”司教である。三年前までこの国のソレイユ神殿の頂点に君臨しており、国王からの信任も厚かった。
老境に差しかかって引退してからは、後任の司教の相談に乗ったり、各地の神殿の視察に出向いたりして過ごしていたが、一ヶ月ほど前、長年帰っていなかった故郷の神殿に行くと言って王都を出たきり、行方が分からなくなった。
「どうやらフェリペ司教が滞在していた神殿が、海賊に襲撃されたようなのだ」
そして司教は、襲撃者に連れ去られてしまったらしい。
「どこの海賊団です?」
そう聞いたレオンに、厳しい表情でグスマンは答えた。
「バラクーダだ」
レオンの眉がピクリと動いた。口の奥で、ぎりりと歯を噛みしめる。
バラクーダは、海賊時代のレオンの兄貴分だった男だ。そして大恩ある船長を裏切って殺害し、その海賊団を乗っ取った憎むべき相手でもある。レオンにとっては、自身の父代わりであった男を殺した仇敵なのだ。
「奴は、フェリペ殿の命を助けたくば金を払えと要求してきた」
王都のソレイユ神殿に投げ文があったのだという。
身代金受け渡しの場所と金額の指定は、まだされていない。だが、条件が一つ付随していた。
それが、交渉相手としてのセシリアの指名であった。しかも、一人で来いという。
「危険すぎる」
思わず呟いたレオンに、グスマンが重々しく頷いた。
「もちろん、そのような条件は受け入れられない。しかし、だからといってフェリペ殿を見殺しにするわけにもいかぬ」
そこで変わりの交渉相手として出馬したのが、ラウル王子であったという。さすがに一人でというわけにはいかないが、一国の王子としては異例なほどの少ない護衛で、海賊の交渉役と対面した。
──セシリア一人で来いという条件は受け入れられぬが、その代わりにヴァロア王国が交渉と身代金の支払いを引き受ける。
それは、相手にこちらの本気度を見せつけるためでもあった。
フェリペの身に何かあれば、国の威信をかけて海賊の殲滅を図る。バラクーダは、大陸屈指の大国であるヴァロアの全軍を相手にすることとなる。
一方、フェリペの安全を保証するのであれば、身代金の額はソレイユ神殿が払える額よりも大きくなる。海賊にとっても悪い話ではない。
それでも、
(危ないことをしやがるぜ……)
と、心の中でレオンは独りごちた。
手練れの護衛を付けていたのではあろうが、それでも王子ともあろう者が直接に海賊の手の者と会うとは──。
どうしてラウルが、フェリペとセシリアのためにそこまでするのかと、レオンは一連の成り行きに少し疑問を感じた。
フェリペは、かつてはソレイユ神殿の頂点にいた男であるとはいえ、いまは隠居の身だ。国を挙げて──王子がその身を危険に晒してまで、救出に動く程の者かというと疑問が残る。一司祭にすぎないセシリアについても同様だ。
そのレオンの疑問を察したのだろう。ラウルが口を開いた。
「フェリペ殿は、私の家庭教師を務めてくださった方なのだ」
王の信頼の厚かった彼は、司教としての仕事の傍らにラウル王子の教育係も務めていた。そのとき、彼とともにフェリペの教えを受けたのがセシリアである。身寄りのなかった彼女は、フェリペに引き取られて神殿で育てられていた。
ラウルにとってフェリペは恩師であり、セシリアは数少ない同年代の朋友だ。その危機に尽力するのは当然のことだろうと、王子は言った。
「お話は分かりました。つまり、俺……私の仕事は、ラウル殿下が身代金交渉中のセシリア殿の護衛と、身元引き受けの際のフェリペ殿の救出ですね」
確認するように言ったレオンに、しかしグスマンは首を横に振った。
「いや、それが違うのだ」
いまレオンが言ったことは、この地の統治者であるリヴォーリ侯爵家が責任を持って行う。老境のグスマンに代わり、彼の娘婿であり、この地域の海軍司令でもあるデルフィーノ子爵がラウル王子の護衛を努めるという。
では、自分の役割は何なのかと目で問うたレオンに、グスマンが説明を続けた。
「殿下は、人質解放交渉の際の海賊側の様子が、少し不自然であったと感じておられるのだ」
「不自然?」
「フェリペ殿が生きている証拠を見せろと言っても、言葉を濁すばかりで明確な返答がなかった」
レオンの疑問に答えたのは、ラウル王子自身であった。
「フェリペ殿ご自身に手紙を書かせるとか、肌身離さず身に着けているであろう聖印を持ってくるとか、方法はいくらでもあるはずなのだが」
いずれも、海賊側から色よい返事はなかった。
手紙については、そこに海賊側にとって都合の悪いことを──監禁されている場所を知らせる内容などが書かれてしまうことを警戒したのかもしれないが、それならば簡単な署名のみ、などでも良いはずだ。
「それをしない……できないということは、考えられることは二つだ」
一つは、フェリペは既に殺されているという可能性である。だから、手紙や署名を書かせることができない。この仮説をラウルが述べたとき、セシリアの表情が苦しそうに歪んだ。
「そしてもう一つの可能性は、フェリペ殿はいま、海賊達の元には居ないというものだ」
誰か他の者に引き渡してしまったのか、あるいはそもそもフェリペを攫ったのはバラクーダ達ではないのか。
「なぜ、そのように思われるのです?」
レオンは聞いた。フェリペが既に死んでいるという仮説には納得できるが、後者の考えは──いくらフェリペ生存の可能性を信じたいのだとしても、少し飛躍しすぎているように思えた。
そのレオンの問いに答えたのは、グスマンだった。
「目撃者の証言だ」
教会が海賊に襲撃されたとき、何とかそこから逃げ出して、近隣の村に助けを求めに行った者がいた。
「その者が言うには、襲撃者の中にはゴブリンやコボルドが混じっていたようなのだ」
レオンは訝しげに目を細めた。
それは、どちらも邪神の眷属である妖魔だ。
いくら海賊とはいえ、バラクーダがそのような魔物を使役しているという話は聞いたことがない。
「襲撃者の中には、邪神の神官らしき男もいたという。そしてどうやら、フェリペ殿や他の神官達を連れ去ろうとしたのは、海賊ではなくこの神官の方らしいのだ」
バラクーダら海賊は、邪神教団の教会襲撃に手を貸しただけの可能性がある。金で雇われたのか、教会の宝物を狙った利害の一致なのかは分からないが。
「邪教には、生け贄の儀式があります……」
沈痛な面持ちで、セシリアが口を開いた。
邪神がその信徒に求める生け贄の対象は様々だ。動物、光の眷属、そして人間をはじめとするヒューマノイド……。
そのなかでも、最も位の高い生け贄とされる者が、光の神々の長である太陽神・ソレイユの神官だ。邪神にしてみれば、最も憎き神に仕える使徒なのである。
元司教であったフェリペなどは、邪神を奉ずる者にとっては格好の獲物であろう。
海賊バラクーダは教会襲撃には手を貸し、宝物や食糧を奪っていったが、司教の拉致には関与してはいない。自分が攫ったふりをして、あわよくば身代金だけをせしめようという腹ではないかと、ラウルはそう推測したのだ。
「ただ、フェリペ殿を攫ったのは、やはりバラクーダだという可能性も残されている」
あるいは、邪教神官からフェリペを奪ったのかもしれぬ。
だからラウルは引き続き、海賊との人質解放交渉にあたる。とはいえ、邪神教団の方を放っておくわけにもいかない。
「例え、フェリペ様がもう生きてはいらっしゃらないのだとしても……」
一瞬、辛そうな表情で目を伏せた後、セシリアは決然とした顔で先を続けた。
「光の主神であるソレイユ様の神官として、邪神の神官を野放しにておくわけには参りません」
それで、邪教神官の方の調査は彼女が担当することになったのだ。
ようやく、レオンにも話の筋が見えてきた。
彼の仕事は、ラウルとは別行動をするセシリアの護衛。そして、もしもフェリペが邪神教団に捕らえられていた場合には、その救出。
だが、もう一つだけ分からないことがある。
「どうして、俺に?」
グスマンの方を見て、レオンはそう問いかけた。
海に面する大国であるヴァロアの海軍は、世界でも有数の規模だ。海賊と邪神教団の二面作戦に対応できぬほど手薄とは思えない。出自の怪しげな侠客の手を借りねばならぬほど、人手不足であるはずがないのだ。
だから、そこにはまだ何か、説明されていない事情が存在するはずである。
「問題が一つあってな」
案の定、グスマンが言った。
「フェリペ殿が攫われた教会は、オルレシア領内にあるのだ」
ヴァロアの隣国であるオルレシア皇国内の、国境に近い海辺の寒村がフェリペの故郷だという。彼はそこからヴァロア側に移住し、立身出世を遂げたのだ。
この話を聞いて、レオンには全てが呑み込めた。
オルレシア領内で、ヴァロア軍がおおっぴらに動くわけにはいかない。両国の関係を考えれば、ここでオルレシアに余計な借りも作りたくはない。
そこで、国境を跨いで活動できるレオンに白羽の矢が立ったのだ。それは、能力・人柄両面でのグスマンからの信頼の証でもあろう。
「委細、承知いたしやした」大仰に頭を下げて、レオンは言った。
「万事、この提督レオンにお任せください」




