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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第五話 南の内海の陰謀
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その2 リヴォーリ侯爵グスマン

 侠客というのは、ヴァロア王国における正式な役職ではない。お隣のオルレシア皇国だって同様だ。


 一般的に言えば、レオンの職業は海洋専門の傭兵兼貿易商人ということになるだろう。


 彼が担っている集落の治安維持や住民の揉め事解決は、経済力と武力、それに海辺や島々に住む者たちからの信頼を背景として、あくまで「自主的に」行っていることに過ぎない。


 時に振りかざす捜査権やならず者の制圧行為だって、これらは本来、領主の専権事項だ。忙しいお役人様の手を煩わせないよう、レオンがお墨付きを得て代行している形になるわけだが、そのお墨付きだって所詮は空手形である。


 もしも領主様が、「レオン? そんな奴は知らん」などと一言仰れば、レオンはたちまち暴力的な無頼の徒として、お尋ね者にすらなりかねない。


 領主の胸先三寸でいかようにもされてしまう、砂上の楼閣の上にレオンはいま立っているのだ。


 だが、それでも彼は、自分に侠客としての生き方を与えてくれたこのリヴォーリ地方の領主には感謝していた。


 リヴォーリ侯爵グスマンは、レオンの命の恩人なのである。


 孤児であったレオンは、物心ついた頃から、とある海賊の親分に育てられていた。その親分が、部下であったバラクーダという男の反乱にあって殺されたとき、命からがら逃げ出したレオンを助けてくれたのが、グスマンであった。


 レオンを育ててくれた海賊は、今時珍しい「富める者からしか略奪はしない」「可能な限り人殺しは避ける」を信条にしていた男で、海賊を取り締まる立場のグスマンも、彼にだけは一目置いていたという。その心根を忠実に受け継いだレオンのことも、実は随分と前から知ってくれていたらしい。


 グスマンは、助けたその若者に「悪さには使うな」と言って武装船を与えてくれたのだ。海賊である自分に、本当にいいのかとその時は思ったものだが、今から考えれば、レオンという男を見込んでの投資のつもりだったのであろう。


 そうまでされては海賊に戻るわけにもいかず、レオンは海洋専門の傭兵や貿易をしながら稼ぐようになった。そして期待通りにレオンが頭角を現してくると、グスマンは次に様々なお墨付きを彼に与え、それを使って海辺の治安を守らせる代わりに、彼の”商売”に対する各種便宜を図ってくれるようになった。


 海辺の侠客・提督(アドミラル)レオンの誕生である。


 今のレオンがあるのは、グスマンのおかげなのだ。


 レオンが悪党や海賊から街や村の人々を守るのは、もちろん義憤やお役目ということもあるが、大恩あるグスマンの領内で勝手な真似はさせないという思いも強い。


 港町サンレモニにあるグスマンの別荘に定期的に出向くのも、縄張り内の近況報告の他に、レオンの方がグスマンの様子を確かめにいくという目的があった。のれん分けされた弟子が、育ててくれた親方の顔を定期的に見に帰るようなものである。


 共にやって来たギムザを館の前で待機させ、一人会見の場となる応接室に通されたレオンは、しばらくの間、そこで一人座って待たされた。


 どうやらグスマンは、彼と会う前に何か緊急の用事が入ってしまったたようで、約束の時間には少し遅れそうだということである。


 座り慣れない、腰まで沈んでしまいそうなほどふかふかのソファの上で、小一時間ほども手持ち無沙汰にしていると、やがて屋敷の奥に通じる扉が開いて、グスマンが入室してきた。


「待たせてすまない。久しいな、レオン。変わりがないようで何よりだ」


 そう言ったグスマンは、先に会見したときよりも少し老いが進んでいるように見えた。


 往年の名君も、時の流れには逆らえない──。レオンはなんだか少し寂しくなってしまった。


 しばらく内海の情勢や互いの持つ情報の交換を行った後、二人の話は雑談へと移っていった。やがてグスマンが、扉の方をチラチラとしきりに窺い始めたことにレオンは気づいた。


(誰かを待っているのか?)


 レオンに会わせたい者がいて、その者の準備が整うまで雑談でこの場を持たせようというつもりなのかもしれない。そう考えたレオンは、話の種として、最近はしばらく耳にしていないことを問うてみることにした。


「そういえば侯爵。ベアトリーチェ殿はお元気にしてますかい?」


 グスマンの一人娘のことである。彼女は昨年、とある貴族の次男坊と結婚した。将来はこの娘婿が、リヴォーリ侯爵領を継ぐことになるだろう。


「ああ……」


 娘の話題が出た瞬間、グスマンの顔が少し曇った。


「元気にやってはおるようだな。夫となったデルフィーノ卿にも、よくして貰っているようだ」


 言葉とは裏腹に、グスマンの表情はいかにも冴えないものだった。もしかしたら、政略結婚で夫となった男との仲が、あまり上手くいってはいないのかもしれない。孫が生まれそうな気配もないようであった。


 レオンは、結婚前に最後に会ったときのベアトリーチェの顔を思い浮かべた。


 大貴族の令嬢だということを鼻にかけることのない、奥ゆかしくて物静かな娘だった。ただ、笑うと顔がパッと大輪の花が咲いたようになる。レオンの話す南の内海での冒険譚を、目を輝かせて聞いていたのが印象的だった。


 彼女の顔立ちは、グスマンとはあまり似てはいない。しばらく前に亡くなった母君似なのだろうという噂だが、肖像画を見る限り、ベアトリーチェは母ともあまり似ていないようにレオンは思う。


 彼女はグスマンの本当の娘ではないのではなかろうか──ということは、彼に近しい者たちの間ではずっと囁かれている噂であった。


 グスマンの妻・マヌエラは、再婚なのである。亡くなった前の夫は、グスマンが無二の親友と思う男であったと聞いている。平民出身のマヌエラとその男は駆け落ちで結婚していたから、彼女は夫を亡くしてから頼る者もなく、路頭に迷いかけていた。そこを庇護したのが、グスマンなのである。


 彼女とグスマンの結婚は、最初は名目上のことであっただろうというのが、もっばらの噂だ。自身の妻としてマヌエラを侯爵家に迎えることで、グスマンは彼女の保護を図ったわけである。


 そしてグスマンと結婚したとき、マヌエラは既に身重であったというから、その子の父は彼女の前の夫ではないかと推測される。


 グスマンとその”妻”との間には、ベアトリーチェ以外には子供はいない。マヌエラが亡き先夫に操を立てていたのか、たまたま授からなかっただけなのかは分からない。


 ただ、晩年のマヌエラとグスマンは領内でも評判のおしどり夫婦であったというから、最初は名目上の結婚であっても、やがて二人の間には夫婦としての愛が芽生えていったに違いないとレオンは思っている。


 ベアトリーチェのことも、グスマンは自身の娘として慈しみ、大切に育てていた。彼女自身は、自分が父の本当の娘ではないのではないか──とは、考えてもいないだろう。レオンの目から見ても、本当に仲の良い父娘であった。


 グスマンがここ最近、急激に老けたように思うのは、あるいはその愛娘が無事に嫁いで行ってしまったことも大きいのではないか。


(まずい話題を出しちまったかな……)


 レオンは少し後悔した。


 ベアトリーチェの話を皮切りに、彼女の夫であり、将来のこの地方の領主になるであろうデルフィーノという男の人となりを聞いておきたかったのだが。


 微妙な空気が立ちこめた部屋に、扉を叩くノックの音が響いた。助かったとばかりに、グスマンが立ち上がる。


 扉の外の者と応答をしていた執事が、小声でグスマンに何かを言った。重々しく頷いたグスマンが、レオンに向かって口を開く。


「レオン……すまないが、お前に会わせたい御方がいる」


 その言葉を聞いて、レオンも椅子から立ち上がった。


 グスマンは、執事と共に扉の脇に控えようとしていた。侯爵である彼が、これから迎え入れる者に、明らかに多大な敬意を払おうとしている。


 相手は、相当に地位の高い人物なのであろう。


 グスマンとレオンの様子を確かめてから、執事が扉を開けた。


 恭しく頭を下げるグスマンに頷きかけながら、二十代後半に見える二人の男女が部屋に入ってきた。


 どちらも初めて見る顔だ。


 男のほうは貴族風の装いだが、女のほうは司祭服を着ている。


 両者とも華美ではないが、仕立ての良い上物の衣装のように思えた。特に男のほうは、所々にあしらわれた装飾品も最上級の物に見える。


 グスマンは、その男の方に最大限の敬意を払う振る舞いをしていた。彼の娘やその婿と同年代の青年に、まるで臣下のような態度をとっている。


 ──いや、実際に臣下なのか。


 レオンは思った。


 あの青年の若さで、侯爵であるグスマンにこれほどの態度をとらせる者などそうはいない。


 考えられるとすれば──


「殿下。この者が、先にお話ししたレオンです」


 そう紹介されて、レオンは深々と頭を下げた。グスマンは、若い男に「殿下」と呼びかけていた。王族なのだ。相手が王族だからといって、へりくだるような柄でもないが、グスマンの顔に泥を塗るわけにもいかない。


「レオン」次に、グスマンがレオンの方を見て言った。「紹介しよう。我がヴァロア王国国王・フェルディナンド三世陛下の御嫡男・ラウル殿下だ」


(やはりか!)


 心の中でレオンは叫んだ。


 予想はしていたが、しかし一方で、信じられないという思いも強かった。


 王子ともあろう者が、何故ここに? そして、どうして自分のような下賤な者の前に姿を現したのか──。


 いくつもの疑問を浮かべるレオンに、グスマンはもう一人の女も紹介した。


「そしてこちらが、王宮付き司祭のセシリア殿だ」


 レオンに向けて頭を下げた若い女司祭の服には、太陽を象った意匠があしらわれていた。太陽神ソレイユの紋だ。セシリアは、ソレイユの神官なのである。


「レオンと申します。……何か非礼がありましたら、お許しください。まっとうな教育を受けていないものですから」


「良い。楽にしてくれ。私もお忍びの身だ」


 そう言ったラウルに、グスマンが椅子を勧める。王子とグスマンが腰掛けるのを待って、レオンとセシリアもソファに腰を沈めた。


「レオン。突然ですまないが、実はおまえに頼みたいことがあるのだ」


 皆が座るのを待って、グスマンがそう口を開いた。


 そらおいでなすった、とレオンは思った。


 なぜグスマンが、お忍びでここまで来たという王子に彼を会わせたのか──?


 きっと何か、重大なトラブルが起きているのだ。


 軍や役人では解決できない問題なのか、あるいは彼らを動かすことのできない事情があるのか。


「俺が力になれることであれば、なんなりと」


 そうレオンは答えた。


 頼みというのがどのような内容なのかは分からぬが、本来であれば一生お目にはかかれぬ程の高位の人物が直接に足を運んできたからには、断るという選択肢は彼にはない。


 まして、大恩あるグスマンを介した依頼であれば尚更である。


 じっとりと掌が汗ばむのを感じながら、レオンはグスマンが続きを話すのを待った。

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