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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第四話 妖精の森のコーデリア
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その18 我らが宝

 ──母の冠を仰ぎ 宝珠の中に至れば


   我らが宝はそこにある──




 カチャリという音が聞こえて、マテオは何気なくそちらの方に目を向けた。


 アンジェリカが、具足に包まれた長い足を組み替えたところだった。


 組んだ足に片手を置き、思案げな表情で彼女は口を開いた。


「結局、宝というのはここの書庫のことなのか?」


 この場所は、離れて暮らす兄弟の絆の証ともいえる。


 ここを訪れることで、彼らは互いの無事と幸福を知ることができる。


 それは、彼らにとって何よりの宝であろう。


「あるいは……やはり、あの棺が”宝”なのではないか? 中には、彼らの母の遺体が収められているのではないだろうか?」


「言いたいことは分かるが……。しかし、そうなると古文書の最後の二節は一体何なのだという話になる」


 ファルコがアンジェリカに反論した。


 彼女の言う棺は”宝珠”の外にあった。宝は、”宝珠”の先になければおかしいのである。


「あの崖のところに、ルクレツィアとカルロが埋葬されているんじゃないかしら?」


 そう言ったのはコーデリアだ。


「だが……それならば普通は墓石ぐらい建てるのではないか?」


 悩みながらアンジェリカが言う。


 あの場所にはそれなりの広さがあった。それほど豪奢なものではなくとも、どこに死者が眠っているのかという目印ぐらいは置くのが普通だろう。ミスリルを岩に偽装できる技術力を持つ者たちだ。その場合、数百年で朽ち果てて消えてしまうような目印を置くとも思えない。


(まさか、遺体を崖から投げ捨てたということはないよな……)


 マテオは一瞬そう思ったが、さすがに口には出さなかった。


「あの崖に宝がある、あるいはあの場所そのものが”宝”だという意見には俺も賛成なのだが……」


 顎をさすりながら、ファルコが考え込んだ。


 沈黙が支配した場で、次に口を開くのはいったい誰かと一同を見回したマテオは、そこでふと、この場に姿が見えない者がいることに気がついた。


「あれ……? パットはどこに行ったんすか?」


 そういえば、という様子でコーデリアが部屋を見回した。


「どこかに潜り込んで寝ているのかしら……」


 猫は狭いところに入り込むのが好きである。


「まさか、他の枝道に入り込んだりはしていないよな?」


 そう言いながら、やや焦った様子でアンジェリカが立ち上がったときだった。


 とっとっとっ、と軽快な足音を立ててパットが部屋に入ってきた。


「パット! どこ行ってたの?」


 勝手に歩き回っちゃ駄目じゃない──。


 目を吊り上げるコーデリアに、パットが例のニイィッという笑みを見せて口を開いた。


「オーヴェルに頼んできたよ。お宝、見せてくれるってさ」


「オーヴェル?」


 マテオ達は目を見合わせた。なぜ、ここで妖精王の名前が出てくるのだろう。


「この遺跡に入ることは許可したくせに、オーヴェルったら照れてたみたいでさ。そこを見せなきゃ意味がないでしょって、言ってきた」


 ──いったいどういうことなのだ?


 困惑するマテオ達を尻目に、パットが再び部屋の出口へと歩き出す。一同は慌ててケット・シーの後を追った。


 パットは”騎士の剣”を通り、”騎士の盾”、”王妃の愛の証”と迷うことなく進んでいく。”母の冠”の階段を軽快に上り、人間達を待つこともなく”宝珠の中”へと入っていってしまった。


 若干、息を弾ませながらパットについていったマテオは、暗所に慣れた目に突き刺さる日の光に思わず目を細めた。


 崖の中腹に口を開いた割れ目に、斜めに太陽の光が降り注いでいた。すでに日は中天を過ぎている。


「さあさあ、皆様。もっと、ずずいと前へ──」


 先に崖の割れ目に到達していたパットが、芝居がかかった口調で言った。


 促されるまま、マテオ達は崖際へと歩を進める。


 遙か眼下に、岩場を切り裂く川の流れが見えた。視線を上げると目の前には切り立った崖。その表面には互いに絡まり合いながら、蔦が縦横無尽に走っている。


 このような崖の中腹から眺める断崖の景色というのは、確かに希有なものではあるのだろう。だが、”宝”といえる程のものでもないようにマテオは思う。”猫の額”から見た夕日や朝日の方が、よっぽど素晴らしかった。


 横を見ると、ファルコやアンジェリカの表情にも感動は見られない。コーデリアも同様だ。マテオが気づいていない、何か珍しいものが見えるわけでもなさそうだった。


「パット、ここはいったい……」


「ちょっと待っててね、コーデリア」


 怪訝な表情のコーデリアの言葉を遮って、パットが崖の方を向いた。両手を口元に当て、呼びかけるような大声を出す。


「オーヴェルぅ~! みんな、来たよ~!」


 ──オーヴェルがいるのか?


 マテオはもう一度周囲を見回した。崖下や崖の上は勿論、空にまで目を向けてみたが、妖精王の姿は見当たらない。


 もう一度正面の断崖に目を戻したとき、マテオはあっと思った。


 岸壁を覆っていた蔦がうねうねと動き始めていた。崖を見る人間たちの目から逃れるように縮み、あるいは折れ曲がって彼らの視界の外へと消えていく。


 その下に生えていた緑の苔も、まるで舞台の幕が開くようにさぁっと動き、本来の崖の岩肌が彼らの目に晒された。


 剥き出しになった薄茶色の岩壁を見て、マテオは目を見張った。


 それは、明らかに自然の岩肌ではなかった。


 人の手によるものか、あるいは妖精の仕業なのか。


 岩に、何人もの人間の顔が彫られていた。写実的で、いまにも喋りだしそうなほどに生き生きとしている。


 マテオの視界の真ん前、たくさんの顔の中央にあるのは一人の女性の顔だ。波打つ長い髪は、どこかコーデリアを彷彿とさせる。口元に微笑を湛え、いかにも幸せそうな表情をしていた。


「真ん中にいるのが、ルクレツィアだよ」


 パットが言った。


「その隣がカルロ。彼はうちの子じゃないけど、まあ特別ね」


 ルクレツィアの隣には、朴訥だが芯の強そうな男の顔が彫られていた。視線をやや妻の方に向けながら、やはり穏やかな表情をしている。


「うちの子……?」


「そう、うちの子。カルロ以外はみんな、この妖精の森で育って、元気に旅立っていった子達だよ」


 ルクレツィアとカルロ以外にも、崖にはいくつかの顔が彫られていた。


 たまたまではあろうが、女性の顔の比率の方がやや多く、彼女たちが歴代の”妖精の森の巫女”ということなのだろう。


「そうか、これが”宝”か……」


 ファルコが呟くように言った。


 岩壁に彫られた両親の肖像。


 アストル達はここに来て、父母の安らかな眠りを祈りながら、一方でその生前の顔を見て思い出を懐かしんだのだ。


 巷の絵画よりもはるかに写実的なこの彫像は、まるで両親に再会したような気分を彼らに与えたことだろう。


 その時間は、兄妹にとって他の何物にも代えがたい宝だ。


「あれを彫ったのは、オーヴェルか?」


 ファルコの問いに、パットが頷いた。


「土の精霊にお願いしてね」


 それは、妖精達の感傷であったのだろう。


 この森で自分たちが育てた子らが成長し、巣立っていくとき、オーヴェルはこの崖に子供達の顔を記録していったのである。


 コーデリアをこの森から連れ出して欲しいと言ったオーヴェルが、同時に「あの子と離れるのは、私も辛い」と言っていたのをマテオは思い出していた。


 その寂しさを紛らわせるため、妖精達は時折ここにやって来てはその姿を眺めて、子供達との思い出にふけるのだ。


「ルクレツィアをこの森に葬りたいとルキウス達が言ってきたとき、オーヴェルはちょっと悩んだんだ。そんなことを言われたのは初めてだったから」


 結局、相応しい場所が他に思いつかなかった妖精達は、土の精霊に命じて彼女の彫像のある部分の崖の中に、その亡骸を埋葬した。そして墓標の代わりに、この遺跡を造ることにしたのである。


「この遺跡の造築には、妖精達も関与していたのか……」


 唸るようにファルコが呟いて、パットがニイィッと笑った。


「迂闊だったな。ヒカリゴケやミスリル、それにゴーレムといった古代遺跡で使われていた技術を、誰がルキウスに教えたのか、もっと深く考えるべきだった」


 ルキウスは約三百年前の人物だ。古代の人間とはとても言えない。ここは、遺跡としてはかなり新しい部類に入る。


 それなのに、同時代の他の建築物には見られない古代の技術がふんだんに使われていたのは、千年以上の寿命を持ち、長きにわたって人の営みを見続けてきた妖精の中の誰かが、ルキウスにそれを教えたからである。


「あたし達は、ホントはあまり人間のすることに関与しちゃいけないんだけどね」


 パットがペロリと舌を出した。


「あの子が産んだ子供達だと思うと……ついつい甘やかしちゃった」


 そのパットの言い方に、半ば呆然とした様子でコーデリアが呟いた。


「パット……。あなたは……」


 ルクレツィアやルキウスのことを知っているのね──。


「テネアの村に伝わる昔話に出てきた猫妖精は、きみだったのか?」


 ファルコのその問いにパットは答えず、ただいつものニイィッとした笑みを浮かべただけだった。


 誰もがパットの幼女のような見た目と、その仕草に騙されていた。


 物心ついたときからパットと一緒にいたコーデリアですら、彼女を妹のように扱っていた。自分よりも年上かもと思うことはあったかもしれないが、まさか祖母よりもさらに上の世代の者だとは思ってもみなかっただろう。


 マテオはふと、テネアの村でパットがならず者に捕まっていた時のことを考えた。あれは、もしかしたらわざとではないかと思ったのだ。都からやって来たという彼らを試すためである。


 もしかしたらあのならず者達からして、幻か、あるいは妖精達の変装だったのかもしれない。


「そんなことより、ほら見て。あの右の端っこ」


 話を誤魔化すようにパットは言って、歴代の妖精の森の子供達の顔が彫られた崖を指さした。


 先程よりもさらに蔦や苔が場所を空け、見えている顔の数も増えている。


 その一番右の端には、見慣れた女性の顔が彫られていた。


 長く波打つ髪に、高く整った鼻筋と細い顎。切れ長の目尻は垂れ下がっているが、これは生来のものであって、哀しみを表現しているわけではない。その証拠に、口の端は優しく持ち上がっていた。


「あれは……わたし……?」


 穏やかに微笑む自身の彫像を見つめるコーデリアの目に、みるみると涙が浮かんでいった。


 それを見たマテオは、かつて彼女に対して”憂いの表情がよく似合う”と評した自分の感想を心の中でそっと訂正しておいた。


「この宝は……王都には持ち帰れないな」


 両手で顔を覆いはじめたコーデリアを見ながら、ぽつりとアンジェリカが呟いた。


「王宮の宝物庫に入れるには大きすぎるし、それに……」


 これは、王家の宝ではない。


 ここはあくまで、ルクレツィアの子供達と妖精達だけの場所だ。関係のない者たちがみだりに立ち入って良い場所ではない。


「もう二度と見られないかもしれないと思うと、少し残念ではあるけどな」


 対岸の崖から目を離すことなく、ファルコが言った。そこに彫られている、慈愛の女神のように微笑むコーデリアの顔を見続ける彼の目は、いかにも眩しそうに細められていた。

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