その17 ルキウスとアストル
ファルコは、一時間以上も石板や巻物を読みふけっていた。
退屈を持て余したアンジェリカが焦れたように何度も声をかけ、さすがに辟易したのか、読んでいた巻物を棚に戻すと、ようやく顔を上げて彼は言った。
「まだざっと読んだだけだが、この遺跡が造られた理由については、なんとなく掴めた気がする」
それを聞いて、マテオとコーデリアもファルコの方に目を向けた。
「遺跡が造られた理由? 三種の神器を隠すためではないのか?」
「おそらく違う」
アンジェリカの言葉をファルコが否定した。ここには三種の神器などないのだろうと、彼は言う。
「神器がない? では、古文書にある”宝”とはなんなのだ?」
「そこは、まだわからんが……。ここは、おそらく墳墓なのだと思う」
「墳墓? いったい誰のだ?」
「ルクレツィアのだ」
この遺跡を造ったとされる”暴虐王二世”ルキウスの母親である。
「ルクレツィアだと? 彼女は、ルキウスがまだ幼い頃に追放されて、その後の行方は不明のはずだ」
そのアンジェリカの疑問に、当然の質問だというように頷いた後、ファルコは言った。
「城を追い出されたルクレツィアのその後についてだが……実は、テネアの村の老人から気になる昔話を聞いた」
言いながら、ファルコが壁に据えられた出っ張りの一つに腰をかける。マテオたちも彼の周りに集まってめいめいに座った。
「それは、こんな話だった──」
全員の視線を受けながら、ファルコは語りはじめる。
カルロというテネア村の男が、身重の女を助ける話だ。
その女はカルロと愛しあうようになるのだが、他の男との間にできた子供を妊娠していることを気にして、やがて彼の前から姿を消してしまう。
女を捜しに妖精の森に立ち入ったカルロは、妖精達から様々な試練を受けて女への愛を試される。そしてカルロの愛を認めた妖精達が二人を再会させて、物語はハッピーエンドを迎えるのだ。
「カルロと女の間にはやがて娘も産まれ、テネア村にちなんでティーニアと名付けられた。そして、家族四人で仲良く暮らしたという。やがて子供達が独り立ちをし、家を出て働き始めてからしばらくたった頃、女は病に倒れた──」
そうしてファルコが女の最期で話を締めくくり、口を閉じた瞬間だった。
「待て──。待て待て、ファルコ」
話の途中から驚愕の表情を浮かべはじめていたアンジェリカが、口を開いた。
「まさか、その女がルクレツィアだと言うのか?」
ファルコが頷いた。
その証拠に、遺跡の入り口での合い言葉は「ルクレツィアとカルロ」だった。
言われて、マテオはその時のことを思い出した。
あのとき、”カルロ”というのは一体誰なのだろうと確かに思った。巷間で語られるルキウスやルクレツィアの物語に、そんな名前の人物は登場しない。
もしもファルコがテネア村の古老から話を聞いていなければ、彼らの探索はあの崖で手詰まりになっていたことだろう。
「だがファルコ、あの時の合い言葉は”母と父の名”だった。この遺跡を造ったのは、ルキウス王の方だろう?」
ルクレツィアがテネアの村で産み落とし、カルロが自身の子として育てたのは、彼女の二人の息子のうち、弟である”救国王”アストルの方だろうと思われる。
「アストル王がカルロを”父”と呼ぶのならば分かるが、ルキウス王はカルロとは何の接点もないはずだ」
アンジェリカの言葉に答えて、ファルコが言った。
「あれは、この遺跡を造った者ではなく、訪れる者に対しての合い言葉だったんだ。古文書に道標を記したのも、そのためだ」
「どういうことだ?」
「完成後のこの遺跡をたびたび訪れていたのは、ルキウスだけではなかったということだ。アストルも折に触れてやって来ていた──。当然だろう? ルクレツィアは彼にとっても母なのだから」
そして、その弟のためにルキウスは古文書に遺跡の場所を書き記し、合い言葉をつくったのである。
「アストル王のために? だが、彼とルキウス王は敵対していたはずだ」
暴虐の限りを尽くした兄王・ルキウスを糾弾し、追放したのはアストルなのだから。
「いや……」アンジェリカの言葉に、ファルコが口の端を上げた。「実際の二人の関係は、これまで俺達が聞かされていたものとは随分と違っていたようだな」
「なぜ、そう言える?」
「そこに文書が残っていた」
先程まで呼んでいた石板や巻物の束を指さしながら、ファルコは言った。
この書庫に保管されている文書のほとんどは、置き手紙のようなものばかりだったという。内容は、亡き母を偲ぶものや思い出話。そして、互いに当てた近況報告。
「アストル王の即位後、ルキウスは処刑されてはいない。あくまで、追放されただけだ」
その後のルキウスがどうなったのかを明確に記した史書は残っていない。一般的には、どこかの城塞に幽閉ないし軟禁されていたのだろうと考えられている。
「だが、この書庫に残る手紙を読む限り、どうもそうではなかったようだ」
世を忍びながらも、一方でルキウスはかなり自由な身の上であったと考えられるという。たびたびこの遺跡を訪れては、自分は元気にやっているという内容の手紙をアストルに向けて残しているからだ。
「それらの手紙の書き出しは、いつも同じだ。『我が親友にして親愛なる弟・アストル』と、そう書かれているんだ」
「親友、だと……?」
アストルが初めてルキウス王に会ったとき、彼が王家の血を引く者だとは誰も知らなかった。本人ですら知らなかっただろうと、ファルコは言った。
あくまで平民出身の騎士としてルキウスに謁見したアストルはその後、主君と臣下という身分を超えて、彼と「親友」と呼び合う関係になったのだと推測される。
「二人が互いを兄弟だと知ったのは、その後のことだろう。そしてルキウスは、幼い頃に生き別れた実母と再会を果たすことができた」
親友アストルの故郷を訪れたルキウスは、そこでルクレツィアとも会ったのだ。そして彼女が自分の実の母であることを──臣下であり、無二の親友でもあるアストルが、自身の弟であることを知った。
「ルクレツィアを看取る際には、ルキウスも同席していたらしい」
母の危篤の知らせを聞いて、王都から駆けつけてきたのだ。
「テネアの昔話にある『彼女の子供達』には、ルキウスも含まれていたんだよ」
「なんと……」
そして母の死後、ルキウスは妖精の森に彼女の墳墓を建設することを決意したのである。
それを聞いて、アンジェリカが言った。
「いくら母の出身地とはいえ、禁足地にこんなものを造るとは……そこはまあ、”暴虐王二世”と呼ばれるだけのことはあるが……」
その感想に、ファルコが顎を撫でながら思案げな顔をした。
「それなんだがな……。どうも、ルキウスが暴虐な王だというのは創られた虚像の可能性がある」
えっ、と思いながらマテオはファルコの顔を見た。アンジェリカも怪訝な表情をしている。
「創られた? 誰に? なんのために?」
「まだ、全ての文書に目を通したわけではない。断片的な情報から得た仮説にすぎないが……」
この書庫は、これまでの定説を覆すような資料の宝庫だという。ファルコにとっては、まさに宝の山だ。
「虚像を創りだしたのは、ルキウス本人だよ。目的は、自身が退位して弟を王として即位させるためだ」
父王トラバウスの血を引いているとはいえ、アストルは長いこと市井で平民として暮らしている。例えルキウス本人が退位を望んだとしても、貴族達の承認を得ることができないかもしれない。
「だから、ルキウスは暴虐な王として振る舞ったんだ」
父王が手に染めていた悪事を自身の罪としてかぶり、悪徳貴族や商人に積極的に近づいて賄賂を要求したりもした。
「そして、それらの情報をアストルに流して、彼に自分を告発させたんだよ」
そうやってルキウスは、自身が暴虐な王であるという評判を民の心に植えつけていくと同時に、弟であるアストルを世の不正と戦う正義の王子なのだと印象づけていったのである。
「民は当然、父王に似て暴虐な兄・ルキウスではなく、公明正大で平民の心が分かるアストルの執政を望むようになる。その声は徐々に大きくなり、貴族達ですら無視できないものになっていった」
貴族たちの中にもトラバウス・ルキウス親子に不満を持ち、国の行く末を不安に思う者たちが少なからずいた。アストルはそれらの者の協力を得て、ルキウスに退位を迫ったのである。
だが、実はそれを演出したのはルキウス自身であったのだ。
「どうしてそこまでして……」
「ルキウスには……どうしても王を退位せねばならない個人的な事情があったんだ」
そう言うファルコの目に、どこか哀しげな光がよぎった。
「アストルが上京したとき、彼は一人ではなかった。あるいは、後から呼び寄せた可能性もあるが……」
「いったい誰をだ?」
「ティーニアだ」
「ティーニア?」
また知らない名前が出てきたように思ったマテオだが、一方でその名はどこかで聞いたような気もしていた。それもごく最近だ。
「テネアの村に残されていた話の最後を思い出してくれ」ファルコが言った。
「ルクレツィアとカルロの間には娘が生まれている。その子の名は──」
「ティーニア、だったわ」
コーデリアが答えた。
「よくそんなことを覚えてるっすね」
感心したようにマテオはコーデリアに目を向けた。
覚えていない自分の方がおかしいのかとも思ったが、アンジェリカも感嘆のまなざしで彼女を見ている。
はにかんだような笑みを見せながら、コーデリアが言った。
「オーヴェルの奥さんと同じ名前だったから、印象に残ったの」
そうか、オーヴェルには妻がいたのか。妖精にも結婚という制度はあるらしい──。
そんなどうでもいいことを考えながら、マテオはファルコの方に視線を戻した。
やはりコーデリアの方をじっと見ていたファルコも、マテオの視線に気づいたのか再び口を開いて説明を再開した。
「ここの文書には、ティーニアの名前もたびたび出てくるんだ」
アストルがルキウスと出会ったとき、ティーニアも兄と一緒にいたと考えられる。そしてルキウスと交流を深めるうちに、彼と主従の垣根を越えた関係になったのは、アストルだけではなかった。
「ルキウスとティーニアは、恋人というべき間柄であったようだ」
王と平民という身分の差がありながら、二人は恋に落ち、やがて互いに深く愛しあうようになったのだ。
「ちょっ……ちょっと待て」
それを聞いたアンジェリカが声を上げた。
「ティーニアはアストル王の妹だろう? ということは、ルキウス王とも……」
「そうだ」ファルコが頷く。「父親は違うが、同じ母から産まれた兄妹だ。だが、出会ったときの彼らはそのことを知らなかった」
ルクレツィアは、子供達にアストルの父のことも、彼に兄がいるということも話してはいなかったと考えられる。アストルは、自分が王子であり、ルキウスの弟だとは知らされずに育ったのだ。当然ティーニアも、自分にアストル以外の兄がいるとは知らなかったのであろう。
ルキウスも、まさか親友となった男とその妹が、自身の弟妹であるとは夢にも思わなかったに違いない。
「ルキウスがそれを知ったのは、おそらくテネアの村でルクレツィアと再会したときではないかと思う」
いくら親友であり、誰よりも信頼する男であったとは言え、一家臣の里帰りに国王が同行するとは思えない。おそらく彼は、ティーニアの両親に結婚の許しを得るために、恋人とその兄の故郷へと赴いたのだ。
そしてそこで、幼い頃に生き別れた母と再会することになる。
「ルクレツィアとの再会は、彼にとって喜びとであると同時に、絶望でもあったんだ」
誰よりも愛する女性が、実は自分の妹であると知ったのだから。
「苦悩したルキウスは……やがて国王という地位を降りることを考えはじめる」
「どうしてそうなるんすか?」
思わずマテオは口を挟んでいた。あまりにも話が飛躍したように感じたのだ。
「ルキウスは、生涯をティーニアと共に過ごすことを決意したんだ」
だが、恋人として、夫婦として過ごすことはもうできない。だからあくまでも兄妹として、彼女の傍で生きていくことにした。
「ただ、問題は彼が国王という立場にあることだった」
ティーニアを妻とすることができない以上、独身であるルキウスには婚姻の問題が発生する。世継ぎを残すため、あるいは政略結婚目的で、多くの者が彼に早く王妃を娶れと迫るだろう。
「特に、世継ぎの問題は深刻だ」
ルキウスには、ティーニア以外の女性を妻にする気などは毛頭ない。しかし一方で、ティーニアとの間に子をもうけることはできない。それは──それだけは、人の道に反する。
だが、ルキウスが子を作らないということは、彼の血を引く世継ぎは、この世に生まれ出ないということを意味する。王位継承の問題が発生してしまうのだ。
「そうか……。それで、弟に王位を譲るという話になったのか……」
前王トラバウスのもう一人の息子であるアストルが王位を継げば、王家の血が途絶えることはない。
「そうだ。だから、ルキウスはあえて暴虐な王として振る舞い、それを正そうとする正義の王弟・アストルを演出したんだ」
やがて国中の者が、弟であるアストルの方が王であれば良かったと思うようになる。歴史と栄光あるヴァロア王家の血を継いでいくのは、アストルの血統こそ相応しいと言われるようになる。
そしてその声に押される形で弟に王位を譲った後、彼とティーニアはひっそりとその姿を消したのだ。
「この遺跡がルクレツィアの墳墓だとは、さっき言ったな? 彼女の子供達は、亡き母を偲ぶために、ことあるごとにこの場所を訪れた」
ただ、彼らがここを訪れる理由はそれだけではなかった。
「母の墓参りに赴く際、兄弟はそれぞれの近況を記した文書を持参して置いていったんだ」
書き残してある文書を見て互いの近況を知り、連絡を取り合う手段とした。
「それが、この場所だ」
言いながら、ファルコは部屋全体を見回した。
「遺跡の入り口の合い言葉が、『ルクレツィアとカルロ』だったのもそのためだ」
アストルとカルロは血が繋がっていないが、一方でアストルが産まれたときから、カルロは彼を自身の息子として育てた。アストルにとって、“父”と呼べる人物は、トラバウスではなくカルロなのである。
「そして、カルロを父とする者はもう一人いる」
ティーニアだ。
ルクレツィアとカルロの間に産まれた彼女は、この遺跡ができた後は、アストルではなくルキウスと行動を共にしていた。妹として、愛する兄の傍に居続けた。
「ルキウスにとっては、この遺跡は亡き母を偲ぶためのものであると同時に、離れ離れに暮らすことになったカルロの子供たちのための場所でもあったんだ」
だから、父の名は「カルロ」なのだとファルコは締めくくった。
半ば呆然として、マテオはそのファルコの顔を見ていた。
悲劇なのか、大団円なのか分からない話だった。
ただ一つ確かなのは、これまで彼が真実と思っていた歴史は、実は虚構のものであったということだ。
「退位した後のルキウスは、どこでどうしていたのだ?」
アンジェリカが聞いた。
「そこは、はっきりとは分からない。どうも、各地を転々としていたようだが」
テネアの村に滞在していたこともあるようで、カルロの最期を見届けたのはティーニアとルキウスであったらしい。息子の再三の呼びかけにも応じず、カルロは愛する妻との思い出が残るこの地で一生を終えたのだ。
王として多忙なアストルは、その父の死に目に会うことはできなかった。それを悔やむと同時に、父を母と同じ場所に葬ってくれたルキウスに、彼は感謝の言葉を書き残している。
この遺跡は、カルロの墳墓でもあったのだ。
その後のルキウスとティーニアがどうしたか──そこが明確に書かれた文書を、ファルコはまだ見つけることができていない。
「ただ、一つだけ言えることは──」
ルキウスとティーニアは生涯を共にし、その愛を貫いた。一方で、人としての過ちはけして犯さなかった。あくまで兄妹として過ごし続けた。
「それでも自分たちは幸福なのだと、ルキウスは何度も書き残している」
その幸福のために、王という重責を担わせてしまった親友に対する申し訳なさと、感謝の言葉と共に。




