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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第四話 妖精の森のコーデリア
43/93

その2 妖精猫

 

 朝日差し 夕日輝く 猫の額

 山猫の毛を撫で 現れし大蛇に呑まれよ

 大蛇はやがてヒュドラに変わる

 ヒュドラの尾の先で 膨れた蛙の腹に登れ

 狗鷲の巣の下にいたりて 空の魚の尾が指す先で

 母と父の名を唱えれば 竜の顎門が口を開く

 その口に入る者 汝 一切の希望を捨てよ

 暗闇で迷いしときは 騎士から剣を受け取るべし

 剣の次は盾

 王妃は愛の証を 汝に見せるだろう

 母の冠を仰ぎ 宝珠の中に至れば

 我らが宝はそこにある──


「いったい何々ですかね、これは?」


 遺跡の場所を示すという古文書の文句を写した紙片を見ながら、マテオは呟いた。


 妖精の森のすぐ近くにあるテネアという村の、その外れにある小屋の一室である。


 “妖精の森の巫女”がこの村にしばしば現れるという情報を得た彼らは、ここを拠点に森の探索を行うことにしていた。


 テネアは禁足地に隣接した、いわば秘境の地であるにも関わらず、それなりの発展を窺わせる村だった。人口はそれほど多くないが、広大な農地や牧草地が妖精の森の反対側に広がるように存在し、村の中央部には石畳や、古いが立派なモニュメントもある。小さいながら豊かな村であるようだった。


 ただ、主要な街道からは外れているので旅人向けの宿は存在しない。行商人や歩き巫女は、村の酒場か村長宅を民宿として利用するのが常だという。


 そこで彼らは、村長から村はずれの空き家を使う許可を得て、滞在中の拠点とすることにした。


 荷ほどきを終えて散歩に出ると言ったアンジェリカを見送った後、マテオはベッドに転がって、荷の中から古文書の写しを取りだして眺めはじめた。


 ここに来るまでに何度も見た文章である。


 そして何度見ても、何が何やらさっぱり分からない。


 古文書を解読した学者によれば、この文章は遺跡の存在する場所を指し示しているのだろうということで、確かに何やら指示のような一文もある。しかし、その指示がまた意味不明なのだ。


「”大蛇に呑まれよ”とか、”蛙の腹に登れ”とか、いったいどうすりゃいいんすかね……?」


 そうこぼすマテオに、同室のファルコが言った。


「何かの地形を表しているんじゃないかと思う」


「地形……っすか?」


 疑問の表情を浮かべてマテオはファルコを見た。


 くすんだ色の長い髪を無造作に後ろで束ねている男だ。その容貌は驚くほど整っていて、そこらの役者なんかよりもよほど色男である。だが、気難しげな表情と薄汚れた皮鎧が全てを台無しにしていた。


 見た目にはあまりこだわらない男のようで、それよりも実利、合理を優先した装いをしており、その点がマテオにはむしろ好感が持てる。


 体を起こして向き合ったマテオに、ファルコが説明してくれた。


「隠した宝の在処をわざわざ文章として残す理由は、主に二つだ。まずは、自分自身が忘れぬため。それから、特定の誰かに宝の場所を伝えるためだ」


 しかし、誰が見ても分かる内容で書いては隠す意味がないから、謎かけのような文章として残すのである。


 無関係の者が読んでもその内容は理解できないが、見る者が見ればその意味するところは分かる。そういう者にだけ伝わるように書かれている。


「何か事前知識が必要な可能性はあるが……森の中で、未来の自分や特定の誰かに遺跡の場所を示すとしたら、まずは目印になるものを書き残すのが普通だろう」


 その目印を辿っていけば、遺跡に行き着くことができるのだ。


「目印……っすか?」


「一番確実なのが、地形だ。山や丘、川……。時間がたっても容易には変わらないものを目印にするんだ」


 変わった形の木などを目印にすることもあるが、植物は時間が経てば形状が変わったり、朽ちたりする。しかし、山や川が急に消えてなくなるようなことはない。


「まあ……書いた者がどの程度の年月、これを残そうとしたかによっても話は変わってくるがな」


「ファルコさんは、この文章に何が書いてあるのか分かったんすか?」


「分からないさ」ファルコは肩をすくめた。「だが、現時点で推測できることはいくつかある」


「すげえ……」


 マテオの口から感嘆の声が漏れた。自分は、その推測すら何も浮かばない。


「まず、この文章はおそらく二つに分けられる」


「二つ?」


「文の中程に、”その口に入る者 汝 一切の希望を捨てよ”という一文があるだろう? これは、定番の脅し文句だ」


「脅し文句?」


「遺跡の中に罠や守護者といった危険があることを警告しているんだ。だから『用もないのに入ってくるな』と、そう言っている」


「遺跡の中っすか?」


 この文章は、遺跡の在処を指し示すものではなかったのか。


「そうだ」ファルコが肯いた。「この一文より後ろは、遺跡の中での進み方を示しているんだ。この文章の通りに進めば、危険を回避することができる」


 だからファルコは、「この文章は二つに分けられる」と言ったのだ。前半は遺跡のある場所を示し、”その口に入る者 汝 一切の希望を捨てよ”という文の場所で、遺跡の中に入る。


 その後の文章は、遺跡の中での注意点を書いているわけだ。


「定番と言えば、この文章の書き出しもそうだな。”朝日差し 夕日輝く”という部分だ」


 言われて、マテオは紙片に目を落として文の書き出しを確認した。一方のファルコは、先程からこの紙片を見てはいない。すでに文章を暗記してしまっているようだった。


「この一文も、財宝の場所を示す伝承では定番の文句だ。多くの場合はその場所を礼賛するための枕詞だな。『それぐらい素晴らしい場所である』という意味だ」


 ただ、今回の場合は少し違うのではないかとファルコは言った。


「場所が深い森の中だからな」


 木々に遮られて鬱蒼とした森である。


「そのような場所に、『朝日や夕日が差して美しい』という表現はそぐわないだろう」


 通常はもっと開けたところや、太陽神に祝福されている場所を表す言葉だという。


「森の中でも、日が差す場所はあると思いますが……」


「勿論そうだ。だが、朝日と夕日の両方を拝める場所というのは珍しいだろう?」


 だからこそ、場所を特定する手がかりとなる。


 ファルコは、この一文自体が枕詞ではなく、遺跡の場所を示すヒントの一つかもしれないと言った。


「その後に続くのは、”猫の額”っすね。これもどこかの場所を表しているんすか? ”猫の額のような”なんて言葉もありますが……」


「狭い土地を言い表す表現だな」


 となれば、朝日と夕日が同時に指し、かつ狭い場所だということになるだろうか。深い森の中でそのような場所を探すだけでも、かなり大変な気はする。


「遺跡に赴くにあたってスタートとなる場所だからな。森の中に入ればそれなりに分かりやすい場所ではあるのだろうが」


 そう言ってファルコは思案げな顔になった。


「やはり、現地に行って見てみないことにはな。できれば、森の地理に詳しい案内人が欲しいところだ」


 彼らがこのテネアに拠点を置いた理由の一つは、この村に“妖精の森の巫女”がしばしば現れるという情報を得たからである。


 テネアの村長によれば、その巫女はコーデリアという名の娘で、年の頃は十七、八歳ぐらい。


 かつてこの村で流行り病が起きたとき、森から現れたコーデリアが持ってきてくれた薬草が、多くの村人の命を救った。そのことに感謝する者達が、森の妖精達に育てられているという彼女を”妖精の森の巫女”として慕うようになった。テネアの村人とコーデリアの付き合いはそれ以来だ。


 普段は森の中で生活をしている彼女は、不定期に村にやって来ては生活に必要な物を受け取っていく。代わりに森の中で得られた薬草を置いていったり、ときには妖精や精霊達から聞いた天候や災害に関する予言をしていくらしい。


 ただ、彼女が次にいつ村にやって来るのかは分からないと村長は言った。森の中のどこに住んでいるかも、村人達の誰も知らないということだった。


 次に彼女が現れたら連絡してもらうよう村長に頼んだマテオ達であったが、いつやってくるか分からない者を何もせずにただ待っているわけにもいかない。


 そこで彼らは、明日一日をかけてテネアで物資の補給と情報収集をした後、明後日からはコーデリアを探しがてら森の中に入ってみようと決めていた。


 アンジェリカの散歩は、その妖精の森の入り口を下見するという意味もあるようだ。村はずれにあるこの小屋の前の道を十分ほども歩けば、森の入り口に辿り着くそうである。


「……先輩、遅いっすね」


 マテオの腹がぐうっとなり、窓から外を見ながら彼は言った。


 村に宿はないが、食堂を兼ねたパブはある。


 事前に村長から連絡が入っているそうだから、パブの主人は王都からやって来た近衛騎士を歓迎するために、腕によりをかけて食事を準備してくれているはずだ。


 アンジェリカが戻ってきたら、三人でそのパブに出向く予定であった。


「迎えに行くか」


 そう言ってファルコが立ち上がり、戸口に向かう。マテオも大剣を背負い直して後に続いた。


 小屋から出て森の方に少し歩いたところで、二人は道ばたに人垣ができていることに気がついた。村中から人が集まってきているようだ。


 彼らは互いに何かを囁きあいながら、ある者は不安げな視線を、別の者は厳しい視線を人垣の中心に向けている。


「いったい、どうした?」


 ファルコが人だかりに近づいて、村人の一人に聞いた。


「あ……騎士様」


 ファルコとその後ろにいるマテオを見て村人が言う。


 王都から騎士がやって来たという情報は、すでに村人の間に広く知れ渡っているようだった。


 正確に言えば一行の中で騎士はアンジェリカ一人だけで、マテオはまだ騎士叙勲を受けていないから、立場としては騎士見習い、あるいはただの近衛兵ということになる。


 しかし、辺境の村の人々にとっては、そのようなことはあまり関係ないらしかった。騎士の一行に連なる者は、みな”騎士様”なのである。


「あれを……」


 村人の一人が人垣の中心を指さした。


 見ると、皮鎧に身を包んだ三人の男が立っていた。冒険者風ではあるが、マテオがファルコと出会った『八つ首海竜亭』にいた者たちに比べれば、かなり柄は悪い。山賊に近い者たちのように思えた。


 男たちは、自分たちを遠巻きに取り囲む村人たちを威嚇するような目つきで睨めつけていた。


 彼らの真ん中には一台の大八車があり、人間が一人入れそうな大きな檻が乗せられている。中には、山猫の一種らしき動物が入れられていた。


 村人が指さしたのはどうやら男たちではなく、その猫の方であるようだ。


「大きな猫っすね。見たことのない種類だ。あの猫がどうかしたんすか?」


 そうマテオは村人に聞いた。


 彼らの様子を見れば、その動物を珍しく思って集まってきたわけではないと、すぐに分かる。空気を読めないと揶揄されることのあるマテオだが、そんな彼でも感じ取れるほどに異様な雰囲気が漂っていた。


「あれは、猫じゃねえです……」


「猫じゃない?」


 どういうことかとマテオが問いただす前に、ファルコが無言で人垣を出て猫の檻に近づいていった。


「何だ、てめえは!?」


 男たちの言葉を無視して檻の前にしゃがみ込み、ファルコは右掌を猫らしき生物に向けて掲げた。


「……魔力の流れが普通じゃない。精霊力が強いのか? 確かに、ただの猫ではなさそうだ」


「分かるか?」


 男たちの一人が自慢げに言った。


 別の男が檻に近づき、鉄柵をつかんで中の猫を脅すように揺すりはじめる。


「オラ、いつまでも猫のふりなんかしてんじゃねえ! 正体見せろ、コラぁ!」


 言いながら、檻をガンガンと蹴りつける。


「おい、やめろ!」


 そのファルコの言葉が終わらぬうちに、檻の中の猫の様子に変化が訪れ、ファルコもマテオも目を見張った。


 猫の身体が淡い光に包まれると同時に、その形がうねうねと変わっていく。


 燐光が消えたときにそこに現れたのは、うずくまる五歳ぐらいの女児の姿であった。だが、ただの子供ではない。服の代わりに身体が毛で覆われ、頭からは猫の耳が、尻には長い尻尾が生えている。


「こいつはな、ケット・シーだよ」


 男が言った。


「猫と人の、両方の姿をとるとされる妖精だな?」


 呻くようなファルコの言葉に、男は頷いた。


 ケット・シーの名はマテオも聞いたことがあった。子供の頃に聞いたお伽話にもよく出てくる妖精である。だが、本物を見るのは初めてだった。


「どこで捕まえた?」


「へへへっ……」


 ファルコの問いに、男は何も答えようとしなかった。ただニヤニヤと笑い続けている。


「妖精の森に入ったな?」


 ファルコが立ち上がって男を睨みつけた。


「だったらどうする?」


 挑発的に男がファルコを睨み返す。


「あそこは禁足地のはずだ」


「ほんの入り口だけさ。それぐらいなら、この村の連中だって入ってるだろう?」


 そこでたまたま妖精猫に出くわしたから、捕まえた。男は、そう言った。


 だが、このような大きな檻を”たまたま”持ち合わせているはずがない。妖精を捕まえるために彼らが森に入ったのだということは、マテオにも容易に推察できた。


「すぐに離してやれ」


 ファルコの言葉に、男は息巻くように返した。


「馬鹿なことを言うな。大事な金づるだ」


 見世物にしてもいいし、好事家に売っても良い。いずれにしろ珍しい妖精猫だ。莫大な金を生み出すだろう。


「まだ子供じゃないか」


 ファルコが言うと、男は馬鹿にするような調子で応じた。


「おいおい、こいつは妖精だぜ? 見た目が子供に見えるだけだ」


 実際にはもっと長生きしている可能性もあるわけだ。マテオたちよりも年上かもしれない。


「感傷に過ぎないが、子供の姿をした者を奴隷や家畜のように扱うことは、さすがに見過ごせない」


 そう言うファルコを鼻で笑って、男たちは言い返した。


「だったら、お前が買えばいい」


 そう言って男が口にした金額は、彼らが一生遊んで暮らせそうな値段だった。とてもファルコやマテオが払えそうな額ではない。


「……人としての道徳観はないのか?」


「そんなもんじゃ、腹は膨れねえな」


 ファルコと男たちが再び睨みあったときだった。


 グルゥウッ、グルグル、グルルゥウウゥッ!!


 妖精の森のほうから不気味な音が響いてきた。肉食獣の唸り声のように聞こえた。かなり遠くからの声だと思えるのに、不思議にはっきりと辺りに響き渡っている。


 その声を聞いた村人たちのざわめきが大きくなり、一人が震える声で言った。


「クー・シーだ……」


「クー・シー?」


 訝しげに聞いたマテオに、村人の一人が教えてくれた。


「妖精たちの番犬ですだ……」


 暗緑色の、巨大な犬の姿をした妖精だという。


 ケット・シーのように人の姿をとることはないが、人間以上の知恵を持ち、普通の犬やオオカミなどよりも遙かに大きく、怖ろしい存在である。その唸り声は、不思議なことにオオカミの遠吠えよりも遠くまで、そしてはっきりと聞こえるらしい。


「そのケット・シーを探しているのだろうな」ファルコが言った。「見つかれば、お前たちは報復として食い殺されるぞ」


 その言葉に一瞬たじろいだ様子を見せた男たちだったが、すぐに気を取り直したようで口々に言った。


「へっ、望むところだ。返り討ちにしてやるよ」


「いや、そいつも捕まえて、こいつと一緒に見世物にしようぜ!」


 ファルコが処置なしといった表情を見せたときだった。


「そうか。望むところなのか。ならば、妖精に殺される前にこの場で私が斬り伏せてやろう」


 人垣から出てきて物騒なことを言ったのは、散歩に出ていたはずのアンジェリカだった。その手には、既に抜き身の剣が握られている。


「ヴァロア王国近衛騎士のアンジェリカだ。話は聞かせてもらった。その妖精を今すぐに離せ」


「近衛騎士……」


 現れた男装の女騎士に、男たちの反応はめまぐるしく変化した。


 国王直属の騎士の登場に戸惑い、彼女の美貌に目を奪われて下卑た視線を投げかけた後、その厳しい表情と抜き放たれた剣に怖れと不満の表情を露わにした。


「だけどよぉ、美人の騎士様……」


「貴様らの言い分など聞くつもりはない!」


 男の言葉にかぶせるように、アンジェリカが厳しい声を出した。


「私は、ファルコと違って感傷的なことを言うつもりはない。その妖精に害をなせば、森の妖精たちの怒りを買う。その怒りはこの村をはじめ、お前たち以外の人々にも向く可能性がある」


 村人たちが怖れているのは、まさにそれなのだ。


「人間に対する妖精たちの報復行為が始まるかもしれんのだ。国の民を守る騎士として、そのような災いを招く行為はとても容認できぬ。分かったら、すぐにその妖精を離せ!」


 アンジェリカの言葉に男たちがどうする、といった様子で顔を見合わせた。


 そんな彼らを脅すように、アンジェリカがちゃきりと、殊更に見せつけるように剣を構える。


 マテオも進み出て、背中の大剣に手をかけた。


 それでようやく男たちは、自分たちの言い分が通じる余地はないと悟ったようだ。舌打ちをしてファルコの足下に檻のものらしき鍵を投げつけた後、悪態をつきながら村人たちを押しのけて人垣から出て行こうとする。


 その背にアンジェリカが声をかけた。


「今後二度と、妖精の森にもこの村にも立ち入るな。不服があるのなら王宮に来て直訴するがいい。私は逃げも隠れもしない」


 恨みがましい目をアンジェリカに向け、しかし何も反論はせずに男たちは歩み去っていった。後にはケット・シーの入れられた檻だけが残される。


 鍵を拾って檻の戸を開けた後、ファルコはケット・シーに言った。


「森までの帰り道は分かるか? 良ければ入り口まで案内しよう」


 妖精はこくりと頷いた後、檻から出て大八車の上にちょこんと座った。


「アンジェリカ、先導してくれないか? 森の入り口までは行ってみたんだろう?」


 ファルコがそう言う間に、マテオは大八車の持ち手に手をかけた。


「手伝おう」と言うファルコに、


「大丈夫っすよ。いい足腰の鍛錬になります」


 そう断り、大八車を引いて歩き出す。


 アンジェリカを先頭に緩やかな上り坂をしばらく歩いていくと、道の両脇の樹影がだんだんと濃くなってきた。


 断続的に聞こえる獣の──クー・シーの唸り声も少しずつ大きくなってきている。


 妖精の森に近づいているのだ。


 十分ほども歩いて、周囲の景色が林から森と言えるものに変わりはじめた頃、彼らの前に伸びる道が唐突に途絶えた。目の前にあるのは鬱蒼とした木々だけだ。


「……ここが、人の世界と妖精の世界の境界というわけだな」


 ファルコが呟くように言った。


 大八車の上で丸くなっていたケット・シーがぴょこんと飛び起き、森の方に駆けていく。


 木々の陰に消える間際、妖精は一度だけこちらを振り返って小さく頭を下げた後、ニイィッと笑った。


 マテオは片手を少しだけ上げて、独特の笑みをこちらに向けるケット・シーに手を振った。


 クー・シーの唸り声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。

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