その1 妖精の森の遺跡
ヴァロア王国の北方には、”妖精の森”と呼ばれる広大な森林が広がっている。
この世の自然の全てを司る、目には見えない存在である精霊。その精霊が具現化し、自我や肉体を得たものが妖精である。
この森には古来からその妖精が多く住まうとされ、人間がみだりに立ち入るべきではない禁忌の地として、大陸中にその存在が広く知れ渡っている。
ただ、この森に全く人が立ち入らぬわけではない。
近隣の村の者たちが、狩猟や木の実の採集などで森の入り口付近ぐらいまでは立ち入ることがあるというし、ドルイドと呼ばれる自然崇拝者たちや、人の世での生活を嫌う隠者などが森の中で生活していることもある。
また、これらの者たちの他にも、自殺志願者や逃亡者が一時的に森に立ち入ることもあった。
その中で最も知られている者の一人が、ルクレツィアの父である。
この男が誰にどのような理由で追われ、幼い娘を連れて森に立ち入ったのか──その詳しい事情は史実では明らかになっていない。吟遊詩人たちの語る叙事詩では様々な説が言われているが、いずれにしろそこはあまり重要ではなく、物語の中心をなすのは娘のルクレツィアのその後である。
まだ赤子の頃に父に連れられて妖精の森に立ち入った彼女は、深い森の中で父を亡くした後、森の妖精たちによって育てられた。
美しい娘に成長して”妖精の森の巫女”と称されるようになった彼女は、あるとき森の入り口で、都からやって来た一人の青年と出会った。
この青年こそが、後の世にその息子を含めた親子二代の暴君として悪名を轟かせる”暴虐王”トラバウスである。
ルクレツィアの美しさに夢中になった彼は、毎日のように森に通って彼女に愛を囁くようになった。
晩年には領内の美しい娘を次々と拐かし、無理矢理に手籠めにすることも日常茶飯事であったトラバウスであるが、この頃はまだ普通に恋愛をし、正攻法で女性を口説いていたのである。
同年代の男性とほとんど触れ合うことがないまま、年頃の娘に成長したルクレツィアは、都会からやって来た王子の口から聞かされる愛の言葉にのぼせ上がり、ついには森を出て彼の妻となることを決意した。
王宮での若い二人の結婚生活は、最初の数年間は順調であったという。息子も生まれ、ルキウスと名付けられた。
しかし、一児の母となり子育てに追われるようになった彼女は、徐々にトラバウスから飽きられ、疎まれるようになっていった。
そしてついにトラバウスは、その頃の不倫相手の求めに応じてルクレツィアを離縁し、すでに彼との間に第二子を妊娠していた彼女を王宮から追放してしまった。
身重の体で放逐されたルクレツィアのその後は明らかにされていないが、乞食同然の生活の中で失意のうちに出産し、赤子の産声を聞きながら命を落としたという説が有力である。
このときルクレツィアが生んだ子が、後の”救国王”アストルだ。
暴君トラバウスの血を引く彼は、しかし優しく賢い青年に成長し、やがて父と同様に暴君と言われた兄・ルキウスを追放して王となると、父の代からの悪政で荒廃したヴァロア王国の再建にその生涯を捧げた。
「同じ両親から産まれ、暴君の血を引くにも関わらず、アストルはルキウスのような暴虐な王にはならなかった。生まれ持った血よりも、育てられた環境のほうが大事なのだと、そういうことだな」
そう話を締めくくったアンジェリカを、ファルコは半眼で見つめて言った。
「地理の講義かと思ったら、歴史の講義だったのか。それとも、子育て論か? いずれにしろ、俺に講義をしようというのなら、もう少し深い話をしてくれ。きみが今話した内容は、魔術学院の二年生になれば誰でも知っていることだぞ」
「おや、そうなのか?」ファルコの皮肉に、悪びれもせずにアンジェリカはそう返した。「私は一年で学院を中退したから、知らなかった」
「一年目の秋には、もうその程度の講義は終わっていたぞ。……もっとも、その頃には、きみはもうほとんど学院には顔を出していなかったが……」
嘆息しながら、ファルコは目の前に座る男装の麗人を見た。
アンジェリカは、彼の魔術学院時代の同期である。入学したその日に知り合い、勝手の分からぬ新生活の中でしばらく行動を共にしていた。
しかし彼女は魔術にも、その他の学院で教えられる様々な知識にも、あまり興味を持てなかったようだ。古代史の面白さに目覚め、その研究に没頭していくファルコを尻目に、一年目が終わる頃には彼女は学院を辞めていた。
男勝りの性格で、体を動かすことも好んでいたアンジェリカが次に入ったのは騎士団であった。
豪商の娘であった彼女は、渋る両親を説き伏せてそのコネを使い、貴族の子女でもないのに、一般兵ではなく騎士見習いとして騎士団に入隊したのだ。
両親はすぐに音を上げるだろうと思っていたらしいが、魔術学院と違ってこちらは彼女の性に合っていたらしい。平民出身ながらメキメキと頭角を現し、今では近衛部隊に配属されて、貴重な女騎士として主に女性要人の警護を担っているという。
「それで?」
宮中の女官から黄色い声を浴びているであろう、凜々しい姿の旧友を見ながら、ファルコは聞いた。
「その妖精の森の中にある遺跡に探索に行く、という話か?」
「よく分かったな」
アンジェリカが目を丸くする。
「他に、きみが俺の所に来る用事などないだろう」
再びファルコは嘆息した。
彼は冒険者だ。特に古代の遺跡探索を専門としている。
魔術学院の在学中に、そこで抱いた古代に対する探究心を拗らせてしまった結果であるが、最近では、「この街で遺跡探索のことを相談するなら、まずはファルコだ」と言われるまでにはなっていた。
そんな彼のところに、いまや”近衛騎士様”となったアンジェリカが、ただ旧交を温めるためだけに訪れたわけではない、ということはすぐに分かった。
アンジェリカは一人で彼に会いに来たわけではなかったからだ。
彼女は部下を一人伴っていた。騎士団の鎧を身につけ、背中に大剣と斧槍を十字にして背負った男だ。年齢はファルコと同じか、やや下ぐらい。
長身だが、体の厚みはさほどでもない男だった。にもかかわらず、彼は重量級の武器を二本も携えている。どちらも普通に扱えるのだとしたら、相当に鍛え上げられて締まった肉体をしているのだろうと思われた。
「そちらは?」
アンジェリカの部下の男に目を向けて、ファルコは聞いた。
「マテオだ。私の後輩だよ」
後輩とはいえ、アンジェリカが近衛騎士団所属の彼を呼び捨てにしたのは、親しい間柄ということもあろうが、マテオが平民出身で、騎士叙勲もまだ受けてはいない者だからだろう。
紹介されたマテオが姿勢を正し、ファルコに向けてびしっと敬礼をした。
「マテオっす! よろしくお願いします」
「そんなに畏まらなくてもいい。……座ったらどうだ?」
一人だけ立ったままのマテオにファルコは椅子を勧めた。アンジェリカに合わせて敬語は使わない。かえっておかしいことになるだろうと判断していた。
「有り難いっすが、結構っす! 自分は、この方が楽っすので」
直立したまま、マテオはそう言った。
彼は大型で重量のある武器を二本も背負っている。
座るとなると、これらを一度下ろさなければならない。そして一度下ろしてしまったら、後でまた背負い直すのは大変だ。それぐらいならば、立ったままでいるほうが楽なのだろう。
「それに……」
言い淀んだマテオに、まだ何か理由があるのかというようにファルコは彼を見た。
しかしマテオはちらりとアンジェリカの方を──そしてその隣に空いている椅子を見た後、
「いや、何でもないっす!」
そう言って再び直立不動の姿勢となった。その頬がわずかに赤くなっているのをファルコは見逃さない。
──どうやらアンジェリカに熱い視線を送っているのは、王宮の女性たちだけではなさそうだ。
心の中でそう苦笑しながら、ファルコは彼女の方に視線を戻した。
「で? どのような遺跡なんだ? 関与しているのはルクレツィアか? それとも彼女の息子たちの方か?」
アンジェリカがルクレツィアの伝説を持ち出してきた時点で、この悲運の王妃が関係している遺跡だろうということは、すぐに分かる。
アンジェリカが答えて言った。
「”暴虐王二世”ルキウスだ」
父王・トラバウスの跡を継いで暴政を行ったとされる悪名高き王である。
ただ、その治世の期間はそれほど長くはない。民衆の反乱が各地で勃発し、最終的に新王として擁立されたアストルが、ルキウスを追放したからだ。
「どうやらルキウスが建造させた遺跡が、妖精の森の中にあるようなのだ」
「それは初耳だな……」唸るようにファルコは言った。
妖精の森は滅多に人が立ち入らぬ土地なので、未発見の遺跡がいくつかあるだろうとは、彼も常々考えていた。
ただ、確かなアテもなく禁忌の地に足を踏み入れるのは躊躇われたから、これまで実際に探索に赴いたことはない。
ルキウスはおよそ三百年ほど前の人物だから、彼が造ったものならば遺跡としては比較的新しいものといえる。ファルコが興味を持っている古代は、もっと遙か昔──それこそ、神がまだ身近にいて、その技術や考え方を直接に継承していたような時代だ。
だからアンジェリカの話す遺跡は、厳密にはファルコの専門外ではある。それでも、妖精の森の中に存在する遺跡という話には興味をそそられた。
「情報源はどこだ?」
そう聞くファルコに、アンジェリカが答えた。
「王宮の書庫から新たな古文書が発見されたのだ。ルキウスが妖精の森に何か大切なものを隠している──と記してあったらしい」
「大切なもの……具体的には?」
「そこは、はっきりとは書かれていない。三種の神器のどれかではないか、という者もいるが」
「三種の神器だと?」
それは、かつてヴァロア王国に伝わっていたとされる三種の宝物だ。剣と盾と、もう一つは宝珠であったと言われている。
もっとも”神器”というのは、神代から続くとされる隣国オルレシアに対抗してそう呼んだだけで、実際には神から与えられたものではなかろうとファルコは考えている。
本物の神の武具であれば、そう簡単には遺失しないだろうと思うからだ。
ただ、貴重な三種類の宝物が、かつて王家に伝わっていたことは間違いない。
「三種の神器が最後に出てくる史書は、およそ三百五十年前のものだ。暴虐王二世は三百年程前の人物だから……」
五十年ほどの開きがある。
ただ、三種の神器に関して書かれた史書が残っていないというだけで、それらが失われたのはルキウスの時代だという可能性は、確かにあった。
「三種の神器を隠したのはルキウス……。しかし、何のために?」
「妖精の森に何かを隠したのは、ルキウスがまだ王太子の時分の可能性もある。だから、父王から神器を隠したのではないかと推測されているらしい」
豪奢な生活と怠惰に溺れた父王トラバウスが、神器を金に換えてしまうことを怖れたのではないか、ということだ。
「父と同様、暴君であったとされるルキウスがそんなことをするか?」
「あるいは、金に換えるのは自分の代で──とでも思ったのかも知れない」
「なるほど」
それならば可能性があるかも知れぬ、とファルコは思った。
「それで、近衛騎士のきみが調査することになったのか」
隠されているものが王族の宝ならば当然、王家が直々に調査することになるだろう。
ただ、まだ隠されているものが三種の神器だと確定したわけでもないから、現段階でいきなり大規模な調査隊を派遣しても徒労に終わる可能性がある。
そこで、近衛隊で手の空いていたアンジェリカとマテオが遺跡の初期調査をすることになったのだ。
とはいえ、二人とも戦いには自信があっても、遺跡探索の経験などはない。そこで協力者として白羽の矢が立ったのが、アンジェリカと旧知の仲であるファルコであった。
「探索に行くのは、きみたち二人だけなのか?」
そのファルコの問いに、アンジェリカはうなずいて言った。
「我々はあくまでも先遣隊だ。まずは遺跡が実在するのかどうか──実在したとして、それがどの程度の規模なのかを確認する」
「そうは言っても、入り口だけを確認して帰って来ればいい、というわけではあるまい」
ファルコは渋面を作った。
アンジェリカたちの任務が遺跡の存在確認だけならば、助っ人は自分である必要はない。むしろ、森の中での行動に長けた野伏のほうがふさわしいだろう。
それでも自分が選ばれたのは、内部の調査を期待されているからなのだ。
「遺跡の守護者や魔物と遭遇した場合の対処は、きみたち二人で問題ないだろう。罠や仕掛けの看破は、本職の斥候ほどではないが、俺もある程度はできる。しかし、そのような危険が想定されるのなら、少なくとも回復役は欲しいところだ」
どこの神でも構わないが、神官には同行してほしい。
そのファルコの要望に、アンジェリカは残念そうに首を振った。
「私もそう思って、内々に各神殿に依頼はしてもらったのだが……」
協力を申し出てくれる神官はいなかった。禁忌の森の奥深くにある未踏の遺跡と聞いて、多くの者が尻込みしたのだ。
それを聞いたファルコが言った。
「冒険者で良ければ、そこらにいくらでもいるぞ。実力については、出せる金次第だが」
「王家の宝だぞ。どこの馬の骨かも分からぬ者に、任せられる話ではない」
「俺もそうだが?」
皮肉げに言ったファルコに、アンジェリカは何でもないことのように返した。
「お前が信頼できる男だということは、私が誰よりも知っている」
その言葉にファルコの皮肉な笑みが引っ込んだ。言葉を失った彼に、アンジェリカが言った。
「だから、お前が推す人物ならば雇い入れよう」
言われて、ファルコは考え込んだ。
冒険者としては例外的に、彼は特定の仲間とパーティを組むことはない。どこかのパーティが遺跡に潜るときに助っ人として参加するのが常だ。その方が余計な人間関係に煩わされずにすむし、多くの遺跡に潜って自身の知的好奇心を満足させられる。
だから彼には、冒険者の知り合いは多い。今いるこの冒険者の店の者たちも、だいたいは顔と名前を知っている。
ただ、彼の交友関係は広い反面、浅くもある。
今回のように、王族の秘密が関わるような探索に誘えるほど信頼できる者は少なかった。回復術を使える神官となると、残念ながら心当たりがない。
一人だけ──少し前に深い関係になりかけた風の神の神官がいるが、彼女は煮え切らないファルコの態度に愛想を尽かしたのか、今は歩き巫女としての旅の空に戻ってしまっている。
仕方がなく、ファルコは首を振って答えた。
「残念ながら、俺にも心当たりはない」
「そうか。ではやはり、この三人で行くしかなかろう」
そう言うアンジェリカの表情には、ファルコほどの深刻さは感じられない。
「まあ……全くアテがないわけでもないしな」
「アテがあるのか?」
「ある、と言いきれるほどではないが……。事前に調べたところによると、今あの森には巫女がいるらしい」
「巫女?」
「”妖精の森の巫女”だ」
それは、トラバウスと出会って森を出て行く前にルクレツィアが呼ばれていた称号である。
だが実のところ、これは彼女固有の呼称ではなかった。ルクレツィア以外にも”妖精の森の巫女”と呼ばれた女性が、過去に何人もいる。
その多くはルクレツィア同様、幼い頃に何かの事情で森に立ち入り、親を亡くすか捨てられるかして、憐れに感じた妖精によって育てられた者たちだ。
彼女たちは長じた後、森の妖精と人間たちとを繋ぐ存在となった。あるときは妖精の望みを人間たちに伝え、時には人間たちの頼みに応じて森の妖精の力を貸す。
通常、そのような役割は森に住むドルイド僧が担うことが多いが、見目麗しい女性がその役に就いたとき、妖精に育てられたという物珍しさもあって”巫女”と称されるのだ。
その”妖精の森の巫女”が、今の世にも現れているという。
「巫女というからには、何かしらの奇跡は起こせるのだろう。森の神・ボワの神官なのか、祈祷師なのかは分からぬがな」
「協力を取り付けたのか?」
「いや、まだだ」
そのアンジェリカの言葉に、ファルコの目がじとっと細くなる。
「……そんな目をするな。だから、『ある』と言えるほどのアテではないと言っただろう」
だが、禁足地でもある妖精の森を探索する以上、どちらにしろ”妖精の森の巫女”とは接触をする必要がある。森に住む妖精たちに、協力とはいかないまでも遺跡探索を黙認してもらわねばならない。
現実的には巫女の協力が得られなければ、満足のいく成果を持ち帰ることは難しいだろうと考えられた。
「だから我々の任務はまず、妖精の森の巫女を探すところから始めなければならない」
そう言って、アンジェリカは目の前のエールの杯をぐいと呷った。




