その13 リジャールの推理②
そのオーガが、どのようなきっかけで人里に下りてくるようになったのかは分からない。だが、元は他のオーガと同じように、荒野で通りがかった旅人や獣を狩っていたのだろうと考えられる。
「おそらく、山野では木や岩に化けていたんじゃないだろうか」
そして油断した獲物が目の前を通り過ぎようとしたところで姿を現し、不意打ちするのである。
その言葉に、アルフォンスもエバンスも頷いて言った。
「確かにオーガは神出鬼没というか……気づいたら目の前に現れていた、という話はたまに聞く」
「私も経験があります。近づいてきた気配がないのに、突然に背後から襲いかかられたことが」
気配を消すのが上手いのだと思っていたが、あれは何かに化けていたのかも知れないとアルフォンスは言った。
そうやって身を潜めながら獲物を狩っていたオーガであれば、人里近くまで下りてきても、実際に犠牲者が出るまでは誰も付近に凶暴な魔物が潜んでいるとは気づかないだろう。
「人家の付近にやって来たオーガは、やがて木箱や家具などに化けることを覚えていった。無人の家に入り込み、家具の一つに化けるんだ。そうすれば、楽に人間が狩れることを覚えてしまった」
食事の後、また家具に化けてじっとしていれば、人間達は山狩りなどのために現場を離れていく。そうして人目がなくなった後にこっそりと逃げていけばいいのだ。
「村々を襲いながら、オーガはだんだんとローランに近づいてきた。城壁の外で最後にオーガの被害に遭ったと思われる村は、漁村だった。そして、新市街で最初に起きた火事は、魚市場の倉庫でおきたものだ。おそらくオーガは漁村での襲撃の後、獲れた魚をローランに運ぶ木箱の一つにでも化けたんじゃないだろうか」
それを知らずに、卸売りの商人あたりが、オーガが化けた木箱をローラン新市街まで運んでしまったのだ。
オーガが化けた木箱が「箱」として機能するかどうかは分からない。ただ、重量は化けたものに似せられる──あるいは持った者に錯覚させることはできるのだろう。
だから他の木箱に紛れて、漁村から新市街の魚市場まで運ばれてしまったのだ。
「ここで、このオーガは『物に化けて人間に自身を屋内まで運ばせる』ということも覚えてしまった」
そして家人が寝静まる夜になってから正体を現して寝込みを襲う。襲撃後、また木箱や家具などに化けて、次の家に運ばれるのを待つのである。
「新市街に入ってから、このオーガが覚えてしまったことはもう一つある」
食事の後、屋内に火を付けることだ。
常夜灯のランタンや祭壇のろうそく、あるいは厨房の熾火──。家屋内に潜んでいたオーガは、人間がそれらを使って火をおこすところを見て、覚えてしまったのだろう。
「そのまねをして部屋に火を付ければ、人間達は炎の方に気を取られて自分を追っては来ないことに、このオーガは気づいてしまった」
おそらく、最初は魚市場の倉庫で、偶然のことだったのであろう。
「もしかしたら獣と同じように、初めは火を恐れていたのかも知れない。だが、火から離れておとなしくしていれば炎が自分の食事の痕跡を消してくれる。人間達は自分の存在に気づかない。そのことを、このオーガは学んでしまったんだ」
普通のオーガと異なり、このオーガは物に化けて家内に潜むことで、人間達の行動を観察することができる。
ローランの城壁外の集落では、オーガの食事後に集まってきた人間達は、無惨な遺体に恐怖と同時に怒りを抱き、手に手に武器を持ってオーガを探し始めた。
しかし遺体に火を付けてしまえば、人間は火事の方に気を取られて遺体の様子にはあまり注意を払わず、オーガの仕業とも考えない。火事場で焼死体を見つけても、異常とは思わないからである。
そのことに、このオーガは気づいてしまった。
それ以来、オーガは襲撃の後に現場に火を付けることがその習性となってしまったのだ。
そうやって凶行を繰り返しながら、あの日オーガはラジンの家に運び込まれたのである。
「オーガは、どうやってラジンさんの家に入り込んだんだ?」
エバンスの問いに、リジャールは答えて言った。
「運び込んだのは、おそらくラジン氏自身でしょう。彼は、家具を修理して古物商に売ることで生活費を得ていた。おそらく、どこかのゴミ捨て場でオーガの化けた家具を見つけて、家に運び入れてしまったんだ」
「ご自身で……」
エバンスの顔が痛ましそうに歪んだ。
「夜、ラジン氏が寝るのを待ってオーガは寝室に忍び込んだ。そして──」
棍棒のようなものを持っていたのかも知れないし、あるいは怪力のオーガのことだ。素手でも人の頭を叩き潰すことができるかもしれない。
「アルフォンスが見たのは、その直後の光景です」
凄惨な殺害現場を見たアルフォンスは、周囲に警戒を呼びかけた後で部屋に飛び込んだ。
一方のオーガは、最初のアルフォンスの声を耳にして、即座に逃走態勢に入った。
無機物に化けて長い間じっと機会を待ち、獲物が寝静まってから襲うようなオーガだ。残忍ではあるが警戒心が強く、臆病なほどに慎重な性格の個体と思われた。
だからアルフォンスの声を聞いてすぐに、オーガは逃げることを選択したのだ。開いたままの扉をくぐり、時間を稼ぐために力任せに扉を閉める。
「それから──」
そう言うリジャールの顔を、エバンスとアルフォンスがじっと見つめる。彼の推理は佳境に入ろうとしていた。
「廊下に出たオーガは、左右を見回した。隠れられそうな場所はないし、狭い廊下だから化けられそうな家具もない。玄関扉、寝室の扉は閉まっている。開けられなかったのかも知れないし、開けるのに時間がかかると判断したのかも知れない」
オーガの巨大な手にとって、人間用のドアの取っ手はいかにも小さい。仮にこのオーガが扉の開け方を知っていたとしても、すんなり開けられるとは限らない。
「そこでオーガは、扉に化けることにしたんだ」
「扉……。台所の、ですか」
アルフォンスの言葉にリジャールはうなずいた。
「オーガにとっては幸いなことに、あの台所には扉がなかった。そしてすぐ近くには、化ける手本となる倉庫の扉がある」
おそらくこのオーガは、あまり大きなものや小さなものには化けられないのだろう。
それができるのなら、わざわざ家具に化ける必要などない。お伽話の中では猫に襲われてしまったが、小さなネズミにでも化ければ、忍び込むのも逃走するのも簡単なはずである。
なのにそうしないということは、少なくとも小さいものには変身できないのだ。
「アルフォンスの見たオーガの背丈は、頭の先が戸口の一番上と同じくらいだった。扉は、大きさ的にもオーガが化けるにはぴったりだ」
そのオーガの化けた扉に、アルフォンスはまんまと騙されてしまった。そこに怪物がいることに気づかず、賊が玄関の方に向かったと判断した彼は、そこから外へと出て行ってしまったのである。
そこまで聞いて、アルフォンスの顔が少し青ざめた。
警戒していたとは言え、彼は危険な怪物に背中を見せていたのだ。不意打ちで襲われていたら危なかったかも知れない。
「あの夜、オーガはずっとラジンさんの家の中にいたのですか……」
リジャールは頷いた。
「ああ、そうだ。きみが窓の外に置いた松明には、オーガも気づいていた。だから、迂闊には外に出られなかった。いつ踏み込まれるか分からないから、食事をすることもできない」
だからラジンの遺体は、オーガに喰われずにそのままにされていたのだ。
「オーガはずっと化け続けていた。ただ、化ける物は途中で替えた。扉だと、開け閉めの際にボロが出るかもしれないからだ。そこで、人気の無いことを確認してから、オーガはこっそりと、扉以外のものに変身し直したんだ」
アルフォンスの見た扉が消えた理由はそれである。
「いったい、オーガは何に変身し直したんだ?」
聞いてきたエバンスに、少し辛そうな表情をしてからリジャールは言った。
「食器棚です」
「食器棚……」
言われてエバンスも思い出したようだった。
デニスを手伝い、彼らが家の外に運び出した食器棚のことを。彼らがラジンの家から家具類を運び出したとき、台所には同じ形をした食器棚が二つあった。
「考えてみれば、おかしいんですよ。清貧を旨とし、持ち物の少なかったラジン氏に、食器棚は二つも必要ない。あの家は、それほど多くの来客も来ないでしょう」
例え客が来たとしても、ラジンの家にはともに食事をするような椅子もない。それなのに、食器だけを大量に用意することはしないだろう。
「ましてラジン氏は、中古の家具を売るのを生業にしていた。余分な食器棚を手元に置いておく理由がありません」
「修理しようとして拾ってきたものかもしれん」
そのエバンスの言葉を、首を振ってリジャールは否定した。
「であれば、台所ではなく倉庫に置いたでしょう。ラジン氏はそちらを作業場にしていたようですし」
「ではやはり、我々が運び出したあの棚が……」
「片方はオーガだったんです」
彼らは、知らずオーガの逃走に手を貸してしまったことになるのだ。
それを聞いたエバンスの表情が歪んだ。
昨日このことに気づいたとき、きっと自分も同じような顔をしていたことだろうとリジャールは思った。
ラジンの家の家具類を引き取っていったのはデニスだ。オーガの次の犠牲者である。
彼は他の家具とともにオーガの化けた棚を持ち帰り、家に──正確には家と内部で繋がった店内に入れてしまった。凶悪な魔物を自ら引き入れてしまったのである。
そして知らなかったとは言え、その手伝いをしてしまったのがリジャールとエバンスだ。デニスの死の責任の一端を、彼らは痛感していた。
「おれがデニス氏の家を訪れたとき、焼け残った店にはラジン氏の家具も残っていました。ただ、なくなっていた物もある。一つは、彼の思い出の品を入れていた宝箱」
「それは、拙僧だ。あの後すぐに、デニスに頼んで譲ってもらった」
「ええ。問題なのはもう一つの方です。他になくなっていたのは──」
台所にあった食器棚である。二つあったはずなのに、デニスの店には一つしかなかった。
「つまり、アルフォンスが見た台所の扉と同じなんです。夜になり、食器棚に化けていたオーガが元の姿に戻った。そして、デニス一家を襲撃したのです」
だから、翌朝の現場検証では食器棚が消えていたのだ。
デニス一家の鏖殺後、オーガは惨劇の舞台となった寝室に火をつけてから脱出した。
おそらくは近所の者が火事に気づく前に、窓から外に出たのであろう。寝室の窓は火事の炎で割れたのではなく、オーガが割ったのだ。そして家の外に乱雑に置いてある木箱の一つにでも化けたのではないかと思われる。
「それで、オーガはいまどこにいるのだ?」
そう聞いてきたエバンスの目には、暗い炎が宿っているようにリジャールには思えた。
屋外の木箱に化けたオーガは、人目のある昼間はそのまま木箱としてじっとしていただろう。あるいは、そこで睡眠を取っていたのかも知れない。そして深夜になってから、闇夜に紛れて移動をはじめる。
「木箱では、それを家の中に運び入れる人はあまりいないでしょう。このオーガは屋外で人を襲うことは好まぬようだから、人間が屋内に持ち込みやすい物に化けるはずだ」
その程度の知能は、オーガにもある。
そしてもう一つ。
「これまでにオーガが化けたものですが──ラジン氏の台所の扉、台所の食器棚。それから、これは推測に過ぎませんが、デニス家の外に積み上げられていた木箱。これらには、共通点があります」
「共通点?」
「どれも、すぐ近くに化けるための見本があるんです」
台所の扉に化けたときには、すぐ近くに倉庫に続く扉があった。食器棚や木箱は、本物のすぐ隣に並ぶようにして化けている。
特に食器棚は、不自然になる危険を冒してまで──オーガはその不自然さに気づかなかったのかも知れないが、同じ物に化けている。
「細部まで再現して見破られにくくするためか、あるいは自分の想像だけで化けることはできないのか。いずれにしろ、このオーガは本物を見ながら変身しているようなんです」
「……それで?」
少しイライラしたようにエバンスが言った。
「だとすると、デニス家を離れたオーガは、『人間が持ち込みやすい物に化けることができ、かつ近くに手本となる物が存在する場所』に潜んでいると思われます。そこで、誰かが自分を屋内に持って行ってくれるときをじっと待っているんです」
「だから、そこはどこなのだ?」
「先ほど、大家からこの家の鍵を借りるとき、ラジン氏がどこから売り物にする家具を手に入れているのか、聞いてみました」
もし大家が知らなければ近所の者に尋ね回るつもりだった。そのために、わざわざここまで来たのだ。
しかし、幸いなことに大家はラジンの家具の調達元を知っていた。
「この近所に、粗大ゴミ置き場があるそうです。不要になった、あるいは壊れた家具を捨てるための場所です」
そしてラジンのような者が、そこからまだ使えそうな物を持っていく。
ラジンに限らず、新市街に住む貧しい庶民には、なくてはならない場所だ。
「この街には、そのような場所がいくつかあるが──デニス家から一番近いのはそこです。なので、おそらくは──」
「行こう」
リジャールの言葉が終わらぬうちに、エバンスが玄関に向けて歩き出した。緊張した面持ちでアルフォンスもそれに続く。
助力を頼んだ立場でありながら出遅れた形になったリジャールは、そんな二人を頼もしく思いながらも、言った。
「二人とも場所は分かるんですか? 先導するからついてきてください」




