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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第三話 ローラン人喰い鬼事件
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その11 オグル

 詩人が子供たちに向けて語る声を聞きながら、リジャールは記憶の中にある『立派なケット・シー』の話を思い返していた。


 貧しい夫婦の元で飼われていた猫が人間の子供に変身し、怪物を倒して宝物を手に入れる物語だ。


 貧乏人の子供たちにとっては同じく貧乏な青年の成功物語に夢を感じ、褒められたやり方ではないものの、ケット・シーが嫌みな騎士や金持ち、それに妖精たちを巧みに騙していく様子に笑いを得る──。ローランの貧しい者の間で、定番のお伽話であった。


 吟遊詩人の語りはまさにクライマックスに差しかかっており、子供たちはワクワクしながら詩人を見ていた。


「服も帽子も靴も立派になったケット・シーは、町を出て、岩山にある大きなお城に向かいました。そこには、怖ろしい ”()()()” が住んでいました──」


 それを聞いた瞬間、リジャールはえっと思った。


(オーガ……だって?)


 彼の記憶の中の話では、城に住んでいたのは人食い巨人だったはずである。


 神代の時代のさらに昔からこの世界に存在していたとされる巨人族の末裔は、怖ろしい魔法を使ったり、不思議で強力な魔法の道具を持っていたりと、それぞれ固有の、祖先からの遺産を持っていることが多い。


『立派なケット・シー』の話では、それが変身能力なのだ。


 その怪物の名を、詩人は ”オーガ” と言った。


 聞き間違いではなかった。その後も何度も、詩人は「オーガ」と口にしている。


 語る詩人によって物語の細部や、主役以外の登場人物の名が変わることはままある。脇役の名前などは、その場で考えているんじゃないかと思うくらいに毎回違っていたりする。


 でも、変身能力を持ち、人と同じように城で豪奢な生活をしている巨大な化け物の名前が、まさか ”オーガ” とは──。


 確かに人食いの怪物という点では共通しているが、それ以外のイメージは、あまりにもリジャールの知るオーガ像とはかけ離れている。


 詩人が語り終えて一息ついたところで、リジャールは子供たちをかき分けて彼に近づき、訊いた。


「ちょっと、すまない。あんたはいまの話の中で、人食い巨人のことを ”オーガ” と言っていたが……」


 突然にそう話しかけられても驚くことなく、詩人は微笑んで答えた。


「はい、そう語りました」


「あの怪物は、オーガなのか? というのも……」


「実際のオーガとは、あまりにもかけ離れている?」


 聞き返されて、リジャールはうなずいた。


「ああ、その通りだ」


「大人の方は、皆さんそう仰いますね」


 詩人は言った。彼にとっては訊かれ慣れた質問だったのだ。


「あのお話は……」そこまで言って、詩人は少し声を潜めた。周りの子供に聞かれぬよう、気を遣ったようだ。「実は、昔の人の創作なのですが、原作では人食い巨人の名前は ”オグル” となっています。私も、先生からそう教わりました」


「オグル……」


 語感は似ているが、オーガではない。


「ただ……私は以前、古い文献で『立派なケット・シー』の原作を読んだことがあるのですが、そちらでは ”オグル ”の綴りは、オーガと同じでした」


「えっ!?」


 つまり、読み方が違うだけなのだ。


 原作では、ケット・シーに喰われた怪物は、オーガと同一のものなのである。


「私も実際の怪物のことは詳しく知りませんが、オーガは古の巨人族が退化した魔物だ、という説があるそうです。であれば、昔は変身能力を──先祖である巨人から受け継いだ魔法の力を遺しているオーガがいたのかも知れません。だから私は、『立派なケット・シー』の話をするときには、オグルではなく ”オーガ” と呼ぶことにしています」


 そう言って一礼をすると、詩人はまた子供たちの方を向いて、次の話を語りはじめた。


 しかし、その内容はもうリジャールの頭には入ってこなかった。


 いま詩人から聞いた話を、その意味するところを彼はずっと考え続けていた。


「リジャールさん?」


 一心に考え続ける彼に、アルフォンスが不思議そうに声をかけた。


「ああ、アルフォンス……」


 声をかけられて、ようやく彼の存在を思い出したリジャールは、アルフォンスに言った。


「すまない。ちょっと調べたいことができた。空き家の探索は、他の衛兵に任せよう」


 今しがた彼の脳裏によぎった考えが真実なら、この近辺の空き家を探索しても空振りに終わる可能性が高い。


 リジャールの言葉に、アルフォンスは素直にうなずいて言った。


「わかりました。私も実は、ちょっと他に調べたいことがあります」


「うん?」


「オーガが、ある日突然にこの街に降って湧いたとは思えません。街を囲む城壁をどうやって越えたのかは分かりませんが、街の外からやって来たのは確かなはずです」


 そうでなければ、随分と前からこの街では人喰い鬼の被害が頻発していたはずである。


「であれば、この街の周囲の村にもオーガの被害に遭ったところがあるのではと思うのです」


 大河アンタルヤの西岸は痩せた土地で農業には向かないが、それでも川沿いに漁村は点在している。数は少ないが牧畜や狩猟、痩せた土地でも育つ作物を栽培して細々と生きている集落もある。


 新市街の周囲でも、壁の外はすぐに荒野というわけではない。特に南に伸びる街道沿いには、旅籠や商店が建ち並ぶ地域もある。


 アルフォンスは、そう言った家屋や集落でオーガの被害が出ていないか聞いて回りたいのだと言った。


 その少年騎士の申し出をありがたく思いながらも、リジャールは言った。


「きみがそこまでする必要は……」


 アルフォンスがやろうとしていることは、本来は探索方である自分の仕事だ。


「乗りかかった船ですから。お手伝いさせてください」


 リジャールの言葉を遮ってアルフォンスは言った。


「それに、壁の外にはどうせ行こうと思っていたのです。もしかしたら、そこに姉のことを知る者がいるかも知れません。聞くことが一つ増えるだけで、やることは同じですから」


 アルフォンスはそもそも、行方不明となった姉を探してこの街にやって来たのだ。


 彼が壁の外で姉のことを聞いて回りつつ、オーガの噂も集めてくれるのなら、正直、リジャールにとってはすごく助かる。


 結局、彼はアルフォンスの好意に甘えることにした。


 一旦、ここで別れてそれぞれの目的とする場所に向かい、また明日の昼、アルフォンスの泊まる『緑の大犬亭』で待ち合わせて互いの情報を交換し合うと決め、二人は別々の方向に向けて歩き始めた。


 アルフォンスと別れたリジャールは、その足でオウル神殿へと向かった。


 応対に出てきたファティマに、リジャールは神殿に残る文書を見せて欲しいと頼んだ。


 神となった英雄を奉ずるオウルの神殿には、各地の英雄たちの生涯が記録として保管されている。吟遊詩人の英雄譚よりも歴史書に近く、脚色のない真実に近い記録だ。


 そしてもう一つ。


 怪物や魔物に関する記録も、オウル神殿には豊富に残されている。


 オウルの神官は自らも英雄となることを切望している者たちだ。そして、英雄となるのに最も手っ取り早い方法は、人々を困らす怪物を討ち倒すことである。


 そのため彼らは、神官としての修行の他に武芸の修行も欠かさない。


 しかし、誰もがエバンスのように恵まれた体格を持つわけではない。ファティマのように身体能力に自信のない者は、知恵と知識とを武器とすべく、日夜、将来遭遇するかも知れない怪物の研究に励んでいるのだ。


 今回のリジャールの目的は、こちらの怪物に関する研究書であった。


 それらの記録や文献のうち、オーガに関するものを見せて欲しいとリジャールはファティマに頼んだのである。


 彼女は、快く彼の頼みを聞いてくれた。書庫からオーガに関する記載のある文献を探してきては、次々とリジャールの前に積み上げていく。


 こんなにあるのか──と、多少げんなりしながらも、リジャールはそれらの書物や巻物を順に読み進めていった。


 オーガに関する記載の多くは、これまでの彼のイメージ通りのものであった。


 主に山野に単独で出現し、旅人を襲って食らう。身体の大きさは二~三メートル程度で、人間よりは大きいが巨人と言えるほどでもない。


 性格は粗暴にして残忍。人間に比べれば愚かだが、棍棒や腰布などの簡単な道具や衣服を使用する程度の知能は持ち合わせている。


 だが、そういった一般的なオーガとは異なる、あの吟遊詩人の言うような内容の記載もところどころに散見された。


 それによると、現在の一般的なオーガは ”退化” した姿なのだという。


 オーガは邪神の眷属とみなされているが、実は邪神が創造した怪物ではないらしい。彼らは、元は太古の巨人族の末裔であるとのことだった。


 神々とは一線を画し、それ故に神話などでは時に神と同列に扱われることもある巨人だが、例外的に邪神という “神” を信奉するようになった一族がいた。


 しかし、皮肉なことに邪神を信仰することによって、彼らは巨人としての特性を──その神聖性を徐々に失っていったのだ。身体はどんどん矮小化して小さくなり、知恵も魔力も失われていった。


 邪神が封じられてからはその加護も得られなくなり、どんどんと退化が促進していった結果のなれの果てが、いまのオーガだとする説があるのだ。


 実際、過去には『立派なケット・シー』のオグルほど強大ではないが、魔法を使うオーガや、変身能力を持つオーガが現れたことがあるという。


 それらのオーガが、同一種の中の先祖返りをした個体なのか、あるいは祖先の形質を色濃く受け継いだ亜種なのかは議論の分かれるところであるが、いずれにしろそのようなオーガも年月とともに徐々に数を減らしていき、あまり一般的な存在ではなくなってしまったという──。


 そのような記述を読み、実際にオーガが魔法を使ったり、変身能力を見せた記録を確認した後、リジャールは本を閉じてしばし考え込んだ。


 もしもいま読んだ記載が本当なら──。


 変身能力を持つオーガが実在するのなら──。


 あのラジンの事件における様々な疑問点が、パズルのピースを嵌めていくかのようにリジャールの頭の中で順に綺麗に収まっていく。あの夜、あの家で何が起きたのかが、一つのストーリーとして組み上がる。


 そして、その後に起きたデニスの事件も──。


 あの家で犠牲になった一家のことを思い、リジャールの胃の腑にたくさんの小さい蛇がうごめくような不快感が湧き上がる。それに耐えきれず、彼は思わずえずきを漏らしていた。

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