その10 立派なケット・シー(ローラン昔話)
あるところに、貧しいけれども心の優しい夫婦がおりました。
夫婦には子供がおらず、代わりに一匹の子猫を大変に可愛がっておりました。
しかしあるとき、その子猫がいなくなってしまいました。
夫婦が嘆き悲しんでいると、扉をカリカリと爪でひっかく音が聞こえてきます。
──猫が帰ってきた!
夫婦は喜んで扉を開けましたが、そこに猫の姿はありませんでした。代わりに一人の赤ん坊がすやすやと寝息を立てていたのです。
二人はこの赤ん坊を家に入れ、自分たちの子供として育てはじめました。
” ケット・シー(猫妖精の意)” と名付けられた子供は、両親の愛情をいっぱいに受けてすくすくと育ちました。
立派な青年に成長したケット・シーは、ある日両親に言いました。
「旅に出ることをお許しください。必ず出世して、迎えに参ります」
夫婦は驚き、ケット・シーを引き止めましたが、彼の意志は代わりませんでした。
泣く泣く、夫婦は息子を見送りました。
旅に出たケット・シーは、とある森の中の泉で、裸になって水浴びをしている一人の騎士を見つけました。
その騎士は、いつも貧しい者たちを馬鹿にするいやな奴でした。
騎士の目を盗んでそっと脱ぎ捨てられた服に近づいたケット・シーは、素早く服に水をかけてびしょ濡れにしてしまいました。そして木陰に隠れて、じっと騎士が水から上がってくるのを待ちました。
やがて水浴びを終えた騎士は、服が濡れていることに気がついて困惑しました。このまま着て帰っては、風邪を引いてしまいそうです。
ケット・シーは何食わぬ顔で騎士の前に姿を現し、言いました。
「お困りでしょう。私の服をお貸ししますので、これで一度お城に戻って着替えてきてはいかがですか。私はここで待っています」
騎士は彼に感謝し、ケット・シーの服を借りて城に戻りました。
着替えを用意して服を脱ごうと騎士が腕を抜いたとき、びりりっと音がしてケット・シーの服の袖の部分が破れてしまいました。
実は、ケット・シーが密かに切れ目を入れておいたのですが、そんなことを知らない騎士は、借りものの服を破ってしまったことを大いに恥じました。
そこで彼は、代わりに立派な服を持ってケット・シーの元に戻りました。
こうしてケット・シーは、立派な騎士の服を手に入れました。
続いて彼は、町一番のお金持ちの家に行きました。そこの主人は、帽子を集めるのが趣味でした。
ケット・シーは夜中にそっと主人の部屋の窓を開け、たくさんの帽子の中から新しそうなものを盗み出すと、部屋の前にある背の高い木のてっぺんに掛けました。
朝起きて、お気に入りの新品の帽子がないことに気づいた主人は慌てました。閉め忘れた窓から入った風が、帽子を吹き飛ばしてしまったと思ったのです。
主人は使用人達に命じて帽子を取り戻そうとしましたが、木はとても高くて誰も登ることができません。
そこにケット・シーが現れて言いました。
「私が取ってあげましょう」
彼はするすると木に登り、あっという間に帽子を取ってきてしまいました。
お金持ちはケット・シーに感謝し、もうかぶらなくなった帽子の一つを彼に渡しました。
お古とは言え、それはとても高価な帽子でした。
こうしてケット・シーは立派な帽子も手に入れたのです。
最後に彼は、町で評判の靴屋の家に行きました。
彼は靴屋の庭にじっと潜んで待ちました。
やがて日が暮れ、人々が眠りにつく時刻になりました。それでもケット・シーは、辛抱強く庭に潜み続けました。
やがて深夜になると、庭にある木の根の間から一人の小人が出てきて、靴屋の作業場の方に向かいました。
それはレプラコーンという名の妖精でした。靴職人の妖精です。
彼は日に一杯の酒と引き換えに、夜な夜な靴屋の作業場に赴いては、人間の靴作りを手伝うのです。
この靴屋が繁盛しているのは、それが妖精の作った靴だからでした。
レプラコーンが靴を作っている間に、ケット・シーは大きな石を持ってきて妖精が出てきた木の根の間に置きました。
明け方が近くなり、寝床に戻ろうとしたレプラコーンは、根の間に石が置いてあることに気がつきました。これでは妖精の国に帰ることができません。小さなレプラコーンでは石をどかすこともできません。
困って泣きそうな顔になってしまった妖精に、ケット・シーは近づいて言いました。
「私がその石をどかしてやろう。その代わり、お前の作った靴を一足、私におくれ」
こうしてケット・シーは、妖精の作った立派な靴も手に入れました。
服も帽子も靴も立派になったケット・シーは、町を出て、岩山にある大きなお城に向かいました。
そこには、怖ろしい人食い巨人が住んでいました。その巨人は七日に一度、人里に下りて行っては宝物を奪い、食事として人間を攫っていくのです。
この国の人々は、皆この巨人に苦しめられていました。何人もの騎士が巨人を倒そうと城に向かいましたが、誰も帰ってはきませんでした。皆、人食い巨人に食べられてしまったのです。
ケット・シーは、その巨人の城に行って言いました。
「私は、隣の国に住む偉い巨人様の使いの者です。ご主人様は、あなたが素晴らしい巨人と聞いて、どれ程すごいのか確かめてこいと私に仰いました」
堂々と口上を述べるケット・シーを巨人はじろじろと眺めました。
服も帽子も靴も立派な青年でした。貴人の使いの者だという話は本当だろうと巨人は思いました。
「俺は大きくて、強い。人間達などひとひねりだ」
人食い巨人が誇らしげに言いましたが、ケット・シーは、何でもないことのように返しました。
「それは、私のご主人様も同じです」
続いて巨人は言いました。
「俺は、何にでも化けることができる」
「本当ですか? 信じられません」
そう言うケット・シーの前で巨人は大きな竜に姿を変え、空に向けて炎を吐いて見せました。
「ひゃぁっ! これは素晴らしい」
大げさに転げて見せながら、ケット・シーは言いました。
「でも、身体の大きなあなたが大きい物に化けられるのは当たり前。まさか、小さいものには化けられますまい」
「そんなことはないぞっ!」
ケット・シーの挑発に、顔を真っ赤にした竜の体がみるみるうちに小さくなっていきました。
そして巨人が小さなネズミに化け終わった瞬間、ケット・シーはネズミに飛びかかりました。いつのまにか彼の体は、人ほどの大きさの猫に変わっていたのでした。
ケット・シーの正体は、貧しい夫婦に可愛がられていた猫だったのです。
彼が騎士の服にこっそり近づけたのも、高い木に登ることができたのも、夜の庭にずっと潜んでいられたのも、彼の正体が猫だったからなのでした。
ネズミに飛びかかった猫は、巨人が元の姿に戻る暇も与えずに頭からバリバリとネズミをかじって食べてしまいました。
こうして、人々を苦しめた人食い巨人は退治されたのです。
ケット・シーは、巨人の持っていた宝物を人々に分け与え、そして自分もたくさんの宝物を持って両親のところに帰りました。
そして親子三人で、いつまでも幸せに暮らしたのです。
恒例の挿入話です。
「長靴を履いた猫」と全く同じ物語がローランにも伝わっていて……ということも考えましたが、前二話と合わせて詩人の話を入れたかったので、よく似た別の伝説としてみました。
ただし、掲載したのは「詩人の話」ではなく、(次話で明らかにしますが)リジャールの思い出にあるお伽話という点がミソです。
次回からいよいよ解決編に入ります。




