その8 自由騎士アルフォンス
玄関を出てエバンスを見送ったリジャールは、そのまま家の横手まで行き、ラジンの寝室の窓の外に立っている男に声をかけた。
「いかがでしたか?」
そのリジャールの言葉に振り向いたのはアルフォンスだった。彼は、窓の外からリジャールと話すエバンスの様子をずっと覗いていたのだ。
アルフォンスが目撃したというオーガは、もしかしたら身体の大きな人間だったのではないか──そういう推測をリジャールはしていた。
犯人がもしも半裸で髪を振り乱していれば、血腥い現場の状況と合わさって人食い鬼のように見えるかも知れない。
そしてリジャールは、それがエバンスではないかと疑ったのだ。
彼は人並み外れて体格がいい。鍛えられて盛り上がった二の腕の筋肉は、オーガと比べても遜色はないだろう。
そしてエバンスはラジンとも面識がある。何かの理由で家に泊まることになり、そこでラジンとの間にトラブルが発生したのではと考えた。就寝前後であれば、半裸で髪が乱れていることもあるだろう──と。
そこでリジャールは、エバンスをこの家に呼び出すに当たって、アルフォンスに頼んで窓越しにその姿を見てもらったのである。
殺人者かも知れないエバンスと二人きりで話すことに、リジャールが恐怖感を覚えずにすんだのは、外からアルフォンスが見ていると知っていたからであった。
「リジャールさん……」
歩み寄ってくるリジャールに、アルフォンスは残念そうな顔をして首を横に振った。
「違いますね。あの人ではありません」
「そうですか……」
リジャールは嘆息した。
エバンスが連続放火犯ではないと確信したリジャールだったが、ラジン殺害の犯人の可能性はまだあると考えていた。
しかしこのアルフォンスの証言で、その可能性もなくなった。
「私が見た怪物は、あの人より一回り以上も大きかった。あの方は確かに大柄ですが、それでも戸口の一番上に頭が届くようなことはなかったでしょう? 私があの夜見た者の頭は、戸口の上部とほぼ同じ高さでした。少し身をかがめるようにして、部屋から出ていったことをよく覚えています」
実際にあの夜と同じように窓から見ることで、ラジンを殺した者とエバンスの違いがはっきり分かったと言う。
「いくらなんでも、そこまで身体が大きい人間は……」
「そうはいないでしょうねえ……」
ローランは広いから、探せば規格外に大きい人間も一人や二人はいるかも知れない。
だが、新市街にそのような者がいれば確実に噂になっているだろう。リジャールは日頃から、町の者の話には注意を払っている。そんな噂があれば耳にしていないはずがなかった。
「ところでリジャールさん」
考え込むリジャールに、アルフォンスが声をかけてきた。
「なんです?」
そう応じたリジャールに、少し恥ずかしそうにアルフォンスは言った。
「あの……敬語、やめて頂けませんか? 貴方のほうが年上ですし、私は一介の冒険者ですから」
「はあ……」
アルフォンスの言葉に、リジャールは虚を突かれたように頭を掻いた。
まさかお偉い騎士様から、こんなことを言われるとは思わなかった。彼が今まで会ったことのある騎士たちは皆──たとえ仕える主君のいない自由騎士であったとしても、なんだかすごく偉そうにしていた。
まだ少年とも言える年頃で騎士をしているということは、アルフォンスは貴族の家柄に生まれた者か、若くして相当に大きな手柄を挙げた者だということになる。
年下とはいえそんな人物にぞんざいな口を利くのは、正直抵抗があるのも事実だ。
それでも、年上の者から敬語で話されることに恐縮してしまうのが、アルフォンスという少年の人柄のようだった。リジャールはそんな彼に好感を抱きつつ、アルフォンスの望み通りの対応をすることにした。
「わかりまし……いや、分かったよ、アルフォンス。それで、きみが見た者なんだが、オーガ以外の魔物という可能性はあるのか?」
「見た目は、オーガに間違いないですね。ただ、もしもオーガによく似た別の魔物が存在するのだとしたら……私はそのようなものは知らないから、区別はつけられないと思います」
そんな魔物はリジャールも知らない。
控えめに言ってはいるが、自分が見たものは人間ではなく魔物であると──オーガなのだと、アルフォンスは確信している。見間違いはあり得ないと、少なくとも本人はそう思っている。
「きみは、何度かオーガを見た事があると言っていたが……」
「ええ、何回か戦ったことがあります」
「それで聞きたいんだが、オーガというのは火を使うものだろうか?」
「火、ですか?」
もしもオーガが人間同様に火を使うのならば、他の現場で放火をしたのもオーガの仕業だとしても良いことになる。
ただ、リジャールの想像するオーガは、粗暴で知能の低い魔物だ。ヒト型をしたヒグマと大差ないようにも思う。そんなものが現場を燃やして痕跡を消す、というような行動をとるものだろうか。
「どうでしょう……」
リジャールの問いに、アルフォンスは考え込んだ。
「私が見たときはいずれも昼間でしたから、松明のようなものは持っていませんでした。彼らは夜目が利くと言いますから、夜でも灯りは不要でしょうし」
「灯りとしてではなく、道具として──例えば人間のように獲物を火で炙ってから食べたり、何かを燃やしたり、というようなことはするだろうか?」
「それは……あまりオーガのイメージではありませんね」アルフォンスは苦笑した。
むしろ、生肉をそのまま喰っているような印象がある。
そこは、実物を見たことがあるアルフォンスでも同様のようだった。
ただ──とアルフォンスは言った。
「オーガは性格が粗暴で愚鈍なだけで、知能自体は獣よりはあると思います」
ヒグマよりは賢いのだ。
「棍棒のような簡単な道具は使いますし、獣の皮を腰布として身につけたりもしています。言葉を話さないのも、一匹で生活することが多いから必要がないだけで、教えれば理解はするそうです。邪教の神官なんかは、よくそうやってオーガを使役していたりするでしょう?」
オーガは邪神の眷属でもある。英雄譚などでは邪教の尖兵として、邪悪な神官や魔道士に伴われて登場することがよくあった。
「だから火の使い方も教えれば……あるいは何かのきっかけで学べば、使えるようになるかも知れません。……まあ、火打ち石やランタンなんかを使うところは、ちょっと想像しにくいですが」
近くに蝋燭のような火のついたものがあれば、意図的に倒して火事を起こす、ぐらいのことはやるかもしれない。
「そのようなことを聞くのは、ここのところの火事がらみですか?」
アルフォンスが察しよく聞いてきた。
話すかどうか迷ったが、リジャールは結局、彼に火事の現場で発見された遺体の数と行方不明者の数が一致しないことを説明した。バラバラで発見された遺体があることも。
それを聞いたアルフォンスは、また少し考え込んで言った。
「オーガが、積極的に自身の犯行を隠そうとするとも思えませんが……」
ただ、人を襲った後に火事が起きたら、人間たちが火の方に気を取られて自分を追いかけ回すことをしなかった。そんなことが何回か続いたら、学習してしまうことはあるかも知れない。
人間のように論理的には考えなくとも、人を喰った後に近くに火があれば、倒して火事を起こすという行動が習慣となってしまう可能性はある。オーガにしてみれば、そちらの方が生き残る確率が高いからだ。
「まあ、まだオーガの仕業と決まったわけではないが……」
リジャールは一応、そう釘を刺しておく。彼はまだ、オーガの存在は半信半疑だ。
「しかし、少なくとも私が見たオーガは、まだこの街のどこかに潜んでいるはずです。いったい、どこに隠れているのか……」
アルフォンスはあれから、この近辺を皮切りに新市街の路地や、オーガが隠れられそうな場所を見て回っているのだという。
「放ってはおけませんので」
そう彼は言った。
だが、まだオーガは見つけられていない。
「空き家なんかは、探してみたのか?」
リジャールは聞いた。路地裏にいないのならば、他にこの近辺でオーガが隠れられそうなのは空き家ぐらいだ。
「さすがに、空き家とはいえ他人の家に勝手に入ることは、はばかられましたので……」
それに、外観からは空き家と分からない家もある。
すでに仲間の衛兵がこの近辺の路地裏や空き家は探索しているはずだが、自分でも一応、捜索してみるかとリジャールは考えた。何か手がかりが見つかるかもしれない。
そこでリジャールは、まず近所の者にこの近辺の空き家を教えてもらうことにした。
ラジンの隣家は留守だったので、向かいの家に行こうと道を渡りはじめたリジャールに、アルフォンスもついてくる。彼は最後までこの事件に付き合うつもりのようだった。
万が一オーガがいたときのことを思うと、騎士である彼の同行はリジャールには心強い。
リジャールも荒事には自信があるが、それはあくまで人間相手の喧嘩の場合だ。彼は今、衛兵に支給される鎧も槍も持ってはいない。護身用の小剣を下げているだけで、これ一本でオーガと渡り合うにはいかにも心細かった。
全てが終わったら、アルフォンスに護衛料として金一封を渡してもいいかもしれないと、リジャールは考えた。
ラジンの向かいの家を訪ねると、一人の老婆が応対に出てきた。息子夫婦と暮らしているが、彼らはいま仕事に出ているという。
老婆はリジャールではなく、その背後のアルフォンスを見て目を細めながら言った。
「ありゃ、この前の騎士さんじゃないの。あの夜は大活躍だったねえ」
孫と同じくらいの年なのに立派なもんだと、しきりに言いつのる。
アルフォンスが恐縮して応えた。
「いえ。私は結局、ラジンさんを殺めた者も取り逃がしてしまいましたし……」
「そりゃあ、しょうがないよ。騎士様が気づいたときには、犯人はもう逃げた後だったんだろう? それなのに、夜通し見張って……あたしゃあ、ずっと偉いもんだと思いながら見ていたんだよ」
その老婆の言い方が、リジャールには気にかかった。
「見ていた?」
「ほら、そこ」
老婆は玄関から出て、脇の壁にある窓を指さした。
「そこが私の部屋なんだよ。星がよく見えてねえ」
その窓から、夜空を眺めるのが好きなのだという。
あの日もそうやって外を見ていたら突然、「人殺しです!」という声が響いた。何事かと思って、そのまま外を──ラジンの家を見ていたら、玄関の戸が開いて、一人の若い騎士が飛び出してきた。アルフォンスだ。
近所の家から続々と野次馬が出てくる中、彼女はずっと部屋の中からラジンの家を見ていたのだという。
「ちょ……ちょっと待った!」
なおも色々と喋ろうとする老婆の言葉を、リジャールは遮った。
「アルフォンスが──彼がラジンさんの家から出てくるずっと前から、あなたは外を見ていたんですか?」
「ああ、そうだよ。そう言ったろ?」
そして、アルフォンスの叫び声が聞こえてからはずっとラジンの家を見ていた。
ということは──
「あの家から出てきた者が、どっちに逃げたか見ていませんか? 賊は、あの玄関から外に出たはずなんだ」
アルフォンスが叫んだとき、オーガはまだラジンの寝室にいた。
屋外からの声を聞いて廊下に逃げたオーガは、アルフォンスが寝室の扉を開けるのに手間取っている間に、玄関から家の外に逃げたと考えられている。他にオーガが逃げられそうな場所はないからだ。
であれば、この老婆は玄関から出てきたオーガを目撃しているはずである。彼女は、アルフォンスが叫んでから、ずっとラジンの家を見ていたのだから。
しかし、リジャールの問いに老婆は首を振って答えた。
「いんや。そちらの騎士様以外は、誰もあの扉からは出てこなかったよ。わたしゃ、ずっと見ていたからそれは確かだ」
その言葉に、リジャールとアルフォンスは困惑した表情で目を見合わせた。