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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第三話 ローラン人喰い鬼事件
34/93

その7 神官戦士エバンス

「ロザリオ? ああ……」


 リジャールの問いに、苦笑しながらエバンスは答えた。


「どこかで落としてしまったようでな」


 チャラッ──。


 エバンスが言い終えた瞬間、リジャールは懐から空き地の火事跡で見つけたロザリオを取り出し、エバンスに見せた。


「これは、旦那のものではありませんか?」


 それを見たエバンスが目を輝かせた。


「おお、そうだ! 確かに拙僧のだ。ありがとう。どこに落ちていた?」


「一昨日の夕方、とある空き地で火事がありましてね」


 その言葉を聞いたエバンスの表情が曇る。


「そこで、拾いました」


「ああ……そうか。あのとき、落としたのか……」


 独り言のように言ったそのエバンスの反応に、リジャールは少し戸惑った。


 エバンスがあまり悪びれていないように見えたのだ。火事場にいたことを隠そうとする様子が全くない。


 予想と異なるエバンスの態度に困惑しながらも、リジャールは確信的な質問を放った。


「あの火事を起こしたのは、旦那じゃないですか?」


 その言葉を聞いたエバンスは、再び苦笑したような表情を見せて頭を掻いた。


「いや……スマン。思った以上に火が大きくなって、慌てて水を取りに行ったのだが、近所の者が到着する方が早かったな。戻ったときには、火はあらかた消し止められていた」


 ──ん?


 リジャールは一瞬、眉をひそめた。


 戻った──?


「現場に、戻ったのですか?」


「ああ。結局、借りてきた水桶は使わなかったがな。近所の者には迷惑をかけたが、正直、助かった。おかげで、大きな火事にならずにすんだ」


「…………」


 そんなことは、あの老人は一言もリジャールには話してくれなかった。


 もしかしたら老人は、エバンスを通りすがりの協力者だと思ったのかもしれない。逃げた男と同一人物だとは思わなかったのだ。決まりが悪かったのか、エバンスもわざわざボヤを起こしたのが自分だとは言わなかったのだろう。


「きっとその聖印はその時に落としたのだろうな。拾ってくれたのおぬしか?」


「ええ。おれが拾いました」


 言いながらロザリオをエバンスに返し、リジャールは訊いた。


「どうして火付けなどしたんです?」


「付けるつもりはなかったのだが……」


 エバンスはまた苦笑した。


 カチリ、と音を立てて背中に負った大剣を下ろす。


 瞬時に警戒して身構えたリジャールに、エバンスは言った。


「そう警戒するな。大丈夫。こんな所では抜かんよ。……危なすぎてな」


「……どういう意味です?」


「これは最近手に入れた魔剣なのだが、炎の力を秘めている」


 その試し斬りを、あの空き地でしようとしたのだという。木の棒に藁を巻き付けて持っていったのだ。


 そして剣を抜き、藁に切りつけた途端、ものすごい勢いで燃え上がった。


「またたく間に大きな炎になってしまってな……。あそこまで火力が強いとは思わなかった。魔力が強すぎるのも考えものだ。制御が難しい」


「……炎の力を持つ魔剣や術具を集めているそうですね」


「冒険者の店で聞いたのか? ああ、そうだ」


「ここのところの、火事騒ぎをご存じですか? おれは、あれが放火事件だと考えています」


 その言葉を聞いたエバンスは、リジャールの方をまじまじと見た後、ふっと笑って言った。


「そうか、それで拙僧を疑ったのだな……。確かに、一昨日の火事は拙僧の責任だが……それ以外の火事には拙僧は関わっていない。神に──オウル神にかけて誓う」


 ロザリオを握りしめ、真摯な表情でそう言ったあと、エバンスはふっと虚空を見て自嘲するように呟いた。


「だが、そうだな……。拙僧は火付けをする者の気持ちが少し分かる気がするのだ……」


「旦那が、炎に魅入られていると言う人もおりましたが……」


「魅入られてる、か……。むしろ、恋い焦がれていると言った方が近いかもしれん」


 エバンスの目が、ラジンの寝台のあった辺りに向けられた。


 その視線を追ったリジャールは、もしかしたら彼は自分ではなく、死んだラジンの魂に懺悔をしているのかも知れぬと思った。


「拙僧には愛する女性がいた。誰よりも、彼女を愛していた……」


 遠くを見つめる目つきでエバンスは話し始めた。


 かつてエバンスは、ヴァロア王国の王都リヴェーラを拠点に冒険者をしていた。そして、その時に一緒にパーティを組んでいた一人の女性冒険者を愛するようになった。


 その女性は、炎の神・フラムの神官であったという。


「嬉しいことに、彼女も拙僧のことを愛してくれるようになった。結婚を……望んでくれていたと思う」


 多くの神殿では、神官同士の恋愛や結婚は禁じられていない。


 むしろ、小さな町や村の教会では別々の神の神官同士が結婚し、夫婦で複数の神を祀った教会を運営していることがよくある。


 だが、オウル神の神官の場合は少し事情が異なっていた。


 彼らは生まれついての神官ではない。修行を重ね、人々に奉仕することで神に認められ、奇跡を行う力を授けられる。


 自身がまだ未熟者だと自覚するエバンスは、恋人との結婚を躊躇したのだ。


「結婚して妻と子ができれば……やはり、どうしてもその者たちを優先せねばならぬ時がやって来る。この世界にオウルの神官はたくさんいるが、拙僧の妻や子供にとっては、夫であり父である人間は拙僧一人だからだ。そして、そうなれば……」


 どうしても修行はおろそかになる。神々や人々に奉仕するために割ける時間は限られてくる。


 だからエバンスは、恋人との別れを選んだのだ。


 オウルの神官として充分な力を身につけたとき、また彼女に会いにいくつもりではあった。ただ、「それまで待ってくれ」とは、どうしても言えなかった。


 それがいつになるかは分からないからだ。


 一生かかっても無理かも知れない。自分が未熟なために、彼女の人生の時間を犠牲にしろとはとても言えなかった。


「彼女は火の術が得意だった……。炎の神・フラムの神官の中でも、特に火の扱いに長けていた。だから、炎を見るとどうしても彼女を思い出してしまうのだ。輝く炎の中に、彼女の顔が浮かぶのだ……」


 だからエバンスは火を追い求めた。


 人々に奉仕し、正義を執行するための道具である剣や術具も、炎に関したものを選ぶようになった。そうすることで、彼女とともに戦っている気持ちになるのだという。


 それを聞いたリジャールは、エバンスは放火犯ではないと確信した。


 愛する女性の象徴である炎を、罪もない人々を傷つけるために使うことはないだろうと思ったのだ。


「旦那のお気持ちは分かりました。ただ……」


 その先を言うべきかどうか、リジャールは迷った。だが、言わずにはおられなかった。


「どうして旦那は、その女性に『待っていてくれ』と言わなかったのですか。彼女はきっと……その言葉を聞きたかったでしょうに」


「それは、拙僧が……」


「おれも、同じです」


 エバンスの言葉を遮ってリジャールは言った。


「おれも……故郷に待ってくれている人がいる……。おれに武術を教えてくれた、師範の娘です」


 新市街に来るとき、リジャールは彼女に言ったのだ。「三年だけ待ってくれ」と。新市街で出世して、必ずきみを迎えに戻るから、と。


 土地に限りのある新市街の入居基準は厳しい。下っ端の衛兵が旧市街から家族を呼び寄せることは難しいのだ。


 そうするためには衛兵として功績を積み重ね、妻子とともに暮らすことが許される立場になる必要がある。そしてそうなったら、リジャールは彼女に求婚して新市街で所帯を持つつもりだった。


「そのためにおれは……何が何でも手柄を上げなければいけない。おれのことを、認めさせなければいけない」


 今度の事件の探索に積極的に動くのは、お役目だからと言う理由もある。死んだラジンやデニスの無念を晴らしてやりたいという気持ちも、確かにある。


 しかし同時に、他の誰も気づかなかった連続殺人鬼を暴き出し、そして捕らえることができれば大きな手柄になるだろう、という利己的な野心も働いていた。


「おれは、彼女のために働いている。そのために、何があっても頑張れる。旦那も……その女性のために、神官として早く大成しなければ……」


「彼女のために、か……。その発想はなかったな……」


 自分よりも若いリジャールからの厳しい視線に、エバンスは眩しいものを見るように目を細めて苦笑した。


 やがて一度目を閉じた後、彼は神官戦士の顔に戻って口を開いた。


「ラジンさんの無念は、拙僧も晴らしたい。自分なりにも色々と調べてみようと思う。もしも何か分かったら、必ずおぬしに伝えよう」


 そう言ってエバンスはリジャールに片手を上げると、広い背中を見せて戸口をくぐり、部屋から立ち去っていった。

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