その6 疑惑
オウルの神殿から詰め所に戻ってきたリジャールは、同僚の衛兵たちを順に捕まえては、ここのところの火事場の様子を聞き出しはじめた。
彼が特に気にしたのは、発見された犠牲者の遺体についての情報である。
何でそんなことを聞きたがるのか訝しむ同僚たちに、彼はデニスの家の犠牲者たちの様子を伝え、似たような状況ではなかったかと尋ねて回った。
結果は、リジャールの予想通りのものだった。
昨夜の二件を除くと、火事騒ぎの中で直近の事件は一週間ほど前の果物を扱う商人の家でのものだ。
その家では商人夫婦とその二人の子供に加えて妹夫婦も同居しており、合わせて六人が暮らしていた。にもかかわらず、見つかった遺体は二人分だ。残りの四人は行方不明である。
その前は、隠居した老夫婦の家だった。折悪く、旧市街に嫁いだ娘が孫とともに里帰りしており、一緒に犠牲になったと思われるのだが、見つかったのは老夫婦の遺体だけで、この親子の亡骸は発見されなかった。行方不明である。旧市街の夫のところにも、二人は帰っていないようであった。
さらにその前の、とある新婚夫婦の家の火事では、遺体は一つも発見されなかった。住んでいたはずの夫婦は行方不明で、夜逃げでもしたのかと噂になったという。
その他にも数軒の火事があり、最も古いものが魚市場の倉庫で起きたものである。そこの見張りを務めていた二人の男たちが行方不明になっており、火を出してしまった責任を問われることを怖れて、逃げ出したのではないかと考えられていた。
これらの火事は、一つ一つがそれぞれ別々の事件として扱われている。
だからこれまで気がつかれなかったのだが、改めて全ての火事を俯瞰してみてみると、やはりその行方不明者の多さが気にかかる。遺体が見つかったのは、犠牲になったと推測される者のうち半数以下だ。
炎で遺体が損壊してしまい、発見されなかった可能性は確かにある。しかし、それでもここまで多くの行方不明者が出るものだろうか。
最初の倉庫の火事をはじめ、その場にいた者たちの自発的な夜逃げと考えられなくはない事案も確かにあった。だが、果たして本当に全てがそうなのだろうか。
むしろ、遺体の数をごまかすために──遺体が損壊したから数が合わないのだと思わせるために、何者かが火事を起こしている可能性はないだろうか。
だとすると、見つかっていない遺体はどこに行ったのか。
そう思った瞬間に、リジャールの脳裏にアルフォンスの証言が蘇ってきた。
あの少年騎士は、犯人はオーガだと言った。悪名高き人喰い鬼である。
だとすると、行方不明の犠牲者たちは──
(喰われた、のか……?)
リジャールの背筋に寒気が走った。
アルフォンスの目撃談が正しくて、犯人がオーガであれば、そういうことになるだろう。
しかし、オーガ犯人説にはすぐには納得できないところも多々ある。
街中に突然に怪物が現れる不自然さには目をつぶるとしても、それぞれの事件でオーガはどこから来て、どこに逃げたのか。
デニスの家は、玄関も勝手口も施錠されていた。犯人がオーガだとすれば、寝室の窓から出入りしたと考えるほかはないが、これだといくつか疑問点がある。
第一に、窓からオーガのような巨体の怪物が入ってきたことに、家人は誰も気づかなかったのか。鎧戸が割れる大きな音がしただろうに。
第二に、オーガはなぜわざわざ施錠された屋内にいる者を襲撃したのか。喰うために襲うのなら、夜道を歩く酔っ払いでも良いはずである。だが、このところのローラン新市街ではそのような事件は起きていない。
デニス家に限らず、一連の事件の犯人がオーガだとすれば、この魔物はわざわざ屋内に侵入してから襲撃を開始していることになる。
ラジンの事件では窓や扉を破って侵入するのではなく、人間の空き巣のように施錠されていない玄関を開けて屋内に入ったと考えられる。
しかし、オーガのような粗暴な魔物が、果たしてそのようなことをするものだろうか──?
そしてなにより、オーガは今どこに隠れ潜んでいるのか。
リジャールは、昨日のうちにアルフォンスの目撃談を隊長や他の衛兵たちにも伝えていた。真偽の程は分からぬが、十分に警戒し、路地裏や空き家に魔物が潜んでいないか注意してもらうように頼んでいた。
しかし今のところ、アルフォンス以外にオーガを見たという者は現れていない。
よほど上手に姿を隠しているのか、あるいはオーガなど初めからいないのかのどちらかである。
もしもアルフォンスの目撃談が誤りで、犯人がオーガではない場合は、今のところ誰が何のためにこのようなことをしているのかは全く不明だ。
金銭目的ではなさそうであるし、ラジンとデニス以外の犠牲者の間には、今のところ繋がりのようなものは見えてこない。従って、怨恨が動機とも断定できない。
では、誰が、いったいなぜ──?
(動機については、犯人がオーガであってくれたほうが、話は早いが……)
街中にオーガが現れるなどあり得ないとは思いつつ、どこかそう期待している自分に気づき、リジャールは慌てて首を振った。
翌日、リジャールは事前に借りていた鍵でラジンの家に入り、エバンスを待っていた。
昨日のオウル神殿のファティマの証言を聞いて、リジャールはエバンスともう一度話をしなければならないと考えていた。
彼女は、こう言ったのである。
──エバンス殿は、炎に魅入られているのかも知れません。
と。
夜の部屋を点すランプの火、厨房の料理の火、祭壇の蝋燭の火──。それらの炎を、エバンスがどこか忘我の表情で見ていることが、良くあるのだという。
そういうときの彼の瞳孔は大きく開き、ただただ一心に、熱に浮かされたように炎を見つめている。
とても声をかけられるような雰囲気ではないのだ、とファティマは言った。
また、彼女はエバンスについて、もう一つ気になる噂も耳にしていた。
旅の神官戦士であるエバンスは、冒険者としても活動している。
魔物退治や古代の聖遺物の探索など、英雄になるための活動は冒険者の仕事にも通じるものがある。そのため、冒険者を副業とすることは、エバンスに限らずオウルの神官戦士にはよくあることだから、そこはあまり問題ではない。
ファティマが気にしているのは、冒険者たちの間での彼の評判であった。
エバンスは、冒険者の間ではそこそこに名前の知られた男であるらしい。
ただし、オウルの聖戦士としてではない。
彼は、魔道具のコレクターとして有名なのだ。
炎の力を秘めた魔剣や術具の類いを好んで集める男として、名が広がっているそうである。
それを聞いたリジャールは、エバンスが放火の犯人ではないかと疑った。
彼がオウル神殿に現れたのは五日前のことで、火事が頻発するようになってからだいぶ経つが、神殿に現れたのがその日というだけで、この街にはもっと早くから来ていたのかも知れない。
何より、空き地の火事の現場には、オウルの聖印をかたどったロザリオが落ちていた。これがエバンスのものだとすれば、彼を火付けの犯人とする動かぬ証拠だと思う。
だから、リジャールはエバンスをラジンの家に呼び出した。
彼がラジン殺しの犯人かどうかは分からない。
エバンスがこの家で見せたラジンを悼む表情は、演技ではないようにリジャールには思えた。仮に犯人であったとしても、それは事故に近い状況だったのではないか。
ならばエバンスを問い詰めるのに、ラジンの家ほどふさわしい場所は他にないように思った。現場を見ながら話ができるし、エバンスも罪を認めやすいに違いない。
殺人現場となった寝室に足を踏み入れて、リジャールはエバンスを待った。
デニスが全ての家具を持ち去ったラジンの家は、見事に空き家然としていた。
ただ、よく見ると寝室の床に赤茶けたシミがいくつかできていた。ベッドから垂れ落ちた、ラジンの血だ。
(これは、次の借り手がつくのかな?)
リジャールが、そのような自分とは関係の無い心配をしていたら、玄関のほうから扉を叩く音が聞こえてきた。
エバンスがやって来たのだ。
「開いてますよ、どうぞ」
大声でリジャールは言った。
「リジャール、いったいどうしたというのだ?」
言いながら、エバンスがラジンの寝室までやって来る。
彼が戸口から一歩部屋に入ったところで、リジャールは言った。
「実は、エバンスの旦那にお訊きしたいことがありましてね」
「訊きたいこと?」
立ち止まったエバンスに、リジャールは訊いた。
「旦那、ロザリオはどうしました? 一昨日、この家でお会いしたときには身につけていた、あのオウル神の聖印です」
入室してきたエバンスをリジャールは目聡く観察していた。彼の首元には、先日あったときにはかけていたロザリオがないことを。




