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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第三話 ローラン人喰い鬼事件
30/93

その3 殺人現場

 神官戦士とおぼしき男が目を開け、組んでいた両掌を下ろしたのを待って、リジャールは彼に聞いた。


「ラジンさんのお知り合いですか?」


 男はうなずいて、「エバンスだ」と名乗った。


「ラジンさんは、拙僧の恩人なのだ……」


 ラジンは生前、英雄神オウルの神官をしていたという。教会の司祭としての仕事を引退し、隠居してこのローラン新市街に移り住んだが、若い頃は大陸の西方の教会で働いていた。


 その折、彼は親を亡くした子供たちを引き取って教会で育てていたという。孤児院のようなことをしていたのだ。


「そこで育てられた者の一人が、拙僧だ」


 エバンスはそう言った。


 血の繋がりはないが、彼にとってラジンは親のようなものである。長じて孤児院を出てからも、同じオウルの神官としてしばらくは親交があったのだが、エバンスが神の教えを広めるために旅に出てからは、会う機会がなくなってしまった。


 ラジンがローランに移住していることを知ったのも、たまたまだという。旅の神官として挨拶に出向いたオウル神殿で、偶然にラジンのことを耳にしたのだ。


「風の噂で隠居されたことは知っていたが、この街に移住していたとは知らなかった。久しぶりにお会いするためにやって来たのだが……」


 そう言って悲しそうに顔を伏せるエバンスに悔やみの言葉を述べた後、リジャールはもう一人の行商人風の男にも話を聞いた。


 こちらはデニスと名乗った。


 リジャールが睨んだ通り商人ではあったが、行商人ではなくローラン新市街に店を構えているという。古物商だそうである。


 ラジンは一人暮らしで遺産を譲るような家族はいない。だから自身の死後に残った家財道具の処分を、生前からデニスに頼んでいたのだという。


「ラジンさんはご自分が亡くなられた後、残ったものを売ってできたお金で、孤児院やオウル神殿に寄付をするよう、遺言を残されていました」


 そう言って、デニスは一枚の紙片をリジャールとエバンスに見せた。確かにデニスが言ったような内容が書かれている。末尾のサインの筆跡は、間違いなくラジンのものだとエバンスは言った。


「部屋の鍵は?」


「大家さんに借りてきました」


 そう言って、デニスは粗末な鍵をリジャールに見せた。


「では、一緒に入らせてもらえませんかね? おれも、大家に鍵を借りにいこうと思っていたところです」


 リジャールのその提案をデニスは快諾した。むしろ、後ろ暗いことはしていないということを証明するため、衛兵である彼に立ちあってもらうのは望むところのようであった。


「あなたも入りますか?」


 リジャールがエバンスにそう聞き、少し迷った後にエバンスはうなずいて言った。


「そうさせてもらおう」


 デニスが鍵を開け、三人はラジンの家に立ち入った。


 屋内にはまだ少し、血の臭いが残っているようだとリジャールは感じた。


 玄関扉を開けると、狭い廊下の右側に扉が二つ並んでいる。手前の部屋がラジンの殺された寝室だ。その隣にもう一つ部屋があり、廊下の突き当たりは台所兼食堂のようだった。


 ラジンが殺されていた寝室に向かいながら、リジャールはふと廊下の様子に違和感を覚えた。だがその正体は分からず、首をかしげながら部屋に入る。


 質素な部屋だった。


 頭の辺りが血に塗れたベッド。小さな衣装箪笥。書き物机らしき粗末なテーブルと椅子が一脚。その他には、壁際に粗末な祭壇があるきりで、これは英雄神オウルの祭壇だとエバンスが教えてくれた。


 扉から正面の壁には窓があり、鎧戸が破られている。アルフォンスが飛び込んだ窓だ。その下の床には破片が散らばっており、外から破られたことは間違いなさそうだった。


 ラジンの血飛沫の跡が残るベッドを見て、エバンスがまた辛そうな表情をして目を伏せ、やがて祈りの言葉を唱えはじめた。


 彼が顔を上げるのを待って、リジャールは衣装箪笥を開ける。


 中にある服は少なかった。


 幾枚かの肌着と、数枚の普段着らしき古ぼけた服。一着だけ、擦り切れてはいるが仕立ての良い服が入っていた。司祭服のようだ。引退したとはいえ、神官としての仕事が必要になったときに備えて、取っておいたのだろう。


 衣装箪笥の中を確認した後、リジャールは廊下に出て、隣の部屋の扉を開けた。


 その部屋は倉庫として使っているように思えた。


 ただ、置いてあるものは少ない。木箱が三つ置いてあるだけだ。床には木屑のようなものが散らばっている。


 窓はなく、天井に明かり取りと換気を兼ねた細い長方形の穴が開けられており、そこにも鉄格子が嵌まっていた。例え天井まで上がれたとしても、そこを通り抜けるのは、オーガは勿論、人間でも無理だろう。


 リジャールとデニスは、順に木箱の中身を確認していった。


 一つ目の木箱には、大小の布袋や革袋、マントなどの旅装束が入っていた。この街にやって来たときに身につけていたものだろう。


 二つ目の箱には、大工道具のような道具類と、木切れや釘などが雑然と詰め込まれていた。家具などが壊れたときに、修理するためのものだと考えられた。


 最後の三つ目の箱は、他の二つとは大きく見た目が異なっていた。清貧を旨としていたであろうラジンの家の中で、この箱にだけは装飾が施されている。


 安物ではあるが、それは宝箱であるようにリジャールには思えた。


 鍵穴らしきものもあったが、鍵はかかっていない。


 リジャールは箱を開けて中を覗き込んだ。


 他の二つの箱と異なり、こちらの箱の中の物はきれいに並べて置かれていた。ところどころに隙間があるのは、蓋を開けただけでも中の物を観察できるようにするためだろう。


 入っていたのは古い子供の玩具や丸められた巻物、木彫りの彫刻らしきものなどだった。


 リジャールは巻物の一つを取り出し、開いてみた。


 羊皮紙に墨らしきもので描かれた絵だった。子供が描いたのであろう、やや歪んだ人間の顔だ。


「それは、まさか……」その絵を見たエバンスが口を開いた。


「……間違いない。拙僧が描いた絵だ……」


 震える声で、そう呟く。


 孤児院の子供たちにとって、紙は貴重品だ。


 あるとき、旅の商人から思いがけず羊皮紙をもらった子供の頃のエバンスは、そこにラジンの絵を描いて彼に贈った。それを、ラジンはずっと大切に保管していたのである。


「……これがラジンさんの顔か? 下手くそにもほどがある。……こんなものを、ラジンさんはずっと……」


 そう言うエバンスの目尻には涙が光っていた。


 彼の気持ちが落ち着くのを待って羊皮紙を箱の中に戻し、三人は倉庫を出た。


 廊下を右に曲がり、残る最後の部屋である台所兼食堂に向かう。


 部屋に入るとき、リジャールはまたかすかな違和感を覚えた。だが、その正体が分からない。ざっと見たところでは、部屋の様子におかしな所はないように思えた。


 台所だけあって、そちらは他の部屋と違ってそれなりに物が置かれていた。調理用のかまどの他、やや大きめのテーブルと椅子。食糧を保管する木箱や水の入った瓶などだ。


 壁際には人の背丈よりも高い棚があり、食器類がまとめてしまわれていた。隣に同じ形をしたものがもう一つあり、こちらには何も入っていない。


 その棚を見たデニスが独り言のように呟いた。


「この棚は、持ち出すのに苦労しそうだな。応援を呼ばないと……」


 それを聞いたエバンスが口を開いた。


「台車のようなものはあるのか? 良ければ、拙僧が手伝おう」


「よろしいのですか?」


「ああ。ラジンさんの最後の望みを叶えてやりたい」


 エバンスは大柄なだけでなく、その肉体はよく鍛え上げられていた。二の腕の筋肉は、はち切れんばかりである。力仕事をする上で、これほど頼りになる助っ人はいない。


 デニスが大八車まで台車を取りにいき、成り行き上、リジャールも手伝って食器を棚から出してテーブルの上に並べていく。


 その後、三人がかりで台所のものを順に大八車まで運んでいった。


 部屋を施錠し、礼を言いながらデニスが大八車を引いて去って行くのを見送ったあと、リジャールはエバンスに聞いた。


「エバンスの旦那は、どちらにお泊まりなんですかい?」


「オウル神殿に世話になっている」


「しばらく、この街にいらっしゃるおつもりで?」


「そうだな……。ラジンさんのことも、気にかかるしな」


 エバンスは旅の神官だと名乗っていたが、英雄神オウルの神官──特に神官戦士の中には、定住せずに諸国を放浪する者が多い。そうして各地の人々を助け、自身を少しでも英雄に近づけようとするのである。


 おそらくはエバンスも似たような手合いなのであろう。


 彼はラジンの過去を知る者だ。後々、何か話を聞きに行かなければならないかもしれないから、この事件が一段落するまで街に留まってくれると、リジャールとしてはありがたい。


「ラジンさんを殺した者は、誰か分かっているのか?」


 聞かれて、リジャールは首を振った。


「まだ、調べはじめたばかりですので……」


 オーガの目撃情報があることは伏せておいた。


 リジャールはまだ、アルフォンスの目撃談には懐疑的である。どう考えても、この街の真ん中に突然オーガが現れるとは思えない。


 エバンスと別れて、リジャールは街外れの城壁まで歩いて行った。見慣れたものではあるが、もう一度改めて壁を見てみようと思ったのだ。


 高くそびえ立つ石造りの壁の傍まで近づき、上を見あげる。


 リジャールの身長の十倍近い高さがあった。真下まで来ると、首をいっぱいまで傾けないと壁の上の方は見えない。


 石組みであるから全く凹凸がないわけでもないが、最上部の数メートルは石の継ぎ目も塗り固めて消されている。素手で登るには平坦すぎるだろう。


 リジャールは探索のため、家屋の塀などを乗り越えて誰かの屋敷に忍び込むこともある。むしろ、そういった働きを期待されて探索方に配属されている。


 その自分でも、素手でこの壁を越えるのは無理ではないかと思われた。


 オーガの場合はリジャールよりも身長があるだろうから、相対的な塀の高さは低くなるが、その代わりに手足で支えるべき自重は重くなる。探索方である自分よりも身軽なオーガというのは、リジャールにはちょっと想像できなかった。


 その巨体の怪物が、誰にも見咎められずにこの塀をよじ登って街に入る──。そんなことは無理ではないかと、リジャールは思う。


 さらに、ここからは見えないが壁の周りにはぐるりと深い堀が張り巡らされているはずである。大河アンタルヤのおかげで、この街は雨は少ないのに水資源には事欠かない。


 潜ってみたことはないから堀の水深は知らないが、少なくともオーガが歩いて渡れるような深さではないだろうと思う。


 そうなると、オーガがこの街に入り込むためには、まず堀を泳いで渡り、それから高い壁をよじ登らねばならない。


 間者のように何か明確な目的がある者ならばともかく、単に餌を探しているだけの魔物がそこまでするとは、あまり思えなかった。普通なら、諦めて堀の外で獲物を探すだろう。


 そもそも、この壁と堀は敵国の軍隊だけではなく、そういった魔物の侵入を防ぐ目的もあって造られている。そんなに易々と超えられては、この壁の存在意義が揺らいでしまう。


 それに──。


 リジャールは振り返って今度は街並みの方を見た。


 例え堀と壁を越えられたとしても、その後、オーガはどこに潜むのだろうか。壁の内には、魔物が潜めそうな森などは存在しない。


 暗い路地裏は多いが、身体の大きなオーガが長期間にわたって潜めるかは少し怪しいところだ。


 可能性があるとすれば空き家だろうと、リジャールは考えた。窓かどこかから侵入して、街が寝静まる深夜まで潜み続ける──。


 そこまで考えたところで、リジャールはふと思った。


(そうえいば、オーガはどうやってラジンの家に入ったんだ?)


 アルフォンスが破った窓は、彼が死体を発見したときには閉じられていた。破れ目はあったようだが、アルフォンスですら通り抜けられないほどの小さなものである。そこからオーガが入ったとは考えられない。


 そして、あの家でオーガが侵入できそうな窓はそこだけなのだ。


 他に侵入経路の可能性があるとしたら、玄関だろうか。


 ただ、ラジンは就寝しているところを襲われたと考えられる。殺人者に抵抗した痕跡も、逃げようとした形跡もないからだ。


 そうなると──いくらなんでも、玄関を開け放したまま床につくような不用心はしないだろうから、彼が寝ていたとき、玄関扉は閉まっていたと考えられる。


 施錠がされていなかったのだとしたら、そこからオーガが侵入することは可能と言えば可能だが、しかし空き巣ではあるまいし、飢えたオーガがわざわざ各家の玄関を回って施錠されていない扉を探しだし、家人に気づかれぬようこっそりと中に侵入しようと試みる──なんてことをするであろうか。


 そのような行動は、「知能が低くて粗暴」というオーガのイメージからはかけ離れているように思うのだ。


 侵入経路のことを考えても、オーガ犯人説はやはり考えにくいようにリジャールには思える。


 では、いったい誰がラジンを殺したのか──。


 それを、これから探らなければいけない。

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