その3 冒険者の店
モール神殿を出たイライザは、次にエバンスを探すことにした。
この街にはいくつもの冒険者の店があり、仕事を探す冒険者や、彼らに仕事を依頼したいと考える者たちが集まってくる。
冒険者の店といっても何か特別な看板が出ているわけではなく、多くは見た目も営業形態もただの酒場と変わりがない。
冒険者の多く集まるパブがやがて自然と「冒険者の店」と呼ばれるようになり、そこの店主が仕事の仲介や冒険者の斡旋を行うようになる。そうやって、この国の冒険者の店は成立していた。何か特別な組織があるわけではないのだ。
たいていの冒険者は自身の「定宿」とも言える店を作り、仕事がないときにはそこで過ごしていることが多い。だが、特定の場所には居着かず──それこそ、イライザたち歩き巫女がそうであるように、各地を転々と渡り歩く者もいる。
特定の店に居着く冒険者にしたって、どこかの組織から所属だとか担当だとかが決められているわけではないから、あくまで本人の自由意志としてそこに留まっているに過ぎない。本人の気が変われば、どこか別の場所に移ることだって、稀ではないのだ。
エバンスがどのような性格の冒険者かは知らないが、街中の冒険者の店を訪ねても出会えない可能性は当然あった。とはいえ、他に当てはないから、会えると信じて虱潰しに行くしかない。
モール神殿の神官に近くの冒険者の店を教えてもらって、イライザはまずそこに向かった。
イライザは冒険者ではないから、実際に冒険者の店に足を踏み入れるのは、実はこれが初めてだった。扉をくぐるまでは少し緊張したが、中に入ってみれば、どこにでもありそうな何の変哲もないパブのようで、少しほっとする。
客層は当然、冒険者らしき風体の者が多いが、この辺りが割と高級住宅街に近い地区ということもあるのだろう、いかにも荒くれ者の集まりといった様子はない。
少し胸をなで下ろしながら、イライザはカウンターに座って、近づいてきた店主に聞いた。
「エバンスという冒険者を探しているんだけど、知らないかしら?」
「エバンス?」
そう言った店主は、じろじろと観察するようにイライザを見た。あまり気分は良くなかったが、おかしな者に常連客の情報を漏らせないという店主の心理も理解できたので、イライザは黙って彼の答えを待った。
やがて店主が口を開く。
「……うちの常連じゃねえが、名前は聞いたことがあるな。どうしてエバンスを探しているんだ? 仕事のご指名か?」
問われて、イライザは店主に事情を説明した。顎に手を当てて彼女の話を聞いていた店主は、イライザが話し終えると再び聞いてきた。
「なるほど……。そうすると、もしかしてあんたがイライザさんかい?」
言われて初めて、イライザは自分がまだ名乗っていないことに気がついた。これでは確かに、怪しい者と思われても仕方がないだろう。
同時に、なぜこの店主が自分の名前を知っているのか、彼女は疑問に感じていた。店主の言葉に頷いて、改めて自己紹介をした後に彼女は訊いた。
「どうして、あたしの名前を知っていたの?」
店主がにやりと笑って、店の一角にある掲示板を指さした。
「冒険者の店に入ったら、まずは掲示板の張り紙に一通り、目を通すもんだ」
(そう言われたって、あたしは冒険者じゃないんだから……)
そう思いつつも、イライザは立ち上がって掲示板の張り紙に目を通す。その一枚にこうあった。
『歩き巫女・イライザ殿。エバンスが見つけた石像を譲り受けたし。連絡請う』
そして最後に連絡先が記してあった。
『八つ首海竜亭・ファルコ』とある。
イライザはじろりと店主を睨みつけた。
歩き巫女らしき女がエバンスの名を出した時点で、彼は当然この張り紙に思い至ったことだろう。ファルコから頼まれて、この紙を貼ったのは彼であろうから。
それでも素知らぬ顔で店主はイライザに事情を聞いてきた。成る程、冒険者の店の親父はこうやって情報を集めるのかと、半ば感心もしていた。
「……このファルコというのは?」
「『八つ首海竜亭』を根城にしている冒険者だ。偏屈な野郎だが、悪い奴じゃねえから、そこは安心してくれ。ただ、あまり金は持ってないだろうから、その石像を高く売りつけようとかは期待しない方がいい」
「そう……」
偏屈な男なのか──。
そう聞くとあまり会いたくはないような気もするが、せっかくの手がかりだ。話を聞いてみるしかないかとイライザは覚悟を決める。
「『八つ首海竜亭』ってのは、どこにあるの? 港のほう?」
ここリヴェーラは、世界でも有数の港町だ。海を一望できる丘の頂上に王宮が建てられ、その裾野から海辺を中心に広大な街並みが広がっていた。
イライザの問いに、店主が答えて言った。
「いや、丘の中腹のほうだ」
「は?」とイライザは思う。店主が続けた。
「海から遠いのに、『海竜』。しかも、八つ首。どうしたって、由来が気になるだろう? そうやって話題にしようとしているんだ」
冒険者の店に限らず、パブや宿屋にはおかしな名前の店が多い。そうやって他の店と差別化し、話題にしてもらって宣伝とするのだ。
それに加えて名前にちなんだおかしな看板を掲げておけば、文字が読めぬ者でも店が分かるし、ごちゃごちゃした町中でもすぐに目につくから、お客を逃がさない。
きっと八つ首海竜亭の前にも、八本の首を持つドラゴンの看板が掲げてあるのだろう。その看板は竜の首に沿って端が切ってあり、ギザギザした見た目に違いないとイライザは思った。
最初の店の店主から聞いてやって来た八つ首海竜亭の前には、はたしてイライザの想像通りの看板が掲げてあった。
聞いていたとおり丘の中腹にあって、店の前からは広いリヴェーラの街や海がよく見渡せる。
先ほどの店ほど高級な住宅地というわけではないが、特に治安の悪い地区でもなく、イライザがリヴェーラで定宿にしている店の雰囲気に近かった。
扉を開けて中に入り、イライザは店内を見回した。
昼飯時は過ぎ、夕食にはまだ早い時刻だというのに、店内にはそれなりに客がいる。仕事を待っている冒険者と思われた。みな、手持ち無沙汰に雑談したり、簡単なゲームに興じたりしている。常連なのだろう、テーブル席を占拠して本の山を積み上げている者までいた。
この中の誰かが、ファルコなのだろうか──。
そう考えながらイライザはカウンター席まで歩み寄り、店主に話しかけた。今度は、最初からきちんと名乗りを上げる。
「あたしは、歩き巫女のイライザ。ファルコという人に会いたいのだけど?」
「ああ……。あんたが、イライザさんか……」
八つ首海竜亭の店主は、先ほどの店よりも愛想が悪かった。イライザの言葉に気怠そうに応えると、彼は店の奥のテーブル席に声をかけた。
「おい、ファルコ! お待ちかねのお客さんだ!」
店主の言葉にこちらを見たのは、テーブル席を占拠して本を積み上げている男だった。その本の横には幾枚もの紙が乱雑に広げられている。本の内容を参照しながら、何やら書き付けをしている最中のようであった。
彫りの深い端正な顔立ちをした男で、長い髪を後ろで無造作に束ねて広い額を浮きだたせている。
小袋や道具入れらしき切れ目がいくつも着いた皮鎧を着込み、腰には大小二本の剣を佩いていた。斥候か軽戦士のどちらかに見える男だった。
「きみがイライザさんか? 俺がファルコだ、よろしく」
立ち上がりながら手を差し出してきたファルコと握手をしながら、イライザはその指をまじまじと見つめた。いくつもの指輪が嵌まっているのが目についたのだ。
それは、魔術学院の刻印が施された指輪であった。魔術師が魔法を発動する際の媒体としてよく身につけている指輪だ。
つまり、この男は魔術を使うのである。
いったい目の前の男は戦士なのか、斥候なのか、魔術師なのか──。
イライザは判断に困った。
もちろん、ファルコは冒険者には違いない。
だが、冒険者の中でも戦士や魔術師、斥候など様々な役割──クラスの者たちがいる。
二つのクラスを兼ねる者はときどきいるが、三つとなるとあまり聞いたことがないようにイライザは思う。兼業者は色々できて便利に思えるが、その実、一つ一つのスキルに関して言えは、どうしても専任で修練を積んだ者には劣ってしまうからだ。
冒険者が、それぞれに専門の違う複数のクラスの者でパーティを組んで活動する理由はそこにある。役割を分担してスキルを磨くことで、パーティ単位で見れば何でもこなせるようにするためだ。
だから、このファルコという男がもしも複数のクラスを持つ者であったとしても、普通であればやはり仲間はいるはずである。しかしイライザが見る限り、それらしき者は店内にはいないようだった。
「よければ、こちらで話をしないか?」
ファルコが自身の占拠していたテーブルの上の本を脇によけ、自分の真向かいに座るようイライザに促した。
「……あなたは、魔術師なの?」
席に着きながら、単刀直入にイライザは聞いた。
ファルコは一見、斥候か軽戦士のように見えるが、暇な時間に本を読み、その内容を何やらしきりに書き付けるような行動は、むしろ魔術師のそれのように思えた。
イライザの問いに、ファルコが答えて言った。
「魔術学院にも所属はしている。だが、魔術の才能はあまりなくてな。むしろ、知識を得るために所属していると言った方がいい」
「知識?」
「古代に興味がある。古代の歴史、文化、習俗……。そして、それらを今に伝える言い伝えや物語。それから……古代の遺跡」
それを聞いたイライザは、複数のクラスが混在しているような彼のちぐはぐな格好の理由が、ようやく分かったような気がした。
人によって冒険者になる動機は様々である。組織の中で働くことを嫌った結果であったり、他に稼ぐ当てを知らなかったり、傭兵などが次の仕事を得るまでの繋ぎとして冒険者をすることもある。
そして単純に冒険が楽しい、冒険が好きだからという者も当然いる。ファルコはその口なのだろうと思われた。
ただ、彼の場合はその楽しさが変則的なのだ。冒険そのものが好きというよりも、古代の遺跡が好きで、そこに潜るために冒険者をしているのである。
斥候のように様々な道具をぶら下げているのは、遺跡の中で遺物や仕掛けを探すため。腰に佩く剣は、遺跡の守護者や、そこに棲みついた怪物などから身を守るため。
彼のクラスは、いわば「遺跡探索者」なのだ。そのために必要なスキルを身につけていった結果、傍目には複数のクラスが混在しているように見える。
理解してしまえば、ある意味分かりやすい男ではあった。
「エバンスが遺跡で発見したという像を、見せてほしい」
自己紹介の後にそう切り出したファルコに、少し警戒しながらイライザは訊いた。
「どうしてあの像に興味があるの? なんの変哲もない女性像よ? それとも、あの像に何か歴史的な価値でもあるのかしら?」
イライザはいつの間にか、あの像に愛着のようなものを抱き始めていた。金を払うから譲ってくれと言われても、そう簡単に手放したくはない気持ちになっている。
「歴史的な価値があるかどうかは、実際に調べてみないと解らない。だが……」
そこでファルコは一拍おいてイライザの目をじっと見た。
「その像が、『何の変哲もない』というのは、本当か?」
どきり、としながらイライザはとぼけてみせる。
「どういう意味?」
「何かおかしな現象が起きてはいないか、と聞いている」
今度こそイライザの胸は跳ね上がった。それでもなるべく平静を装って彼女は聞き返した。
「どうして、そう思うの?」
そのイライザの言葉に、ファルコが小さく嘆息した。彼はイライザが何かを隠していることに既に気づいているようだった。そして、自分に対して彼女が警戒心を抱いていることも。
仕方がない、といった様子でファルコは言った。
「わかった。先に、こちらの事情を話そう。それを聞いてから、判断してくれ」
そして、彼は語り始めた。とある村で起きた、奇妙な話を。