その15 二大海獣、浜辺の決戦!
えっ、と自分を見つめる少女に、キッドはさらに呼びかけた。
『ボクを投げて! 革袋ごと、できる限り海の近くに! 早く! エレナが殺されちゃう!』
「う……うん!」
戸惑いながらも、ターニャがキッドの入る革袋を腰から外した。
振りかぶり、足を大きく上げて、彼女はその袋を海に向かっておもいきり投げた。キッドに言われたとおり、できる限り遠くに、できる限り海の近くに──。
空中で、キッドは袋から外に飛び出した。そしてそのまま精一杯、海の方へと飛んでいく。
もう少ししたら、キッドは空を飛べなくなる。地上に落ちてしまったら海竜の動きは鈍く、移動にも苦労する。できるかぎり海の近くまで飛んでいく必要がある。
そう考えながら宙を舞うキッドの身体が、みるみるうちに大きくなっていった。
食べ物を喰いあさったり泉の水を飲んだときのように、魂のまま膨張しているのではない。
大きくなるにつれ、その体がどんどんと質量を得ていった。重力に引っ張られる感覚をキッドは久しぶりに味わう。
魂だけの存在であるはずだった海竜が、受肉しているのだ。大量に摂取した食物が、物質としての性質を変えて海竜の肉体へと変化していた。
ズシィンッ! ゴロゴロゴロ、バッシャァーーーン!
一度砂浜に落ちて少し転がった後、キッドは無事、水の中に入ることができた。
起き上がって長い首をもたげ、海竜はナックラヴィーを見据えた。
「なんだぁっ!?」
「海竜っ!?」
「でかいぞっ!」
突然に現れた巨大な海竜の姿に、人間達が戸惑いと驚愕の声を上げる。
エレナも叫んでいた。
「まさか……。キッド!?」
その言葉に、レオンが反応する。
「……キッドだぁ? 名前を知ってるってことは……やっぱりお前、海竜と知り合いだったんじゃねえか!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
言い合いをはじめた二人と、その周囲のギムザやレオンの手下達に向けて、キッドは叫んだ。
『エレナもレオンも、他の奴らも、みんなどけえぇっ! 邪魔だぁっ!』
「何ぃっ!?」
気色ばむレオンに、エレナが言った。
「言う通りにしましょう! 何かやろうとしてる!」
「ちっ、分かった。……全員、退けぇっ! ナックラヴィーから離れろ!」
慌てて人間達が怪物から離れていく。そのことを確認してから、キッドは大きく口を開いた。
大量の食物は、海竜の身体を受肉するために必要だった。
では、真水は──?
海で生活していたとき、キッドがいつも飲んでいたのは海水だ。海で暮らすドラゴンに、真水は必要がない。
それなのに、どうしてあのときは、あんなにも淡水が飲みたくなったのか。
いま、この時のためだ。
ナックラヴィーを倒すためなのだ!
大きく開かれたキッドの口から、大量の水が勢いよく吐き出されてナックラヴィーに降りかかかった。それは、あの泉で飲み込んだ真水だった。
皮膚のないナックラヴィーの体組織は、海の潮水の中で生活するように適応している。その身体に降りかかった淡水は、塩分濃度の濃い怪物の身体にどんどん染み込んで細胞を膨張させ、やがては破裂させるのだ。
「グギャアアアァァァッッッ!!」
身体中の細胞が破壊される苦しみに、ナックラヴィーが吠えた。
赤い一つ目が海竜をギロリと睨む。その馬の体の部分の大きな口を開け、怪物は波打ち際のキッドに向けて瘴気のブレスを吹きかけてきた。
キッドは一度水を吐くのを止め、目の前の海水を操って分厚い水の壁を形成した。ナックラヴィーのブレスがその壁に当たり、水を黒く染め上げていく。
瘴気と海水の壁の、じりじりとしたせめぎ合いが続いた。
それに勝ったのはキッドの方だ。
ナックラヴィーの口から出るブレスが止まり、それより少し遅れて水の壁も崩れ落ちる。
バッシャァアアアン!!
黒い水は海竜の体を避けるように沖へと流れ、海水の中に溶け混じって消えていく。キッド本体は無傷だ。
海竜は再び口を開け、お返しとばかりに大量の真水をナックラヴィーに吐きかけた。
「グゲゲェェエエエェェェェッッッ!!」
苦しげに叫びながら、ナックラヴィーの足が一歩、二歩と波打ち際に向かう。
海水で、降りかかった真水を洗い流すつもりだ。
せっかく浴びせかけた弱点の淡水を洗い流されては、たまらない。
──でも、近づいてきてくれたのは……ありがたい!
ナックラヴィーが充分に寄ってきたところで、キッドは水の中から怪物に飛びかかった。
蛇のように長い体をナックラヴィーの上半身に巻き付け、そのままぐいぐいと締めつける。同時に口を開いて、まだ残っている淡水を、怪物の馬の頭の部分にどぼどぼと吐きかけてやった。
そして、とどめが電撃だ。
海竜は魚を獲るとき、身体から電流を発して遠くの獲物を殺す。
その電撃を、締め上げているナックラヴィーの身体に直接、送り込む。さらに周囲に発生した幾条もの稲妻が、馬の体の部分に次々と落ちていく。
ビリビリッ、ビビビッ!! ビカァッ、ドンッ! ドドン!!
「ギグァガァァァアアアァァァッッッ!!」
ナックラヴィーの足が止まった。
それでも、キッドの締め上げと電撃は止まらない。
ガクンッ、とついに怪物の膝が折れた。細い首の上に乗った重そうな頭がグラグラと揺れている。
その首の後ろに、大口を開けてキッドは噛みついた。
鋭い牙を怪物の剥き出しの筋肉に突き立て、顎に力を込める。
「グギッ!? ガギャガァッ……!」
ナックラヴィーが苦しげに呻くのも構わず、キッドは力一杯、顎を噛む。
ゴギンッ!!
やがて鈍い音がして、ナックラヴィーの首がガクリと落ちた。巨大な体がゆっくりと倒れていく。
ズシィィィン!!
上半身を海竜に締めつけられたまま、怪物は砂浜の上に倒れた。もはや、その体はぴくりとも動かない。
海竜の勝利を悟ったギムザが近づいてきて、オセアンに祈りの言葉を述べた。
その両手から青い光が生まれ、ナックラヴィーの体を包む。
光の神々の神官に与えられる奇跡──邪神の眷属の亡骸をこの世から滅する光だった。
やがて光の中でナックラヴィーの死体は崩れ、塵となって消えていく。
後に残ったのは、怪物ごと砂浜に倒れた一頭の海竜だけだった。
持てる力の全てを使い果たしたキッドは、もはや波打ち際に這っていくこともできなかった。
ハァハァ──と荒い息を吐きながら、キッドは呟いた。
『やったよ、爺さん……。アンタの眷属としての責を果たしたよ。……みんなを、守ったよ……』
※
「終わった……のね」
そう呟いたエレナが、その場にぺたんと尻餅をついた。
「はぁ~っ! 疲れたわ!」
その彼女に、目を真っ赤にしたターニャが駆け寄り、抱きついた。
「さすがに……死を覚悟しましたね」
ギムザも槍を両手で持って支えにしながら、その場に片膝をついた。
他の手下達もめいめいにその場にへたり込んでいる。
そんな中、一人立っていたレオンが、ゆっくりと歩いて倒れ伏すキッドに近寄っていった。
「……お前さん、キッドって言うのか? 俺の尊敬する海の男と同じ名前だな」
海竜の顔の前に立ち、レオンはそう話しかけた。
「ありがとうよ。お前さんのおかげで、みんな助かった」
その言葉を聞いた海竜の口の端が、弱々しくも確かに持ち上がった。笑っているようだった。
そのキッドに笑みを返したレオンに、槍を杖にして立ち上がったギムザが声をかけた。
「提督……。私は皆の治療に行きます。瘴気を浴びて熱病に冒されてしまった者もいるようだ。すぐに、治癒しないと……」
「ああ、頼む」
「あとは……お任せします。例のワンドを……」
「ああ。……分かってる。任せとけ」
厳しい表情でレオンは言い、ギムザは倒れ伏す手下達の方へと歩いていった。
その後ろ姿を見送った後、再びキッドの方に向き直ったレオンは背負っていた包みを下ろし、布にくるまれていたワンドを取り出した。
その短い杖を見たキッドが、覚悟を決めたように目を閉じる。
レオンが言った。
「オセアン神のお告げがあった。オセアンの眷属と協力して危機を退けろ、と。この眷属とは──お前さんのことだったんだな」
レオンは最初、その眷属とは魚人であるギムザのことだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
あの祠に封印されていた海竜と協力しろと、オセアン神は言ったのだ。そのためにキッドの封印は解かれたのである。
その証拠に、オセアン神は祠にあったワンドを”危機が去った後に”眷属に対して使え、と言っていた。
「この杖は……オセアン神から託された杖だ。あの祠にいた者を再度封印する力があるらしい」
エレナに抱きついていたターニャがその言葉にはっと顔を上げた。エレナもレオンの方を見る。
「この杖を右に回しながらオセアンの名を唱えれば、お前さんは再び封印される」
「そんなのやだっ!」
そう叫び、尚も何か言いかけたターニャの言葉を片手をあげて制止し、レオンは続けた。
「そして左に回せば……お前さんは、望むものの姿に生まれ変わることができる」
その言葉に、キッドは目を開けてレオンを見た。
それはきっと、責務を果たした眷属に対するオセアン神の恩賞なのだ。
「ただし、そうなったらもう海竜としては生きられない。寿命も……変化したものと同じになるそうだ」
ドラゴンの寿命は長い。海竜のままであれば、キッドは永劫に近い時間を生きられる。しかしレオンの言う”望むもの”の姿になってしまえば、キッドはその寿命を失ってしまうのだ。
「どちらを選ぶかは……お前さん次第だ」
レオンのその言葉に一度目を閉じた後、キッドは自身の希望を述べた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回が、第二話のエピローグになる予定です。




