その12 レオンの推論
女たちは、どこに行こうとするだろう──。
海から上がったあと、提督レオンはそう考えた。
不思議な波に巻かれて彼らが海に落とされとき、泳ぎに長けたギムザが一緒にいなかったのは痛恨だった。突然のことに混乱し、それでもどうにか岸に戻って手下たちを引っ張り上げたりしているうちに、彼らは完全に女たちを見失っていた。
『はらぺこオーガー亭』の主人によれば、彼女たちは今朝、荷物をまとめて宿を出たという。
あのエレナとか言う女剣士は、しきりにこの街に残る海竜の伝説や、山道にある祠のことを聞いていたらしい。そして宿を出るときにも、近隣のオセアン神殿の場所を聞いていったとのことだ。
その話を聞いてレオンは、彼女たちが封印されていた海竜と一緒にいるのだと確信していた。
ただそれは、きっと本人達にも意図せぬ事ではあったのだろう。だからこそ、海竜のことや祠のことを調べようとしたのだ。旅人である彼女たちは、それがどういうものなのか全く知らなかったであろうから、それなりに困惑しただろうとは思う。
彼女たちが海竜と一緒にいると考える理由は、もう一つあった。
レオンたちを海に落としたあの波の動きだ。
あれは、どう見ても自然のものではなかった。
きっと海竜の力なのだろう。海竜の魂が、水を操って彼女たちを助けたのだ。破壊された祠には水が流れた跡があったが、あれも海竜の力の痕跡なのだろうと思う。水を噴き上がらせて、祠の地下から脱出したのだ。
エレナが宿の店主にオセアン神殿のことを聞いていたのは、その海竜を今後どうすべきか相談するためではないかと、レオンは推測した。
であれば、彼女たちはラゴリノを出て街道沿いに東へ向かうだろうと思った。
この辺りで最も近いオセアン神殿はラゴリノの東隣の街の、さらにその隣の街にある。『はらぺこオーガー亭』の主人がエレナに教えたのも、まさにここだという。彼女がオセアン神殿を目的地とするならば、必ず東のこの街を目指すはずだ。
二人がこのままラゴリノに潜み続ける可能性は、レオンはあまり考えなかった。
できる限り早く海竜のことを相談したいだろうし、旅人であるエレナたちはラゴリノには何の縁もゆかりもない。追われていることが分かれば、すぐにでも街を出ようとするだろう。レオンの支配下にある街にいつまでも止まる理由は彼女たちにはないはずである。
ラゴリノから出る街道は一本きりで、その道はすぐに二つに分かれる。北西の国境に続く山道と、東の街へ向かう道と。
このうち、山道のほうは他の町や村に続く枝道のようなものはなく、国境の関所に行き着くのみである。
エレナたちは山の方からやって来たというから、そちらの地理は把握しているだろう。関所から先にはしばらくオセアンの神殿がないことも知っているはずだ。だから、二人がそちらに向かうとは考えにくかった。
それでも念のため、レオンは山の関所に手下を一人、早馬で走らせた。
もしも関所を越えられて隣国に入られると、ちょっと面倒なことになるからだ。そこから先はしばらく山道が続き、海沿いの街を縄張りとするレオンの支配域からは外れる。彼はそちら側の領主からは、侠客としてのお墨付きを得ていないのだ。
ただ、関所のこちら側にいる役人はヴァロアの人間であるから領主から話がいっている。レオンの頼みもある程度は聞いてくれる。
そこでレオンは、手下に署名入りの親書を持たせて関所に向かわせたのだ。その手紙には、もしもエレナとターニャが現れたら留め置いてもらうようにしたためられている。
彼女たちが犯罪者であるとは書かなかった。
レオンは二人が食料を盗んだわけではないと考えている。それはあくまで、海竜の仕業だ。
──とある事件のことで話を聞きたいので、留め置いた上でラゴリノまで早馬で報せて欲しい。
関所にはそう伝えておいた。
その上で、レオン自身は馬を用意して隣町へと続く街道に向かった。乗馬はあまり得意でないが、それでも女の足に追いつける程度の速さで走らせることぐらいはできる。
だが、女たちは見つからなかった。
見失っていた間の時間で、女子供の足ではさすがにここまでは来られないだろうというところまでやって来て、レオンは馬の足を止めた。
そしてまた考える。
彼女たちはこの道を使わなかったのか。あるいは、どこかで追い抜いてしまったのか──。
森の中を進んでいる可能性もあるが、子連れの女の行動としては考えにくいように思われた。エレナはともかく、ターニャには道なき道を行くのは辛いだろう。
ならば彼女たちは、どこかで寄り道をしていたのかも知れない。あるいは、馬の駆ける音にいち早く気づいて、左右の森か茂みに素早く姿を隠したのか。
追っ手が彼女たちに気づかずに通り過ぎるのを息を潜めてやり過ごし、その後、何食わぬ顔で街道に戻る。引き返してきた追っ手をまた隠れてやり過ごした後ならば、あとはもう何の心配もなく道を進める──。
考えすぎかとも思ったが、あのエレナという女からは曲者の匂いを感じていた。それぐらいのことはやりかねない女だと思った。少なくとも、馬の駆ける音には注意しているに違いない。
そこでレオンは、手下たちと共に道の両脇の茂みに身を隠した。女たちを追い抜いてしまった可能性に賭け、ここで待ち伏せをするためである。
馬は茂みに隠すのは難しいから、数人の手下を二手に分けて、一方は念のため隣町まで向かわせておく。もう一方には、できる限り大きな足音を立ててラゴリノまで戻るように命じた。エレナを油断させるためである。
馬はいなくなるが、残ったレオンたちはラゴリノまで徒歩で帰ればいい。
寄ってくる虫たちを払いのけながら長いこと藪の中に潜み続け、さすがにそろそろ諦めかけたとき、ようやく道の向こうに二人の女の姿が見えた。
間違いなく、エレナとターニャだ。
あらかじめ少し後方に隠れさせたギムザには、挟み撃ちをするために、二人が来てもすぐには姿を現さないように言ってあった。
そのギムザが隠れている辺りを女たちが通り過ぎたのを確認してから、レオンは茂みから姿を現す。そして、二人に声をかけた。
「……海竜? 何のこと?」
レオンの言葉を聞いたエレナは、そう返してきた。
あくまで惚けるつもりの彼女に、レオンは言ってやる。
「あんたが『はらぺこオーガー亭』でしきりに訊いていた海竜のことさ」
「ああ……」
しれっとした顔でエレナが答える。
「確かに来る途中で祠をみつけて、この街の海竜の伝説には興味を持ったけれど……。それがどうかしたの?」
「俺は、食料泥棒の犯人を追っていると言ったろう? にわかには信じがたい話だが……どうもその祠に封じられていた海竜が、犯人のようでな」
そう言われても眉一つ動かさないエレナに、
(やはり、食えねえ女だ)
と、レオンは思った。
エレナは表情を変えなかったが、その背後にいるターニャの顔が一瞬、強ばったのを彼は見逃していなかった。少女の方は、さすがに動揺を隠しきれていない。
「心当たりがない──とは、もう言わせねえ。後ろ暗いところが何もないんなら、さっき、どうして逃げたんだ?」
そのレオンの言葉を聞いて口を開いたのは、ギムザだった。
「提督……」
妙に真面目な表情で彼は言った。
「我々のような風体の者に突然に声をかけられたら、普通の女性であれば怖がって逃げだすと思いますが」
「ギムザ……。頼むから、今はそういう正論は吐かないでくれ」
渋面で腹心の部下に告げた後、レオンはエレナに言った。
「それにあんたは……ギムザの言うような”普通の女”じゃないだろう? なあ、エレナさんよ」
「気安く名前を呼ばないでくれる?」
射るようなエレナの視線を、レオンはおどけた表情で両手を挙げてやり過ごした。
そうしながら目の前の二人の女を油断なく観察し続けているうちに、レオンはふと思った。
(こいつらは、いったいどういう関係なんだ?)
最初に話を聞いたときには姉妹なのかと思ったが、実際に会ってみるとどうもそうは思えない。
姉妹と言うには、あまりにも顔立ちが違う。
髪の色も、瞳の色も違う。
エレナは美しい金髪に青い目をしているが、一方のターニャは濃い茶色の髪に、珍しい金色の瞳をしている。
その黄金色の目が、つぅっと海の方へと向けられた。そして、そのままじっと海を見続けている。
(こんなときに、何を見てやがるんだ?)
レオンがそう訝しんだとき、少女が口を開いた。
「あのぉ……。あれ、何でしょうか?」




