その8 幽霊ドラゴン
自分の船に戻ったレオンは、そこでギムザと共に善後策を練りはじめた。
ラゴリノではまだ目立った食糧不足は起きていないようだが、このまま不漁が続けば楽観はできない。奪われた食料の代わりをどこで調達するのか話し合い、手持ちの船の予定を調整する。
しばらくは好きな南の島巡りもできそうにないな──と彼は嘆息した。海に浮かぶ島々を巡って珍しい物を持ち帰るのは、彼にとって実益を兼ねた趣味のようなものだ。
もっとも、いま南の方の島では原因不明の熱病がはやっているとも聞いているから、どちらにしろしばらくは行かない方がいいのかも知れない。
ギムザや、港に待機している船長たちにあれこれと当座の指示を出しているうちに夜も更け、深夜になってようやくレオンは床に就いた。
その夜は夢見も最悪だった。
昼の奇妙な事件が尾を引いているのかとも思ったが、どうもそうではない。
見知らぬ老人に、なんやかやと話しかけられる夢だった。
「俺は眠いんだ!」と言うレオンに、老人はしきりと話しかけてくる。
なにやら海竜だとか、「ナック……なんたら」がどうのこうのと言っていたような気がするが、詳しくは覚えていない。
「食べ物」がどうのとも言っていた気がするから、もしかしたらやっぱり、昨日の事件に多少は関係のある内容だったのかも知れないが、どうせ見るなら、老人の夢ではなくて美女の夢の方が良かったと、レオンは思う。
やっぱり、『はらぺこオーガー亭』に行って、噂の美人の顔でも拝んでくるか──。
そんなことを考えながらレオンはベッドから起き上がる。
夢見も最悪なら、寝起きも最悪であった。
部屋の扉を誰かがしきりに叩いている。「提督、提督!」と呼びかける声が聞こえる。
「開いてるぜ!」不機嫌を隠そうともせず、叫ぶようにレオンは応じた。「こんな朝っぱらから、なんだってんだ一体!?」
「提督、またやられました!」
扉を開けて駆け込んできた手下が言った。
「あん?」
「食料泥棒です! 今度は、港の倉庫がやられました!」
「なにぃ?」
昨日のことがあったので、各船の船倉には必ず不寝番を置くようにきつく言ってあった。だが、港の倉庫は──これはさすがに各倉庫に一人ずつというわけには行かないので、交代での見回りを強化するよう、指示を出している。
それが功を奏したのか、被害に遭ったのはレオンが所有する倉庫ではなく、他の商人たちの倉庫であった。レオンの指示の行き届かなかったところが、根こそぎやられたという。
警備の強化が有効であると証明されたわけだが、同時に犯人の目的がますます分からなくなった。
昨日は誰かが食料を買い占めて大儲けを企んでいるのではないかと考えたが、今朝のこの状況では得をするのはレオンだけである。いま、港の倉庫で食料を保有しているのは、彼の倉庫だけなのだ。
(……てえことは、犯人は俺か?)
そう考えて、まだ自分は寝ぼけてやがるな、と心中で一人漫才をする。
慌ただしく着替えて甲板に上がり、レオンは次々と指示を出していった。
手の空いている船は近隣の街に行って余剰の食糧を仕入れてくる。商人たちにも、特に陸路での食料調達を優先してもらうよう要請した。
一息ついたところで、手下の一人がレオンの所にやって来た。昨夜の食料泥棒の目撃者がいたという。
意気込むレオンに、
「ただ……」とその手下は言った。
「どうも、酔っ払いの戯言のようにも思えるんで……」
それで、今までレオンに知らせるのを躊躇っていたらしい。
本人は酒など飲んでいなかったと強く訴えるので、一応、耳に入れておくことにしたとのことだった。
「いったい、なんて言ってるんだ?」
「それが……ドラゴンを見た、と」
「ドラゴン!?」
レオンとギムザは顔を見合わせた。
その男は、レオンの倉庫の警備を担当していた者だそうである。自分の受け持ちが終わり、休憩に入る前に他の倉庫も一応見ておこうと思ったらしい。
少し遠回りして倉庫と倉庫の間をぶらぶら歩いていると、とある倉庫の扉の隙間から青い光が漏れ出ているのに気がついた。
その時点で応援を呼べば良かったのだろうが、レオンの倉庫ではないこともあり、まずは中で何が起きているのかを確かめようとした。自分と同じように、寝ずの番をしている者かも知れないと考えたからだ。
彼はそろりそろりと扉に近づき、隙間からそっと中を覗き込んだ。
そして仰天した。
倉庫の真ん中に、青く光る大きなドラゴンがいた。身体はヘビのように長く、床にとぐろを巻いた状態で首をもたげていたという。
そのドラゴンが口を大きく開けると、倉庫の中にあった木箱の蓋がはじけ、袋が次々と破れていった。竜の口に吸い寄せられるように、中の食料がひとりでに浮かび上がって、次々とドラゴンの口の中へ入っていったということだ。
「なるほど……」
現場の状況とは合うな、と。レオンは考えていた。
木箱の蓋を開けたり、袋の口紐をほどいたりしない、いかにも乱暴な手口は、人間以外の巨大な獣が犯人だったからだ。
ただ──と彼は思った。
「そのドラゴンは、どこから出入りしたんだ?」
昨日被害に遭った『はらぺこオーガー亭』も、食糧を積んだ船も、そんな大きな動物が出入りできるような穴は開いていなかった。聞けば、港の倉庫にもそんな穴はないという。
もちろんそれぞれ扉はあるが、話を聞く限りそのドラゴンは、とても戸口などくぐることができない程の大きさのようである。
「それなんですが……」手下が言った。
そのレオンの疑問の答えこそが、この証言が酔っ払いの戯言と考えられる最大の理由なのだという。
「ドラゴンは……消えたんだそうです」
「消えた?」
「はい。食料を全部喰っちまった後、ドラゴンはろうそくの火をかき消すように、いなくなっちまったんだとか」
情けないことに、それを見た瞬間に男は気絶していた。
「ドラゴンの幽霊が出た、と思ったそうです」
二重に怖かったわけだ。
ドラゴンという凶悪な怪物に遭遇した恐怖と、この世ならざる者に出くわした恐怖と。
「……ドラゴンって、幽霊になるのか?」
レオンはギムザに聞いた。
「さあ……」と、こちらも困惑した様子でギムザは答えた。「邪神の神官が、竜の死体を操っている物語は聞いたことがありますが……」
それなら、レオンも聞いたことがある。ドラゴンゾンビというやつだ。
「ただ、ドラゴンには知能があります。種類にもよりますが、ヘビのように長かったと言うから、海竜でしょうか。であれば、ヒトと同程度の知能があるはずです。そういう者が未練を残して死ねば、ヒトと同じように幽霊になるのかも知れません」
なるのだろうか、とレオンはまだ懐疑的だ。ドラゴンの幽霊など、聞いたこともない。
ただ、人間だってこれだけの数がいるのに幽霊になる者なんてほんの一握りだ。まして海竜は総数自体が少ないから、幽霊になった話を聞かないのも道理かも知れない。
それで一応、レオンは海神・オセアンの神官でもあるギムザに聞いてみた。
「仮に海竜の幽霊だったとして──お前、祓えるか?」
「無理です」
ギムザは即答した。
「海竜は確かにオセアンの眷属ではありますが、しかし人間の幽霊だってソレイユの神官では祓えないでしょう?」
それはその通りであった。
人間は、いわば太陽神・ソレイユの眷属である。
光の神々の長であるソレイユは、この世界に生命というものを創り出し、他の神と協力して様々な動物や植物を生み出した。そして最後に人間を創造して、この大陸に住まわせたのである。
その人間を真似て他の神々が創ったものが、魚人やノームだ。これら知能が高くて直立二足歩行する者達は、まとめて”ヒューマノイド”もしくは”ヒト”と呼ばれて、神々の創った他の眷属とは区別されている。
しかし、人間の幽霊を祓うことはソレイユの神官にはできない。それは死と輪廻の神・モールの神官の専売特許だ。
ギムザが言った。
「まだ、生きている海竜のほうが何とかできるかも知れません」
海神の代理として、その眷属である海竜を制御する奇跡はあるのだ。ただ、今のギムザには施行できない。もっと格の高い神官でなければ起こすことのできない奇跡である。
それでも同じオセアンの眷属として、話し合うことぐらいはできるだろう、とギムザは言った。
「話し合い、ねえ……」
仮に話し合って分かり合えたとしても、被害の弁償はしてもらえないだろう。海竜が人間の金銭や食糧を持っているとは思えない。
「海竜といえば……」ふと思いついて、レオンはまたギムザに聞いた。
「この街には確か、オセアンが造ったとされる祠があったな?」
「ええ、ありますね。山の方に」
「そこに封じられているのは、確か……」
「海竜の魂だと言われています」
それを聞いたレオンは、魂があるのなら幽霊になることもあるやも知れぬ、という気になってきた。
そこで、レオンはギムザに言った。
「その祠に行ってみるか」
個体数が少ないことが、海竜の幽霊の話を聞かない理由だというのなら、この街だけで幽霊になった海竜と、魂を封じられた海竜という二頭の別の竜の話が存在するのはおかしいと思ったのだ。
どちらも本当の話なのだとしたら、両者が無関係とは思えない。同一の個体なのではないかと考えた。
それに例え別々の竜であったとしても、魂を封じた実例があるのなら、幽霊になった海竜にも対処できるのではないか。その祠を調べれば海竜の幽霊を封じる方法が分かるかもしれない──。
そう考えたレオンは、街のことを手下たちに任せてギムザと共に海竜の祠へと続く山道を登っていった。




