その6 食料泥棒
翌朝、部屋から食堂に下りてきたエレナたちに、『はらぺこオーガー亭』の主人が困ったような顔をして言った。
「ああ、あんたら……。すまんが、今朝は朝食は外で食べてきてもらえないか? お代はあとで返すから」
エレナたちが少し値の張るこの宿を選んだのは、素泊まりではなく、朝晩の食事がついているからだった。せっかくだから、路銀が豊富なうちに港町の海産料理を堪能しておきたかったのだ。
もっとも、出てきた食事に新鮮な魚を使った料理は少なかった。聞けば、最近は不漁続きで、沖合の魚介類がほとんど入手できなくなっているのだという。
それでも、浜で採れる貝や干し魚などの海の幸を使った料理は、山育ちのターニャには物珍しく、昨夜の夕食にはとても満足していたから、今朝の朝食も楽しみにしていたのだが。
「何かあったの?」
「それが……」
エレナの問いに、主人は苦々しげな顔で説明しはじめた。
昨夜、泥棒に入られたとのことだった。
「泥棒!?」
「それが不思議な泥棒でな。金目の物は何も取られちゃいないんだが、食料庫にあった食べ物が根こそぎやられたんだ」
パン屑一つ、残っていなかったという。
「お腹のすいた泥棒さんだったんですかね?」
「だからって、あんな量を一人で食べきれるもんじゃねえ」
十人分の朝晩の食材が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。
「そういうわけだから、今朝はすまねえが……。夕飯までには食材を準備しておくから」
申し訳なさそうに言う店主に、「気にしないで」と返して二人は宿を出た。
通りをぶらぶら歩きながら、露店で見つけた果物を買って朝食とする。
見たことのない果物だった。皮は黄色いが、剥いてみるとミルクのような色合いの柔らかい果肉が出てくる。
この辺りの特産物なのかと思ったが、そうではなくて、もっと南の方の島で採れる果実だという。
「そんな珍しいものを、こんなに安く売って大丈夫なの?」
思わずそう聞いてしまったエレナに、露天の老婆が教えてくれた。
これは昨日、この辺りを牛耳る侠客、提督レオンから格安で譲ってもらったものなのだという。
市井の者からは用心棒代を取らないレオンは、南の島から持ち帰る珍しいものを好事家や貴族に売ることで、稼ぎの足しにしている。無人島を探検したり、ときにはそこで見つけた遺跡の探索なんかもしているそうだ。
ただ、そうして持ち帰ってきたものの中で、果物のように腐りやすいものは内陸の街まで持っていって売るのは難しい。そこで、こうして海辺の者に安い値で分け与えてくれるとのことだった。
「侠客って、行商人さんみたいなものなんですかぁ?」
そう聞いてきたターニャに、
「レオンは結構、特殊だと思うけど……」
と前置きしてエレナは説明を始めた。
侠客の元来の定義は、”強きを挫き、弱きを助ける者”である。しかし、実際には暴力的なものを伴う土地の有力者が、そう呼ばれることが多い。
町中で一般市民に暴行を働けば、これは当然、取り締まりの対象になるし、徒党を組んでいれば逆賊として討伐の対象にもなり得るが、侠客の場合はその土地の領主からお墨付きや暗黙の了解を得ることで、このようなことを防いでいる。
領主に賄賂を渡していることが普通であるが、逆に領主から給金をもらって働く侠客もおり、レオンは後者のようである。
なぜ領主がそのようなことをするのかというと、一つにはこの辺りのように街や村が点在している地域では、各町村に充分な数の治安維持要員を派遣することが難しいからだ。
そこで、その土地で目端の利く者や腕っ節の強い者に、幾ばくかの給金と鑑札を与えて治安維持や情報収集に当たらせる。侠客は本人だけでなく手下もいるから、広い地域に目を光らせることができる。このような役にはうってつけなのだ。
ただ、彼らが領主から得る給金は雀の涙であるし、鑑札だけ与えて無給ということも多い。領主にしてみれば、侠客相手に高い金を使うくらいなら正規の役人や兵士を街に派遣すればいい話だからだ。
しかし侠客だって手下を養うためには金がいる。
仮に領主から給金を得ているとしても、それだけではとても賄えきれないので、彼らは別の方法で金を稼がねばならない。領主もそれが分かっているから、ある程度の侠客の行状は黙認してしまう。
侠客の収入源として比較的まともなものは、その街に逗留する貴族や隊商から滞在中の安全を保証する代わりに金を取るというものである。
レオンもこの海域における海賊からの護衛を請け負っているらしい。元々、彼は海洋専門の傭兵であったという。
ただ、このような比較的真っ当な手段のみで稼ぐ侠客はむしろ稀で、多くは住民を脅して高い用心棒代を要求したり、博徒を集めて賭場を開いたり、盗賊を見逃す代わりにその上前をはねたりする。
ときには自ら積極的に盗賊行為や詐欺などを働くこともあり、こうなってくると侠客もならず者とあまり変わらない。
ただ、彼らは自分以外の者が縄張り内で勝手なことをするのは許さないから、例え凶行を働くような者でも、侠客がいなくなったらいなくなったで、箍が外れた乱暴者が暴れ回ったり、ならず者同士の抗争で無関係の者に被害が及んだりする。
侠客を取り締まるとかえって治安が悪化することになりかねないから、領主としてはなかなかに悩ましい問題なのである。
ターニャが住んでいる地域には侠客がいなかったから、彼女はこの辺りのことをよく知らなかった。
ラゴリノの街ではあまり衛兵の姿を見かけないのに、街の治安が良くて賑わっているのは、レオンがよく目を光らせているからだろうとエレナはターニャに話した。
彼の場合は他に稼ぎの手段を持っているから、街の者から金を脅し取ったり、犯罪行為を働いたりする必要がないのであろう。
こういう侠客がいる街は、小さくても発展するのである。
朝食を兼ねた散歩の後、今日も海に行きたいと言うターニャとは別行動で、エレナは教会へと向かうことにした。
ヴァンの神官に手紙を預ける目的もあるが、同時に地域の祠の管理は、やはり教会が行っているのではないかと考えたからである。彼女はキッドのことをもう少し調べるつもりだった。
この街は比較的治安がよいから、ターニャを一人で行動させても安心できる。
ただ、それでも昼に一度宿で待ち合わせをして、互いの午後の行動を決めることにした。
昨日ずっと船を見ていて、今日も丸一日海にいて飽きないのかと聞いたエレナに、ターニャは今日は砂浜に行ってみるつもりだと言った。
昨日、遠目に地元の子が遊んでいるのを見て、少し羨ましくなったのだ。
「ターニャは泳げないんだから、海に入っては駄目よ。浜に行っても、水につかるのは足首まで。それ以上は駄目」
母親のようにそう言ってくるエレナと別れて、ターニャは砂浜に向かった。
靴を脱ぎ、素足でそろそろと水際に向かう。
冷たい水が突然に爪先をかすめ、ターニャは思わず、「ひゃっ!」と声を上げた。
彼女の住んでいたところには大きな湖もなかったから、打ち寄せる波が珍しかった。
そのまま水の方に歩いて行くと、引いていく波と共に足下の砂が海の方に引き寄せられ、泳げない彼女は少し怖くなる。砂と共にそのまま海に引きずり込まれそうな気分になったのだ。
『大丈夫だよ。溺れそうになっても、ボクが助けてあげるからさ』
キッドにそう言われても、なかなか次の一歩が踏み出せない。
そのうちに足がズブズブと少し砂の中に沈み込み、この感覚は面白いと思った。地中は彼女が信奉する大地の神・テールの領分だ。
ふと見ると、昨日と同じように地元の子供たちが砂遊びをしていた。濡れた砂で山を作り、お城のつもりなのか塔を造ろうと四苦八苦している。
彼女も混ざろうかなと思ったが、やめておいた。
遊んでいる子供たちはターニャよりも少し小さい。さすがに恥ずかしくなったのだ。
『あっちに岩場があるよ。魚やカニがいるかも知れない』
キッドに言われ、ターニャは岩場の方に向かう。
彼女に驚いたフナムシの群れがさーっと逃げていった。
岩の上を飛び跳ねていくのは、ノームである彼女にはお手の物だ。ただ、すぐ下が水だというのは、なんだか不思議な感じがした。
岩の上から水中を覗くと、魚の群れが見える。岩陰からカニが姿を見せ、ターニャが近づくと隙間に隠れる。
結局、日が高く差すまでターニャは岩場で魚やカニを探して遊んだ。
一度エレナと合流して昼食を取り、再び彼女は海に向かう。
また岩場で遊ぶか、それとも港に船を見に行くか──。
思案する彼女に、キッドが言った。
『岩場はやめておいた方がいいかもしれない』
お昼ご飯を食べている間に、潮が満ちてきているのではないかと言う。
そういえば、遊んでいる間にも水面が少し高くなってきているように感じていた。あれは気のせいではなかったのか、とターニャは思った。
『海は、時間によって水面の高さが変わるんだよ』
そう教えてくれたキッドに、ターニャは尋ねた。
「どうして?」
『お月様が沖の方の水を引っ張ったり、元に戻したりするんだってさ』
「なんで、そんなことするの?」
『さあ? そこまでは知らない』
海竜は、物事をあまり深くは考えないものらしい。あるいはキッド本人の性格なのか。
あとでエレナか宿のおじさんに聞いてみようと考えながら、ターニャは港に向かうことにした。岩が沈んでしまっているのなら、岩場に行ってもつまらない。
それに、昨日みたいにずっと海を見ていたら、もしかしたらキッドの言う潮の満ち引きの様子が分かるかも知れないと思った。
港に行くと、ちょうど新しい船が入港してくるところだった。船着き場に停泊してしばらくすると、たくさんの船員が一団になって下りてきた。彼らはそのまま町の方へと向かっていく。
『街の食堂にご飯を食べに行くんだろうね。荷物の上げ下ろしは、一息ついてからやるつもりなんだろう』
キッドが言った。
この小さな海竜は、本当に色々と海や船のことを教えてくれる。その話を聞いているだけでも、ターニャはなんだか楽しくなってくる。
木陰に座って船を見ようとしたターニャに、そのキッドが悪戯っぽく言った。
『ねえ、ターニャ。もっと近くで船を見たくない?』
もちろん、見たい。
彼女は大きくうなずいた。




