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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第二話 海竜キッド
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その1 エレナとターニャ

「うわぁあ~~~っ! 大きいぃ~~~っ!」


 生まれて初めて見た海に、彼女の口から漏れた言葉がそれだった。


 崖に面した山道を行く途中、木々の間から垣間見えたその広大な水の塊にターニャの口は自然と開き、目はキラキラと輝いている。


 ターニャはノーム族の少女だ。大地の神・テールが人間に似せて創り出した種族である彼女たちは、大地の精気の強い山中や洞窟内で暮らすのが常である。


 彼女もその例に漏れず山奥にある集落で育ったから、深い地中にある地底湖とか山中の湖沼は見たことがあっても、きらめく太陽の下で水平線まで続く水の広がりを目にしたのはこれが初めてだ。


 もっとよく見ようと崖のギリギリまで身を乗り出したターニャに、背後から突然に声がかけられた。


「ちょっと貴女、危ないわよ?」


「ふえ?」


 ぐらり──。


「ちょっ……!」


 振り向きざまにバランスを崩したターニャの耳に、慌てたような声が届く。


 とはいえ、彼女はノーム族だ。大地の神に愛され、山岳で暮らす種族である。少しバランスを崩したからといって、崖から転がり落ちるような愚は犯さない。


 ぴょん、と崖の際から一歩飛び退き、ターニャは言った。


「大丈夫です。ノーム族は、こういう所には慣れていますから」


「貴女、ノームなの?」


 そう聞いてくる女を、ターニャはまじまじと見つめた。


 旅装束の、美しい女性だった。


 白を基調とした服に、長めのスカートを履いている。


 スカートの脇には深い切れ込みが入り、路面の悪い山道でも足の動きを妨げるようなことはなさそうだ。その切れ込みとは逆の腰に二本の剣を下げ、胸にはなめし革の胸当てを身につけている。


 旅の女剣士だろうと思われた。美しい金髪を肩口で切り揃えているのは、激しく動く際に邪魔にならないようにするためか。


 年齢は、二十歳を越えてはいないぐらいだろう。


 ノームと人間ではあまり見た目は変わらないはずだから、この外見なら「お姉さん」でいいよね、とターニャは思う。「おばさん」と言ったら、怒られるよりも先に目が悪いのでは、と疑われてしまいそうだ。


「はい、私はノーム族です。ターニャと言います。お姉さんは?」


「私はエレナよ」


 そう言って差し出された手をターニャは握り返した。手の甲は白くて綺麗なのに、掌には固いタコができていて、何かを──おそらくは剣を握り続けた者の手だ。


「貴女一人なの? 親御さんは?」


 自分の目をまっすぐに見つめるその顔を、「綺麗だなあ……」と思って見返しながら、ターニャは答えた。


「一人です。お父さんとは……はぐれちゃいました」


 てへっ、とターニャは舌を出す。


 父と一緒に行商に出てはぐれてしまい、きっとこっちだと思って進んだ道はたぶん間違っていて、気づけば初めて見る海の傍までやって来てしまった。


「どこではぐれたの?」


「たぶん、あっちの方」


 そう言って遙か山向こうを指すターニャに、エレナが訝しげな目つきになった。


「……はぐれたのは、いつ頃?」


 その問いにターニャは首をかしげる。


 父とはぐれてから、いったいどれだけの夜を過ごしただろう。彼女の分の路銀と食料は渡されていたから、食うには困らなかった。でも、言われてみればそれもだいぶ寂しくなってきている。


 指折り数えるターニャの指が左手から右手に移ったところで、エレナが盛大なため息をついた。


「親御さん、心配しているんじゃないかしら?」


「そうでしょうか?」


 あっけらかんとターニャは答えた。


 ノームの子供が親元から自立する年齢は人間よりも若い。十歳を超えれば親から放任されることも稀ではないのだ。


 年を取ると落ち着くことが多いが、若いノームは好奇心旺盛で自由気ままな気質の者が多く、ターニャと似たような状況で親と離れて、そのまま独立してしまうことも多かった。


 きっとターニャの父親も今頃、「気づいたらいなくなっていた。まあ、アイツもそろそろ親離れする年頃だしな」などと言っているのではないかと思う。


「貴女の家はどこなの?」


 なおもエレナに聞かれて、ターニャは少し困った。


 無論、自分の育った集落や近くの人間の村の名前は知っている。しかし小さな村だから、きっと言っても分かってもらえないであろう。


 仕方なく彼女は、ここまで父と共に立ち寄ってきた人間の街や村の名前を次々と挙げていった。しばらく黙ってそれを聞いていたエレナの表情が、段々と曇っていく。


「貴女の故郷って、まさかオルレシア?」


「はい、そうです。私はオルレシアの民です」


 オルレシア皇国は人間の国の名前だから、ノームも”オルレシアの民”と言っていいのかどうかは分からない。ただ、彼女の住んでいる土地がオルレシア皇国の領内にあることは事実だった。


「ここは、ヴァロア王国領よ。国境の関所はどうやって超えたの?」


「関所?」


 こくん、とターニャはまた首をかしげる。


 そんなものを超えた記憶はなかった。彼女はただ、山中の茂みや森の中を歩いてきただけだ。ようやく道らしきところに出たと思ったら、海が見えて心を奪われてしまった。


 エレナが、再び大きく嘆息をした。


「困ったわねえ……。家まで送ってあげたいけど、関所は今ちょっと……戻りたくないのよね」


 聞けば、この山の稜線に沿って国境があり、この道をまっすぐ登った頂上付近に両国の関所があるのだという。


 オルレシアとヴァロアは戦争をしているわけではないが、その仲が完全に良好とは言いがたい。お互いに関所を設け、国境を越える者を監視しあっている。


 エレナはそこを通ろうとして、オルレシア側の関所の役人と少し揉めてしまったらしい。


「お尻を触ってきたから叩きのめしただけなのに、あんなに怒るなんて……」


 呟くようにエレナは言った。


「お尻を触られたら、叩きのめすんですか?」


 目を丸くするターニャに、さも当然というようにエレナが答える。


「当たり前でしょう? 貴女だって女の子なんだから、好きでもない人にそんなことされたら、怒らなきゃ駄目よ」


 それでも叩きのめすまでするだろうかと思うターニャに、さらにエレナは言った。


「まあ……殴るか蹴るか、剣で突き刺すかは、人それぞれだけど……」


 どうやらこの女性は、貴族のお姫様のように綺麗な顔立ちをしているのに、野武士の頭領のように物騒な性格をしているらしかった。


「それから、さっきみたいな危ないことは、もうしちゃ駄目よ?」


「さっき……ですか?」


「あんな風に崖に近づいたら、危ないわ」


「ああ……」


 エレナの気持ちはありがたいが、ノーム族に対してそのような心配は無用だ。


 崖から足を滑らせるなんてヘマは──たまにしかしないし、例え滑り落ちてもあの程度の崖で大怪我をするようなことはない。


 そのことを証明するため、ターニャはエレナの前でぴょんと跳びはねてみせた。


「大丈夫ですよ~。ノームは、こういう所には慣れてるんです」


 先程と同じ言葉を繰り返しながら、崖際で側転してみせる。


「ちょっ……」


 狼狽するエレナを尻目に何度も逆立ちを繰り返すターニャの目に、崖際に設けられた小さな祠が飛び込んできた。古びた、石造りの祠だ。


 側転を繰り返しながらその祠に近づき、一度大きくジャンプする。空中で体をひっくり返してターニャは祠の屋根の上に逆立ちして見せた。


「えへへ~♪」


 得意げな笑みを見せる彼女に、エレナが慌てたように言った。


「ちょっと、危ないわよ。崩れるかも知れないわ。それに……」


 ──罰当たりだから。


 彼女がそう言い終わるより先に、ターニャの乗る祠がミシミシと軋みを上げて、すぐに床ごとガラガラと崩れ落ちていった。

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