その10 黄金色の円盤
台座に戻った像をしばらく見つめていたイライザが顔を上げると、ファルコは部屋の床をコツコツと剣の鞘で叩きながら、部屋中を歩き回っていた。
「……何をしているの?」
「どこかに空間がないか探している」
「空間?」
一瞬、ファルコが何を言っているのか分からなかった。だが、すぐにイライザは彼の意図を理解する。
「シドの像を探しているのね?」
「ああ」
見回す限り、この部屋にはティアの像とその台座しか存在していない。シドの像など見当たらないし、石像をしまえるような場所もない。
なので、もしもシドの石像が存在するのなら、どこか一見したところでは分からない場所に隠されているのだということになる。
ファルコは床を叩きながら歩くことで、像を隠せそうな空間、あるいは別の部屋に繋がっていそうな隠し通路がないかを探っているのだ。
部屋全体の床を一通り調べ終えた後、ファルコは今度は壁をコツコツと叩きはじめた。
その様子を、イライザは手持ち無沙汰に見つめていた。
退屈ではあったが、邪魔をしてはいけないと思った。彼が満足いくまでこの遺跡を調べてもらうことが、無償でここまで付いてきてくれたファルコへの報酬なのだ。
それに、イライザもシドの像のことは気にかかっていた。どうしても好奇心が刺激される。
彼女にとってはただの古びた石造りの部屋でも、ファルコならば何かを見つけてくれるかも知れないと期待していた。
それでも、ずっと座っていることに我慢ができなくなったイライザは、ファルコが左奥の壁を調べ始めたときに、そっと彼の傍まで歩み寄った。
ファルコはその壁の前で、この遺跡に作られた唯一の窓を見ていた。隣にイライザが来たことに気づくと、場所を譲って彼女にその窓を見せてくれる。
イライザの身体と同じくらいの幅の、縦長の窓だった。落下防止のためか、鳥たちの侵入防止か、細い金属棒が光を遮らない程度に格子状に張り巡らされている。
外を覗いてみたが、見えるのはほとんどが青い空だった。遠くに山陰らしきものがわずかに見える以外、視界の中には何もない。金網に顔をつけて無理に視線を下ろすと、木々の先端の緑をかろうじて見ることができた。
「空ばかりね……」
「ここは、この辺りで一番高い山だからな。山頂のこちら側は岩の崖で、樹木なんかもあまり生えてはいないはずだ」
言われて、イライザは頭の中で想像してみた。
彼女たちが歩いてきた通路は、山を貫通して反対側の崖まで繋がっていたのだ。あの通路は少し上り坂になっていたから、この部屋は入り口より高い場所にあるということになる。
さらにイライザは、遺跡に入った時のことを思い起こした。
彼女たちが遺跡にやって来たのは、太陽が昇りかけた時刻だ。つまり、太陽のある方向が東である。あのとき太陽は、入り口に背を向けたときに斜め左側に見えていたから、入り口のあった斜面は南東を向いていることになる。
そこから真っ直ぐ進んだので、突き当たりは北西だ。ただ、窓のある壁は突き当たりに対して斜めに存在しているから──。
「……ちょうど、この窓が西に当たるわね」
実際、今はこの窓から太陽は見えない。
「そうなるな」ファルコが答える。
「夕方だったら、夕焼けが綺麗だったかも知れないけど……」
「それまで待ってみるか?」
「……やめておくわ」
夕暮れまでいったい何時間、ここで待たねばならないのか。さすがに、そこまでこの部屋に長居するつもりはなかった。
窓枠に座って、ぼぉっと空を眺めながら、イライザはファルコが部屋を調べ終わるのを待っていた。そよそよと、時折入ってくる風が気持ちいい。
こうしていると、やはり自分は風の神の神官なのだなと思う。
四方を壁に囲まれた遺跡の中よりは、外で風に当たっている方が好きだ。
この部屋に窓があって良かった。そうでなければ、とっくにファルコを促して外に出ていたかも知れない──。
そのファルコはというと、相変わらず部屋中の壁をつぶさに調べて回っていた。壁に異常がないかを観察しながら、小さなハンマーで根気よく叩き続けている。
ようやく五角形の部屋の五つの壁を大方叩き終え、あと調べていないのは、開いたままの扉の裏にある壁だけだ。
ファルコが荷物から楔を取り出し、床に打ち付け始めた。扉が勝手に閉じてしまわないようにする用心だろう。
楔を打ち終わると、ファルコはようやく開いた扉を少し動かし、身体が入る程度の隙間を作る。
そこで、彼の動きがピタリと止まった。壁ではなく、扉の方をまじまじと見ている。
「……どうしたの?」
イライザは立ち上がって聞いた。
半ば放心したような様子であったファルコが、彼女の方をチラリと見て手招きをした。
「?」
イライザが近づいてきたのを見て、ファルコが扉の裏側を指さす。
そこには、大きな金色の円盤が埋め込まれていた。
表面は滑らかで曇り一つなく、イライザの顔が映り込みそうなほどによく磨かれている。
「これは……金?」
「いや……」ファルコの言葉は歯切れが悪い。「俺も、実物は一度しか見たことがないから、確証はないが……もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「オリハルコンかも知れない……」
「オっ……!!」
イライザは息を呑んだ。ミスリル以上の希少金属だ。
「きちんと鑑定してみないことには、断定しかねるけどな」
それでも、少なくともファルコがあまり見たことのない金属である。オリハルコンではなかったとしても、何か珍しい素材の可能性が高い。
「エバンスたちは……」
「気がついていたら、扉を破壊してでも持ち帰っただろう」
ミスリルと違い実用品に向かないオリハルコンは、あくまで観賞用である。一見したところでは金とあまり変わりはないが、日の光を直接に当てると、まるで太陽そのもののように光り輝くことがこの金属の最大の特徴だ。その性質から、太陽神の儀式でも使われることがあると聞く。
オリハルコンは製法が失われ、希少価値も高いから、ただの金色の円盤とは言え、これほどの大きさのものであれば目の玉が飛び出るほどの額で売れるだろう。確実に一財産だ。
「たとえ、ただの金の円盤だと思って取り外す手間を惜しんだのだとしても……」
知っていたら、ファルコが話を聞いたときに間違いなく教えてくれたであろう。
やはり、扉の影にあるこの円盤にエバンス達は気がつかなかったのだ。
だが、イライザだって人のことは言えない。積極的に探索しなかったとはいえ、ファルコに言われるまで、彼女もこの円盤の存在にはまったく気がついていなかった。
そのファルコにしたって、壁をくまなく調べるために扉を動かすまでは、そこに何かがあるとは思っていなかっただろう。
完全に皆の死角になっていた。
「でも……何でこんなところに、円盤が……」
装飾物ではないだろうということは、イライザにだって分かる。
ティアの像とその台座を除けば、この部屋はいかにも殺風景だ。
それなのに、皆の死角になるような場所にだけ装飾をするとは考えにくい。実際、もう片方の扉の裏側には、何もないのだ。
いや、そうか──
そこまで考えて、イライザは気づく。
二枚ある扉の、片方の裏側には何もない。であれば、もう片方の裏側にも何もないだろうと無意識に考える。わざわざ扉を動かしてまで、裏を確認しようとはしない。
扉が自動で動いたのも、そのためではないか。半開きを防ぎ、一度動きはじめたら完全に開ききって、その裏面を壁に密着させて隠す。このオリハルコンの円盤が見えなくなるようにする。
意図的に、隠しているのだ。
この円盤が、人の目に触れないようにしている。その存在に気づかせないために、もう片方の扉の裏側にはあえて何も装飾をしていない。
にも関わらず、隠し戸棚などではなく、この扉の裏側にわざわざ円盤を埋め込んだ──。
つまり、何か理由があるのだ。この場所に金属製の円盤を設置せざるをえない理由が。
だが、その理由が彼女には分からなかった。円盤が意図的に隠されていることには気づいたが、では何故そんなことをしたのかという理由が、どんなに考えてもさっぱり見当がつかない。
隣を見ると、ファルコも顎に手を当ててなにやら考え込んでいた。
「オリハルコン……。太陽……。窓……西……五角形……。ティア……太陽、ソレイユ……今日までに……。夏至……? ……シドは、どこだ……?」
ぶつぶつと、ひたすら何かを呟き続けた後、やがてぽつりと彼は言った。
「もしかしたら……」
ファルコが顔を上げ、イライザの方を見た。
「イライザ、頼みがある」
「な、なに?」
一心不乱に考え続けるファルコの横顔をじっと見つめ続けていたイライザは、突然に目を合わせられて、少しどぎまぎしながら聞いた。
「ここで、夕日を見たい。つきあってくれないか?」
「えっ……?」
一瞬、ロマンチックな想像が頭をよぎる。でも、たぶんこの男の場合は……
「そうすれば、すべての謎が解けるかも知れない」
(……だよね)
自分じゃなくて、像を持っていたのが例えば男のエバンスだったとしても、彼は同じことを言ったに違いない。
他意はないのだ。
純粋に、遺跡の謎を解くことだけを考えている。
嘆息をしながらイライザはファルコの言った意味を考え、そして返答を躊躇した。
「夕日が出るまで……ここで?」
それまであと一体どれほどの時間があるのか。彼女の腹時計では、今がちょうど昼時ぐらいだ。
(今からさらに、夕暮れ時まで……?)
だが、そうすれば謎が解けるかもしれないとファルコは言った。彼女だって、ここでおしまいでは、どうしても割り切れないものが残る。
もう一度ため息をついてから、結局イライザはファルコの提案を承諾した。
非常食として持っていた干し肉と堅パンを二人で分け合って昼食としたあと、ファルコはイライザに手伝ってほしいことがあると言った。
「この扉を閉めたい。だが、万が一にも閉じ込められたくはない」
そこで、扉の近くに松明や楔などの道具類を束ねて置いておき、扉が完全に閉まらないようにしたいのだという。
「それが……謎を解くのに重要なの?」
「俺の想像が正しければ、この扉は閉まっていてこそ意味がある。だが、万が一中から開けられなくなったら最悪だからな」
この遺跡を造った者は、ティアの像や金の円盤の盗難に気を遣っている。
ティアの像は価値のない古びた石像に見せかけ、金の円盤は扉に生まれる死角を利用して隠している。
しかしこの金の円盤については、部屋の中から扉を閉められると、どうしてもその存在に気づかれてしまう。
ならば、どうするか。
「──俺なら、部屋の扉が自動で閉まり、中からは開けられないようにする」
そうすれば盗賊は逃げられない。後から遺跡の管理者がやって来て、閉じ込められている不届き者から盗まれたものを取り返せばよい。
だから安全のためにも、扉を閉めるときに身体が通り抜けられる程度の隙間は空けておきたいのだとファルコは言った。
「さっきみたいに、楔を使わないのは?」
「ここを去るときには、扉は閉めた状態にしておきたい。楔だと、抜くのに時間がかかる」
そう説明されて、イライザはファルコの言う通りにすることにした。
扉を一度壁際まで開け放ち、ファルコが先ほど打ち込んだ楔を抜いている間に、イライザはファルコの持つ工具類や残りの楔などを布でくるんでロープで縛る。
(これ位なら……まあ、通り抜けられるかしらね)
扉に挟んだときにそこそこの隙間が空くよう、幅と強度には気を遣う。一本の松明を軸に、他の松明や布でくるんだ道具類を何本も直角方向に交差させて結だものをいくつか用意して、束ねていく。
その作業自体は、ファルコ一人でもできそうなものである。きっと彼は、イライザに暇つぶしを与えてくれたのだろう。そう考えた彼女は、慌てず急がず、じっくりと時間をかけて作業を進めていった。
ロープでぐるぐる巻きにして固定した松明や道具類を、イライザは最後に背負い袋の中に入れて、土嚢のように戸口に置いた。
それから、何度かその上を跨いでみる。
イライザもファルコも充分に通れる幅があるように思った。これなら万が一扉が勝手に閉まりはじめても、背負い袋が挟まって完全には扉は閉まらない。多少、袋が潰されるにしても、隙間をなんとか通り抜けることはできそうだった。
その確認が終わると、あとは日が沈み始めるのを待つだけだった。
窓際でヴァンの聖書を開いていたイライザは、やがて心地よい風を受けて、うつらうつらと船を漕ぎはじめていた。