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ラグアース大陸の冒険者たち  作者: 浅谷一也
第一話 歩き巫女イライザと泣き女の石像
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その1 石像が泣く夜

 ヴァロア王国の首都・リヴェーラから徒歩で五日ばかり離れた小さな町。そのとある宿屋の一室で、イライザは何度も寝返りを繰り返していた。


 夏の盛りが近づくいま、昼の間の照りつける太陽は気持ちよくもあったが、夜になってもその熱気が屋内に残り続けている。汗で夜着が肌に貼りつく不快な感覚に顔をしかめながら、イライザはまた寝返りをうった。


 彼女が何度もそうしているのは、実のところ寝苦しいからではなかった。暑さはあるが、それで眠れなくなるほど彼女は繊細ではない。


 イライザは自分が眠ってしまわないように何度も身体を動かしていた。今夜の彼女には、熟睡してはならない事情がある。目は閉じながらも、けして眠り込まないように彼女は意識的に寝返りを繰り返す。


 とはいえ、粘り着くような不快なこの汗には閉口していた。


 一度水でも飲むかと目を開きかけたところで、イライザはその声に気がついた。


(誰かが、泣いてる……?)


 女の泣き声のようだった。


 しくしくと、いかにももの悲しい響きを帯びている。


 開け放たれた窓の外から聞こえてくるわけではないし、隣室から壁越しに聞こえてくるわけでもない。声は、彼女のいるこの部屋の中から聞こえてくるように思える。


 横になったまま薄目で様子を伺おうとしたイライザは、室内がほのかに明るいことに気がついた。


 月明かりや星明かりなどではない。


 部屋の隅に置いている彼女の荷物が光っていた。


 より正確には、荷袋から出して傍の床に置いておいた一体の彫像が淡い光を放っている。


 それは美しい女性をかたどった石像で、手に長い棒のような道具を持っていた。像全体の高さはイライザの肘から手首くらい。


 腕のいい彫刻家が彫ったものなのだろう。女の表情や服装が細緻に、生き生きと再現されている。手に持つ道具の先端は三つ叉状になっており、もう片方の手には植物の葉らしきものを握っていた。その下側には小さな人形のようなものが彫られている。


 その石の像が床の上で淡い燐光を放っていた。最初にイライザが気づいた泣き声も、どうやらこの像から聞こえてくるようだった。


 身体をベッドに横たえたまま、イライザはその石像を見つめた。像を包む光が大きくなって、徐々にある形を取り始めていた。


 人の形だ。


 膝下から先は石像を包む光と混じって見えないが、上半身は淡い光に包まれながらもその顔や衣服がはっきりと見てとれる。


 若い女のようで、石像のモデルとなった女だろうと思われた。顔がよく似ている。


 先ほどから泣いていたのは、この女だったのだ。


 目を見開いて女の姿を凝視したまま、イライザは懐に忍ばせた護符をぎゅっと握りしめた。


 イライザは風の神・ヴァンの歩き巫女を生業としている。


 風のごとく生きることを信条とするヴァンの神官は特定の地に住まうことを嫌い、風のように各地を渡り歩いて行く先々で神の教えを広めたり、ときには神の奇跡を行使して人々を救う。


 大きな街ならばともかく、この国の多くの町や村では教会や神殿は、あっても一カ所かせいぜい二カ所だ。そこに各神の神官が共同生活をしてそれぞれの神を祀り、祭祀を執り行っている。結婚式であれば愛の神・アモーレ、葬儀であれば死と輪廻の神・モールというように。


 とはいえ、全ての神の神官が揃っていることは稀だから、多くの場合には別の神の司祭が代理としてその神の祭儀を執り行うのが常だ。


 イライザだって教会のない小さな村に立ち寄ったときなどは、求められれば婚儀も行うし、葬式だってする。信奉する神が違うからと言って断ったりはしない。


 だから今回、ナバタという教会のない村に住む者が、この町に旅の神官が来ていると聞いてわざわざ彼女の泊まる宿を訪ねてきたとき、イライザは管轄外の相談かもしれないとは思いつつも、


「何でも仰ってください」と営業スマイルで答えてしまったのだ。


 安請け合いせず、内容を聞いてから引き受けるべきだった──と、今は少し後悔している。


 彼女が頼みを聞いてくれると知った村人は、こう言ったのだ。


 ──巫女様のお力で、この像に取り憑いた幽霊を祓ってくだせえ。

 と。


 その像は、とある冒険者が古代遺跡で発見し、村人に売ったものだという。


 最初のうちは特に何事もなかったが、いつしか毎晩のように、こうしてもの悲しい泣き声をあげるようになった。


 村人の家族の中には、女の幽霊を見たという者もいた。おそらくイライザが今見ている女が、その”幽霊”なのだろう。


 困り果てた村人は、近くの街を訪れたイライザにこの像のことを相談し、そして彼女に石像を託したのだ。


 ──こんな不気味な石像とは、もう一晩も一緒にいたくありません。惜しくはありませんので、幽霊を祓った後は、巫女様のお好きにしていただいて結構です。


 彼はそう言った。


 要するに、幽霊の取り憑いた石像を体よくイライザに押しつけたのである。


 イライザは確かに神に仕える巫女だし、神の授けし奇跡を行うこともできる。


 だが、彼女が仕える神は風の神・ヴァンだ。邪気を吹き払う清らかな風を吹かせることはできるが、死者の除霊や鎮魂は専門外である。


 成仏できずに迷っている魂をしかるべき所に送るような術を彼女は知らない。それは、死と輪廻の神・モールに仕える神官が行う奇跡だ。


 今夜だってイライザは自分にできることとして、寝る前にこの部屋全体の空気を清め、邪霊の侵入を阻む結界を張っていた。


 しかし、実際にこうして女の霊は現れている。


 少なくともこの女が邪霊ではないという証拠にはなったが、そうなるとイライザには次の手段がもうあまりなかった。


 よく混同されるのだが、邪霊と、死霊や幽霊とは異なるものである。


 邪霊とはヴァンを含む光の神々の共通の敵であり、この世界の破滅をもくろむ邪神の眷属のことをさす。死者の霊であるとは限らず、邪悪な精霊なども含めた言葉である。


 そしてヴァンの力を借りて張る結界は、邪霊の侵入は防げても、邪気のない幽霊の侵入は拒めない。


 そうなると幽霊が現れたところを無理矢理に消滅させるしかないわけだが、ヴァンの神官には死者の霊を成仏させるような奇跡は授けられていない。


 これもよく勘違いされるのだが、彼女たちはゾンビなどの、いわゆる不死の魔物(アンデッド)を退散させるような奇跡であれば、行使することができる。


 それらの魔物は、邪神の力によって光の神々の定めた摂理に反して創り出された者たちだからだ。光の神の神官であれば、どの神に仕える者でもこの奇跡は授けられている。


 いま寝床の中でイライザが握りしめている護符こそが、その不死の魔物を退散させるときに使うものだった。


 だが、いかにも悲しげな様子で静かに泣き続けるこの女の身体は、薄く透き通って見えた。


 動く死体とも言える不死の魔物とは明らかに異なっているし、そもそも邪神の眷属ならば、彼女の張る結界の中に入ってくることはできないはずだ。


 それにこの女は──油断は禁物だが、いまのところはこちらに害をなそうとする様子はないように思える。


 この石像を最初に手に入れた村人の一家でも、幽霊に傷つけられたり命を落としたりした者はいなかった。害と言えば、ただ薄気味が悪いということだけである。


 油断なく護符を握りしめながらイライザは体を起こし、ベッドに腰掛けた。


 彼女が動いても石像の女は何の反応も示さない。こちらを見ようともせず、ただひたすらに泣き続けている。


「……あんたさあ、何をそんなに泣いているんだい? あたしで良ければ、話を聞くよ」


 業を煮やしたイライザは、生者に対するように女に話しかけてみた。


 だが、泣き続ける女からの返答はない。顔をこちらに向ける事すらしなかった。


 ──そもそも、こちらを認識していないのかも知れない。


 彼女がそう思いはじめたときだった。


 石像の声色が変わった。


 泣き声に、言葉のようなものが混じり始めている。


「……して、……しを……して」


 眉をひそめながら、イライザは耳を澄ませた。


 くぐもっていた女の声が、徐々にはっきりと聞こえてくる。


「……帰して。私を……あの人の所に帰して……。そうでないと……」


 そうでないとどうなるのかは言わなかったが、イライザの二の腕に鳥肌を立てるには充分だった。


 淡い光に包まれた女は、何度も同じ言葉を繰り返しながら、ただひたすらに泣き声を上げ続けていた。


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