魔女と夏
ルルナ・トワイライト。
十三歳。
職業、魔女。
ひょんなことから現代日本へ転移。現在はエロ漫画家と同居中。
東京都。大田区。
JR蒲田駅より徒歩五分の距離にある五階建てマンション。
その305号室に居候するようになってから、もうそろそろ一年になります。
転移したばかりの頃は、見るものすべてが新鮮で、驚くことも多かったのですが、最近ではすっかり日本の生活にも慣れて、容易なことでは驚かなくなりました。
「お会計、2048円になります」
「PAIPAIで」
電子マネー決済だって、この通り。
ピピッと、手際よくできるようになりました。
購入した食料品をエコバッグに詰めて、スーパーマーケットを後にします。
自動ドアをくぐると、ムワッと湿度の高い熱気が全身に押し寄せてきました。
クーラーのきいた店内とは天地の差。
屋外は地獄そのものです。
「……こっちの夏は、暑すぎます」
辟易しつつ、ミンミンと蝉の声がうるさい帰路を歩き出します。
あまりの暑さに、アパートまでの徒歩数分が、まるで何千里にも感じられました。
「ただいま帰りました」
玄関の鍵をあけて、サンダルを脱ぎ、リビングに上がると、フローリングの床の上でぶっ倒れているジャージ姿の美女がいました。
このナイスバディな黒髪ロングの美女は――夏木柚子。
職業、エロ漫画家。
私が居候している305号室の家主です。
「……おかえり……ルルナ」
かすれた声で家主は言います。
「ど、どうしたんですか?」
驚きながら尋ねると、
「エアコンが……ご臨終なの……」
と、柚子さんが死んだ魚のような目で答えました。
「え」
見ると、いつも元気にゴウゴウと口から冷気を吐き出しているエアコンが、今日は沈黙しています。作業机の上に置いてあったリモコンを手に取り、電源ボタンを押してみても、反応はナシ。どうやら、本当に壊れているみたいでした。
「そんな……」
最悪です。
室内はサウナ状態。
空気の循環がない分、屋外よりも室内の方が暑いくらいでした。
立っているだけで全身から汗が噴き出してきます。
「……蒸しパンになりそう」
「ですね。とにかく、大家さんに連絡して、修理業者さんを呼んでもらいましょう。クーラーが壊れたまま生活するのは無理です」
スマホで大家さんに連絡すると、明日、業者さんが修理にきてくれるとのことでした。
「明日って……今日はどうすれば……」
柚子さんが絶望に満ちた声をあげます。
「この時期は業者さんも忙しいでしょうから、仕方ないですよ」
とはいえ、本日の最高気温は四十度。テレビのニュースでは『記録的な猛暑日』だと報道されており……このままでは熱中症まっしぐら。なにかしら対策が必要です。
「アイス食べますか?」
「コーラ味ある?」
「もちろん」
柚子さんの好みは把握済みです。
エコバックからゴリゴリ君(コーラ味)を取り出して、柚子さんに差し出すと、彼女は砂漠で一滴の水を得たかのように喜んで、アイスにむしゃぶりつきました。
「アイスはいいね。人類の生み出した文化の極みだよ」
感動の涙をこぼしながら、柚子さんが呟きます。
「……大げさな」
呆れつつ、私も青い包装をピリリと破いて、ソーダ味のアイスを口へ運びました。
パクリ。一口齧ると、ソーダの清涼感のある甘味が舌の上にひろがり、口の中で解けた氷が乾ききった喉に染み渡りました。
おいしい。こんな美味しい氷菓は、私の故郷にはありませんでした。そういう意味では、たしかに文化の極みという表現もあながち間違ってはいないような気もします。
「生き返ったような気分になるね」
「そうですね。でも、アイスではその場しのぎにしかなりません。もっと根本的な解決方法をみつけないと」
私が二口目を食べながら言うと、
「魔法でなんとかならないの?」
と、柚子さんが尋ねてきました。
「なんとか……と言われても」
具体的なアイデアがないと、なんともなりません。
「ほら、治癒魔法でエアコンを治すとか」
「それは無理です。治癒魔法は生命力を増幅させることによって、人体を治療する魔法ですから。魂の宿っていない機械には効果がありません」
「うーむ。じゃあ、氷魔法で室内を冷やすとか」
「不可能ではないですが……氷が解けた後、部屋の中がビショビショになってしまいますが、かまいませんか?」
「ごめん。やっぱナシで。敷金が返ってこなくなるのは困る」
数秒考えた後、万策尽きたらしく、柚子さんは諦めたように「ハァ」と肩を落としました。
「魔法ってなんでも出来るイメージだったけど……あんがい役に立たないもんだね」
柚子さんが失望したように呟きます。
その言葉に、すこし。
ほんのすこしだけ……カチンときました。
「魔法は万能ですよ。いえ、万能だからこそ、魔法なんです」
おもわず反駁が、口をついて出ました。
私は人生の大半を魔法の修業に捧げてきました。
魔法を否定されることは、私を否定されること。それくらい魔法は私のアイデンティティに深く根付いています。
魔女としてのプライドが轟と燃え上がりました。
「魔女の辞書に『不可能』という文字は載っていません。そこまで言うなら、御覧に入れましょう。魔法の神髄を」
そう宣言して、私は杖を手に取ります。
身の丈ほどの大きな杖。それは故郷ではS級魔導師の証でした。
「……ルルナ、何するつもり?」
柚子さんが不安げな面持ちで尋ねてきます。
「暑さの原因はエアコンが壊れたから……ではありません。今が『夏』だからです。だったら、その原因を取り除いてしまえばいい」
そう答えて、私は部屋の窓を開けます。開け放った窓から雲一つない青空を睨めつけ、杖の先端をギラギラ輝く太陽へ向けます。
大規模魔法には、大量の魔力が必要。
全身の細胞から魔力を限界まで絞りだし、
「《solar eclipse》」
呪文を一つ唱えました。
――最大出力。高密度の指向性エネルギーに変換された魔力が、杖の先端から照射されます。ピンク色の光線が高層雲をドーナッツ状に吹き飛ばし、天を貫きました。地球から太陽までの距離は約1億5千万キロメートル。かなり遠いように思われますが、光の速度なら、たった八分の距離です。あっという間に光線は太陽へ直撃しました。的が大きいと狙いやすくて楽です。
魔法が発動してから、さらに八分二十秒後。
まるで電源を切ったみたいに、フッと太陽が消灯しました。
全世界が暗闇に包まれます。
「ね、ねぇ、ルルナ。……なにしたの?」
一寸先すら見えない闇の中、動揺した声で柚子さんが訊いてきます。
「夏が暑いのは日照時間が長いからです。なので、一時的に太陽からの光を遮断しました」
「遮断しましたって……そんなことできるの?」
「魔法に『不可能』はありませんから」
私が「ふふん」と得意げに胸を張ると、
「……にしたって、これはやりすぎ」
呆れたような声で、柚子さんが溜息を吐きました。
太陽が消えると、放射冷却の影響で数時間後には、東京の気温が五度ほど下がりました。
「だいぶ涼しくなったね。これならエアコンがなくても過ごせそう」
部屋の蛍光灯を点けながら、柚子さんが言います。
「これで証明できましたか?」
私が尋ねると、柚子さんはキョトンとした顔になりました。
「証明って、何を?」
「私が役立たずじゃないってことです」
ずっと、それだけが気がかりでした。
私には魔法しか取り柄がありません。魔法を否定されたら、もはや私には何の価値もありません。だからこそ、やりすぎだという自覚はあっても、魔法の有用性を証明したかったのです。
「あたし、ルルナが役立たずだなんて言ったっけ?」
「それに近いことは言いました」
「そうだっけ? ごめんね。ルルナが役立たずだなんて思ったこと、一度もないよ」
柚子さんの右手が、私の頭の上にポンと置かれます。
優しい手つきで撫でられると、それだけで、ささくれ立った心が癒されてゆきます。
「っていうか、役に立つとか、立たないとか、そういうの抜きにして、ルルナのこと大好きだから安心していいよ」
「……そう、ですか」
心の中を見透かされたような気分になりました。
柚子さんは魔女ではないはずなのに、たまにこうして魔法のように他人の気持ちを読みとることがあります。
「それなら、いいです」
故郷では、魔法だけが私の存在意義でした。
魔女としての能力が、私の価値でした。
でも、柚子さんは、私のことを大好きだと言ってくれる。私自身に価値を見出してくれる。それが、なにより嬉しくて……柚子さんに出会えてよかったと心から思えるのです。