第六話
「メーナっ!」
仮眠していたところに突然アバンが現れて、メーナは強制的に起こされた。
「あ、アバン様…?どうし、いきなり来られても、その…」
まだ思考が追いつかないメーナは彼の後ろに立つ侍女たちに視線を移した。
どうやら彼らもアバンがなぜ来たのか、どうしてこんなに酷く狼狽えているのか分からないらしい。
「メーナ、僕、ベリーに会いに…!そしたら、色が…!あ、あのままじゃ」
興奮しているアバンの言葉を汲み取るとベリーと会って何かがあったらしい。
メーナは酷く苛ついた。
半年の間にあれほど愛を囁いたというのに、まだベリーへの想いが残っているのかと。
二股しようなんて許さない。
メーナは侍女たちがいる前にも関わらずアバンをぎゅっと抱きしめた。
「アバン様、安心してください。私が傍にいます。心配することなんてないですよ、私に全て打ち明けてください」
「メーナ…」
空気を読んだ侍女たちが部屋から出ていった。
暫くそのままアバンを抱きしめていると、穏やかな声で深呼吸するのが聞こえた。
「やっぱりメーナは素敵な人だ、君が初恋の相手で嬉しいよ」
「うふふ、入学式でアバン様に一目惚れされるなんて、私はなんて運がいいのかしら」
あの日メーナの隣に座ったのはアバンだった。
その時は王太子だと分からなかったが後で『魔の欠片』と蔑む令嬢たちが嘲笑うように教えてくれたのだ。
彼らの悔しむ顔が見てみたい。
「あぁ、メーナは知らなかったんだね。実は一目惚れしたのは入学式じゃないんだよ」
「え…?」
「覚えてるかい?七歳の頃街で迷子になってた僕を助けてくれたんだ」
抱きしめた腕を解き、メーナと至近距離で視線を合わせたアバンは、懐かしむように微笑んだ。
「君と入学式で再会したときどれほど嬉しかったか、あの時の喜びは言葉では表現できないくらい…」
「…じゃない…」
先ほどはあんなに温かかった身体が急激に冷たくなっていくようだった。
「その女の子は私じゃない…」
メーナはアバンの手から逃げるようにすり抜ける。
いくら王太子妃になりたくても、他人への愛を身代わりに受けたくなどなかった。
そんなの、気持ち悪すぎる。
「え、メーナ、嘘、だよね…?」
アバンの目が動揺する。
メーナは首を何度も振った。
「こんなこと嘘つくわけないじゃない…!私が王都に来たのは八歳の時よ、男爵位を授かった両親と一緒に隣街から来たんだから!」
信じられない。
アバンはメーナを愛しているのではなく、初恋の人だと思い込んでいたなんて。
あんなに好きだと言っていたのに。
愛していると視察旅行中に何度も囁いていたのはメーナに向けてではなかったのだ。
大粒の涙を流すメーナを慰めようとするアバン、しかしそんなもの無意味であった。
「き、記憶違いかもしれない!もしかしたらもっと大きくなってからか…」
「この髪で街中を歩けるわけないでしょ!屋敷を出たのは十五歳になってからよ、そんな小さい頃に歩いてなんかいないわっ…」
「そん、な…」
「アバン様、誰と勘違いしたのよ!私みたいに赤い色素を持つ平民なんていっぱいいるじゃないっ!」
「そんなことない!同じ歳なのは間違いないんだ、あの時本人がそう言ったんだ。今、十八歳で同じような髪色の女性なんて他に誰も…」
アバンはそこまで言うとぴたりと止まった。
彼の脳裏には一人の女性が浮かんでいたのだが、メーナは知らなかった。
「どうしてこんなタイミングで知ってしまったの…、私たち明日結婚するのよ。ベリーの死刑執行だって控えているのに…」
瞬間、アバンの顔が青ざめた。
「誰か来てくれ!」
アバンが叫ぶと部屋の前で待機していたらしい衛兵が部屋に入ってきた。
「今すぐベリーを玉座の間に連れていくんだ」
「は、え…?」
「アバン様…?」
突然のことにその場にいる全員が理解できないでいた。
しかし、なおもアバンは指示をかけた。
「父上と母上は私が呼ぼう。君たちはベリーとヒューノット公爵夫妻、それからメーナを連れてきてくれ」
「あ、アバン様待って…!」
「メーナ、またあとで会おう」
そして婚約者を置いてその場から去っていった。
取り残されたメーナはベッドの上で泣き崩れるしかなかった。
あれは十一年前のまだ寒い、春祭りの最終日だった。
当時、国王も王妃も来賓対応に追われており、アバンは使用人や家庭教師としか会えない日々を送っていた。
幼心ながらにそれが大事なことであることは分かっていた。
けれど自分よりも他人の方が優先されるのが悔しくて、悲しくて、寂しかった。
少しくらい困らせてもいいだろう。
城からこっそり抜け出したとき、アバンはそんなことを考えていた。
今思えば、使用人や護衛を連れていくなり、歳の近い子どもたちと遊べばよかったのだ。
けれどあの時のアバンは自分のことしか考えていなかった。
当然帰り道が分からなくなったのだが、よりにもよってアバンの目に見える景色は路地裏というべきか、治安の悪い場所だった。
いかにも悪人のような顔をした大人たちから逃げ続け、最早どちらから来たかも分からなくなった。
その時、彼女が現れた。
「きみどうしたの、まいご?パパやママは?」
「…う、ぐすっ…、ちちうえっ、ははうえぇっ…」
彼女は泣き止むまでずっと頭を撫で続けてくれた。
アバンが泣き止むと、彼女が尋ねた。
「きみ、おかねもち?」
「う、うん、…たぶん」
「ふぅん、じゃあいっしょにさがす」
「ほんとに…?」
彼女はにこりと笑った。
この時、アバンは彼女の輝く赤い髪に恋をした。
そのせいというべきか、目の色を見ることを失念してしまったのだ。
手を繋ぎ、アバンが彼女に連れて行かれたのは大通りだった。
「おぼえているおみせとかある?」
「う、うん、あるよ!えっと、スープをうってた!」
「じゃあスープやさんをまわろう」
そうしてアバンは彼女と一軒一軒巡った。
道中、彼女に尋ねる。
「きみ、なまえは?」
「なまえたずねるときはさきにじぶんがいうんだよ」
「…ごめん、いえない…」
王子が街にいると知られるわけにはいかない。
彼女もそのことについて深く尋ねることはなく、二人はとことこと歩いていく。
「あ、じゃあ、ねんれいは?ぼくななさい」
「ななさい?わたしといっしょ!」
「ほんとう!?」
アバンは代わりに別の質問をした。
「おなじねんれいなのに、もうしごとしてるの?」
「ビンボーだからね、いきるためにははたらかなくちゃ」
「そうなんだ…」
アバンにとって自分と同じ年齢の女の子がもう仕事をしなくてはならないということは、とても精神的に辛かった。
自分たち王族がそうさせているのだと負い目を感じていたのだ。
「あと、このかみがね、きらわれてるから」
「きれいなピンクだよ、ぼくはすき」
「たとえそうでも、きらいなひとがおおいのがじじつだから」
それは悲しいことで、しかし同時にアバンにも何かできるのではないかと期待させた。
自分が行動すれば、彼らの立場も良くなるのでは。
五軒目の店を訪ねたときだ。
「あっ!」
それは城からの道に面した広場だった。
ここまでくればアバンでも帰れる。
「このおみせ?」
「うん!ありがとう」
「じゃあいえまでついていくよ、おかねもらわなきゃ」
「え?」
アバンは彼女が道案内という『仕事』でお金を貰うつもりだったことにようやく気づいた。
しかしお金を渡すことは苦じゃないが、城に来てもらうわけにはいかない。
「こ、こんどおかねもってくるよ。それじゃだめ?」
「またまいごになるよ?」
「う…」
酷く落ち込んだ。
城から抜け出したことがバレてしまう。
国王と王妃を困らせたかったとしても悲しませたくはなかった。
何も言えずにいたアバン、彼女はそんな彼にため息をついた。
「じゃあしゅっせばらいね」
「しゅっせ…?」
「おおきくなって、おかねをかせげるようになったらはらいにきてってこと」
「っ…!うん、やくそくする!」
「ぜったいだからね」
二人はそうしてその日別れたのだ。
当然、アバンがその日以降城下に抜け出すことは出来なくなった。
護衛や使用人が罰を与えられたから。
自分があのようなことをしなければ彼らが痛い思いをすることがなかったのだと後悔した。
けれどもあの女の子を忘れることは出来なかった。
名前も知らない彼女を探すためにアバンは何年も調べ続けたのだ。
しかし赤い色素を含んだ髪を持つ同じ歳の少女は見つからなかった。
記憶違いではないのか、もしかしたら既に亡くなっているのでは。
そんな不安に襲われていた。
だから入学式でメーナを見て心から神に感謝した、自分たちは運命の赤い糸で繋がっていたのだと。
まさかそれが人違いだったなんて。