第五話
それは奇しくもベリーが幼き日の夢を見た翌日であった。
王太子アバンとその婚約者メーナが半年の視察を終えて城へ帰ってきた。
「王太子殿下、メーナ様、おめでとうございます!」
「メーナ様お綺麗です!」
『魔の欠片』を物ともせず初恋を貫いた王太子とどんな人にも慈悲深い平民出身の王太子妃、絵物語のような光景に多くの国民が憧れた。
凱旋が終わると二人はすぐに結婚式の準備に取り掛かった。
「アバン様」
真新しいウェディングドレスに身を包んだメーナが上目遣いでアバンに微笑んだ。
「私、似合ってますか?」
「すごく綺麗だメーナ、君みたいに素敵な女性を妻にできるなんて、夢みたいだ」
「うふふ、お世辞でも嬉しい」
幸せいっぱいの主役二人と見守る使用人たち、和やかな雰囲気が室内を満たしていた。
そこへ扉を叩く音がした。
「殿下」
アバンはその声がベリーの見張り担当の兵士のものだと思い出した。
「取り急ぎお伝えしたいことが…」
「申し訳ないけれど、また後にしてくれ」
「ですが!…分かりました」
やがて遠ざかる足音にメーナが心配そうに駆け寄った。
「アバン様宜しかったんですか?」
「いいんだよ、君より優先することなんて何もない」
半年の間、アバンはすっかりメーナに籠絡されていた。
ベリーと比べられることに耐えられないと泣くメーナのために、アバンはベリーを死刑に処することを約束してしまった。
最初こそベリーを裏切る行動に罪悪感を感じていたが、メーナの喜ぶ顔を見ていたら日を追うごとに麻痺してしまい、今となってはベリーのことなどどうでもよくなっていたのだ。
最早メーナ以外の人間など風景の一部でしかなかった。
しかしいつまでも新婚気分でいるわけにもいかず。
アバンは先ほど部屋を訪れていた兵士とともにある場所へ向かっていた。
「ベリーと会ってほしいって、一体どういうことだ」
「殿下がご旅行中、いえ視察中に何度かお手紙を出したのですがお返事が無く…。このままでは処刑に響くかと思いご無礼を承知でお願い申し上げました」
アバンは確かにその手紙に見覚えがあった。
『早く帰ってきてほしい』
そのような内容が記載されているだけで、理由が一切書かれていなかった。
極秘の内容であれば理由を書かないこともよくあるのだろうが、ベリーに関してそのようなことはまず無い。
大方、我儘を言って困らせているのだろうと無視し続けていた。
アバンにとってはベリーや城のことより、メーナとの視察を兼ねた旅行が大切だったのだから。
兵士もそのことに気づいていたのだろう。
だからこそ帰ってきてすぐにアバンの元へ自ら赴いたのだ。
「まさかベリーの身に何か…?」
兵士の手により牢に続く暗くて寒い廊下への入り口が開かれた。
蝋燭の光を頼りに進んでいく。
現在この城で収監されているのはベリーただ一人、彼女は一番奥にいるという。
アバンは何とも言えない焦燥感に襲われていた。
彼女に会うのが怖いのだ。
メーナと一緒になりたくてベリーの力を借りたのに、それが叶った途端約束を反故にした。
牢に行くということはベリーが死んでいない証拠でもあった。
(いっそ、死んでくれていればこんなに怯えることもなかったのに)
しかし同時に安堵している自分もいた。
何故、どうして?
「こちらです」
目的地に着いたアバンは兵士の誘導に従い顔を上げた。
そして目を大きく見開いた。
「…ベリー、なのか…?」
ベッドに腰掛けて針と布を持っていた元婚約者に、独り言のように呟いた。
「殿下…?」
アバンの存在に気づいたベリーが光の灯らない紫の目で見据えてくる。
思わずアバンの足が一歩下がった。
最後に会った時、ベリーは肩までのショートヘアだった。
幼い頃より黒い髪をいつも短く整えていて、伸ばしたところなど一度も見たことがなかった。
その彼女がストレートの髪を胸元まで伸ばしている。
けれどアバンが驚いたのは髪の長さについてなどではなかった。
「君…、髪色が…」
蝋燭に照らされたベリーの髪を食い入るように見つめた。
髪の根元から十センチほどが黒から変色しており、そしてそれは春先に咲く牡丹の様な鮮やかな赤だったのだ。
「なん、で…」
合点がいったのだろう、ベリーが己の髪に触れた。
「染めていたので」
「そ、え…」
アバンには訳がわからなかった。
ベリーの目はヒューノット公爵のものを、髪は夫人であるエリィのものを受け継いでいるとずっと思い込んでいたのだ。
「騙していたのか…?」
「はい」
「どこから…」
ベリーはため息をつくと、小窓から青空を眺めた。
その姿はまるで絵画のように美しかった。
ベリーはエリィの子ではなかった。
ヒューノット公爵が一時の過ちで娼婦との間に授かった子どもであった。
十歳の頃その実母が亡くなり、ベリーはヒューノット公爵家に連れてこられたのだ。
本来ならば私生児は肩身の狭い思いをするものだ。
使用人として扱われたり、家畜のように扱われたり、家族として接してくれることはほとんどない。
けれどエリィは血の繋がらないベリーを自らの養子として迎え、我が子として育ててくれたのだ。
しかしヒューノット公爵は違った。
「髪を染めろ、公爵家で暮らすのならその名に恥じぬよう偽れ」
母親の色を濃く受け継いだベリーの髪は邪魔だったのだ。
公爵と同じ金髪にはどうやっても染まらなかった。
なのでエリィと同じ黒髪に染めたのだ。
元平民、私生児、赤い色素。
ベリーはメーナと同じか、それ以上に瑕疵を持っていたのだ。
(だから王太子妃になんてなりたくなかったのだけれど)
どういう運命のいたずらか十二歳の時、アバンの婚約者探しのパーティーでベリーは国王夫妻に見初められてしまった。
生きるために偽ったことが却って六年もの間耐え続けることになってしまった。
そんな中、メーナの存在は丁度良かった。
これでやっと表舞台から逃げられると思ったのだ。
アバンもメーナを世間の目から守ると言い切ってくれた、あとは自分が消えるだけ。
そのはずだったのに。
半年の間に髪が伸びてしまった。
牢にいたせいで染めることができなかった。
長いと染めるのに時間がかかるし面倒だからずっと短くしていたのに。
彼らの視察が長引いたせいで。
(けれどそんなこと、もうどうでもいい)
どうせ自分は死ぬのだ。
髪が赤くても、国民がざわついても、自分にはもう関係ない。
アバンには期待しない。
父にも義兄であるグレンジにも望まない。
ベリーはただ静かにその時、自分が処刑される瞬間を待っていた。