第三話
パーティーで婚約破棄された翌日、ベリーは城内の罪人を収容するための牢に軟禁されていた。
床に直接座り込むのはとても硬く冷たかったが、小窓から太陽の光が差し込むだけ有り難いと思うしかない。
地下牢だったならばこれよりもっと暗く、寒い思いをしなければならなかっただろう。
「アバン様はメーナ嬢と無事に婚約できたかしら」
二人の幸せを案じつつ、ベリーは未だ来ぬ自らへの処罰内容をひたすら待っていた。
国の予算を流用した罪人を釈放することなどまず無いから、何かしらの償いを命じられるはずなのだ。
罪を犯した貴族令嬢の処罰で一番多いのは国内の厳格な修道院へ送られることだ。
しかしそれは自領地の資産に手を出したとか、他の令嬢に行き過ぎた行動をとったとか、やや軽度な罪に課せられる。
国家資金に手を出した令嬢をそれで済ますのは得策ではない。
修道院を開放した際に多くの視線にも晒されるので行きたくない。
次に多いのは平民への降下だが、これは一族全員にくだされることが基本とされる。
公爵家には被害が及ばぬようアバンに何度も依頼したのだ、万が一にもそのようなことは起こらないだろう。
他には国外追放という処分方法もあるが、敵対国に資金を流した令嬢を他国で生活させるのはあまりにも危険である。
そんな中、ベリーにとって一番望ましいのは流刑である。
誰もベリーの名前や顔を知らない場所で、自然や動物に囲まれて暮らしたい。
もう人間関係には疲れたのだ。
いつも誰かの視線を気にしながら生きて、見下されないよう前を向き続けなければならないなどもう耐えられない。
隠している『秘密』が公になる前に王都から出て行きたかった。
その時、男性らしき足音が近づいてきた。
現れた兵士の冷たい目が刺さる。
「ベリー・ヒューノット、貴殿への処分が下された」
「あら、私が処分されるはずないわ、私は王太子殿下の正当な婚約者ですもの」
ベリーは兵士しかいないこの場でもなお、傲慢な公爵令嬢の演技を続けることにした。
立ち上がり、自分より背の高い兵士を見下ろすように睨む。
「貴方、今なら許してあげる、私の家来になりなさい。この牢は私に相応しくないわ、私に相応しいのは大きな部屋と温かいベッド、そしてこの国の妃っ…」
突如、兵士がベリーの胸元に鞘をつけたままとはいえ剣を突き立てたのだ。
壁に飛ばされたベリーは荒く息を整えた。
怒らせたのだろうか。
自分が王家に反逆するような愚かな男に見られたと勘違いしただろうか。
「卑しい罪人の分際でよくもまあべらべらと喋るものだ」
しかし兵士の声色は怒るでも悲しむでもなく、酷く冷静だった。
「貴様がこの牢から出ることは無い、出られるのは斬首刑に処されるその時だ」
その言葉にベリーの思考が停止した。
「斬、首…?」
瞬間、脳裏にアバンの笑顔が浮かび上がった。
間違いだ。
あのアバンが協力者であるベリーにそのような処分を下すはずがない。
ベリーはちゃんとアバンと約束していた。
公爵家もベリーも命の危険には晒さないようにしてほしいと。
ふふっと笑みが溢れた。
「嘘だわ。貴方よほど私を嫌っているのね、だからそんな誰も信じないような嘘をつくんでしょ」
その言葉を聞いた兵士がおもむろに一枚の紙を牢内に放り込んだ。
ベリーの目は記された通知書に釘付けになった。
『ベリー・ヒューノット
罪名、国家反逆罪
他令嬢の命を脅かし、あまつさえ王国に危機をもたらせようと画策した罪で斬首刑とする』
その最後には間違いなく国王の玉璽が据えられていた。
「そん、な…」
あのアバンが?
長年一緒に頑張ってきたベリーを突き放した?
「…殿下に会わせて」
「それはできない」
ベリーは怒りを顕にした。
「何故!?曲がりなりにも私はこの国の公爵令嬢よ!そんな私にこんな仕打ちをするのに、こんな紙切れ一枚で済まそうというの!?」
格子を掴んで必死に叫んだ。
しかし兵士の態度は変わらなかった。
「王太子殿下は婚約者様であるメーナ・シュトロン侯爵令嬢と明日より視察に向かわれる。罪人と会う時間などない」
シュトロン侯爵家、それは間違いなくベリーがアバンと計画したメーナの養子縁組先だった。
無事に二人が一緒になれたのだという喜びと同時に虚しさに襲われる。
それでもなお、ベリーは心のどこかで期待していた。
この処罰は国民を騙すためのもので、本当は逃してくれるのではないかと。
ともに切磋琢磨してきた六年間は裏切らないはずだと。
それはまだ日も暗い朝方のことだった。
「まあベリー様、一昨日ぶりだというのにこんなに窶れてしまって…」
「…メーナ嬢?」
窓からほんのり差し込む光のもと、芽吹いた木々のように輝く目がベリーを見下ろしていた。
「メーナ嬢、なんでここへ」
「そんなの…、ベリー様とお話がしたいからに決まってます」
そう言って視線を落としたメーナはともに来た護衛に振り返る。
「少し二人だけにさせてください」
「なりません。この者は罪人です、王太子殿下の婚約者様と二人きりにさせることは出来ません」
「ほんの少しでいいの、お願いいたします」
決して危険なことはしませんから。
護衛は少し悩んでいたが、やがてメーナを残し去っていった。
「…はあ、面倒くさいわね、全く」
「メーナ、嬢…?」
突然変わったメーナの雰囲気にベリーは目を見開いた。
メーナがくくっと笑う。
「そんなに呼ばなくても聞こえているわよ、ベリー・ヒューノット」
「…それが貴女の素なのね」
「何よ、悪い?」
ベリーは首を振った。
彼女がどんなに口が悪くとも、アバンの初恋であることに変わりはないのだ。
そこに愛があれば何も関係ない。
ベリーはメーナに近づいた。
「メーナ嬢は視察に向かう準備をされているはずでは?」
「ええそうよ、けれどその前にやらなくてはいけないことがあったから」
ベリーは首を傾げた。
王太子であるアバンとの視察準備より大事なことがこの場であるとは思えなかった。
するとメーナが突然笑いだした。
「あー、可笑しい!ここまで全て巧くいくなんて!」
意味が分からず固まるベリー、メーナはそんな彼女に手を差し伸ばすとベリーの黒髪を掴んだ。
「いっ…」
「平民だったのに、男爵令嬢だったのに、赤い髪だったのに!私はアバン様に愛され、国民に愛されて!こんなに幸せになれるのよ!」
いきなりそんな話を捲し立てるように告げられて訳がわからない。
見開いたメーナの目は充血していた。
「だけどまだ足りない、このままじゃ私は全てを手に入れられないの。もっと、もっと、誰にも邪魔されるわけにはいかないの!…そのためには真実を知る貴女は邪魔なのよ」
「貴女、計画を知って…!」
ベリーとアバンの婚約破棄の作戦を知っていた?
ようやく喋ったベリーに気分を良くしたメーナが嬉しそうに顔を近づけた。
「今頃気づいたの?ええ知っていたわ。だってアバン様が教えてくれたもの、貴女が婚約破棄されるために嫌がらせをするかもしれない、苛められるかもしれない、だけど耐えてくれって。そう言ったもの」
それは確かに作戦として大事なことだったかもしれない。
知らなければメーナが心身病んで離れてしまう可能性すらあったのだから。
しかしそれなら彼女に伝えていることをベリーにも事前に伝えていておいてほしかった。
知っているのと知らないのとでは違うのだ。
「貴女はいいわよね。公爵家の一員で、産まれながら貴族令嬢として大事にされて、同じ赤い色素を持っているのに目立たないから苛められることもない。なのに私たちのために自ら身を引くくらい優しくて、賢明で、馬鹿みたいに正直で!」
それはベリーに対する劣等感だったのかもしれない。
激しい憎しみを宿した目は恐ろしかった。
「赤い色素を持って産まれたことに後悔はないわ、大好きな父と同じ髪色だもの、大好きな色に決まってる。…貴女覚えてるかしら?この髪を見て『魔の欠片』って言ったわよね。自分も紫の目を持つくせに皆の前でそう叫んだでしょ?…許さないから。この髪を侮辱したこと死ぬ間際まで後悔させてやるわよ」
「ま、待って、まさか私が斬首刑になったのって…」
「ええ、私がアバン様にお願いしたの。前の婚約者が公爵令嬢だったんだもの。比較され続けるなんて耐えられないって言ったらあっさり死刑にしてくれるんだもの、貴女が自ら大罪人になってくれたから簡単に陛下も許してくださったわ。そういう意味では貴女にも感謝しなきゃね」
ベリーの髪を手放したメーナが部屋を出ていこうとした。
しかし「あ、言い忘れるところだった」と振り返る。
「私、半年後アバン様と結婚することになったの。王太子妃として最初の仕事が貴女の処刑執行を見ることになるわね」
「…え」
それはベリーにとって『一番耐えられないこと』だった。
「心優しい王太子妃だもの、食事もドレスも用意してあげる、多少汚いかもしれないけどね?半年のうちに死なれちゃ困るもの」
「ま、待って!お願い、それだけはやめて…!」
行く手を阻む格子を掴み、縋りつくように頭を下げたベリー。
「お願いします…、どうか…。半年間もこのままなんてっ…」
それはメーナにとって予想外なことであった、しかし、好都合でもあった。
公爵令嬢という格上からの謝罪は、それはそれは心地よかった。
「メーナ嬢、いえ、メーナ様。貴女は勘違いしているわ」
「勘違い?」
「ええ、私は貴女が思っているようなできた人間じゃないの」
話を聞いてくれる、そう思ったベリーが更に続けようとした。
しかしそれをメーナが遮った。
「そんなこと今更もう関係ないわ。大事なのは私がアバン様の婚約者だということと、貴女が死刑を控えた大罪人だということだけ」
「待って、お願いだから、話を聞いて…」
メーナが部屋から出ていった。
靴音がどんどん遠ざかっていく。
「お願い、お願いだから…。私を殺して…」
半年もここで生きるくらいなら今すぐ死んだほうがマシだった。
今まで守り続けてきた『秘密』が露見する前に殺されたほうが何倍もいい。
「嫌よ…、そんなの…」
ベリーは落ちる涙を拭うこともせずそう呟く。
誰にも聞いてもらえない彼女の願いは日が昇り、落ちてもなお続いていた。