第二十話
フードの人物を室内に招いたベリー。
燭台を机の上に置くとその光だけを頼りに水差しを手にとった。
「まさか貴女の方から来ていただけるとは思っていませんでした」
自分のカップに水を注ぎ、ふと来客の飲み物をどうするかと悩む。
「お飲み物は紅茶で宜しいですか?それとも珈琲を?」
「…水で」
これには困惑した。
もしや気を遣わせてしまったのだろうか。
気にせず飲んでほしい、そう言おうとしたところ、客人は鼻を鳴らした。
「私、水しか飲めないような人の前で紅茶を飲むほど、図々しくありませんわ」
「…そうでしたか」
それは彼女なりの優しさなのだと気づいた。
自分を気にして食事に手をつけないカンディエ夫人を慮ったベリーと、考えるところは同じである。
だからこそ皆が寝静まったこの時間に真っ黒なコートを着て、顔もすっぽり隠して、人目を忍んでやって来たのだ。
誰にも見られないために。
ベリーはフードを下ろした彼女の目に微笑んだ。
「…それで、どういったご要件でしょうか、アーダルデシア伯爵夫人」
彼女、レベーラは切れ長の目を一度瞑ると水を一口飲んだ。
「昼間の件についてです、令嬢には多大な迷惑をおかけしましたわ」
「迷惑だなんて、あれは私を護ってくださったのでしょう」
そう、あれは演技だった。
レベーラのベリーを叱咤する光景は、一見乱暴性を表現しているように見えた。
けれどそれにより手からクッキーが落ちて食べることを免れた。
そしてそれだけではなく、口の端が痛むこと、レベーラに怒られたことを理由に今後断れるようになったのだ。
「サギーナには荷が重すぎたので」
彼女の青い目が思案するようにベリーを見つめた。
「なぜ夫人は気づかれたのでしょうか」
「確認のために厨房へ赴いたら、料理長が令嬢のために用意したスープを泣きながら捨てていたのよ」
「…」
菓子を残したら勿体ない、そう言っておきながらスープを捨てさせていたのか。
デレシアには困ったものだと呆れていると、レベーラが突然頭を下げた。
「ふ、夫人!?」
「客人を護るはずのサギーナが、あろうことかデレシアに同調するという失態を犯しました。私と伯爵からよく言い聞かせておきましたので、どうかお許しください」
「顔を上げてくださいっ…。私、アーダルデシア卿に恨みなんて…」
「恨んでいるでしょう?顔を見ればわかります」
「っ…」
流石母親、ということだろうか。
何も言えないでいると、レベーラがため息をついた。
「あの子は優しすぎる、平和的に解決したがるわ。デレシアの性格が変えられないのであれば、変えられる令嬢に無理を強いてしまうほどに」
「…その意味はわかります、現に何度か、デレシア様へ説得していただきましたから」
冷静になれば何となく理解できる。
何を言っても聞かない相手に、言い続けるには自分の神経を擦り減らさせる必要がある。
しかしそれをしてもなお変わってくれないこともある。
ベリーが何度も嫌だと言ったのに話を聞いてくれなかったグリュフのように。
そうなると結局、ベリーやサギーナのように諦めるしかないのだ。
何を言っても無駄だと。
それが分かってしまえば、サギーナを恨むことなどできなくなってしまった。
「夫人、許すかわりにいくつか質問してもいいですか?」
「何をかしら」
「夫人は『魔の欠片』を嫌っているはずなのに、ユーイ嬢を実の子のように育てられたのでしょうか」
夫が第二夫人との間に設けた子、いくら女児だったとしても、不安分子だったはず。
「なぜ私とこのように話をしてくださるのですか」
ベリーを危機から救ってくれたのか。
「…『魔の欠片』は所詮おとぎ話だわ。魔族がいたっていう文献や遺産はあれど、実在していたという確実な証拠はない」
「…」
「それでもこの国、この世界の多くがそれを信じてる。私もその一人だった。…ただ違うのは、身内がそれを理由に排斥されるのが許せなかっただけ」
赤い色素を恨むのは別にいい。
『魔の欠片』を伝承していくのも構わない。
けれど自分の周りの人がそのせいで悲しんだり、苦しんだり、死を望むようになるのは違う。
「令嬢は、ユーイが私の実の子ではない、そう言いましたね」
「違うのですか?」
「合っているわ。確かに私とユーイに血の繋がりはない、家族でも他人のような関係よ」
しかしレベーラにとって人生の分岐点となる事件が起きたのだ。
「自分の出産した赤子が娘だと分かったとき、デレシアはどうしたと思う?」
「まさか…」
立場でも、出産の順番でも負けたデレシア。
それでも男児であれば、機会さえあればいずれ後継者にすることが出来たかもしれない。
彼女の性格だと、自分の思い通りにいかなければどうするか。
背筋が寒くなる。
「夫人がユーイ嬢を育てた理由はもしかして…」
「デレシアに子育てさせていたら、愛する人との子だったとしても殺していたでしょうね」
「そんなっ、だって自分の子なのに」
貧民街ならばよく聞く話だ。
毎日の暮らしに困っているような人間も多く、口減らしのために捨てることもある。
娼婦が客と子を授かって、望まれないからと堕ろすことだって。
しかし産まれた子が女だったから殺すなんて。
「…結果として、私がサギーナと一緒に育てることになったわ。デレシアと同じ茶色の髪に伯爵から受け継いだ黒い目を持ったユーイは、…可愛かった」
それは何かが違ったのだろうか。
レベーラとデレシアは生まれも育ちも違うからか。
或いは別の何か。
「皆勘違いしているけれど、私と伯爵に愛情がないわけじゃないわ。お互い、政略結婚でも相手を尊重するように教えられてきたもの」
そんな愛する人の子だ。
たとえ自分の子ではなくとも、可愛いに決まっている。
愛おしい。
実の母親に代わり、自分が育てる。
そう決めたのだ。
「…ユーイ嬢の名付け親は、やはり夫人だったのですね」
ベリーは確信を持って告げた。
「なぜ?」
「ヤーエ嬢と名前が似ていたので」
もしユーイをよく思わないのであれば、ヤーエが産まれたとき、もっと違う名前をつけただろう。
それに殺そうとしたデレシアが名前をつけるとも思えなかった。
「そういうところはよく頭が回るのね」
レベーラがふう、と椅子に凭れかかった。
「もう一つ教えてください。…伯爵は、もうデレシア様への愛情をお持ちではないのでは?」
これは家系図を見て思ったことだ。
政略結婚したレベーラと二人目、ヤーエを授かったということは、愛がレベーラに傾いたということである。
デレシアとの子をレベーラの子と詐称しているのであればまた話は変わってくるだろうが、ヤーエの外見は驚くほどレベーラと瓜二つであった。
髪は黒でごまかせても、宝石のように鮮やかな青い目は隠せない。
「…」
悩んでいた様子の彼女、しかし一呼吸おくと、こくりと頷いた。
「子を殺そうとしたのだもの、当然よね」
身分も地位も後継者も、伯爵からの持続的な愛さえも、全て手に入れられなかったデレシア。
だからあそこまで恋愛結婚という過去の栄光に固執しているのだろう。
そのようなもの、一時の感情に過ぎないというのに。
「私からもいいかしら」
レベーラの問いにベリーは「はい」と答えた。
何を尋ねられるのか。
「令嬢の目的は婚約破棄かしら」
思わず目を見開き、立ち上がってしまったベリーに彼女はやっぱり、とため息をついた。
「どうしてそれを…」
「王太子妃になりたくないって騒動起こした令嬢がまた王太子妃候補になったのよ、大人しくするはずないじゃない。それに、私だって嫌だわ。好奇の目に晒されるのが分かってて王太子妃になる馬鹿がいるものですか」
座るように言われ、恐る恐る椅子に腰掛けたベリー。
レベーラはベリーの恐怖を和らげるように顔を綻ばせた。
「狙いはサギーナとユーイかしら」
「はい…」
ヤーエもだと言ったら、どんな反応をされるのだろうか。
大切な子どもたちの人生を振り回してしまうというのに、あろうことか、レベーラはベリーの頭を撫でた。
「夫人…?」
「その歳で自ら破滅に向かうなんて、よく耐えられるわね」
「そんなこと…、私は頭が良くないから、逃げるにはこの方法しか思いつかなくて」
メーナのように機転が利けば、運任せにしなくともよいのに。
「貴女のようにお転婆な娘を持って、エリィも大変ね」
「母をご存知で…?」
義母であるエリィは同じ元侯爵令嬢で黒髪だが、知り合いだという話を聞いたことはない。
「母同士が従姉妹なのよ。知らなかった?」
「…すいません、あまり母方の親戚付き合いがなくて」
実の親子ではないのだと知られるわけにはいかないので、幼少期のことを尋ねられたときには『病弱で公の場に出られない』と偽っていた。
母方の親戚にもそれは同様だったため、必然と会う機会がなかったのだ。
「まあ当然ね、その髪では」
それがこの国での『魔の欠片』の立場だから。
ベリーの頭から手が離れる。
「好きになさい」
「へ…」
「サギーナでもユーイでも、何でも利用しなさい」
それはつまり。
「そんなことしたらアーダルデシア家がっ…」
「どんなことをするのかは知らないけど、一令嬢に振り回される程愚かに育てたつもりはないわ」
「夫人…」
フードを被ったレベーラは立ち上がると、そのまま部屋を出ていこうとした。
しかしドアノブを手にふと立ち止まる。
「父親似ね」
呟かれた声はベリーの耳には届かなかった。
「え…?」
「何でもないわ」
ベリーはその笑顔に、何とも言えない温もりを感じていた。




