第十九話
「…」
確かに、どんなことでもやるとは決めた。
その思いに嘘はないし、そのためにここまで来たのだから。
しかし。
「んもう、うちの料理人ってば酷いのよ!私びっくりしちゃった」
ベリーは目の前に並べられた菓子の山を、顔を引きつらせながら見下ろした。
漂ってくる匂いはとても香ばしく、甘くて美味しいものだとすぐに分かる。
しかし今のベリーには食べられるわけがない。
ちらりとデレシアの顔色を窺う。
「公爵令嬢にスイーツの一つも出さずに、水と何の味もしないスープだけだなんてありえないわよね!」
「いえ、その…」
料理人には恐らくアーダルデシア伯爵経由で、ベリーが味覚過敏であることが伝えられているはずである。
だからこそそのような食事を用意していたのだ。
いきなり濃い味付けにしては受けつけられないかもという配慮であっただろうに、よりにもよってデレシアにそれが伝わっていなかったとは。
いや、伝えていても聞いていなかったのかもしれない。
「そう思うでしょサギーナ」
サギーナはそのことを知らないのだろうか、視線を移せば、申し訳無さそうに彼は瞼を伏せた。
「すいません、私からも言ったのですが…」
「あ、酷い!またそうやって私を除け者にするの?」
いや聞けよ。
ベリーはため息を堪えて彼女に微笑んだ。
「デレシア様、申し訳ないのですが私はちょっと…」
「あ、これ食べてみて!チョコレートいっぱいかかってて、前に食べたんだけどすっごく美味しかったの」
純粋な目で見つめられ、耐えきれずに視線を逸す。
「いやもう本当に…、私、そういったものが受けつけられなくて…」
そのためにパーティーより二週間早く訪問したと告げると、デレシアは首を傾げる。
「受けつけられないの?」
「はい…」
ようやく話を聞いてくれた。
ほっとしたベリーに彼女は、あろうことか眉間に皺を寄せた。
「何で?私の用意したお菓子が食べられないの?」
「ち、違いますっ」
「じゃあどういうこと、分かりやすいように説明して」
ベリーは思わずサギーナに視線を送った、助けてほしいと。
すると意図に気づいた彼がデレシアとの間に入る。
「デレシア様、令嬢は味のついたものが食べられないご病気なのですよ」
「ええ!?何それ、そんなの知らないし、聞いてないわよ」
あまり公にされていないことだから、伯爵や夫人は敢えて言わなかったのかもしれない。
彼女に言えば、どこまで情報が拡散されるか、分かったものじゃない。
(まあこうなるくらいなら言っておいてほしかったけれど)
するとしばらく悩んでいたデレシアが「でも」と口を開いた。
「要はそれ、『好き嫌い』ってことよね」
「…は?」
この人、今、なんて言った。
呆気にとられるベリーに納得したらしく、彼女は何を思ったか、ベリーの手首を掴んだ。
「駄目よ、その歳で好き嫌いなんてしちゃ!私も子どものころ野菜が嫌いで食べられなかったけど、頑張って食べられるようにしたのよ」
「デレシア様、好き嫌いとは別で…」
慌てて修正しようと言葉にするが、彼女の耳に入るはずがない。
「一緒みたいなものでしょ、そんな我儘言ってたら大人になってから後悔するわよ」
まさかそんな風に勘違いされるなんて。
デレシアは何を思ったか、取り分け用の皿にケーキやクッキーなどを積み重ねた。
「はい、公爵令嬢の分、ちゃんと食べないと勿体ないわよ」
目の前に置かれたそれに、背筋が凍る。
食べるの、これを?
私が?
ジャムや生クリームがたっぷり乗ったお菓子を?
ふとあの時の記憶が蘇った。
紅茶が口の中に突き刺さる、あの甘みや苦味を。
そんなの耐えられない。
何とかしてこの場を凌がなければ。
その時サギーナがため息をつきながらも眼鏡をかけ直した。
「ベリー嬢、申し訳ございません、デレシア様のお願いを聞いていただけたら…」
鈍器で頭を殴られた気分だった。
「サギーナ、様…?」
信じられなくて彼を凝視すると、彼はそっと顔を背けた。
そこでようやく気づいた。
この男はデレシアの自分勝手な言動に疲れて、私を見捨てたんだと。
「ほら早く!」
あまりにも手をつけないものだから、苛立ちを募らせるデレシア。
ベリーは恐る恐るクッキーを手にとった。
話を聞いてもらえないだけでなく、頼みの綱だったサギーナを頼ることができなくなった。
完全に八方塞がりのこの状態から打破するにはベリーが折れるしかない。
(大丈夫よ、きっと。そうよ、死ぬわけじゃないし、口に入れるだけなら、一瞬なら…)
もしかしたら食べれるようになっているかもしれない。
そう覚悟を決めたときだった。
突然部屋の扉が開かれ、一人の人物が飛び込んできた。
「…え、夫人…?」
入ってきたのはレベーラだった。
予想していなかった人物の登場にベリーが茫然としていると、彼女の刺すような視線とぶつかった。
レベーラは靴音を鳴らすように近づいてきたかと思うと、いきなり手の平でベリーの頬を叩いた。
「っ…」
「母上何をするのですかっ!」
「お前は黙ってなさい」
頬に触れる。
口の端が少し切れたらしく、鮮やかな緋色が指を染める。
「どうやらヒューノット家では家主よりも居候と食事を先に行うのが礼儀だと教わっているようですね」
「…それは誤解ですわ夫人」
頬を叩かれて幾分か冷静になれたベリーはにこりと笑った。
「デレシア様もれっきとしたアーダルデシア伯爵の第二夫人でいらっしゃいますから、ご挨拶を兼ねてお話していただけですわ」
「ふん、…第二夫人、ね」
レベーラの視線がベリーから座っている女性に移った。
「許可もなく突然入ってくるなんて、非常識なんじゃないんですか?レベーラ様」
「貴女こそ客人を饗すような真似して、家主にでもなったつもり?」
自由人だと思っていたが、どうやらデレシアのそれは演技が含まれていたらしい。
でなければこのような貴族らしい言い回しなどできる筈がない。
「あら、家主はレベーラ様ではなくクォイドでしょ。…命令、しないでもらえます?」
「家主が不在の時に代理権を持つのは第一夫人である私です。今後勝手な行動は慎んでちょうだい」
「第一夫人っ!はっ、呆れちゃうわ。身分しか取り柄がないくせに」
椅子から立ち上がり、デレシアはレベーラを同じ高さで睨み返した。
「政略結婚した女なんかより、愛で一緒になった女の方がいいに決まってるでしょ」
「よく言うわ、貴女の目的は金と伯爵夫人っていう立場のくせに」
妻と愛人、物語の中ではよく目にする光景だが、実際に目の当たりにしたのは初めてである。
もっとも、二人とも正式な妻なのだが。
「ほーんと、可哀想なサギーナ。こんな人の心を知らないような女性が母親だなんて、ねえ?」
デレシアはサギーナを味方につけようとしたらしく、甘えるように彼に視線を投げかけた。
しかしその作戦が上手くいかないことをベリーは知っている。
彼の視線がそう証明していた。
「デレシア様、母を侮辱するのは止めてください」
「あら、やっぱり実の母親だから?」
「関係ありません。私はレベーラ・アーダルデシアの息子に生まれて、感謝したことこそあれど、後悔したことはありません」
毅然とした態度を取るサギーナがつまらなかったのだろう、デレシアは「そう」と冷たく言い放った。
「なら二人とも出ていってくださいませ、私はまだ公爵令嬢とお話したいので」
どかっと座り、この部屋から出ていく意思がないことを告げるデレシア。
レベーラが机を勢いよく叩いた。
「最初に言ったことをもう忘れてるのね、貴女には令嬢を饗す資格がないと言ったのよ」
「だからそれはクォイドが…」
瞬間、デレシアの髪を液体が伝い落ちた。
レベーラが彼女の頭にカップの中の紅茶をかけたのだ。
「これでもまだおままごと続けるつもりかしら?」
「っ…」
服にまで滲みが広がり、顔を真っ赤にしたデレシア。
「とっとと部屋に帰るのね、貴女にはそれがお似合いよ」
いくら天真爛漫な彼女でもこの仕打ちは耐えられなかったのだろう、立ち上がり、涙目で部屋を出ていく。
去り際に彼女は告げた。
「私、レベーラ様が嫌いです」
「気が合うわね、私もよ」
デレシアがいなくなり、静かさを取り戻した部屋。
しかしその沈黙は長くは続かなかった。
「母上、いくらなんでもやり過ぎでは…」
そう責める息子に対し、レベーラはため息をついた。
「サギーナ、誰がいつ、令嬢にデレシアを会わせるように言いましたか」
「そ、それはデレシア様が勝手に…」
「言ったの?言ってないの?」
竦むような眼光に、サギーナは「言ってないです」と小さく呟くことしか出来なかった。
「おまえには言っておかなければならないことがあります。伯爵がお戻りになり次第、私の部屋に来るように。いいですね」
そしてベリーを見据えた。
「この家の女主人は私です。いくら公爵令嬢と言えど、この屋敷では私に従ってもらいます。くれぐれも私の許可なく勝手な行動をしないように」
「…畏まりました」
恭しく微笑んだベリーに、レベーラは踵を返して部屋を出ていった。
「…」
嵐のように去っていった彼女。
そこに一つ、ベリーはある仮説を立てていた。
他の誰とも違う夕食を独り静かに食べたその日の晩、ベリーはゲストルームでじっと明かりを暗くして本を読んでいた。
それは件の謝罪という名目でサギーナに用意させたアーダルデシア家の家系図であった。
一番新しい記載は次女、ヤーエ・アーダルデシア。
この記録がベリーの出自のように詐称されていなければ彼女は間違いなくレベーラの第二子である。
デレシアの娘ユーイとレベーラの娘ヤーエ。
そして昼のあの言葉。
『身分しか取り柄がないくせに』
『政略結婚した女なんかより、愛で一緒になった女の方がいいに決まってるでしょ』
これらは一見、まったく関係ないように見える。
海外貿易を生業としていた侯爵家から事業提携を理由に嫁入りしたレベーラを、愛の力で第二夫人の座を手に入れた元子爵令嬢デレシアが見下すことは何らおかしくないのだから。
しかしベリーの目には矛盾しているように見えた。
(これは、普通のことなのかしら)
本来の家族のあり方というものがベリーに分からない故かもしれない。
自分に当てはめようとしているからかもしれない。
調べる必要がありそうだ。
ベリーが思い更けていたその時、こんこんと部屋の扉が静かに叩かれた。
時計を見るともう夜更けである。
屋敷の侍女も既に眠っている時間のため当然、室内にはベリー以外誰もいない。
ベリーは燭台を手に取り自ら扉を開けることにした。
「どちらさまで…」
最初に視界に入ったのは真っ黒なフードコートだった。
不審者かと思った、しかし最近似た香りを嗅いだような気がする。
警戒することもなく首を傾げるベリーに、訪ねてきた人物はフードをずらして顔を見せた。
ベリーは一瞬目を見開いた。
そして微笑むと「どうぞ」と室内へと案内したのだった。




